原発問題

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もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※9回目の紹介

2014-11-05 22:00:00 | 【原子力ムラの陰謀】

*『原子力ムラの陰謀』著者:今西憲之

プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、

第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相

を複数回に分け紹介します。9回目の紹介


原子力ムラの暗部を刻銘に記録に遺し、その男は逝った-

1995年12月8日、「夢の原子炉」と言われた

高速増殖炉「もんじゅ」でナトリウム漏れ事故が発生。

事故をめぐる”隠蔽”が次々と発覚する中、

一人の「国策会社」幹部が突如、命を落とした。

死の謎を解く鍵は、遺された膨大な資料のみ。

そこには原子力ムラが行ってきた”裏工作”の歴史が、

あまりにも生々しく記録されていた。

(P3「まえがき」から)

「『もんじゅ事故』で謎の死を遂げた西村成生さんが残した内部資料があるらしい」

 2012年冬、はじめにその話を聞いた時は、ここまで深くその資料と付き合うことになるとは想像もしていなかった。

  「西村ファイル」と名づけた資料の山を読み進めるうち、取材班は何度も我が目を疑った。国の特殊法人であるはずの動力炉・核燃料開発事業団(動燃=当時) が地域住民や職員の思想・行動を徹底的に調べ上げ、「洗脳」「工作」といった言葉が頻繁に飛び交う。そして、あまりに不自然な西村氏の死-。「原子力ム ラ」の異常な体質が、次々と浮かび上がってきたのである。

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**『原子力ムラの陰謀』著書 「プロローグ「3・11福島原発」の序曲 それは「もんじゅ」事故から始まった」、「第8章 もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相」の紹介(プロローグ⇒第8章の順)

前回の話:もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 ※8回目の紹介

◎シュレッダーにかけられていた「プラロイド写真」

 1月3日の聴取記録には、驚くべき新事実も含まれていた。

 事故から約6時間後の12月9日午前2時に職員が初めて現場に立ち入った際、ビデオのほかにポラロイド写真も撮影していた。

 当時の報道では、現場の職員が「写真は煙ばかりでよくわからなかったので捨てた」と説明している。漏れ出したナトリウムが煙状に広がり、何も写っていなかったのだという。S副所長の聴取記録にも、
<ポラロイドはとったが皆真白でダメだった>
と、同じ趣旨の発言が書かれていた。

 ところが、である。当時の「もんじゅ」技術課長の聴取記録を見ていくと、これらの証言とまったく違うことが書かれていたのだ。

<県の調査の前に副所長はポラロイド写真をシュレッダーにかけさせていた。2時のポラロイドは後で強引に出させて見たがチャントうつっていた>

 副所長は「2時ビデオ」の隠蔽どころか、現場の重要な証拠となるポラロイド写真まで破棄させていたのである。

 このポラロイド写真のことが表に出るのは、聴取記録を見る限り、この時が初めてだった。聴取によって新たに重大な「隠蔽」が発覚したというのに、その後、動燃がこの問題について調査したり、発表したりした形跡はまったくない。当然、97年7月にようやくまとめられた動燃の調査報告書でも一言も触れられていない。

 もしも、この事故が刑事事件になっていれば、これは立派な証拠隠滅ではないか。指示したS副所長や実行した担当者が罪に問われる可能性が十分にある、重大な事案だ。

 取材班はこの件についてJAEAに質問したが、「現時点では確認できない」と言うばかりだった。結局、この「幻のポラロイド写真」は闇に葬られてしまったのである。

※続き「もんじゅ事故「隠蔽」の極秘記録と西村氏「怪死」の真相 」は、11/6(木)22:00の投稿予定です。


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