:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 故ヘルマン・ホイヴェルス師42回目の追悼ミサへの御招待

2019-04-23 09:44:32 | ★ ホイヴェルス師

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故ヘルマン・ホイヴェルス師42回目の追悼ミサへの御招待

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主のご復活、おめでとうございます。

 

主イエスはまことに蘇られた!アレルヤ!

 

主の平安

桜の花も散り、今はハナミズキが満開を迎えているようですが、皆さまお変わりありませんか?早いもので、6月9日のホイヴェルス師の42回目の追悼の日が間近に迫ってまいりました。

昨年に続いて今年も四谷で追悼ミサを執り行いたいと思っています。

昨年、思いがけず大勢のご参加を得ましたことは、ホイヴェルス師の思い出が今日も私たちの心の中に生き続けている確かな印だと確信いたしました。

ホイヴェルス師の生前のお姿を記憶する世代は、すでに高齢に達し、その遺徳を次の世代に語り継ぐ使命を重く感じています。

師が今の日本の教会の現状をご覧になったら、何を想い、何をなさったであろうかを静かに思いめぐらし、私たちも教会への最後の奉仕として、それを身をもって証ししていきたいものだと思います。

教皇パウロ六世が1964年秋(東京オリンピックの年)、ヨーロッパの外に出た最初の教皇としてインドのボンベイ(ムンバイ)を訪れ、国際聖体大会を開かれました。師はそれへの参加を決意され、私を同行者として連れて行ってくださいました。

今にして思えば、師は当時休会中であった第二バチカン公会議に強い関心を抱いておられたようでした。

2度目の東京オリンピック目前にして、この11月にはフランシスコ教皇の日本訪問が決まっています。新天皇にもお会いになるでしょう。

したがって、今年の追悼ミサでは、

「ホイヴェルス師のインド訪問と第二バチカン公会議」

をテーマに分かち合いたいと思っています。

なお、ホイヴェルス師については、私のブログ《〔続〕ウサギの日記 》に10編の記事を連載していますので、ご一覧ください。

下のURLをクリックすると、一瞬に切り替わって、このページがもう一度繰り返されたあとに、続いて10編のブログを見ることができます。

どうか、生前の師を知らない若い世代のお友達もお誘いあわせの上、今年も是非ご参加くださいますようお招き申し上げます。初めての方もどうぞご遠慮なくご参加ください

 

カトリック司祭 谷口幸紀拝

https://blog.goo.ne.jp/john-1939/c/6a9f5b0d1edab1c2cba7a170f5ed3a8b

 

 

 

 

 

 

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★ 「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」の誤解を解く(そのー3)

2019-04-16 00:05:00 | ★ 新求道共同体

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アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」

の誤解を解く(そのー3)

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結論を先取りして簡単に要約しましょう。

 

今回の【教皇庁立】「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」(東京)設立の聖座決定に関しては、

 

  19 年前に日本の司教団の総意に基づいてせっかく閉鎖に追い込んだはずの高松教区立「レデンプトーリス・マーテル」神学院は、その消滅を望まれなかったベネディクト16 世教皇の手によってローマに移植され、教皇あずかりの「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」としてローマで生き延びてしまった。

 その後、新求道共同体の熱烈な支持者のフィローニ枢機卿は、新教皇誕生のどさくさに紛れて教皇の名を語って個人プレーで同神学院の東京への強襲上陸を画策した。しかし、日本の司教団は再び団結して、それを無事水際で阻止した。それが今回の「保留」の背景にある真実だ。この「保留」により、高松の神学校問題は、やがて永久に忘れ去られていって最終決着を見るだろう。20 年もかかったが、やっと終わった。

 

と言う空気が流れているように思われます。

 しかし、私に言わせてば、これは、全くのとんでもない「誤解」の数々の上に築かれ た、真実を全く見誤った考えのように思われてなりません。 

 以下の文章がそういう視点から書かれたものであったということを念頭に、もう一度 読み直していただけるとありがたいです。 

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コの2 作目の本「覚え書き」(Annotazione) のカバーの半分を展開したもの。左端の縦の細い部 分が本の背。真ん中が表紙。人物は若かりし頃のキコ。右はカバーが内側に折りこまれる部分。

 

 私はいま、キコの第2 作目の本題名を直訳すれば「覚え書き」(1988-2014) ですが、実際は「霊的日記」とか「魂の叫び」とか言う題がふさわしい本の翻訳中 です。

イタリア語版は2016 年の末にはローマの一般書店に並びましたが、私が著者の 同意のもとに翻訳に取り掛かって以来、様々な出来事のために何度も長い中断を余 儀なくされました。いま束の間の静けさに恵まれ、ようやく日本語の3 度目の推敲を 終えようとしています。今日、500 編余りの断章の中の211 番を読み返しながら、 急にブログに取り上げたいという衝動に駆られました。まずその部分を味わってください。

  

211 私たちはアフリカで、テントの中に居る。昨日、素晴らしく美しい大自然の只 中で、黒人たちは木の枝と花を持った腕を動かしながら私たちを歓迎するために歌っ てくれた。私たちはキリストを告げ、かれらは私の言葉に喝采しながら、驚きをもって 聞いてくれた。

 今日、この時、良い知らせを信じなさい!約束された霊を今受け取ることが出来る よう回心して信じなさい。その霊はあなたの中に住んで、人を赦すことが出来る力を あなたに与え、新しい形で人を愛することが出来るようにしてくださいます。この十字 架をご覧なさい。彼はあなたのために死なれ、ご自分の不滅の命とご自分の霊につ いて、あなたのために御父に遺言されまし。今それを信じなさい。

 私があなたたちに話している間にも、イエスご自身が御父の前であなたのためご自 分の栄光の傷をお示しになっています。

 今日、私は大天使ガブリエルで、あなたはマリアです。彼女と一緒に言いなさい。「は い、あなたの告げたことがお言葉通りに私の中で成就しますように」と。

 信仰は聞くことから来る。聴きなさい!神はあなたを愛し、あなたを罪の奴隷から、愛 情に飢え渇く苦しみから、利己主義から、絶えず自分の快楽を追い求める恐ろしい奴 隷状態から、傲慢から、色欲から、賭博から、飲酒から、憎しみから、対抗意識から、 妬みから・・・開放することを望んでおられます。これら全ては苦しみのもとだ・・・。

 主の霊は私たちに伴い、私たちの言葉が虚しく消えることを許されない。私たちが語 ることは、主がそれを成就される。彼は全ての君主、全ての権能と支配の上に揚げら れた主(キュリオス=Kyrios)である。彼は諸聖人を伴って生きているものと死んだ ものを裁くために栄光のうちに帰って来られる主である。ご自分の体においてすべて の正義を成し遂げるために、すべての人のために死なれた彼は、彼において、彼の 体によって、罪のため捧げられ嘉納された芳しい香りの生贄としてご自分を捧げ、罪 の赦しのために回心を説かれた。

 私たちの解放と罪の赦しの保証としてキリストは復活された。人類はキリストにおい て赦された。また、私たちを新しい被造物とする霊を受け取ることが可能になった。私 たちを彼に似たものとして、聖霊を通して、神の子として、ご自分の本性に与らせて下 さった。すべての貧しいもののための勝利!回心して良い知らせを信じなさい!洗礼 を受けて、聖霊を受けなさい。無償で!私たちの業によってではなく、ご自分の血とご 自分の受難の果実として、彼に栄光がもたらされますように。

 アフリカ!神はお前を愛しておられる。聖霊に歌を捧げるあなたの貧しいひとたちを どうか受け入れてください・・・。彼らがどのように聞き、どのように祈ったか、それはと ても素晴らしかった。

 アフリカ!ここはケニヤ、過去19 年間の宣教で一番特筆すべきことは、それが徹底 的に失敗だったことだった。常に拒否された。宣教師たちは我々を望まず、我々を 「競争相手」と見なした。司祭が替わると、共同体を少しずつ、少しずつ殺していくの だった。19 年後の今日、ケニヤ全体でたった7 つの共同体が存在するだけだった。 しかし、すぐにすべては変わるだろう。失敗することはキリストに倣うこと。失敗するこ とは勝利すること!

 212 失敗の中で耐えしのぶことは命を与えること。命を与えることは福音を告げ ること。

 

私はこれらの言葉を読んで、とても他人事とは思えませんでした。日本における新求 道共同体の活動は、私がこの「道」と出会って以来、私の関わった部分に限って言え ば、失敗に次ぐ失敗、挫折に次ぐ挫折の連続でした。

  私はいま理解しました。キコがケニヤで19 年間経験したのと同じ挫折を、私もいま 日本の教会の中で経験しているのだということを。

 つまり、失敗することはキリストに倣うこと、失敗することは勝利すること!失敗の中 で耐えしのぶことは命を与えること。命を与えることは福音を告げること、だということ を。

 1988 年に聖教皇ヨハネパウロ2 世が世界で最初のレデンプトーリス・マーテルの 神学校をローマに開設されて以来、この30 年間でその姉妹校は世界中で増え続 け、今日では120 校以上を数えるまでになりました。今や、主要な国でその姉妹校 を持たない国は日本ぐらいなものでしょうか。

 実は、日本では1990 年に他の国々に先駆けて世界で第7 番目の姉妹校が高松 教区に生まれました。私はその誕生の最初から関わってきました。しかし高松の司教 様が替わられると、その神学校は日本の全司教の一致団結した反対で閉鎖に追い 込まれました。それを惜しまれたベネディクト16 世は、慈父の愛で「日本の将来の 福音宣教に役立てるために」とそれをローマに移植され、以来、同神学校は10 年余 りにわたり教皇預かりの「日本のためのレデンプトーリス・マーテル神学院」として命 脈を保ってきました。

 しかし、ベネディクト16 世が生前退位されると、新しい教皇フランシスコは熟慮の「教皇庁立」「アジアのためのレデンプトーリス・マーテル神学院」東京に設置する方針を打ち出されたことは、昨年8 月の東京教区のお知らせで公に知らされた 通りでした。

 それが、その後の東京教区ニュースには、「8 月末にお知らせした、教皇庁福音宣教 省直轄の神学校設立の通知に関しては、現在、保留となっているとのことです が・・・」と、まるで他人事のように小さく触れられていることに目を留められた方がど れだけおられたでしょうか。

 私は咄嗟に、10 年前に高松の神学校が、教皇様の慰留を押し切って、日本の司教 方の一致した固い意志によって閉鎖に追い込まれたときのことがフラッシュバックしま した。

 現教皇様が熟慮の末に決断され通知され、すでに日本の信徒に公けに発表された 決定が、理由も告げられず「保留」になるなどということは、その裏によほど深刻な事 情がなければ決してあり得ないことだと直感しました。

  今起きている誤解と混乱は「教皇庁立のアジアのための神学院」「レデンプトーリ ス・マーテル」という言葉を名称の一部にを含んでいたことからおこったとおもわれま す。そのために、この教皇庁立の神学院が、世界に展開する120 余りの「司教区立」の神学院と同列、同格のものの一つに過ぎないと誤解されたのでしょう。しかし、 もしもそうであったら、あえて「教皇庁立」にする理由がないことぐらい、教皇であれば 見誤るわけがないではありませんか?

 では、この度の教皇が設立を決意した「教皇庁立」「アジアのための神学校」とはど ういう性格のものになるはずなのでしょうか。

 歴史をふり返ると、世界中の宣教地域の聖職者の高等教育を一手に担ってきた機関 としては、ローマにウルバノ大学を持つ「教皇庁立」の歴史と伝統に輝く養成機関が ありました。アフリカでも日本を含むアジアでも、およそ宣教地域と認定されたところ からのエリート司祭、将来の司教や枢機卿の候補者の多くが、「教皇庁立」ウルバニ アーノ神学校で養成されてきました。

 今回の「教皇庁立アジアのための神学校」計画は、そのウルバノ神学校の機能を二分し、東京にその分身を置くことにより、地球の西半球の宣教地は従来通りローマのウルバノ神学校で、東半球は新設の東京の「教皇庁立アジアのための神学校」でカ バーしようという、第三千年紀に向けたバチカンの壮大な宣教戦略転換の根幹をな すフランシスコ教皇自身の英断だったと私は見ています。

  なぜなら、ベネディクト16 世に救われてローマに移されたまでは良かったが、その 10 年間、一向に日本への帰還の目途が立たなかった元高松の神学校を、いっそ のこと「教皇庁立」として戻しては、という進言が寄せられていたのに、福音宣教省長官のフィローニ枢機卿は「前例のないことはできない」と再三にわたって選択肢から 除外されてきた経緯から見ても、それがフィローニ枢機卿から出たアイディアだという ことは、絶対にあり得ないと思われるからです。

 2000 年の教会の歴史に前例のない新しい選択をするということは、忠実な一高級 官僚レベルでは無理で、やはりトップである教皇様自身の発想と決断が不可欠だっ たのでしょう。

 聖教皇ヨハネパウロ2 世が奇しくも予言された通り、2001 年からの第三千年紀が 「アジアのミレニアム」であるとすれば、その中心拠点としてフランシスコ教皇様が東 京を選んだのは全く理に適っていると私には思われます。過去数百年の歴史を顧み れば、文化的にも、国際政治・経済・技術・金融のどの面をとっても、要するに「地政 学」的に見て、「日本・東京」以上にバランスの取れた候補地をアジアの他の場所に 見つけることはほとんど不可能でしょう。

 いま葬り去られるかもしれない危機に瀕しているのは「ネオの司祭を作る神学校」どと言う次元の低いスケールの小さい話ではなく、聖座が教会の未来の命運をかけ て描いた「第三千年紀のアジアの福音宣教の拠点」という重大な構想ではないでしょ うか。はじめは小さく生まれるかもしれませんが、やがて聖座のアジアでの活動の中 核となる可能性を秘めた大きな構想であると私は理解しています。これが日本にでき るということは、大変名誉なことであり、これが、アジア近隣の別の場所に行くことに なれば、日本の教会にとって大きな損失になることでしょう。

 もしこの「保留」が長引けば、教皇の今年11 月の訪日計画の中の重大な目的の一 つかもしれないの神学校(ウルバノ神学校の分身)設立のお披露目という大きな目的 を欠くことになるのが惜しまれます。

まだ水面下で動きがあり、最終決着がついていないのだとすれば、今後の展開から 絶対に目が離せません。

 最後に断っておきますが、いま私が書いているこの一連のコメントは、「道」の内部に見られる共通認識を 反映するものではなく、ましてや「道」の公式見解などでは全くありませんので誤解の ないようにお願いいたします。

 

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★ キコの80歳の誕生日に贈られた教皇からのお祝いの言葉

2019-04-10 00:05:00 | ★ 教皇

新求道期間の道 

キコ80歳の誕生日に贈られた教皇さまからのお祝いの言葉 


【イタリア紙 ”Avvenire” インターネット版】

教皇フランシスコは、新求道期間の道の創始者キコに対して、“神様があなたが教会に対して為した全ての善に報いてくださいますように” という個人的な祝いのメッセージを書かれた。

 

 

 

 “親愛なる兄弟よ、あなたの80歳の誕生日に際して、あなたに対する親密の情と兄弟的感謝の印として短い言葉を贈ることなしにこの日が過ぎるのを私は望みませんでした。神様に対しては、あなたを選ばれたことに感謝し、あなたに対してはあなたの忠実さに感謝します。

あなたが教会のためにしているすべての善に対して主が報いて下さいますように。私は、貴方のま近にとどまり、あなたのために祈り、あなたに伴って行きます。お誕生日おめでとう。共同体の仲間たちがあなたに80本のローソクの立ったケーキを用意することを希望します。そして、どうか私のために祈ることを忘れないでください。イエスがあなたを祝福し、聖母マリアがあなたを護ってくださいますように。あなたを愛し、あなたを賞賛してやまない兄弟フランシスコ”。

これが、教皇が新求道期間の道の創始者であり、昨日80歳の誕生日を迎えたキコ・アルグエヨに届くことをのぞんだ個人的メッセージでした。


トール・ヴェルガータにおける新求道期間の道の歩みの50周年の集い

教皇フランシスコとキコが会ったのは、ローマにおける最初の共同体の誕生50周年の祝いが、トール・ヴェルガータの平原で祝われたとき以来のことだった。

この機会に、教皇は新求道期間の道の福音告知の力について、ご自分のスピーチのなかで「大切なのは、説得力のある論証ではなく魅力的な生きる姿であり、押し付ける力ではなく奉仕する勇気である」と述べられた。

そして「あなたたちはその「DNA」の中に聖家族の模範に倣って、家族としての生活を営みを通して福音を告知する召命を持っているのです。」とも言われた。

 

 

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