:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★(仕切り直し) 聖土曜日 の 「復活の徹夜祭」 と 復活祭の日曜日

2011-04-23 15:17:52 | ★ 復活祭の聖週間

私は、あと2時間ほどしたら、車でネプチューンの町の教会へいって、復活の徹夜祭の準備に入ります。今年は一人で全部仕切るので、呑気にカメラを構えている暇はなさそうです。それで、私がおよそどんなことをするのかのほんの一部分を、別の年にタルクイニアの教会で参加した時の例でお見せしたいと思います。今年の徹夜祭では4人の赤ちゃんの洗礼が予定されています。見てくださいね。

 

聖土曜日 の 「復活の徹夜祭」  復活祭の日曜日


 聖週間の土曜日の深夜には、初代教会の伝統によれば、真夜中をまたいで復活の徹夜祭を行うことになっている。
しかし、最近はどこでも《徹夜》祭とは名ばかりの、簡略化された典礼を日暮れに始め、夜が更ける前に早々と家路に着いてお茶を濁す悪習がはびこって、ローマはそれを正すのに苦慮している。

 我がタルクイニアの若い主任司祭のアルベルトは、それでも頑張って本格的な徹夜祭を、土曜の夜10時ごろから
深夜の1時過ぎまでかけて、ローマ典礼を何も省略することなく丁寧に行っている。

 今回、私も手伝いとして祭服をまとって祭壇に立った手前、大きめのデジカメを振り回すのは、さすがにちょっと憚られた。
だから、式の次第は写真でお伝えできないのがいささか残念ではある。

 ここはローマに比べれば田舎だが、それでも怠惰で合理主義的、享楽的な世俗文化に汚染されていることには変わりなく、
信仰の為に睡眠を犠牲にしてまで徹夜する庶民はすっかり減ってしまったのか、聖堂の中は再び私の予想を上回って淋しかった。

 しかし、集まってきた信者たちの熱気は、数の問題ではなかった。

 列席の信者たちは喜んで長い朗読と祈願と、それに答える讃美歌の連続に耐えた。
深夜を回って説教が終われば、すぐその後に洗礼式が控えている。今夜も一人の赤ちゃんの洗礼が行われるはずだった。

 共同司式司祭である私は、主任司祭の説教を上の空で聞きながら、心の中で葛藤していた。聖堂の内陣から抜け出して、寝室にカメラを取りに行こうか、どうしようか、という思いと戦っていたのだ。

 誘惑には至って弱い性質の私めは、そっと抜け出して、はしたなくも説教が終わるころには衣の下にカメラを隠して、
素知らぬ顔で元の席に座っていた。そして、いよいよ洗礼が始まった。

 主任司祭は、母親から裸の赤ん坊を受け取ると,大声で言った(もちろんイタリア語で):

 
 父とォ~~! ジャブン!




  《おっ、やっぱり蒙古班がないぞ!》 -陰の声-
   それにしても、若いお母さんの顔!

 御子とォ~~! ザッブーン!!



  《ウオッ!頭まで沈んだぞ!大丈夫か!!》-陰の声-
  でも、お母さんは全く平気!すごいね!!


聖霊のみ名によってェ~~~! ジャッポーン!!!



汝に洗礼をさずけるう~~~ゥ! 

 《ありゃ!男の子だった~ァ!》 -また余計な陰の声-


白い衣を受けなさい。生涯の終りの日まで、汚さず清く保つように、アーメン!

  

(白いケープを着せられたの、わかりますか?)

 カントーレ(歌手)達は、旧約のイスラエルの民が、エジプト奴隷状態から解放され、奇跡的に開いた海を渡って、
無事に約束の地、パレスチナに辿りついて自由を得るまでの史実を、軽快に歌い上げ、ミサもつつがなく終わって、
一同は洗礼盤の周りを輪になって踊った。

 臨席の平山司教も楽しげに踊りの輪に加わった。



 式の間、絶えず場面に相応しい音楽を奏でて会衆を歌に誘うカントーレ達も、典礼には欠かせない重要な要素だ。
ギターだけではない、ヴァイオリンもクラリネットも、ドラムも、タンバリンも、できるものがいればフルートもハープも
パイプオルガンも・・・・といった具合だ。



 徹夜祭のミサが終わると、参加者はお待ちかねのアガペー(晩餐)の会場に殺到した。
 なぜお待ちかねか? 

 参会者の大部分は、聖金曜日の昼食から、復活の日曜日の未明にミサが終わるまで(延べ34~35時間)
水やジュースの流動物以外は、何も食べずに断食していたのだ。いわば、ラマダン明けの回教徒状態だと思えばいい。
だから、過ぎ越しを祝うユダヤ人のように、満腹するまで子羊の肉やその他の御馳走を食べることになる。

 キリスト教原理主義者の奇行と笑うことなかれ。 宗教にはもともとそういう面がつきものなのだ。



 明けて、復活祭の日曜日。御前10時に始まったメインのミサは、両サイドと後ろがぎっしり立ち見で埋まるほどの大盛況だった。
人々は、「祭り」と「信仰」の場とを上手に住み分けて生活をしていたのだ。
それはそうと、私ごとき客人司祭の手伝いと言えば、この善良な信者たちの一年分の懺悔を、聖堂片隅の小部屋の中で
何時間も忍耐強く聴くことが中心だった。



 普段の日曜日の夕ミサは6時なのに、この日はそれが4時に繰り上がった。
これも、6時にスタートする「
祭り」と「信仰」の巧みな住み分けのためだった。


 この日は、遠出は無理な平山司教様にも祭りをお見せするために、歩いて行ける近くの病院の正門前に陣取った。
復活したキリストの像が町を練り歩くはずになっていた。

この病院にもやって来る。
そのキリストが、病人たちにも復活の喜びを告げに訪れる、という筋書きなのだ。

 待つこと小一時間、何やら遠くで爆竹のような音が聞こえ始めた。そして、次第に近づいてきた。
遠目にまず硝煙がかすんで見えた、頭に横浜の中華街の旧正月がイメージされた。しかし、実際は全く別物だった。



 現れたのは、地元の猟師たちだった。仕事道具の猟銃に空砲を詰めては、バン!ドン!バン!と見境なくぶっ放す。
筒先から火花を散らし硝煙が吹きあげる。よく見ると、みんな耳栓や耳当てで自衛している。
それはそうだろう。こんな狂気を2時間も演じれば、耳がパーになるのは当たり前だ!

  

 やがて、先日のブラスバンドがやってきた。聖金曜日の夜とは打って変わって、景気のいい早足の行進曲風だった。



 そして、その華やかなマーチに乗ってさっそうと現れたのが、復活のキリストの像だった。
人の頭の波の上を、まるで踊るような足どりで進むかの如く、担ぎ手は像を躍動感あふれるリズムで揺り担いでくる。



 拡声器で、病院中の患者に聞こえるように、

大音声でキリストの復活と、死を克服した勝利と、永遠の生命のメッセージを伝えたて満足げな

司教と、タルクイニアの市長と、地元の聖俗の権威を象徴する二人が、

猟師達に囲まれて記念写真に収まった。




 長居は無用と、復活のキリストは大群衆が待ち受ける旧市街の祭りの本会場に向けて乱れ撃つ銃声に追い立てられるように
足早に病院を後にした。


聖金曜日にはキリストの骸に影のように寄り添っていた重い十字架も、今日は役を終えたお添え物のように、
花と緑の輪で飾られて、これもキリストの後を追って行った。
付き人の臍の下の大きな革カップは、十字架の下端を受け止めるためのものだが、
担ぐ人のカップがずっしり膝まで下がっているのを見ても、その重さが察せられるというものだ。
輪を含めると優に100キロを超えるものもあるという。



 キリスト像が去ったあと、そこには
「復活したキリストは、生前のキリストと同じDNAを有する個体としては二度とふたたび人の前に姿を見せていないのに・・・・」と、
まるで反抗少年のように一人でぶつぶつつぶやく私がいた。

 この夕方の祭りに先立つ4時のミサを司式した私は、説教でそのことを神学的に理路整然と説いて見せた。
居合わせた田舎の善男善女たちは、始めて聞くこの異説に、ただ口をあんぐりとさせていた。

 私は、キリストの復活の場面を描いた泰西名画は、例外なく史実を裏切っていると言いたい。
そして、信仰深い芸術家たちは、キリストの復活という、イエスの生涯を締めくくる決定的事実を、
全く誤った理解に導く重大な過ちを犯していると、声を大にして言いたいのだ。

 私は、その誤謬の典型を、またしてもタルクイニアのこの行列の中に見た思いがした。

 大げさに言えば、キリスト教会は、キリストの復活から2000年以上も経った今日においてさえ、
まだその史実の真髄を赤裸々に受け止めかねているのである、と言えるのではないか。

 この間の消息は、拙著「バンカー、そして神父」(亜紀書房)の後半に詳しく展開しているから、
興味を惹かれた方は、是非ご参照いただきたい→ http://t.co/pALhrPL 

 ~~~~~~~~~~~~~~

私はこの月曜日からイスラエルのガリレア湖のほとりでの集まりに参加し、エルサレムやナザレを回って5月1日のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の列福式(聖者に挙げられる前の式)に間に合ってローマの戻ります。それまで、ブログ更新も、メールも、ツイッターもお休みです。 復活祭オメデトウ!

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★ 仕切り直しの「聖金曜日」のわがタルクイニア

2011-04-22 12:57:46 | ★ 復活祭の聖週間

去る4月17日の日曜日から、カトリック教会は聖週間(復活祭の一週間)に入りました。聖木曜日には「最後の晩餐の記念」が、聖金曜日には「主の受難と十字架上の死」が、聖土曜日の復活の徹夜祭には「主の御復活」が荘厳に祝われます。今年は、私はローマから車で南に1時間ちょっと離れたネプチューンと言う町の教会の徹夜祭を一人で仕切ることになりました。それで、呑気にカメラをぶら下げて見物している暇はありません。それで、一昨年タルクイニアというローマの北130キロほどの町で過ごした復活祭の記録を公開します。

 

「聖金曜日」 の 我がタルクイニア  

タルクイニアの主任司祭アルベルトはメキシコ人。彼はローマの神学校で私とほぼ同期だった。
聖金曜日の夜、教会ではローマ典礼に則って、型通り「受難の朗読」と「十字架の礼拝」が執り行われたが、
参会者の数は教会の規模にしては極端に少なかった。
しかも、その多くがキコの共同体で見慣れた顔ぶれだった。なぜか?

タルクイニアには、古くから聖金曜日の夜に十字架上で亡くなったキリストの像を担いで練り歩く行列が盛んに行われてきた。
普遍的なローマ典礼よりも、ローカルなこのフォルクロールの方が人気があるというわけだ。

教会での典礼を三人で済ますと、主任司祭のアルベルトを留守番に残し、
助任司祭で若いコロンビア人のウイリアム神父と早めに旧市街の広場に繰り出した。陽はすでに鐘楼の向こうに沈んでいた。



時間が余ったので、先回りして行列の出発する教会に向かった。入口にはすでに儀仗服の警官が頑張っていた。



聖堂の中には、裁かれるイエスの座像、悲しみの聖母の像、
そして、十字架から降ろされたイエスの亡骸の像が、み輿に乗せて運び出されるのを待っていた。

  



聖堂の外には、見物の群衆が集まり始めていた。母親に手をひかれてやってきた天使の扮装の少女たちが目立つ。
先頭の天使は背の高いお姉さんで、キリストの十字架の上に付けられた捨て札を捧げ持っている。
《JNRI》 の頭文字は、「ナザレのイエス、ユダヤ人の王」を意味する。



 処刑場に向かう十字架の道行の途中、
イエスの血と汗を拭った布にイエスの面影が奇跡的に写ったと伝えられるヴェロニカに扮する少女。



 あとで大きな男の子に運ばれることになる十字架には、
イエスを十字架に架けてから降ろすまでに使われたさまざまな小道具が並べられている。

     

 行列が通る道筋には、街のブラスバンドが演奏しながら待っていた。
行列が半分通り過ぎると、最後に来るキリストの亡骸の前あたりで隊列に入り、
その後,行列の中に溶け込んで最後まで断続的に演奏を続けた。
曲は葬送行進曲のように沈鬱なものが多かった。



 ほぼ実物大の十字架を担いで行く男たち。
長い縦棒の先をゴロゴロと石畳の上に引きずっていく。
かなり重そうだ。一人で最後までは無理。だから、両脇に交代の男たちが・・・・



 小さな天使が運んでいるのは・・・、おや、よく見るとサイコロではないか?
これも聖書に描かれている大切な小道具の一つだ。
イエスを裸にして処刑した兵士たちは、イエスの肌着は4つに裂いて分け合ったが、
上着は高価な一枚布だったので、裂かずにサイコロでくじを引きして、勝った男が一人占めにした、とある。



 中世の十字軍の時代から生きのびているエルサレム騎士団も加わった。



 そうかと思うと、ブラスバンドのすぐ前に、ギョッ!とするような奇怪な集団が現れた。
一見すると、アメリカの極右暴力秘密結社「KKK」か、と見紛うような出で立ちだ。



 どういう理由でかは確かめそびれたが、彼らは30年前にこの行列から姿を消し、
今年、久方ぶりに姿を現したという。中世には、公然と大罪を犯して教会から断罪された者たちが、
償いの為にこの姿でさらし者にされた歴史があるらしい。
その印に、今でも両足は太い鎖でつながれている。
彼らが重い足取りで歩くと、石畳の上にジャラジャラと引きずる大音が響き渡る。

    

キリストを打った鞭を下げた少女・・・台に寝かされて運ばれていくキリストの顔・・・キリストの座像と悲しみの聖母・・・。



 

 そのみ輿に付き添う十字架は、それぞれ80キロほどの目方があり、
一人の屈強な男が肩から回したベルトで支えているが、時々交代しないと、とても最後まで歩き通すことができない。



 野尻湖で隠遁生活を余儀なくされていた頃、長野県上水内郡の氏神様の秋祭りに魅せられて、
沢山の写真を撮って興奮した記憶がある。当時はブログを公開していたから、多くの人が見てくださったと思う。

気が付いたら、同じ軽い興奮状態で盛んにシャッターを切っている自分が、ここにもいた。

同じように私を魅了する祭りとは何なのだろう? 宗教とは一体何なのだろうか?

私が信じるキリスト教。その為に、全てを賭けて入った神父の生活とその裏打ちとなる私の信仰は、
どうやらこれらのお祭り騒ぎとは全く無縁のものであるらしい。
同じキリスト教のヴェールの下にはあるが、それを剥ぎ取ると、
私の信仰とこのタルクイニアのお祭りの距離は、あの長野の神社の祭りとの間の距離と同じぐらい遠いものがあると思った。

                (谷口幸紀)

 

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★ 原発がどんなものか知ってほしい

2011-04-20 07:28:23 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

再び福島原発災害について

イタリアの新聞のトップに載った福島原発3号機の水素爆発の写真

題は: 「目に見えない災禍の震源地」


特別に親しい友達から、今朝一通のメールをもらいました。それには、以下のURLが張り付けてありました。

開いて読み進むうちに、思わず涙がこぼれました。

平井憲夫さん。

彼は自ら原発の被爆者として、癌を発症して、心の底からほとばしる証言を残して、死んでいきました。

そこに何の偽り、なんの誇張があり得たでしょうか。

旧約聖書的なカテゴリーで言えば、まさに予言者、殉教者の香りがします。

下手なブログでマスターベーションするよりも、

今はこれを一人でも多くの人に伝えなければ、との思いに駆られました。


  

    原発がどんなものか知ってほしい

        

     http://www.iam-t.jp/HIRAI/pageall.html

 

 


 

筆者「平井憲夫さん」について:

1997年1月逝去。
1級プラント配管技能士、原発事故調査国民会議顧問、原発被曝労働者救済センター代表、北陸電力能登(現・志賀)原発差し止め裁判原告特別補佐人、東北電力女川原発差し止め裁判原告特別補佐人、福島第2原発3号機運転差し止め訴訟原告証人。
「原発被曝労働者救済センター」は後継者がなく、閉鎖されました。

 

 

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★ ローマ法王、科学技術過信戒める -福島第1原発の事故を念頭に-

2011-04-19 18:22:17 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

神学校のテレビに映った聖ペトロ広場の群衆

 

ローマ法王、科学技術過信戒める -福島第1原発の事故を念頭に-  

 

群衆に応える教皇

 【ローマ共同】ローマ法王ベネディクト16世は17日、人類の進歩に触れる一方で「この数カ月間に起きた大災害で人々が被った苦しみに目を向けなければならない」と述べ、科学技術を過信することを戒めた。東日本大震災とその後の福島第1原発の事故を念頭に置いた  発言とみられる。バチカンのサンピエトロ広場で行われた復活祭(イースター)前の日曜日のミサで語った。

 共同通信2011年4月17日(日)21時17分配信

 私は17日の朝、イタリアのテレビニュースTG1教皇の野外ミサの全中継を見ていました。TG1と言えば、NHKの総合テレビのニュース番組に相当します。それが一宗教の儀式の一部始終を中継するなど、日本では全く考えられないことです。その後、たまたま上の共同通信の記事を見たとき、私はすぐにこれをブログに取り上げようと思いました。

ようやくバチカンの機関紙にその説教の全文が出たので見たら、復活祭の1週間前、聖ペトロ広場で行われた教皇ミサの中で、教皇ベネディクト16世は「神の愛は人間を高みに引き上げる《引力》だ」という主題で説教をしたとありました。その中に、日本の地震、津波、原発事故を暗に示唆すると思われる個所があったので、関連する部分だけ抜粋してお伝えしたいと思います。


親愛なる兄弟姉妹の皆さん、親愛なる若者たち!

 ・・・(前略)・・・人類は昔から-そして今日ではかつてないほどに-「神のようになりたい」、神の高みに到達したい、と言う願望を抱いてきました。突き詰めて分析すると、人間精神の発明の全てに、存在の究極的高み、何ものにも依存せず、神のごとき完全な自由を獲得する高みに到達することが出来る「翼」を手に入れたいという願望が秘められています。沢山のことを人類は実現することができました。飛ぶことができます。世界の果てにいる人の姿を見ながら話し合うこともできるようになりました。しかしながら、私たちを下に引きずり下ろす重力もまた強烈です。私たちの能力の開発と共に育ったのは善だけではありませんでした。悪の可能性もまた増加し、恐ろしい嵐のように人類の歴史の上に襲いかかっています。人間には常に限界があります。それは、この1-2カ月の間に人類を襲い、なお襲い続けている破局のことを考えるだけでも十分でしょう。人間は二つの引力(重力)の場の真ん中におかれていると昔の知者は言いました。とくに、下方に引き下ろす重力―利己主義へ、虚偽へ、悪へと引っ張る力-神の高みから私たちを引きずり降ろそうとする重力があります。他方では、神の愛の引力もあります。神に愛され、それにわれわれの愛で応えることは、我々を高みへと引き上げます。人間はこの二重の引力の真ん中に置かれており、悪の重力の場から逃れ、われわれを真実にし、高め、真の自由を与える神の引力に引き寄せられるよう完全に身を委ねるか否かに全てはかかっています。・・・(中略)・・・
繰り返して言いますが、私たちはあまりにも無力で、自分の力だけでは心を神の高みにまで挙げることは出来ません。自力でそれが出来るという思い上がりそれ自体が、私たちを引きずり降ろし、神から遠ざけてしまいます。神ご自身によって私たちを引き上げていただく必要があります。そのことをキリストは十字架のうえで始められたのです。彼は人間をご自分の高み、生ける神の高みに引き上げるために、人間存在の最も低いところまで下られました。彼は謙遜なものとなりました。このような形でのみ私たちの尊大さは克服され得るのです。神の謙遜は神の愛の極限の表れであり、この謙遜な愛が私たちを高みへと引き上げるのです。
・・・(中略)・・・大切なのは、穢れのない手と、清い心と、偽りを拒む意思によって、神のみ顔を探すことです。科学技術の偉大な征服は、このような態度と結ばれていなければ、私たちの手が無垢で心が清くならなければ、私たちが真理を探究し、神を探し求め、神の愛に触れられることがないならば、私たちを自由にすることも、真の進歩をもたらすことも出来ないでしょう。私たちは高みに向かって引き上げていただかなければならないということを謙遜に認め、自分自身が神に取って代わりたいという思い上がりを捨てない限り、これら全ての上昇は目的を遂げることがないでしょう。私たちは神を必要としています。彼が私たちを引き上げてくれるのです。私たちは神のみ顔を探す謙遜さを必要とし、彼の愛の真実に身を委ねる必要があるのです。(後略)・・・

(©L'Osservatore Romano 18-19 aprile 2011)


ミサのクライマックスで敬礼するスイス衛兵

 神が出てきたり、まして、キリストの名が出てくると、私のブログの読者の多くは引いてしまわれるかもしれません。それは私の意図するところではありませんが、致し方ありません。神の如くなりたい。神に代わって、完全な自由と独立を手に入れたい、という誘惑は、あまりにも強いのです。それを原罪とでも言うのでしょうか。


広場の若者たち

 

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★ 佇む僧侶

2011-04-14 10:12:18 | ★ 大震災・大津波・福島原発事故

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 佇 む 僧 侶

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 大災害の報に接して以来、なかなか仕事が手につかず、おろおろと日を過ごしておりました。遠くローマの空の下にいても、何か出来ることはないものかと思案していました。そんな時、ちょうど昨日のことですが、尊敬する先生の奥様から次のようなメールを頂きました。

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谷口神父様

4月4日に津波の被災地に入りました。

盛岡で絵本を子どもたちに送るプロジェクトをしています。HPを見て頂けますか。資金集めをしていますので、どうぞどなたかご紹介下さい。  

末盛千枝子

==========

そうだ! これだ!! と思わず叫びました。 この仕事のお手伝いをしよう。

さすがは行動派の末盛さん、と感銘を受けながら、早速このプロジェクトに賛意を表すとともに、ご依頼の「紹介」の手段として私のブログを用いる許しを願いました。

彼女は快く提案を受け入れ、下の写真のピクチャーファイルも送って下さいました。それに添えて、次のようなコメントも。

 

(三陸山田駅)

この写真は、4月4日に宮古と山田に行きましたが、そのとき山田駅で写したものです。

若いお坊さんがひとりで、町の角角でお経を上げて歩いていました。

次の日にNHKでちょっとだけやっていたのですが、

宮古から、ずっと海岸線を歩いて、行くつもりのようです。

夕方には、海に向かって深々とお辞儀をして、

ひときわ大きな声で、お経を上げていました。

『般若心経』のようでした。

海が墓になってしまった多くの人のために祈っているのだと思います。

「ビルマの竪琴」のようでした。

このかたにあえたのは、本当に恵みでした。


写真を拡大してじっと見つめました。廃墟の駅の空気の中を白い雪が舞っているのまで写っていました。草鞋がけの裸足に、空気の冷たさが伝わってきませんか? 私はこの1枚の写真から強烈な印象を受けました。今宗教家にできることは祈ることてはないかと・・・・。 鎮魂と、反省と、復興への願いをこめて。

今回、自分の言葉は多く書きたくありません。それより、今すぐ次のサイトを開いて下さい。ゆたかな奥深い内容です。そして、すぐ行動で参加して下さい。

 

3.11絵本プロジェクトいわて

― 被災地の子供たちに絵本を届けよう ―

www.ehonproject.org/iwate

ニュース

活動報告

寄付受付・送り先

など・・・



 

 

 

 

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★ ローマの庭に咲く花

2011-04-11 23:43:52 | ★ ローマの日記

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ローマの庭に咲く花

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日本のためのレデンプトーリスマーテル神学院が一時的に世話になっている

ローマ教区立レデンプトーリスマーテル神学院には広い庭がある

今、そこは花でいっぱいの新緑の頃を迎えている

上の陶器の聖母マリアのレリーフ

受胎告知の場面だろうか

神学校の入り口の右手の壁にかかっている

 

    

普段はただの緑の芝生だと思っていた広がりは、いま小さなマーガレットに似た白い花の絨毯を敷きつめたようだ。背丈5センチにも満たない。花の直径は1.5センチあるだろうか? この景色は日本では見たことがない。右の紫の花はチューリップではない。紫モクレンは低い茂みになって芝生のそこここに。

 

        

左は桜の花。ソメイヨシノでも山桜系でもない。初夏にピンクの甘い大粒のサクランボの実を付ける果樹の花。ドイツ人の友人は言った。日本の桜は咲いて散って実を付けない。不経済な花だと。そういう輩に、日本人の魂、パッと咲いて潔く散る桜の美学は説明しても無駄だろうか。右はリンゴの花。つぼみのときはほんのりピンク色をおびているが、咲くと白くなる。去年はサクランボの実の付き方が悪かった。今年はきっと豊作に違いない。

      

玄関脇のレンガの壁には藤の花がたわわに咲いている。ミツバチも、熊ンバチも甘い香りに誘われて忙しく飛び回っている。日本ではどうだったろう。こちらでは同じ藤の木が春と初夏に二度も豊かに花をつける。

 

        

洋ナシの木の花はこれが最後の一輪だった。小さくても三つ子の魂。もうしっかりと洋ナシの形をしている。実が太ると自然に下を向く。稲穂と同じように謙遜になるのだろう。朝顔、昼顔の類かと思いきや、蔓科の植物ではない。これも日本ではついぞ見たことがない花だ。名は何と言う?

サクランボの木。こんなのがほかにまだ数本あるが、神学生達が争って実を食べる気配は一向にない。そう言う風流人は、庭師と平山司教様と私ぐらいなものか。写真は他にもまだまだ沢山あるが、選んでいるといずれも甲乙つけがたく、ランダムに選んだこの辺りで。

津波直後の悪い予感が的中して、福島は人類史上最悪の人災の様相を呈してきた。石原都知事が、これは天からの警告だ、みたいなことをポロリと言ったら、袋叩きにあって-彼は政治家だから-ころりと変身し前言を撤回して謝罪した。

宇宙の創造主なる神を信じ、ナザレのイエスを神のひとり子、天の父なる神と等しきものと告白する私は、イエスは世の罪を一身に背負って十字架の上で極限の苦しみを通してそれを贖い、一度死んで葬られてた後、体と共に復活して人類に先立って新しい天と地に入り、そこで私たちを待っていると信じている。私たちも死で命は終わらず、復活して新しい天と地の世界に迎えられ、そこで永遠に喜びのうちに生き続けると確信している。

この大災害にあって、恐ろしい人災を目の当たりにして、ハッと我に返り、自分を愛している神のいることに気付き、その神を求め、その愛に抱かれる人がいたら、何と幸いなことだろう。

4月24日は2011年の復活祭。キリスト教にって最も大切な、最も意味深い、原点の祭りだ。キリストが復活しなかったのなら、10億の信者の信仰は虚しい。復活したキリストと実存の深みで出会った体験をもつ人は、黙っては居られない。死ぬまで証しし続けるしかないだろう。

キリストは復活した。死を打ち倒して生きて我々とともにいる。

 

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★ 花見でいっぱい -バチカンの桜-

2011-04-05 21:47:58 | ★ バチカンの桜

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花見でいっぱい 

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大震災、巨大津波、深刻な原発事故・・・あまりのことに茫然自失、犠牲者を偲び喪に服するというか・・・ブログ更新には全く心が向きませんでした。ただ、アクセス解析を見ているうちに、意外と訪問者が減らないことに気づき、やはり何か書き続けねばと気を取り直した次第です。

本来なら、「教皇暗殺」 の問題に戻って、予定通り 「なぜあなたは死ななかったのか?」 について書く順番ですが、まだそこまで気持ちの整理がつきません。

そんなところへ、ツイッターにダイレクトメールが入り、こんなときこそ何か楽しい話題を、という注文がありました。それで、全く関係のない軽い話ですが、最近行った桜の花見の写真をご披露いたしましょう。


まずこの写真、ステッキの平山司教様の87歳のお誕生祝いに、日本料理屋でお寿司と天ぷらを食べて、その足でバチカン庭園へ向かいました。白い髭はおなじみスアレス元神学校院長、背の高いイタリア人は、バチカン国務省のドクタ―S氏


7年前にバチカンに植えられた約20本のソメイヨシノ、高松に神学校が出来たのを記念して、地元三本松の町民が教皇ヨハネ・パウロ2世の散歩道に寄贈したものでした。私はその実現に何年も粘り強くバチカンと交渉しました。植えた時は私の親指ほどの太さの苗木だったのが、今は私の腕ほどの太さに成長しました。司教様の誕生日の花見は、上品につつがなく終わりほっとしました。ここはドームを見上げる格好の位置にあります。

ところが、であります。その話を聞いて、いいな、ぜひ私たちも、という希望が寄せられました。ドクターSの奥さんと子供たち、奥さんのお母さん、そして懇意の日本料理屋の女性オーナーと息子とそのフィアンセたちです。圧倒的な要望に押され、次の土曜日の昼に決行となりました。(もちろん全てバチカン当局に事前に人数や時間、行動内容などを詳しく申請して、職員とその家族・友人と言うことで、特別に許可を取った上での話です。)

桜並木の散歩道の端に、石のテーブルと椅子があります。簡単なお弁当も用意してもらいました。教皇の散歩道で、桜の花見パーティーとは大胆不敵な!

前回は八分咲きだったのが、この日は満開。そよ風に惜しげもなく花吹雪が舞いはじめて、もう気分は最高!


アップルの携帯電話から、サクラ、サクラのメロディーが流れ、歌詞を知っているものは歌って、無事シャンシャン!

私たちは3時きっかりまでに姿を消さねばならない手筈になっていました。衛兵が異常がないか見回ったあと、4時から教皇ベネディクト16世がこの近く、庭園のどこかをお散歩なさるはずだからです。

最後にクイズを一つ。

この写真に、あなたは人が何人写っていると思いますか?

ヒント: ちょっとした発想法の転換が必要です。

当たった人には来年のバチカン花見の招待券を贈りましょうか(笑)。

種明かしをしたい気持ちをぐっと抑えて、答えは次回のお楽しみ!

(多分誰も当らないかな??? ふふふ!)

コメント (10)
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