:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ サンクゼール = 四つ葉のクローバー物語

2008-06-28 19:59:55 | ★ 野尻湖・国際村

2008-06-28 06:42:56



サンクゼールの庭の其処ここに、このような札が立っている

四つ葉のクローバー物語


野尻湖国際村113番のキャビンから車で約25分の丘の上に、突然、おや?ここ日本??と目を疑わせるような眺望の洒落たレストランがあります。その名を『サンクゼール』といいます。なんとなくフランス語っぽい耳ざわりの単語ですが、仏和辞典には出てきません。ン?と思って語源を探ると、大爆笑!
なんと、このレストラン、いや、広大なブドウ畑と、リンゴ園と、ワイナリーとジャム工場と、・・・の持ち主のお名前を「久世さん」と申します。、ひっくり返すと「さん・久世」、サンクゼ、『サンクゼール』となるわけです、ね!ナーンダ!ブリジストンタイヤの社長が石橋さん、の手合いですね。日本的駄洒落といってしまえばそれまでですが・・・・
いたるところ花だらけのこのワイナリー、其処ここに小さな札が立っていて、どれにも聖書の一句がしるされています。久世さんの奥さんが牧師さんで、従業員もキリスト教的な雰囲気の中で働いています。
林檎の木の下の足元はびっしり敷きつめたようにクローバーが生えています。よく見ると、・・・あった!四つ葉のクローバーだ。



実は私、小さな子供の頃から、男の子のくせに野の花が大好き、四つ葉のクローバーを見つける天才少年でした。



今でも、野原でしゃがんで、いや、立ったままでも、四葉を探して、5分もすると指には必ず3本ー5本の四つ葉がたまります。時間があれば、時には15本、20本と集めてしまうこともあります。その秘訣は?もちろん、秘密です。・・・ですが、今日は特別、その秘密の種明かしをいたしましょう。
先ず第一は、信仰です。この際、プロテスタント、カトリックの違いは問題になりません。神様は、天地万物の創造の初めから、クローバーの葉の中に、或る確率で、四つ葉、五つ葉、六つ葉(七つ葉はまだ見たことが無い)をばら撒くという遊びをなさったようです。それは、「僕のような少年を楽しませるためでした」、と固く信じる信仰です。この信仰無しに、誰も見つけることは出来ません。
私は、いい年配の上品なご婦人で、「神父さまーぁ!四つ葉のクローバーって、本当にあるんですかーぁ?わたくし、生まれてこの方、いちども見つけたことありませんことよーぉ!という悲しいことばを吐く人に出会ったことが少なくない。なんと、嘆かわしい!
神の恵みを疑う人、信じない人、だからそれを受けることを望まない人には、陽の光、優しい雨のように降り注ぐ恵みも、その心にしみ透ることは無いのです。
私は、告解(懺悔、告白とも言う)に来る小さな子供に、「あなたが創られた唯一の目的は、聖人になることです。神様は、あなたを聖人になるように招いています。あなたも望めばきっとなれますよ!それを信じますか?」といいます。「はい!」と明るく答えた子供の誰かが、いつかきっと聖人になるとわたしも確信しています。たとえ列聖式がサンピエトロ広場で晴れがましく行われなくても・・・・。そのお祝いの日が、復活の日までお預けになっても。ビバ、セイント・アノニマス!!
縁あって出会って、明るく「ハイ!」と答えてくれた何十人、二、三百人の子供たちの誰かが、いつかきっとその夢を叶えてくれる、と信じる能天気な信仰。それは、この足元に必ず四つ葉が隠れている、と言う信仰に通じるものがあります。ひょっとして私も、中学時代のクノール神父様、ブラウン神父様にそのお目出たい信仰を刷り込まれた一人なのかもしれませんね。
聖人だって?フン!と鼻で笑った少年は、絶対100%聖人にならないだろう。たとえ、彼の方が、塾で、部活で、東大お受験で、成功者、強者の道を歩んだとしても、であります。
私なんぞ、と謙遜したご夫人も絶対にならないだろう。自分で招待券を破って捨てたのだから。宝くじだって、せっかくもらったのなら、当選発表日まで破り捨てずに持っていたほうがいい。万に一つも、と言うことがあるかもしれないのだから。



さーて、話を進めて、手品の秘密、種明かしに入りましょう。
まず、既成概念を捨て去ることです。これは、人生のあらゆる場面で有効な重大な教訓です!
クローバーの葉は何枚?ハーイ、先生、三枚でーす!三枚の葉のそれぞれの間の角度は? 360度割る3だから・・・、120度でーす! ハイ、よく出来ました。それでは、皆さんの目の中の角度を120度から90度にセットしなおしてください。そう、その通り!角度をぎゅ-っと絞って、十文字。ちょうど、狙撃ライフルのスコープを覘いたときのように、視野に十文字の線が入るように。
これで準備は完了!これから足元の緑のじゅうたんをこのスコープで高速スキャンします。漫然と広い範囲を眺めるのではなく、一本一本の葉を一つづつ、ガキッと90度に角度をあわせたスコープを、必ずここにあるという確固たる信仰の心の目で覗き込み、すばやくアナログテレビの走査線のように足元をスキャンしていく。するとアラ不思議!三つ葉の120度の葉は目にただの緑の絨毯なのに、その中に90度の四つ葉だけが金色に光っているではありませんか。そこへ手を伸べて摘みとってみると、・・・ほーら、四つ葉だったでしょう?
えっ?! 違う? そんな! アッ、本当だ! これって、ひょっとして五つ葉じゃないの?



手にとって見ると確かに五つ葉でした! 感激ですね!
さあ、あなたもやってみませんか?信じる者は幸いなり!です。私は、もう何人もの四つ葉探しの天才を育てましたよ(笑)



この日の収穫は、結局10本ほどでした。



信じる者は、幸いなるかな!

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★ 「新しい酒と古い皮袋」 =キリストのたとえ話= (その-5)

2008-06-24 15:28:37 | ★ 聖書のたとえ話

2008-06-24 15:28:37




  =今日の「新しい酒」は、明日の「古い酒」=

 「新しい酒と古い皮袋」を論じるとき、決定的に大事なのは、それが、時代の節目、節目で、常に同じパターンが繰り返し当てはまるということである。時代が変わっても、古典の演目は同じ。俳優は替わっても、役回り(配役)は同じなのである。
 聖霊降臨直後の使徒たち(新しい酒)と、ファリサイ人・律法学士たち(古い皮袋)との間の構図は教訓的だ。
 使徒言行録の冒頭の数章を読めば明らかなように、使徒たちは迫害を受ける。
 「大祭司とその一味は、ねたみに燃えて立ち上がり、使徒たちを捕らえ尋問した。」
 ペトロは自分と使徒たちの名において答えて言った。「人間に従うよりも神に従うべきです」。「神は、あなたがたが木にかけて殺したイエスを、復活させました。私達はそのことの証人です。神がご自分に従う者にお与えになった聖霊もまた、それらの証人です」。
 ガマリエルは言った、「諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、ほおって置きなさい。もし人間から出たものなら、自滅するでしょう。しかし、もしそれが神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことは出来ないでしょう。まかりまちがうと、諸君は神を敵にまわす者となるかもしれません」。
 そこで議員たちは、使徒たちをむち打った後、イエスの名によって語ることをきびしく禁じて釈放した。使徒たちは、み名のために辱められるに値するもとされたことをよろこびながら、議会から出て行って、毎日神殿や家々において教え、イエスがメシアであることを宣べ伝えてやまなかった。ひどい不従順ですね!(笑)
 この事実を、相対的に現代に移して考えると、公会議後のカリスマ(新しい酒)とコンスタンチン体制派(古い皮袋)との間にそのまま当てはまるのである。いま、日本の教会で起こっている騒ぎは、全く同じことである。
 と言うことは、である。
 300年後、いや、今の時代の変化の早いテンポを考慮に入れれば、100年後の教会において、いま新しい酒であったカリスマが、既に古い皮袋のように動脈硬化状態に陥り、その時代に聖霊の息吹によって新たに花開くであろう新しいカリスマを前にして、必ずや「古い皮袋」として立ちはだかることになるだろう。ということにもなる。
 それは、歴史の必然、いわば人間の限界に由来する宿命のようなものである。私は今、もちろんそのことを見据えて物を言っている。
 だから、去る13日の記者会見の席でカルメン・エルナンデスは、「大切なのは『新求道共同体』ではなく『教会』である」 ことを強調し、このキリスト教的入門の道の参加者に対し、謙遜の業に励むよう招いたのである。
 彼女も、私と同様、新求道共同体が300年先、いやすでに100年先には、保守本流、自己防衛的な体制派に堕して、古い酒、古い皮袋として、新しいカリスマの前に頑迷に立ちはだかる誘惑、危険性を予知しているに違いない。
 キリストが、一方では、当時の古い酒、古い皮袋のファリサイ人・律法学者らから命を付け狙われ(そして、殺され)、他方では、したり顔のユダやペトロから、「先生、過激はいけません!」と諌められたように、私も、一方では自分の書いたブログに対し、「お前なんか、死んでしまえ!」、「高松に帰ってきたのが運の尽きだ、今に見ていろ、ただでは済まさんぞ!」という脅迫めいたコメント攻勢に合いながら(ごめんなさい、事前承認で全部削除しています)、他方では、新求道共同体の内部からは「書くな!」の牽制を受けている。しかし、「イエスは答えて、『あなたがたに言っておく。もし彼らが黙れば、石が叫ぶであろう』(ルカ19章40節)」とは、こういうときのための言葉ではないだろうか。

「その名はヨハネ」

 口のきけなくなっていたザカリアは、書き板を持って来させ、「その名はヨハネ」と書いた(ルカ1章63節)。
 私は、中学二年生のときに洗礼を受けた。今思うと、何も分かってはいなかったが、そのときの自分は、生意気にも信仰を確信して自由に望んで受けたつもりだった。そして、聖人伝を渉猟して、洗礼者聖ヨハネを自分の洗礼名として選び取った。
 大悪人ヘロデが兄弟の妻ヘロデアを自分の妻とした。そのことで、ヨハネに叱られた。叱られたヘロデはヨハネを恨んだ。ヘロデの誕生日に、妻の連れ娘のサロメが踊った。その褒美として、ヘロデはヨハネの首をはね、盆に載せてサロメに与えた(マタイ14章参照)。
 小娘の裸踊りの代価として支払われたヨハネの命。群集から、ひょっとして待望のメシアでは、との評判を博した大預言者の、いかにもバカバカしい死に様に惚れて、私はそれを自分の洗礼名を選んだ。
 イエスはヨハネについて、「あなたがたに言っておく。彼は預言者にまさる者である。」「女から生まれた者のうち、洗礼者ヨハネより偉大な者は現れなかった。しかし天の国のもっとも小さい者でも、ヨハネより偉大である。」「聞く耳のある者は聞きなさい」と言った(マタイ11章参照)。
 私は、聞く耳がなかったから、今までその意味が分からなかった。過去半世紀、どの神父も、どの司教も、誰もこの箇所を「なるほどそういう意味だったか!」と、胸のすくような説明をしてくれる者はいなかった。わたしは分からなかったが、皆さんはお分かりなんでしょうね? 
 それが、今、司祭になって、3年間追放生活を体験して、その孤独と苦しみの中から、ようやく何か分かったような気がして来た。
 要するに、イエスから見れば、ヨハネは所詮「古い酒」だったのだ。しかし、古い酒は古い酒なりに、最も偉大な古い酒だったのだ。目からうろこ、とはこのことである。
 なぜ「最も偉大な古い酒」なのか?
 この謎を解く鍵は、ヨハネが言った、「わたしよりも力のあるかたが、後からおいでになる。わたしは身をかがめてそのかたのはきもののひもを解く値うちさえない。」(マルコ1章7節)と言う言葉にある。
 要するに、古い酒の限界をわきまえ、新しい酒に道を譲って、自らはひっそりと消えていく。それも、小娘への褒美として命を奪われ、バカバカしいほどあっけなく、である。わたしは、ヨハネの美学に惚れこんだ。
 わたしも、多分古い酒の一部なのだと思う。現に、決して新しい酒になり切れてはいない。わたしの回心など、その程度のものだ。モーゼがヨルダン川を渡れなかったように、ヨハネが、自分の弟子はイエスに譲っても、自分自身はイエスの弟子にならなかったように、・・・・・
 ここで、「しかし天の国のもっとも小さい者でも、ヨハネより偉大である」の意味が見えてくる。
 回心して、新しい酒になれた人は、その新しい群れの中でどんなに小さくても、極上の古い酒よりは偉大なのである。徴税人も、マテオも、ザアカイも、娼婦たちも、サウロ(パウロ)も、・・・・・・・みんな。
 わたしは、不思議なご縁で、イエズス会の志願者として上智に入った最初の1年間を、同じイエズス会の志願者で一年先輩の森一弘さんと寮の同室で過ごした。そして、彼から多くを教えられた。その意味で、わたしも本質的には彼と同じ世代の同じ体質の人間なのではないかと思っている。(もちろん、優秀な彼とは月とすっぽんだが・・・・・・)
 モーゼのように、洗礼者ヨハネのように、人々に新しいカリスマは何かをはっきりと指し示し、自らは歴史の舞台から静かに消えていければ、本望である。わたしと同世代、わたしの先輩に当たる教会指導者にも、洗礼者ヨハネと同じ優美な態度を期待したい。
 古い酒、古い皮袋の生き方として、これ以上のものはない。



   Thank you for coming!  いつも読みにきて下さって有難う!


P.S. ブログをアップして、やれやれ、この「酒」シリーズをグラスワインで締めくくって、まずは一休み。
 気分を変えて一人でミサをしようと、野尻湖の山荘で小さなテーブルをしつらえて、いざスタート。集会祈願まで来て、?????
 そうか、今日は僕の霊名の祝い日ではないか。なんという奇遇!と感激すべきか?いや、司祭らしい一切の教会活動を奪い取られて3年あまり。山の中に一人引き篭もっていると、自分が如何に典礼の暦に疎くなってしまうか、とあらためて驚き嘆くべきか?
 マリア様と、御子キリストを別にすれば、教会が誕生と殉教の二回を祝うのは、この聖人以外にはいない。古い酒は、ヨハネのように、新しい酒に場所を譲って、「あなたは栄え、わたしは衰える」と言ってひっそりと消えていくべきなのだろう。

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★ シャンパンで乾杯!

2008-06-22 04:50:39 | ★ 新求道共同体

2008-06-21 11:25:13




シャンパンで乾杯ーぃ!

何のために? 新求道共同体の規約承認を祝って!
いつ? 昨日のお昼時に!
どこで? 高松の司教館の食堂で!
誰が? 溝部司教様と、usagi クンと、居並ぶ他教区からの司祭たちが!
雰囲気は? 不思議にも、表面的には悪くない。
そもそも、誰がシャンパン持ち出した? もちろん司教様自身、さ!

 これは、まことに歴史的な、奇異な、できごとだ。
 なぜか?
 規約の承認を祝う新求道共同体にとって、神学校は必須にして密接不可分な要素である。その神学校を、司教は今もって本気で潰そうと考えている。ローマからの介入で、いまや一存では手を下せなくなっているとは言え、一旦は神学校が地上から完全に消滅すること真剣に願い、その可能性を今もまだ探っている風である。一旦消滅した暁に、バチカンがそれを再建するかどうかは、かれの関心外であるらしい。とにかく、彼の執念は、神学校を完全に叩き潰すことである。それは日本の司教団の悲願でもあるのだろうか?円満に、協力的に、司教の手を離れヴァチカンの手に連続的に移行することにはあくまで反対だという。彼の司教としての任期はあと1年半だと、彼は言った。
     (写真は九州五島から届いた鯵の開きと、乾杯のシャンパングラス。)
 
カトリック新聞「新求道共同体の規約承認」を報道


 予想通り、目立たない場所に小さく取り上げた。そのトーンは、新求道共同体のメンバーやバチカンの喜びにあふれたムードと好対照。
 「古い酒」の香りがする。
 私は、昨夜、バチカンの「規約承認」の「教令」を翻訳した。念のため、読みあわせをして、明日にはブログに載せられるだろう。バチカンのトーンがどんなものか、皆さんはきっと驚かれるに違いない。

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★ まことに残念ですが緊急避難的措置を取らせていただきます。

2008-06-21 04:35:01 | ★ 初めに読んでください

2008-06-20 14:03:18

 まことに残念ですが、これから当分のあいだコメント管理で事前承認制を導入させていただきます。
 その理由は、ひどい誹謗中傷、脅し、汚いいやらしい記事や、卑猥なリンクが最近特別に目立つようになってきたからです。まめに削除しているつもりですが、相手のほうが数段上手です。疲れました。
 私のポリシーとしては、戴くコメントは全てノーチェック、リアルタイムで公開されるようにしてきました。軽快に生き生きとしたコメントが飛び交うのを夢見ていました。それが、出来なくなったのはまことに残念です。コメントを下さった多くの善意の方々にはまことに申し訳ありませんが、ひどいコメントを水際ではじくためには今のところ他に手がありません。
 ほとんどのコメントが健全な良識あるものだけに残念です。一日少なくとも2-3回、出来るときはなるべくもっと多くコメントチェックをいたしますので、悪質なもの以外はその都度すぐに公開しますから、そんなに遅れは出ないと思います。
 どうぞご理解ください。そして、今までどおり自由にお書きください。
 言うまでもないことですが、真面目な批判、反論、辛口のコメントを拒否するものでは全くありません。誤解のないように申し添えます。
 ただ、悪魔本人が書いているのでは、と疑いたくなるような、邪悪なきたならしいもので、自分のブログと読者の心を汚したくないだけです。

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★ コメントのコメントへのコメント!

2008-06-20 01:19:34 | ★ 新求道共同体

2008-06-20 09:16:31




 6月16日の私のブログ「何か変だよ、カトリック新聞」に veni さんからコメントと質問がありました。お返事が遅れている間の、maria さんが代わって答えてくださいました。若干の補足を書いたのですが、たくさんのコメントの中に埋もれてしまっては残念と、新しいブログの形でアップすることにしました。以下は、コメントのコメントへのコメントです。


                   * * * * * * *

さいたま教区の veni さんへ
 旅烏で、席が暖まらなかったので、気になりながら、お返事が遅れてしまいました。その間に、 maria さんが、すっかりお答えくださいました。 maria さん、どうもありがとうございました。
 veni さんのご質問と maria さんのお答えを併記して、さらに若干の補足をさせてください。誰のことばか、話の流れは〔  〕で区別します。

〔mariaさんが書きました〕
 あれれ、usagi 様、答えないのかな?
veni 様、あまり詳しいことは分からないのですが、①と②と④の件は、そうだと思います。典礼等については、今回の永久規約でも、前の5年規約でも、きちんと認められています。

〔usagiの答え〕
veni さんのご質問は以下のとおりでしたね?!

 ①『典礼憲章』『ローマ・ミサ典礼書総則第3版』その他、最近の典礼秘跡省指針や、教皇様の回勅に則った(遵守した)ごミサをささげられますか?
 ②ミサの式次第、諸秘跡の儀式書は、ローマの規範版、または、日本の司教協議会が認めたものを使用されますか?

お答えしましょう。①も② maria さんのお答えどおりです。ただし、詳しく言うと、ミサの式次第の中で2箇所について、違いが認められます。「平和の挨拶の場所」と「聖体拝領のしかた」がそれです。何れも、新求道共同体ではローマの典礼省の許可の下にやってきました。恒久的に承認された規約の最終版に正式な許可とともに固定されたものと思います。(まだ規約の全文読んでいませんが)後で詳しく書きます。

〔 veni さんのご質問〕
③主任司祭から聞かされた、火曜日の集まりとは、その日の典礼暦に則ったミサのことですか?
〔 mariaさんのお返事〕
③ですが、火曜日と決まっておらず、その共同体で都合の良い曜日ですが、週の真ん中あたりの水曜日も多いですよ。ちなみにミサは、行っていません。
〔 usagi の補足〕
水曜日が一番多いですね。メンバーや司式者の都合で、火曜、木曜などもありえます。ミサではありません。「みことばの祭儀」と呼んでいます。夜行われるのが一般です。テーマに沿って新約・旧約の聖書のみことばを聴き、賛歌を歌い、分かち合いをし、司祭のホミリアを聴きます。聖書を目で読み頭で理解するのではなく、耳で聴き心で受け止めて回心するためのいい訓練です。

〔 veni さんは書きました〕
④主任司祭から聞かされた、土曜日の集まりとは、その日の典礼暦に則ったミサのことですか?
〔 maria さんは答えました〕
④の件は、そうだと思います。
〔 usagi の補足〕
ただし、土曜の晩のミサで言う「その日の典礼暦」とは、翌日の主日のミサを指します。旧約のイスラエルの民にとって、一日は日没に始まり、次に日の日没まででした。第二バチカン公会議はその伝統を蘇らせ、土曜日の晩に主日のミサをすることを認めました。新求道共同体の土曜日の晩の感謝の祭儀(ミサ)は、それに則ったものです。

〔 veni さんは書きました〕
 ⑤独自の(一般の日本の信者が知らない)信心業をすすめられますか?
〔 maria さんは答えました〕
⑤は、どういう意味なのでしょうか?朝や晩の祈りとかかでしょうか。子供がいる家族は、日曜日の夕(とは限っていないけど)揃って、親御さんから聖書の話をしてもらったり祈ったりするけど、一般にはすすめられないですよね。でも、熱心な信者さんならしてるかな。ですので、一般にはない信心業をすすめられているかといえば、そうかも。他にもあります。私にとっては、子供に信仰を伝えていったり、自分の回心の為に役立っています。
〔 usagi の補足〕
新求道共同体の価値を評価しご自分の教区に導入された司教様たち、深堀司教(高松)、平山司教(大分)、佐藤司教(新潟)等、そのほかにも、は小教区が分裂するという批判をかわすため、土曜の晩に感謝の祭儀をしても、翌日曜日に教会の主日のミサにも必ず与るよう指導しておられたので出来ませんが、海外の新求道共同体では、日曜の朝は両親が子供たちと一緒に「教会の祈り」をすることを習慣付けています。教会の祈りは、公会議以前には、聖職者、修道者のためだけのもので、分かっても分からなくてもお構い無しにラテン語で唱えられていました。司祭にとってはそれ(ブレヴィアリウム)は重大な義務で、深夜12時までに全部唱え切らないと大罪とされていた、とか。それが、公会議後は、各国語に翻訳され、すべての信者に薦められるようになりました。新求道共同体はその薦めに忠実であろうとします。そのほか、「一般の信者が知らない」ことではありませんが、「赦しの秘蹟」(和解の祭儀)にしばしば与ります。個人的告白を含む共同告解の形で典礼暦の節目、節目には必ず、また、大きな集いは必ず赦しの秘蹟から始まります。共同告解以外でも新求道共同体のメンバーの中にはしばしば告解をする人が多いです。

〔 veni さんは書きました〕
 ⑥ミサにギターや独自の(ローマ聖歌集・簡易ローマ聖歌集・司教協議会が歌詞を認めたもの以外の歌)聖歌を持ち込まれますか?
〔 maria さんは答えました〕
⑥は、そうですよ。ギターが主ですが、他の楽器を演奏できる方がいれば(典礼の雰囲気を妨げず、またある程度は、ちゃんと演奏ができる方)入ることもあります。普段の日曜日に歌わない聖歌集?を使います。
規約で、全く問題ないとされています。でも、司教協議会で歌詞が認められてるとかがあるのですね。子供のミサでは、昔からよくプロテスタントの聖歌集から取ってきたりしてました。
〔 usagi の補足〕
ヨーロッパの新求道共同体の祭儀では、ギターのほかに、ボンギ、タンバリン、マラカスなどのパーカッション、ヴァイオリン、フルート、稀にはハープやクラリネットなども使われるのを見てきました。要するに、心を高揚させ、神様を賛美するのに役立つ楽器なら何でもOKと言うことです。大きな教会やバジリカを場所として使うときは、もちろんパイプオルガンは必須ですね。日本なら、お琴や三味線や尺八を加えては如何でしょうか?歌詞はほとんどが聖書のみことばや詩篇からです。曲はキコさんの作曲が多いです。ジプシー音楽の影響や、ユダヤ教の歌の影響を私は感じています。

〔 usagi の補足の補足〕
① と②の関連ですが、ローマ典礼では「平和の挨拶」は奉献や聖変化の後、主の祈りに続いて行われることになっていますが、新求道共同体はローマの典礼省の特別の許可のもとに、司祭のホミリア(説教)の後の共同祈願にすぐ続いて「平和の挨拶」をします。これは教会の極めて古い伝統で、イタリアのミラノ教区のアンブロジオ典礼(これもローマ典礼の一つ)では一貫してその場所を守ってきました。
そこには深い意味があります。平和の挨拶は、一週間ぶりに会って、やー今日はごきげんよう、の単なる儀礼的挨拶ではありません。「私とあなたの間に、何の心のわだかまりもありませんね、いま私とあなたの間には全てにおいて許しあい和解しあった本当の平和がありますね」、と言うことを、あらためて確認しあう大切な儀式です。これ(和解と一致)が先になければ、ささげ物を持って主の祭壇に近づき、ご聖体を戴くことは、神を冒涜することになるからです。だから、平和の挨拶は奉献の前、共同祈願のあとにすることは典礼的に正しいのです。
もう一つ、新求道共同体の感謝の祭儀ではパン(主のおんからだ)とぶどう酒(おん血)の両形色での拝領が原則です。今までは、会衆は自分の席に座ったまま、司祭又は祭壇奉仕者がご聖体を配りに来るのを待ち、司祭も配り終わると席に戻って座り、全員一緒に拝領しました。御血についても同じでした。最終承認された規約では、御血に関してはそのまま変更ありませんが、御体に関しては、司祭が信徒の席に近づくと信徒は立ってそれを受けることになったようです。いずれにしても、祭壇の下に立つ司祭のところへ信徒が行列して進み、一人ずつ順に拝領するやり方ではありません。15-20人のミサでも、2000人―5000人の大ミサでもやり方は同じです。ざわざわと立ち上がり、ぞろぞろと行列して進むのに比べると、整然としていて荘厳です。

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★ 新しい酒と古い皮袋=キリストのたとえ話=(その-4)

2008-06-19 12:58:18 | ★ 聖書のたとえ話

2008-06-19 20:36:39




「ピンク色のチョーク」の物語


 それは、私がまだ15~17歳の頃のはなしである。
 神戸の六甲学院といえば、イエズス会の経営するミッションスクール三兄弟、六甲、栄光、広島学院の長兄である。
 当時、キャンパスの司祭館には常時8-9人ほどの神父と3-4名のブラザーと、中間期の(司祭叙階を目前にした)神学生が住んでいたものだ。
 最近、同期会や同窓会にはなるべく顔を出すようにしているが、わが15期に関して言えば、東大に入ったのは浪人したのも入れてほんの2-3人。しかし、卒業時には3分の1が、そして現在は同期卒業生の半分が洗礼を受けている。その中から、月足らずのような私を含めれば、3人が神父になった。カトリックミッションスクールの輝かしい黄金時代だった。
 それが今はどうだ。ぼろの木造の建物は消え、校舎は立派になり、東大合格率も格段に高くなったのに反比例して、キャンパス内に住む神父の数は減って今はゼロ、6年の在学期間を通して、ほとんど一人も洗礼を受ける生徒が現れない惨憺たる有様だ。ミッションスクールとしては、とっくの昔からすでに「死に体」である。
 当時、訓育は非常に厳しかった。全校生丸坊主。冬でも、パンツ一丁の裸姿で、六甲降ろしの寒風の中、凍るような水をふんだんに使って、雑巾を握った手を日本式大便器の穴の奥まで突っ込んで、真っ白に磨き上げることを、教師も生徒も当然のことと心得ていた。
 教室の掃除も徹底していた。教壇の黒板拭きは、チョークの粉が飛ばなくなるまで棒で叩いたものだ。黒板の下辺両端には、チョーク箱の小さな引き出しがあって、長短のピンク色のチョークが入っている。

                *****

 ここからが、当時の悪餓鬼、少年Aの心に浮かんだ妄想である。彼は、70歳に手が届こうという今日でも、その妄想から一向に解放されないと言うのだから、成長がないというか、なんというか・・・・

 狭いチョーク箱に、ピンク色のチョークがぎっしり仲良く納まっている。「平和と一致」がそこにある。なんと、微笑ましいことか。これでよし、これで問題なし。チョーク箱の中は手をつけなくていい」と、仲間の掃除当番生は考えるのである。
 ところが、それを見たあのひねくれ少年Aは「馬鹿野郎!ふざけんじゃねえ!」と怒鳴り声を上げ、掃除仲間が止めるのも聞かず、その辺にあったバケツの水をピャッ!とチョーク箱にぶっ掛けた。
 すると、アーラ不思議、箱の中のピンクのチョークは一瞬の内に姿を消してしまった。???! これは決して手品ではない。
 代わりに表れたのは、白いチョークと、それに混じった数本の赤いチョークだったのだ。たちまち騒ぎが持ち上がった。大変だ、チョーク箱の中が分裂した。平和が乱された。一致が破壊された。チョークたちの間で上を下への大騒ぎと相成った。多数派の白いチョークが言った。「チョーク箱はもともと私たちのものだ。赤いチョークは出て行けー!」新参ものの赤いチョークは哀願した。「先生が私たちをここに入れたのです。わたしたち、何も悪いことしていないではないですか。」白いチョーク「おまえたちの存在が悪だ、分裂と不和を持ち込んだ。いますぐ出て行けー!」赤いチョークは押し黙って迫害に耐えた。白いチョークは、ますます居丈高に叫んだ。分裂だー!不和だー!こいつらの所為で苦しいよー!
 そこへ、お目出度い正義の味方、ドンキホーテ様のお出ましになった。彼のモットーは「平和と一致」だ。
 単純な彼は、持ち前の善意から、この痛ましい分裂を目の当たりにして、大真面目に考えた。

「そもそもこの事態は、すべて善意の人々が教会を思うことから始まり、その善意の人々によるボタンのかけ違いから起こっている。」(現高松司教のカトリック新聞への投稿より)「糸がもつれると、切って最初からやり直すのが良いと言われる。失敗したと分かれば、もう一度出発点にもどれば良い。出発点に戻るには、振り返ってみて、心ならずも互いに傷つけたことに対してゴメンの心を持つことではないかと思う。」(同じく)

 彼の考えをチョークの話にあてはめればこうなるのではないか。そうだ、全部を元のピンク色にしてしまえば「平和と一致」は回復できるに違いない。
 そして、白いチョークには、赤いチョークの粉をかぶり、赤いチョークには、白いチョークの粉を身体にまぶして、どちらもピンク色になるように薦めた。白は赤に向かって「白くてごめんなさい」、赤は白に向かって「赤くてごめんなさい」、お互いに仲良くピンク色になって「平和と一致」を実現しましょう、と提案した。「失敗したと分かれば、もう一度出発点にもどれば良い。出発点に戻るには、振り返ってみて、心ならずも互いに傷つけたことに対してゴメンの心を持つことではないか」と思う。
 そこで、悪餓鬼少年Aはつぶやいた。この人、何にも分かっちゃ居ない。とんでもない見当違いだ。これは、「ゴメン」の心を持てば片付くような単純な問題ではない。赤のチョークは、ゴメンで済むならお安い御用、100ぺんでもゴメンと言いましょう、と言う。しかし、白のチョークは決してごめんは言わない。白のチョークは、赤を全部チョーク箱から排除するまで、決して叫ぶことをやめない。赤は40年の迫害の体験から、ただ黙って忍び、相手のために祈ることを学んだ。
問題の所在は単なるボタンの賭け違いではない。昔の人は言った。ゴメンで済むなら警察は要らない。家庭の平和は諸悪の根源だ。
 4年もたてば、内心うすうす問題の所在が分かってきているのではないだろうか。歴史の時間軸は過去に向かって旅できないということを。バック・トゥー・ザ・フューチャーは映画の中だけで可能だということを。問題は、ボタンの賭け違いではなく、新旧の酒の出会いだということを。第一、ゴメンごっこも、糸がもつれたら、ばっさり切って捨てればいい、も聖書的には何の裏づけもない俗説に過ぎないということを。
 本当の問題と、本当の答えは、聖書の「新しい酒と古い皮袋」のたとえ話にある。ともに、キリストのみことば、聖書にこそ学びたいものだ。



  まただれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
  そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、
  革袋もだめになる。
  新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければならない。
  また、古いぶどう酒を飲めば、だれも新しいものを欲しがらない。
  『古いものの方がよい』と言うのである。」
 
 「新しい酒と古い皮袋」=キリストのたとえ話= の解説は、私のブログ
★その-1★
★その-2★
★その-3★
をご覧ください。


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★ 何か変だよ カトリック新聞

2008-06-17 15:55:09 | ★ 日記 ・ 小話

2008-06-16 08:16:18


  何か変だよ?! カトリック新聞


★ 自作自演?一人二役?

 今、私の目の前に二枚のコピーがある。

① 5月18日付け「カトリック新聞」の一面のほぼ半分を占めるトップ記事:
  「混乱と分裂に解決を」
  4司教、教皇に現状訴える
  高松教区立国際宣教神学院

と、
② 3週間後の6月8日付けの3面の「意見」欄の記事: 
  「高松教区を弁護して」
(急な突っ込みのために差し替えがきいたのはこのスペースだけだった?)
の二つである。

 不思議なのは、②の中に見られるまるで他人事のようなことばの数々。例えば、「本年5月18日付けのカトリック新聞は、高松教区のことに言及しているが、一般の読者にとっては、何のことかさっぱり分からないのではなかろうか」とか、「事の事情にまるきり通じていない一般読者の好奇心をそそるために、この記事がかかれたのなら、高松教区にとってはとても痛い傷を受けたことになる。」などである。
 うーん、なるほど、そういう見方もあるか、と感心しながら、もう一度二つの記事をよくよく見比べて、「エーッ?? 何、これ?!それはないだろう!と絶句した。 笑い顔と渋い顔の違いはあるが、両方の記事を書いている(書かせている)写真の人は紛れもなく同一人物、高松の司教さんその人ではないか。
 自分が書いて(書かせて)おきながら、「高松教区のことに言及しているが、一般の読者にとっては、何のことかさっぱり分からないのではなかろうか」はないだろう。それなら、もう少し親切に分かりやすくお書きになればよかったではないか。それとも、後で読み返してみて、自分自身でも何を書いているのかさっぱり分からない、と正直に告白しておられると言うことか。支離滅裂とは、このことではないか。
 「一般読者の好奇心をそそるために、この記事を書いた」と本音をポロリと正直に告白しておられるが、ならば「高松教区にとても痛い傷を負わせた」のは、書いた人、つまり高松教区の司教さま御自身ではないか。自分で書いて、自分の教区に痛手を負わせておいて、バチカン大使から大目玉をいただくと、コロリと品を変えて、その自分の記事を、まるで他人事のように批判してみせる。こういう手合いを、世の中ではマッチ・ポンプ(自分で放火しておいて、殊勝顔にも消化に精出してみせる)と言うのではないか。

★ 3回目頃には空気が読めてなければ・・・・

 いま風の若者は、「KY」と言う隠語を使うそうな。「KYさん」とはその場の空気が読めない人のことだと教えてくれた。3度目の正直、と言うが、3度同じことをやって見て駄目だったら、頭を冷やして考え直すのが普通だろう。ファーストクラスに乗って8回もバチカン詣でをしてもなお埒があかなかった。それで、9度目には、(一人では会ってもらえないから?)ご大層にも3人の大司教をお供に従えて、日本の教会の最強のチームでバチカンに繰り込み、担当省長官ではお役不足とばかり、教会のトップ、ローマ教皇さまに直談判を仕掛ければ、必ずや説得して執念を遂げてみせる、と自信満々だったのだろうか。しかし、またしてもなんの成果もなくすごすごと引き下がったと言う報告が、5月18日一面のトップの虚勢を張った内容の空虚な巨大記事だったことは、読む人が読めば一目瞭然だった。
 いささかでも識別の賜物を戴いておられるのなら、ローマの風がどこへ向かって吹いているかくらい、3度目には察しられてもよかったのではないか。信徒の貴重な献金を随分と無駄使いせずに済んだに違いないのに。

★ こんなにやったのに、「共通理解が得られない」

 「教皇自身、この問題に関して福音宣教省からの報告を受け取っているものの、日本からの情報が十分伝わっていないようだと日本の司教ら(従って高松の司教自身)は感じていた」と記事にある。もどかしさ、欲求不満の苛立ちが痛いほど伝わってくる。
 教皇様と日本の司教(高松の司教)との間に立っているのは福音宣教省だ。その長官はインド人のディアス枢機卿。聞くところによると、高松の司教とは旧知の仲とか。新求道共同体に関してはアンチ、乃至はクールに距離を置く立場の人と聞いている。新求道共同体積極支持派でないことだけは確かだろう。ああ、それなのに・・・・

★ ここで、小話を一つ 

米ソ冷戦時代の話である。
 クレムリンとホワイトハウスは、それぞれスーパーコンピューターを駆使して情勢分析を行い、その結論のデーターをアタッシュケースに忍ばせた外交官が交渉のテーブルに付く。コンピューターが間違うはずはなかった。それなのに、交渉は一向に進展しないのはなぜか。両大国のトップは思った。それは、交渉に当たる外交官の人間的限界が解決を妨げているからに違いない。それでは、クレムリンとホワイトハウスの間に引かれたホットラインの回線を使って両国のスーパーコンピューターを直接繋げばいい。人間的限界のノイズは除去できるはずではないか。合意はすぐ出来た。
 二つの巨大人工頭脳が冷戦の壁を越えてはじめて直接繋がれた。はじめ、両者はクールにデーターのやり取りをしていた。しばらくすると、コンピューターの温度が微妙に上がっているのが計器で読み取れた。数時間が経過した。温度計は徐々に上がっていった。両国の首脳はよい結果を待ちわびた。しかし、コンピューターはカッカと加熱するばかりで、いつ終わるとも全く見通しが立たなかった。突然、巨大なコンピューターは唸り始めた。がたがたと身をふるわせ始めた。そして、これ以上いったら爆発する、とみなが身の危険を感じて逃げようとしたその時、両国のコンピューターはほとんど同時に一枚の紙をスリットから吐き出した。
 アメリカの大統領とソ連の首相は恐る恐るそれを見て真っ青になった。
 その紙には「戦争以外の解決の方法無し!」と書いてあった、とさ。
これは、アメリカの投資銀行、リーマンブラザーズで飯を喰らっていたころ、仲間同士のくつろいだ酒の席で、頭のいいユダヤ人の同僚がしてくれた、コンピューターをネタにした二つの小話の内の一つだ。

★ 話を本題に戻そう

 日本の司教は、ディアス枢機卿が間に立つから、話のパイプが詰まる、直接教皇と話をつければ必ず説得できる、高松の神学校閉鎖について色よい同意を引き出すことが出来るはずだ、と自信満々ローマに繰り込んだのだろう。
 ところがドッコイ、直接頂上会談ではじめて明らかになったのは、ディアス枢機卿がパイプを詰まらせていたのではなく正しく日本の司教の意向を伝えていたのに、教皇自身が初めから一貫して日本の司教たちの申し入れを繰り返し却下していた、と言う事実だった。枢機卿は、個人的心情としては仮に新求道共同体に対してアンチであったとしても、卑しくもバチカンの大臣である。教皇様の意向を正しく日本の司教に伝えるのは当然の職務ではないか。一回目で分からなかったのはまあ仕方ないとしても、3回目あたりで、おや?何か変だぞ、これはひょっとして自分たちのほうがおかしいのではないか、と敏感に空気を読むべきだったのではなかろうか。
 私は、直接ピッタリと重ならないにもかかわらず、なぜかふとあのコンピューターの小話を連想したのであった。

★ 「道」の規約は未承認 
   (注:6月13日に目出度く承認されている)
 


 エッ!何でここに「新求道共同体の道」の話しが出てくるの?関係ないでしょう?このあたりに郡山司教のブログの謎めいたことば、「神学校の問題と運動そのものの問題とはまったく別の問題なのに」が関係しているのではないだろうか?これはまさに、新聞記事 ② の高松司教のことば、「何のことだかさっぱりわからない」「ことの事情にまるきり通じていない一般の読者の好奇心をそそるために」、それも否定的なトーンで!なにやら胡散臭いぞ、係わり合いにならないほうがよさそうだ、と言う心象を残すために、意図的に挿入されたものに違いないのではないか。
 カトリック新聞と言えば、日本の司教団のいわば官報、別の名を「御用新聞」とも言うべきものだろう。
 それが、事もあろうに、歴代の教皇様が第二バチカン公会議の貴重な成果として、目の瞳のように大切にし、雛鳥のように羽の下にはぐくみ慈しんでいるものを、まるで危険な原理主義、カルト集団、分裂と対立の諸悪の元凶であるかのように書き立て、「何のことかさっぱり分からない」(司教のことば)、「事の事情にまるきり通じていない一般の読者」(これも司教のことば)がいたずらに不安を抱き、「君子危うきに近寄らず」的雰囲気になるよう、また、一般信者の心が新求道共同体から離反するように巧妙に仕掛けるとは、一体どういうことだろう。
 言いたいことはまだ山ほどある。しかし、あまり長いと誰も読んでくれないから、今日はここらでやめることにする。(つづく)
(冒頭の写真はルルドの大聖堂の部分)

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★ さあどうする? カトリック新聞  取り上げる? 取り上げない?

2008-06-16 15:33:05 | ★ 日記 ・ 小話

2008-06-15 08:12:01




 さあどうする? カトリック新聞
      取り上げる? 取り上げない?


「新求道共同体の規約」教皇教書(Decretum)により承認、
               のニュース


 これに関する記事を、バチカンの機関紙(日刊)「オッセルバトーレ・ロマーノ」の14日のイタリア語紙面をインターネットで検索したが、見つけなかった。知人が、Zenitというカトリックメディアに出ていると言うので検索したら、フランス語と英語でそれを見つけた。昨日のブログにアップしたのは、その英語からの訳だった。

目立つ不自然、不公正な取り上げ方

 新求道共同体に関する記事は、「オッセルバトーレ・ロマーノ」紙を初めとして、世界中のカトリックメディアで、或る一定の頻度とボリュームで絶えず取り上げられている。そのことは、通算9年間のローマでの生活を通して確かに証言できる。そして、真面目なメディアに関して言えば、ほとんど全て公正な肯定的な記事で、歴代の教皇様がらみが多かった。
 ところが、こと日本のカトリック新聞に関して言えば、既に引退し、或いは他界された「新求道共同体擁護派」の司教様たち(かつては司教団の3分の1ほどがそうだった)の投稿記事以外には、肯定的な記事はほとんど皆無だった(稀に「声」の欄の賛否両論併記型の扱いで申し訳程度に扱われたのを別にすれば)。
 自分自身も経験したが、他の人からも、カトリック新聞の新求道共同体に関する扱いが、偏っていると言う嘆きを多く耳にした。意見は無視され、投稿は没にされて来た歴史がそこにある。
 新求道共同体を取り上げるときは、ほとんど常に、否定的、批判的記事であり、ことさらに不安を掻き立て、分裂を生み出す方向への誘導記事といわれても弁護の仕様がないようなものばかりであった。しかもその多くが、現役の司教の名で書かれ、1面のトップを飾ることも稀ではなかった。
 6月はじめの司教会議の席で、バチカン大使が一喝したのは(郡山司教によれば)そうしたことへの聖座の苛立ちの爆発ではなかったか?

さあ、どうする?

 私は、カトリック新聞の次の号が楽しみだ。
 新求道共同体の規約承認を報道するか、しないか?するとしたら、肯定的に書くか、否定的に書くか?冷ややかに事実の一端を小さく報じるにとどまるか?大きく一面トップに好意的なコメントとともに書くか?
 この出来事は、客観的に言えば、恐らく1210年に教皇イノセンティウス3世がフランシスコ会の会憲を承認したこと、1540年に教皇パウロ3世がイエズス会の会則を承認したのと同じか、それ以上の重大な出来事であろう。
 「Zenit」の公正な取り上げ方が、カトリック新聞を評価するうえで、一つの目安になると思う。木・金曜あたりに届く週刊紙だから、まだ次の号に間に合うはずだ。
 

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★ 共同体の規約最終承認さる

2008-06-15 15:58:19 | ★ 新求道共同体

2008-06-14 22:54:25



     キコとカルメン

 教会は新求道共同体の規約を最終的に承認
 

 去る5月21日のブログで、同じ見出しの記事を書いた。そのときは、規約最終承認に必要なサインが全部そろったときだった。キコとリリコ枢機卿(信徒省長官)の話し合いで、セレモニーは13日と決まった。その式典の記事がカトリックニュース通信社"Zenit"の今日の英語版に出た。へスス・コリーナは記者の名前。


  枢機卿は創立者らに承認教書を手渡す
               (ヘスス・コリーナ)
 
バチカン市国2008年6月13日(Zenit発)= 信徒省長官スタニスラウ・リリコ枢機卿は、新求道共同体の創立者キコ・アルゲリオ、カルメン・エルナンデス、マリオ・ペッツィ神父らに正式承認教書を手渡すに際し、「新求道共同体の規約の最終的承認は新求道共同体にとっても、また教会自身にとっても、大きな喜びの瞬間である」と語った。
 式典の最後に、リリコ枢機卿はこの承認の意味合いについて、「それは、このカリスマが教会の生命と使命にその根源を見出す正真正銘のものであることに対する教会の側からのお墨付きがあたえられたことを意味する」と述べた。
 また、式典出席者らに対しては、「共同体の道は教会の中で既に長い歴史-40年以上の-を持っており、それを通して個人の信仰生活の深い変化、多くの家庭の立て直し、司祭や修道者の数多くの召命、新しい福音宣教への積極的参加など、教会生活に多くのよい実りをもたらした」と語った。
 「従って、これは教会にとって大いなる喜びの瞬間であり、またこの承認を受けるに相応しい教会の現実にとってもまた、大いなる喜びの瞬間である。」
 リリコ枢機卿は、新求道共同体のメンバーに対して、次の3つの点について特に留意するように求めた。それは、司教への従順、司祭の役割の尊重、教会の典礼テキストに対する忠実、である。
 それに応えて、キコ・アルゲリオは、教皇ベネディクト16世、ヨハネ・パウロ二世、パウロ6世に謝意を表した。かれは、或る機会にパウロ6世が「謙遜でありなさい、そして教会に忠実でありなさい。そうすれば教会もあなたに対して誠実であるでしょう」と言われたことを思い起こした。
 カルメン・エルナンデスは、大切なのは新求道共同体ではなく教会であることを強調し、このキリスト教的入門の道の参加者に対し、謙遜の業に励むよう招いた。
 式典のあと、創立者は聖座に対する感謝の気持ちを表わすために、記者会見を開いた。それは、バチカンに隣接する新求道共同体の教区センターで開かれた。
 アルゲリオは、聖座が目下新求道共同体の道のカテケージスのテキストを検討中であることを明らかにした。それは、近い将来、バチカンによって公表され、世界中の小教区教会に配布されるための準備である。
 アルゲリオによれば、規約の決定版が典礼に関して導入した唯一の重要な変更は、共同体の聖体拝領のやり方に影響を与える。
 聖体拝領はパンとぶどう酒の両形態で行われ、ローマ典礼の特徴である信者が行列をして受けにいく代わりに、司祭が会衆に配りに行くという、共同体の従来からのやり方が維持された。
 この慣例は規約の決定版でも維持された。しかし、パンの拝領については、信者は司祭が来たとき立つことになった。カリス(ぶどう酒)の拝領に関しては、そうではなく、尊い御血をこぼす危険を避けるために、従来どおり着席していただく。
 さらに、平和の挨拶は共同祈願のあとで感謝の典礼の始まる前にする習慣が維持される、その際、この瞬間が会衆の秩序と潜心を壊さないように配慮することが求められる。
 この最終承認は、2002年に与えられた暫定承認を決定付けるものである。

キコとマリオ神父

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★ 〔映画〕 暗殺・リトビネンコ事件 (ケース)

2008-06-14 23:42:28 | ★ 映画評

          

                  (写真:エルサレム、神殿の丘のモスク)


2007年の最後にあたり、何か気の利いたメッセージを贈れれば最高だったでしょうが、心あわただしく、思うに任せませんでした。
そこで、月並みですが、今年最後に観た映画の感想でお茶を濁すことにします。

    〔映画〕 暗殺 ・ リトビネンコ事件 (ケース)

この事件についての一連の小さな新聞記事、気にはなっていましたが、インターネットで積極的に情報を集めて、確かな自分の心象を形成するための努力を怠っていました。この映画は、そんな眠たげな私の目をパッチリ開けさせるのに十分でした。
元FSB(ロシア連邦保安局=旧KGB)中佐のアレクサンドル・リトビネンコ氏がロンドンで死亡。体内から、放射性物質ポロニウム210が検出されました。ポロニウム210を人工的に作るには、原子力施設など大掛かりな設備が必要になります。権力の中枢に近い勢力でなければ、製造・使用は極めて難しいはずです。
リトビネンコ氏が集中治療室で死亡した二日後の2006年11月25日イギリスの「タイムズ」紙は「動機、手段、機会の全てがFSBの関与を物語っている」と、指摘しています。
米ABCテレビは2007年1月27日、イギリス当局が、国家による暗殺との結論に達した、と報道しました。
殺された直接の契機と思われるのは、プーチン政権に向けてリトビネンコ氏が放った3本の矢であると言われます。
その第一は、第二次チェチェン戦争のきっかけの一つとなった、1999年のモスクワなどで起きた一連のアパート連続爆破事件に関して。爆弾がアパートに仕掛けられ、合計で約300人もの住民が犠牲になったテロ事件です。
ロシア当局は、チェチェン独立派の犯行と断定して、軍事侵攻を開始しました。ところがリトビネンコ氏は、「テロはロシア政府の自作自演」と証言し、チェチェン侵攻の「大義」そのものが、でっち上げだと断定していたのです。
アメリカに喩えるなら、約3000人の市民の犠牲を出してアフガニスタン、イラクへの侵攻のきっかけとなったいわゆる「9.11同時多発テロ」が、アメリカ政府の自作自演だと公の場で証言しているに等しいのです。
「民主国家」アメリカの情報公開のおかげで、我々はベトナム戦争の北爆開始のきっかけとなったトンキン湾事件が、アメリカ政府の自作自演であったことを、証拠をもって知っています。中国で張作霖を爆死させた盧溝橋事件が関東軍の自作自演であったことを知って、昭和天皇は激怒した、とかしないとか。真珠湾だって、アメリカが先に公海上で日本の潜航艇を沈めたのが発端と言えば発端だが、沈んだ潜航艇が400メートルの海底で見つかった今でも、最初の一発は奇襲をかけた日本軍からだったということになっています。米国民の愛国心を刺激して戦争に突入するために、知りながら、待ち受けて日本にやらせたと言う見方は、不思議なことに未だに市民権を得ていないように見受けられます。
年末に締めくくりとしていい映画にめぐり合った気がします。
防衛庁の事務次官の問題。蜥蜴の尻尾切りに終わらせず、政界・財界の汚い膿を出せるかどうか。年金問題に代表される、長期政権の末期的麻痺症状。ワーキングプアーとして注目され始めた、人の尊厳を破壊する格差問題。消費税引き上げをちらつかせる前に、何故高額所得者への累進課税の強化や法人税の引き上げなどの声が国民からも野党からも上がらないのか、不思議でなりません。
それは、宗教家、カトリックの神父が物言う分野ではないだろうと、どこかからお叱りが飛んできそうですが、私はそうは思いません。
こんな時代だからこそ、宗教団体は力を結集して社会の変革に立ち上がれ、と檄を飛ばすためではありません。それこそ、宗教が直面する、悪魔からの巧妙な誘惑に他ならならないでしょう。
そうではなくて、上記のような不正や社会悪の実態から目をそむけず、むしろそれを正しく見据え、地に足をつけたところから出発して、その犠牲になって底辺にうごめく貧しい人たち、虐げられている人たちに、救いのない、出口の見えない状態の中でもがいている人々に、偽りの解決や慰めに走ることなく、「貧しい人は幸い」「義のために迫害される人は幸い」「汝の敵を愛しなさい」「悪に逆らってはいけない」と教えるナザレのイエスの福音こそが、復活の生命に届く「唯一の、真実の救いと希望だ」というメッセージを、力強く宣べ伝える2008年でありたい、という決意を表明するためにこそ、この一文を書きました。

★ ★ ★ ★ どうか、良いお年を! ★ ★ ★ ★

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