:〔続〕ウサギの日記

:以前「ウサギの日記」と言うブログを書いていました。事情あって閉鎖しましたが、強い要望に押されて再開します。よろしく。

★ 回想 「田村塾」のこと - その2

2008-03-30 02:10:19 | ★ 日記 ・ 小話

      回想 「田村塾」のこと (その-2)

      

その後、科学技術の進歩と鉱工業生産活動の拡大、教育の普及、一般市民の個の確立や権利意識の高揚などに伴って、社会における宗教の位置も大きく変化していった。
 強者に従属し、支配者には上からの権威付けを与え、信者を権力者に従順な羊の群れとして囲い込み管理する見返りとして、地上的な繁栄を享受してきたキリスト教会は、日本の伝統仏教同様、やがて単なる古臭い信心や習俗に堕して行き、大衆、特に若い世代を惹き付ける魅力を次第に失っていった。
 市民社会では世俗化が進み、人々は神聖なものの価値を忘れ、神への信仰が心の奥底から薄れていった。それはまた、世俗の権力にとって、宗教が後ろ盾としての利用価値を次第に失っていった過程でもあった。さらに、お金の神様が人々の心を捉え、人々をその奴隷にしていくにつれて、宗教はかえって足手纏いの無用の長物として、世俗の支配者から棄て去られる運命にあったとも言えよう。近代国家における政教分離はその流れの中にある。
 第二次世界大戦が広島と長崎への原爆投下をもって終わり、現人神(あらひとがみ)として日本型ファシズムの頂点に君臨していた天皇が「人間宣言」をしたときを境に、神聖なものに対する畏敬の念が日本の社会からは完全に消失してしまった。もともと仏教には人格的超越神の概念が欠落していたから、キリスト教の神が根付かなかった日本においては、その後に残ったのは、唯一お金の神様、マンモン、悪魔の化身のみであった。他のいかなる神に対する気遣いもなく、純粋にお金、富、経済的優位に立つことを価値判断の唯一の尺度とする社会が、人類史上初めて日本に出現したと言ってもいい。それが、戦後日本の奇跡的復興を生んだ精神的背景であった。
 超越神不在の人間社会、つまり、まことの神の対極に座する偶像、即ち、お金の神様(マンモン)に魂を完全に売り渡した社会が達成し得たものが、技術大国、経済大国、金融大国、つまり、日本の今日の姿である。

第二バチカン公会議

 第二次世界大戦中のカトリック教会を統治した教皇ピオ12世が死去すると、その後継者選びは予想外に難航した。世界の枢機卿たちの意見が分かれて、なかなか一人の候補に絞り込めなかったようである。そこで、ひとまず冷却期間を置くために、人格円満、八方に敵が少なく、高齢ですぐに死にそうな、そういう人物を間に一代挟むことで、事態を収拾しようという暗黙の了解が成立したのだろう。こうして選ばれたのが、太った丸顔の老人、ヨハネス23世であった。
 ところが、何もしないですぐに死ぬはずだった新教皇は、大方の予想を覆して、事もあろうに公会議開催を全教会に求めたのである。バチカンのお役所の官僚たちの周章狼狽振りが目に浮かぶと言うものではないか。
 「教皇様、教皇様!公会議などもってのほかです。そもそも公会議と言うものは、教義上に疑義が生じて教会が分裂の危機に晒された時とか、教会の存立が外部から脅かされた場合などに開かれるのが常で、今のように内外ともに平穏無事な時代に何故必要でしょうか?第一、公会議を準備するには数年を要しますが、教皇様はご高齢で、開会式までご存命かどうかさえ不確かではありませんか。どうぞ、思い止まられますように・・・」と諌めた、とまことしやかに伝えられている。
 それに対して、ヨハネス23世は、断固たる口調で「いや、開会式は来年!」と申し渡した、とか。教会の頂点に立つ絶対者の鶴の一声である。有無を言わさぬその言葉に、バチカンの官僚たちは上を下への大騒ぎで、とにかく準備を急ぐことになった。こうして、公会議は無事開会式を迎えことになるが、案の定、開会して程なく、教皇はあっけなくこの世を去っていったのである。
 しかし、パンドラの箱の蓋はすでに開けられてしまっていた。表面的に安穏としていた教会の内部に、実は溜まりに溜まっていた諸問題が、一気に表面化した。
 「アジョルナメント!(教会を今日の時代にふさわしく改変すること!)」と言う当時の流行語を今も覚えている人は、めっきり少なくなってしまったのではないだろうか。時代に取り残された過去の遺物、時代にそぐわない無用の長物になりかけていた教会に、新たに聖霊の息吹を吹き込み、復活の命で蘇らせ、現代世界を内側から活かす力を取り戻させるのが、第二バチカン公会議の使命と目的であった。
次の教皇パウロ6世は苦労して山積する諸問題に対処し、数多くの歴史的成果を残して、何とか無事に公会議の幕を閉じることに成功したが、その彼も、大任を果たし終えると、さっさと天国に旅立っていった。
 公会議を開いたヨハネス23世と、それを閉じたパウロ6世の二人の名前を取った珍しいダブルネームの新教皇ヨハネ・パウロ1世は、公会議の決定を実施に移そうとした矢先に、在位たった一ヶ月で不審の死を遂げた。改革を望まず、公会議の開催に抵抗した闇の勢力(サタンとその手先)による、露骨な反撃であったと私は信じている。
 前任者の果たせなかった無念の思いを遂げるために出現したのが、ヨハネ・パウロ2世、教会史上初のポーランド人教皇、聖なる「パパ・ヴォイティワ」であった。彼は前任者の轍を踏まぬしたたかさとしなやかさを持っていた。
第二バチカン公会議は、第三千年期に向けて教会の生き残りをかけた、そして、精神的、霊的領域における教会の自立と指導力の回復がかかった、まさに不退転の大改革であったと言えよう。
 この改革の歴史的重要性は、4世紀初頭におけるコンスタンチン大帝のキリスト教承認という大変革に匹敵するものであり、好対照を成すものである。
 キリストの説いた弱者の宗教、貧しい被抑圧者の解放の宗教、迫害の対象であった非合法宗教を、皇帝の宗教、帝国の精神的後ろ盾、つまり強者・支配者の御用宗教へと180度転換したのが、コンスタンチンの改革だったとすれば、第二バチカン公会議は、教会を庇護し利用してきた強者、支配者から、御用済み、利用価値の無くなったものとして引導を渡され、捨て去られた教会が、自らの置かれている現実に目覚めて、キリストの説いた本来の弱者の宗教、抑圧された被支配者の宗教、コンスタンチン体制以前のキリスト教の姿に再び立ち返ろうとする一大改革に取り組もうとしたものだったと言えるのではないだろうか。
 コンスタンチン大帝の改革と、第二バチカン公会議の改革は、第三千年期に第一歩を踏み出した世界史を3分割する、二つの決定的な節目の一つであったと考えればいい。

ポスト公会議 -岐路に立つ教会-

 コンスタンチン体制以前には、キリスト教は帝国の土台を揺るがす危険な存在として、為政者に恐れられていた。それゆえに、それを懐柔し無害化するため、また積極的に帝国の精神的支柱として利用するために、キリスト教はこの世の支配者の手中に取り込まれたのであった。以来教会は、中世を経てごく最近にいたるまで、権力にとって危険のない、適度に有益な存在となった。キリスト自身の本来の教えでは、互いに相容れるはずのない「神のもの」と「セザルのもの」が、持ちつ持たれつの蜜月関係を保ってきたと言える。歴史的には、神聖ローマ帝国の体制や、植民地主義者の船に便乗して展開したフランシスコ・ザビエルらの宣教活動に、そして、近くはキリスト教民主同盟などという保守勢力の名前に象徴されるものが、まさにその典型であった。
 ところが、近代、現代の社会の段階的世俗化に伴い、気が付いたら教会は世俗の権力にとって取り立てて言うほどの利用価値も無いものに弱体化し、ついには、これ以上の世俗化を推し進める上では、かえって足手纏いになる邪魔な存在へと変質していったと言える。
 そのことは、現人神(あらひとがみ)天皇の人間宣言が象徴するように、一切の「神聖な価値」を否定した日本の社会が、広島・長崎の灰燼の中から不死鳥のように立ち上がり、東京オリンピックの頃を境に、産業と金融の分野で、最も世俗化が進んだ社会の特権として、世界のトップの座に躍り出たことではっきりと実証された。
 日本に追いつき追い越すためには、超越的な神を認めるキリスト教とそのモラルの存在は、欧米社会にとってかえって重荷であることが明らかになった。従って、キリスト教は、強者、権力者から、重大な足枷として捨て去られる必要があったし、実際に既に棄て去られつつある。ヨーロッパにおける急速な教会離れがその現われである。そのことに気付いた教会が、自らの体制の立て直しと生き残りをかけて開いたのが、たまたま東京オリンピックの翌年に幕を閉じた、あの第二バチカン公会議であった。(つづく)  (「その-3」へは左下の青字の「前の記事へ」をクリックしてください) 
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 回想 「田村塾」のこと -その3

2008-03-26 23:56:27 | ★ 日記 ・ 小話

★回想「田村塾」のことは、この(その3)でお仕舞いです。細かい字の難解な長文にもかかわらず、たくさんのアクセスを頂いて恐縮しております。



      野尻湖のウサギ (野尻では、私はこんな姿で棲息しています)

        「田村塾」のこと (その-3) 

第二バチカン公会議は今

 しかし、第二バチカン公会議の新しい指針は、カトリック教会の大多数から直ちに理解され、危機感を伴って受け入れられたわけではなかった。
公会議の決定に頑なに背を向け、声高に反対を唱えたルフェーブル司教が破門され、彼が教皇の警告に反して叙階した司教や司祭たちも、同様に今なお破門状態にあるのは、大改革にありがちなまことに不幸な例外と言わざるを得ないが、大切なのは、教会に留まり、今もカトリックの信仰を生きている信徒や聖職者の間で、この公会議の意味と重要さがどの程度まで理解され、受け入れられ、実践されてきたかである。
 第二バチカン公会議が幕を閉じて、早くも半世紀近い歳月が流れたが、教皇のお膝元のイタリア、ローマにおいて、また特に、ローマから最も遠い日本の教会において、その改革がどこまで実を結んだかは、今あらためて冷静に検証される必要がある。
 地球規模の情報化に伴って、恐ろしい勢いで神不在の世俗化があらゆる場所に浸透している。現代世界においては、かつてのキリスト教社会における教会と世俗の権力との蜜月関係は、既にとっくの昔に終わっている。この世の支配者がキリスト教の衣を脱ぎ捨てて、その本性を露骨に現しはじめているのに、この厳然たる事実から目を背け、今なお過去の幻想に生きようとする教会、またそのような教会の現状に無批判にしがみついている宣教地の教会は、これから先、一体どうなっていくのであろうか。
 現実社会では、圧倒的多数の信者は既に生活の根底から世俗主義に汚染され、その軸足を完全に世俗主義的価値観に置いている。世俗社会が少子高齢化していく中で、教会社会においてもそれに正比例して信者の家庭の少子高齢化が進んでいるのが、その明らかな証拠である。
 神様の摂理に敵対し、新たな生命の恵みを拒否する少子化は、物欲と快楽を極限まで追求しようとする現世主義、自己中心主義の明白な印であり、信者の魂の世俗化の度合いを示す目に見えるバロメーターでもある。そしてその先頭に日本の教会がある。
 日本では、世俗化に毒された信者たちは、子供たちにより高い教育と、より収入の多い仕事を与え、より多くの財産を残すことには熱心でも、信者である親自身が、信仰の賜物を何物にも換えがたい最高の宝だと思っていないから、子供たちに信仰を受け渡すことにはほとんど情熱を感じていないように見受けられる。無論、それは日本だけの現象ではないかもしれない。事実、伝統的キリスト教国においてさえ、子供が生まれても洗礼を授ける例がめっきりと減ってしまった。子供たちは、伝統的風習として幼児洗礼を受けても、親から霊的に養われないから、世俗主義に抗して思春期を越えて信仰を保ち続けるだけの内的な力を欠いている。そういう社会では、たとえ生物学的に子供が生まれたとしても、信仰的には死産したのも同然である。大人の信者が、自分の子供に信仰を伝える活力を失っているのだから、少子化により社会の人口が徐々に減少していくよりもはるかに速い勢いで、教会から信者の姿が消えていくのは当然である。信者が減れば、そして特に子供たちに信仰が伝わらなければ、明日の教会を導き、福音宣教の先頭に立つ司祭や修道者が生まれないのも必定である。
 公会議は、それに対する根本的改革、問題解決の指針を40年以上前に示している。それなのに、その指針を無視して、信徒の数が減少するのを当然の前提とし、教会の統廃合や、いわゆる共同司牧などの小手先の対応で済まそうとすれば、たとえ今日、明日の辻褄を合わせることが出来たとしても、また、過去からの遺産を食い潰すことにより現在の教会の指導者、聖職者、修道者の老後の生活が安泰であったとしても、迫り来る教会の壊滅の危機を回避し、信仰の遺産を未来に受け渡することは全く絶望的である。神なき世界に喘いでいる1億3000万の日本人の魂に対する福音宣教の責務を放棄したと言うほかはない。それでは、神の国を託された牧者としての使命を果たしたとは言えないのではないか。審判の日、なんと弁明すればいいのだろう。

未来への展望

 私は、1989年の終わりごろから8年間、神学生としてローマにいたから、直接に関与することはなかったが、日本で教会を挙げて公会議のことが声高に叫ばれた最後の機会は、ナイス-I、-II の頃ではなかったろうかと思う。それらがいずれも掛け声とお祭り騒ぎだけに終わって、その後の教会の決定的、抜本的改革には繋がらず、結局、公会議前の体質から脱皮できないまま今日に至ってしまったのではないかと思う。
 小さきもの、貧しいもののところへ出かけていって関わろうとする、散発的な善意の試みが無かったわけではない。しかし、教会全体としては、軸足があくまでも公会議前の体制に残っていて、自らの内的小ささ、貧しさに向き合う基本的な姿勢の転換、集団的な回心には繋がっていかなかったように思われる。
 強者との馴れ合いの時代の心地よさへの郷愁から、とっくに強者に棄てられている現実に今もって正面から向き合うことが出来ず、強者が少子化を推し進めれば、自らも率先して少子化への道を邁進する信徒たちの中に、また自ら進んで回心し、信者らの意識の改革を促すだけの霊的な活力を欠いた教会指導者たちの中にも、公会議の刷新の影響はほとんど見られないと言っていいだろう。挙げて、生命の恵に背を向けた死の文明に完全に毒されている。
 公会議後の教会は家庭の重要性を強調しているが、そこで言う家庭とは、「中国の一人っ子政策」を先取りするかのような「産まず女」的信仰の場のことを意味するものではない。公会議は、至聖三位一体の内面に満ち溢れる愛にかたどられ、その果実としてのたくさんの子供たちに恵まれた豊堯な家庭をイメージしているのである。
 この世では、小さく貧しく、また、たとえ社会から疎外されることになったとしても、世俗化の流れに逆らって公会議の精神を忠実に生き、神様の摂理に信頼して常に新たな命の賜物に対して開かれた、豊かで英雄的な夫婦愛の営みを証しする家庭に対しては、神様の恵みと祝福があふれるほど注がれるに違いない。
しかし、問題なのは、そのような家庭は、強者の側に軸足を置いた従来の教会社会の中では生きていけないという現実である。個人主義、利己主義、自己責任主義に支配され、個々の家庭がばらばらに孤立した教会共同体には、そういう貧しい子沢山のカトリック家庭のために全く場所がないという現実がある。教会共同体全体が回心して、そういう家庭がたちまち直面する住居費、教育費などの諸問題を他人事とはせず、自分たち自身の問題として受け止めて、経済的、精神的に暖かく支援する体制が絶対に必要である。
 もしも、教会の最小単位である家庭がたくさんの子供たちに恵まれ、教会共同体が一体となって、物心両面からその命に満ちた家庭を護ることに成功すれば、教会は若い信徒にあふれ、再び司祭、修道者への多くの召命に恵まれ、やがて多くの牧者と宣教者を迎えることになる。そうなれば、教会は周りの神なき社会に対して、福音を述べ伝える活力を再び取り戻すことが出来るだろう。
しかし、教会の指導者が今もって公会議以前のコンスタンチン体制による強者の宗教の幻想にしがみつき、世俗主義に妥協した信仰に基づいて、クリスチャンホームの少子化を当然の前提として教会の未来を設計するならば、バブルがはじけて景気が悪くなった世俗の業界同様、合併や整理・統廃合による小教区や修道会の縮小均衡しか方策を思いつかないとしても何の不思議もない。それは、神無き俗世社会の浅知恵と同列である。これが、日本の教会の今日の姿ではないだろうか。
 しかし、ここに公会議の改革を忠実に実践し、コンスタンチン体制以前の弱者の宗教としての本来のキリスト教の姿に立ち返り、回心と洗礼の豊かな恵に生きようとする新しい共同体が息吹き始めている。
 若い家庭には子供たちが溢れ、その中から司祭職や観想修道生活を志す豊かな召命が生まれている。伝統的神学校が軒並み召命の減少を嘆く中で、彼らを受け入れる神学校は多くの志願者で活気に満ち、高齢化が進んでいた観想修道女会にも若い後継者が生まれている。
 子供たちは両親から生きた信仰を受け継ぎ、周囲の世俗主義に流されることなく、思春期の困難な時期を乗り超えてその信仰を守り抜き、やがて同じレベルの信仰を生きるもの同士が信仰によって結ばれ、その新しい家庭はまた、多くの子供たちに恵まれるという、豊かな循環が機能し始めている。それこそ、第二バチカン公会議を家庭において生きる道である。
 日本を筆頭に、第一世界の一家庭当たりの出生率が軒並み1.3前後であるとき、それらの国のカトリック家庭の平均出生率も、それと大差ないのが現実である。しかし、この新しい共同体に限って言えば、その割合は平均で5前後であると言われる。10人もそれ以上もの子供を擁する家庭も決して少なくない。そればかりか、望んでも子供に恵まれない夫婦の場合、3人、5人の養子を迎えるケースも稀ではないのである。ちなみに、平均5人の子供という数字は、第3世界の多くの国々や、回教圏の数字をも上回るものである。
 公会議の改革を真剣に生き、コンスタンチン体制以前の教会に回帰し、オプションフォーザプーァ(貧しく生きる者の側に立つこと)を選択して、新しい生命の賜物に対して寛大に、英雄的に開かれた家庭の群れに対して、公会議後の教会を導いてきたパウロ6世、ヨハネパウロ2世、ベネディクト16世の三代の教皇が、一致して熱い期待の眼差しと豊かな祝福を送ってきたのは当然といえる。

むすび

 公会議の精神を誠実に生きる新しいキリスト教が、現代世界の貧しい人々の間に広まっていくなら、世俗社会の支配者に対して教会は再び無視できない脅威として対峙することになるだろう。コンスタンチン体制以前に厳しく存在した聖と俗の間のあるべき緊張関係を、第三千年期に入った教会は再び取り戻さなければならない。
 私が、田村譲次さんを偲んでこのような総括をすることが出来たのは、半世紀近く前に、聖イグナチオ教会の入り口で、毎朝、田村さんを囲んで熱く教会の未来を語り合った日々のお陰であると考えている。その意味で、私は「田村塾」の正統・忠実な塾生であったと自負している。
 あの頃の若い仲間たちの中から後に司祭になったものは、そのほとんどが真直ぐ神学校に進んだ。従って、今日の日本のカトリック教会を支え導いている65歳以上の司祭たち、司教たちの多くは、公会議前の、つまりトレント体制の、もっと広く言えば、コンスタンチン体制下の教会の養成を受けたはずである。
 一方私は、ドイツ、アメリカ、イギリスの三つの異なる国際金融市場に働き、海外を転々とする長い放蕩の旅路の末に50歳で神学校に入ったから、公会議後の神学がすでに成熟し十分に形を整えた時期に、ローマのグレゴリアーナ大学でゆっくりと8年間に亘って勉強することが出来たから、年齢的には彼らと同世代でありながら、公会議後の新しい神学で養成を受けたことになる。この違いは大きい。これは神様の大きなお恵みだったと思う。今まで述べてきたようなことが自然に頭に浮かぶのは、恐らくそのためであろうと思われる。
 私にとって「預言者」であり「養育係」であった田村譲次さんは、私が今、紆余曲折の放蕩人生の末にこのようなことを書いているのを見て、天国からどう思っているだろうか。彼のコメントはいつも辛口であった。早く天国に行って、口角に白い泡をためて、煙草をくわえた口をゆがめながら笑って話す彼の言葉を直接に聴きたいものである。
 私は、あの懐かしい四谷の聖イグナチオ教会の時代を含む今日までの足取りをローマでサバティカルを楽しんだ昨年9月に1冊の本に纏めた。毎日新聞に好意的な書評が載ったことも幸いして、一年を待たずに再版にこぎつけることが出来た。この短い文章の背景として、また参考文献として、それについて一言ふれて筆をおきたいと思う。
 それは、「バンカー、そして神父」-放蕩息子の帰還-、谷口幸紀著(231ページ)、亜紀書房(2006年9月)という本である。新宿の紀伊国屋や四谷のサンパウロなどにはあるようだが、直接亜紀書房に注文するか、インターネットのアマゾンなどで取り寄せることも出来るから、是非ご一読くださるよう強くお薦めする。

 
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ シンポジウムへの招待

2008-03-22 23:39:36 | ★ 日記 ・ 小話



  予知不能なとんでもない角度から、全く虚を衝く形で、あるシンポジュームのパネラーとしての出席依頼が舞い込みました。いつもの優柔不断と好奇心から、気が付いたら逃げ出せないところまで嵌ってしまっていました。

題して:

「エグゼクティブ・シンポジウム」 ―2050年未来の提言と行動―
      2007年度 IMA 国際経営者協会(主催)

基調講演: 「激変する世界と日本の針路」
      島田晴雄(千葉商科大学学長 富士通総研経済研究所理事長)
報告: 「エイジフリー社会の生き方」
          一石敬子(アインシュタイン代表取締役)
    「ハイパーモビリティ社会がもたらす恩恵と懸念」
          北里光司郎(BTジャパン会長)
    「グローバル経営者としてのリーダーシップ」
          ジェフリー B シュナック(スリーロック社長)
    「IMA 50年 イニシャティブについて」
          加藤春一(東京エグゼクティブサーチ社長)
パネルディスカッション:
    司会: 大澤佳雄(許斐会長)
 パネリスト: 谷口幸紀神父(カトリック司祭)
         経沢香保子(トレンダース代表取締役)
         アレン・マイナー(サンブリッジ会長)
         岩崎哲夫(IMA 会長)

学長、理事長、代表取締役、会長、社長・・・みんなバリバリのエグゼクティブ達ばっかりじゃないですか。・・・僕一人除いて!
何で、野尻湖の山出しの無名無冠の田舎坊主が混じっているの?
なにか変じゃないですか???
僕が本音で喋ったら、当日はとんでもない不協和音を奏でることになりはしないか、今から心配ですね。何故って、住んでいる世界、見ている宇宙がまるで違う、この世の成功者の生き方と正反対の生き様を選んでいるのですから。
どんなことになるか、関心のある人は、講演会5000円、懇親会5000円、計大枚一万円出して、丸の内の日本工業倶楽部2階大会堂に結集しませんか。
10月31日(水)午後1時30分~7時30分
きっと見ものだと思いますよ。

お申し込み、お問い合わせは E-mail: info@ima.gr.jp まで。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 無責任なこわい夢

2008-03-18 23:24:59 | ★ 日記 ・ 小話

安倍さんが辞めた。たまたまテレビでしっかり見ました。
そして思った。(もちろん何の根拠も無くですが・・・)
オーストラリアで、ブッシュの手下か、ブッシュの影の力のメッセンジャーから言われた:「インド洋での給油活動を続けられないのなら、お前はもう要らん。切捨てだ!辞めるなり、首つるなり、勝手にしろ!」と。
それでなければ、安倍さんはあのタイミングでは絶対に辞めなかったはずだと思う。
何の根拠も無く、と言ったが、敢えて言えば、リーマンブラザースで働いていたときに身につけた動物的嗅覚からそう直感するのです。
 
 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ もう一つの終戦記念日-グアム島のリベレーションデー(解放記念日)

2008-03-14 22:52:43 | ★ グアム島日記

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

★ もう一つの終戦記念日-グアム島のリベレーションデー(解放記念日)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

グアム島は1300フィートの上空からでも全島が見渡せるちょうど淡路島ほどの小さな島だ。セスナの実機の操縦は、私の銀行マン時代のホピーだったラジコン飛行機の操縦よりはるかに楽だ。



7月半ば、思いがけず再びグアム島の教会から要請があって手伝いに行くことになった。帰国前日の7月21日は、日本軍に占領されていたグアム島が、激しい戦闘の末、アメリカ軍に解放された記念日だった。
高松の神学校の姉妹校、グアムの「レデンプトーリス・マーテル」国際神学院の副院長のイワン神父は、昼食のテーブルで「ジョン(と彼は私のことをそう呼ぶ)、君はその日はベッドの下に隠れて震えていることになるのかね」と、茶目っ気たっぷりの冗談を飛ばした。
朝からマリンドライブの広い道はパレードのために開放されていた。露払いはバイク野郎たちの大集団だった。この小さな島の何処に潜んでいたのか、ハーレーやカワサキやホンダの大型バイクが、耳を聾する大爆音とともに堂々と通り過ぎていった。







その後に続くのが、三軍や海兵隊の行進だった。






マリンドライブでは民族衣装の娘たちが軽やかに舞い踊り、



その頭上には、空の要塞「B52 戦略爆撃機」が悠然と舞っていた。



そして、その下を大型トレーラーに引かれたモダンな山車の列が延々と昼過ぎまで続く。よく見ると、日本企業のスポンサーのものが多かった。目を引いたのは、創価学会の一大デモンストレーションだった。テレビ中継のアナウンサーが、盛んに「ソカガッカイ」となまって連呼していた。



しかし、62年前、この島で大勢の日本の若者たちが散っていった。華やかなパレードと、陽気なチャモロの人々のお祭り騒ぎ、いたるところで振舞われるバーベキューの香ばしい香りと紫の煙の彼方から、ジャングルの草葉の陰に眠る数万の日本兵たちの啜り泣きが聞こえてくる。
残された資料を詳細に読む中で、飢えて錯乱し、日本人の民間人を殺して人肉を食べた兵士が、「次は自分が殺されて食べられる」と怯えて米軍に救いを求めた同胞の密告で米兵に捕らえられ、檻に入れられ、やがて処刑されていったという哀れな男の話が心に刺さった。
日本軍の部隊の上官が、特権にものを言わせてチャモロ(グアムの原住民)のグラマーな美人を囲って、可愛がった。部下の兵士は指を銜えて見てみぬふりをするほかはなかった。その女は自分の身内のためにいろいろと便宜を引き出していた。日本軍の旗色が悪くなると、彼女は同胞からのねたみと憎しみによる制裁を恐れて、自分の情夫に「同胞に不穏な動きあり」と嘘を吹き込んだ。そのため、たくさんのチャモロの若者が日本兵によって集団虐殺された。そして、解放後、その女は同胞のすさまじいリンチを受け、あちこち抉られた裸の死骸は逆さに吊るされて曝された、というような陰惨な話も記されていた。一旦戦争となったら、かつてのナチスも、日本兵も、今日のイラクの米兵もみな五十歩、百歩である。戦争はいけない。



ここにも一人尊い犠牲者がいる。私が奉仕したチャランパゴ教会の国道を挟んで真向かいの家の一人息子で、イラクの戦線で戦死した4人目のグアム出身のアメリカ兵(23歳)だ。



彼は結婚してまもなく出征した。そのあとには、若い未亡人と可愛い一人息子と悲嘆に暮れる母親が残された。かれは、写真で見た自分にそっくりの息子を腕に抱くこともなく帰らぬ人となった。遺族年金なんてたいした額ではない。私の一度目のグアム滞在の間、毎日のように私のミサの説教を聴いていた母親は、私が帰国する前日、ミサの後私を朝食に誘った。いろんなことを打ち明けてくれた。深く考えずに、軽い気持ちで息子の肩を押して戦場に送り出したことを後悔した母は、そのことで欝になり、精神科の医者の世話にもなった、と言うことだった。
日本に帰る日、彼女は自分の車で私を空港まで送ってくれた。
二度目の訪問のとき、彼女はサイパン出身兵士の葬式から戻ってきた。遺族たちの連帯の輪が広がり始めていた。彼女たちが反戦のために立ち上がること、声を上げることが期待される。若い美しい未亡人、しっかりした母親、いたいけない坊やのことを私は忘れることができない。



英雄の帰還



国道に面したガレージには、今も兵士の大きな写真が飾られている。「お帰りなさい兄弟」と書いてあるが、前回、屋上にうな垂れていた星条旗の半旗と彼を英雄としてたたえる大きな横断幕は、もうなかった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 世界青年大会

2008-03-10 21:07:28 | ★ グアム島日記

~~~~~~~~

★ 世界青年大会

~~~~~~~~

 



  また縁あってグアム島に来ています。前回(1-2月)より少し日差しが強く、シャワー風の通り雨がより多いように思いました。21日はグアムの開放記念日(日本軍占領からの)で、年に一度の大パレードがあると聞きました。カメラを持ってしっかり見に行こうと思っています。
 昨日は子供たちが国道4号線を行き交う車を教会の駐車場に呼び入れて、洗車のアルバイトをしていました。来年オーストラリアで開かれる、教皇ベネディクト16世主催の世界青年大会に参加するための資金稼ぎです。この小さな教会からも、30人ほどが参加の予定だそうです。みんな、アルバイトをしたり借金したりの自前の参加です。どこかの国のように、教会からお金を出してもらって数名の代表が行く官製参加ではありません。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ ロールシャッハテスト

2008-03-09 12:19:58 | ★ 野尻湖・国際村

2008-03-09 12:28:14

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ロールシャッハテスト -ちょっとおふざけー

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



これ何の写真だかお分かりですか?
何も写っていないって?
いいえ、写っていますとも!もう一度よーく瞳を凝らして見てください。
これは、私が昨日歩いた足跡です。夜中に降った軽い雪をかぶって少しボヤケてますが何とか形は残っています。右上から左下方向に歩いた私の四足が写っています。私は野尻湖ではウサギに変身しています。左利きです。一番右上が私の左手、その次が右手です。跳び箱を飛ぶ要領で先に前足を着きます。そしてひょいとばかりに跳んで後足がそろって、前足のついた場所より前に着地します。

次は、ロールシャッハテストです。
この写真何に見えますか?深く考えずに第一印象ですぐ答えてください。



とんがり帽子のピエロですって?
いい線行ってますね!あなたは想像力が豊かすぎますから、一度カウンセラーとご相談下さい。(笑)



この写真を90度回転すると、こうなります。野尻湖の冬景色です。

風の無い日、対岸の景色が湖面に逆さに映ります。



紅葉の頃もいいですが、私は冬のが一番好きです。

次は弁天島です。赤い鳥居が左端にちょっと見えます。



逆さ斑尾山



この足跡の動物、まだ確認できていません。

ウサギのほか、リス、いたち、てん、狸、狐などがこのあたりをうろうろしているそうです。



ついでにもう一枚。

 

《 終わり 》

コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 書評 〔グアム日本人会会報〕

2008-03-06 18:35:02 | ★ 私の一冊

~~~~~~~~~~~~~~~~

★ 書評 〔グアム日本人会会報〕

~~~~~~~~~~~~~~~~

 

カトリック神父 金融 バチカン 今年の1月と2月、グアム島の或る教会の司祭が一時留守をするということで、その留守番に出かけました。そして、最近、グアムの日本人会から会報が送られてきました。その中に、「ライブラリー発掘」と言うコラムがあって、私の本が紹介されていましたので、その書評を転載させていただきます。

         

「バンカー、そして神父」放蕩息子の帰還

         谷口幸紀著 (亜紀書房)

「人生はほんの小さな偶然で大きく方向が変わるものであるが、私はそれを単なる偶然とは考えていない。」(本文203ページより抜粋)これはマザー・テレサが日本で著者を面接することになっていたのに彼女の持病が悪化してこられなくなったことに対して書かれたものだ。日本人会会員のサンティアゴ神父と共に1月半ばに日本人会に訪ねられた著者は優しく人を惹きつける眼差しが印象的であった。香川県高松の教会から1ヶ月余りグアムの教会のお努めで訪問された際、自書のこの本を日本人会に寄付してくださった。人はそれぞれのドラマをもって生きている。以前は何々をしていたが現在はこれこれをしている、という話はよく聞く。実際私にもある。この本のタイトルのごとく、以前は金融界でウォールストリート(アメリカ)、ドイツ、ロンドンを駆け回っていた著者が、バチカン(ローマ)で神父に転職する過程を読みどころとしている。サンティアゴ神父によると別の職から転職して神父になるケースは少なからずあるという。しかし、この本の魅力は自分のドラマを綴る著者の洞察力とペンマンシップだと思う。バイクの事故から始まるこの本は読みやすくておもしろい。何か映像を見ているような錯覚に襲われるほど描写や表現がうまい。そして次はどうなるのか本をおきたくないのである。なんと純粋で自分に偽りなく生きてこられたかと感心していると、聖地エルサレムで「お泊り保育作戦」をやりだす茶目っ気ぶりも伺える。この本を読まれた或る会員の方は「宗教書によくありがちな、押し付けの言葉で浮き上がった現実味のない文章ではなく、作者自身、生身の人間が生の言葉で赤裸々に書いている。」と感想を述べている。ほんの小さな偶然で私も今はここグアムに住んでいる。それでもこれはきっと単なる偶然ではなく何かの導きがあったからであろう、と放蕩娘の私は思うのである。

                      編集委員 中尾 真弓

本のお求めは: 

        「バンカー、そして神父」(亜紀書房)ここをクリックしてください→ http://books.rakuten.co.jp/rb/4122150/

 



 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

★ 悪の根源」 について -「エゾ鹿」 と 「ウサギ」 の哲学的・神学的対話-その20

2008-03-02 07:10:14 | ★ 野尻湖・国際村

2008-03-02 07:10:14



   (これ、昨日1日にリリーズしたんですけど・・・、2月27日付けになってました・・・)
〔エゾ鹿〕 たしか、このシリーズの前回の最後は「天地万物をご自分のあふれる創造的愛で無から存在界に呼び出した神が、被造物に対して何が善いことで、何が悪いことかを・・・・」と言う言葉で終わっていたと思う。
 その終わり方が「・・・・」だったのは、時間切れで筆が止まったとか言うような、そんな簡単な理由ではなかった。それは、実に悩ましい「・・・・」で、容易に話を先に進めることを許さない、大きな壁のようなものと言ったらいいだろうか。
 そして、さんざん考えた末、残念ながらその壁はキリスト教的な神の概念を持ち出さないと越えられそうに無いように思えてきたということさ。
〔ウサギ〕 ちょっと待ったー!それって、インチキじゃないですか?だって、そもそもエゾ鹿さんは、この「悪の根源談義」を、出来る限り普通の言葉で、つまり、あなたが国際金融マンをやっていて、まだ教会の門をくぐる前の時代の言語を使って、あの頃あなたのまわりにいた普通の人たち、つまり神など信じないエリートビジネスマンたちにも分かる言語で説明し切りたいという、かなり思い上がった野心から始めたはずではなかったですか?
〔エゾ鹿〕 参ったな!それはそうだよ!全く痛いところを衝いてきますね、ウサギさんは!
確かに、キリスト教の神を受け入れ、主観的には神を信じていると思い込んでいる人たちの世界でしか通用しない「身内の話」に堕してしまっては失敗だ、と言う想いは捨て切れない。だからこそ悩んでいるんですよ、私は!
 しかし、長考一番、ここは強い挫折感と、いささかの諦めとともに、一つの結論を受け入れなければ、次の一歩を進めることは、どうも難しそうな気がしています。「悪の根源」の探求には、キリスト教的な「神」概念を導入しなければ、どうあがいてもうまく行かないだろう、と言う展望です。
〔ウサギ〕 つまり、言い換えれば、神を認めないエリートサラリーマンの語彙と思考回路だけでは、悪の問題に納得の行く究極的回答にたどり着くことは、恐らく不可能であろうと言いたいのですね!?
〔エゾ鹿〕 その通り、神との関連を考えに入れないままで、悪の考察を行き着くところまで突き詰めるのは、極めて危険な冒険でもあるだろう、という予感がするのです。適当なところで不可知論的に問題をはぐらかすこと無く、どこまでも追求しようとすれば、最後には「人生不可解なり」といって自殺を選ぶか、悪くすると、発狂して精神病院に入ることにもなりかねない、極めて危険な企てなのかもしれませんね。
〔ウサギ〕 そんな恐いことなら、さっさと止めにしましょうよ。もともとこんな話、誰も興味を持って読んでなんかいないんじゃないですか?
〔エゾ鹿〕 いや、せっかくここまで来てそれは無いだろう。とにかく、ここでちょっとジャンプして、善とは神の命令に従うこと、悪とはそれに従わないこと(不従順)と強引に定義して、そこから話を先へ進めることにしたいと思う。この定義を引き出す根拠は、旧約聖書にも新約聖書にも色々あるが、今はそれらを個別に検証するのは、ひとまず省略するとして・・・。
〔ウサギ〕 ところで、従順って何ですか?
〔エゾ鹿〕 えっ、そんな初歩的なこと訊くの?参ったなー!えーと、それはですね、それは先ず、人格的主体の行為だということから入ろうかな?!
〔ウサギ〕 人格的主体って?
〔エゾ鹿〕 それも説明しなければいけないの?それは、ラテン語でペルソナ(もともとはギリシャ悲劇の仮面のこと)とも言うが、理性と自由意志を備えた生き物の固体のこと。身近には自分と他の個々の人間のことさ。もちろん、天使も、悪魔も、実は神もその仲間に入るのだけどね。
〔ウサギ〕 ウサギや鹿などの動物は?
〔エゾ鹿〕 君と僕は擬人化されているから別として、自然界の動物はそのカテゴリーには属さないね。
具体的な行為に際して、自分がしようとしていることを理性で把握し、その上で自由意志を用いて選択することが問題になるが、動物は本能に従ってしか行動しないから対象外だね。
〔ウサギ〕 そうか!つまり、シカさんが言いたいのは、人格的主体が、良心の声を通して神様が人間に命じること、または、禁じること、を理性で正しく認識し、認識したことに自由意志をもって選択し、それに従うことを「善」と言い、従わないことを「悪」と言うことですね?!
〔エゾ鹿〕 いやー!ウサギさん今日は実に冴えてますね。いつもそうだといいんですがねぇ。
〔ウサギ〕 私はいつも冴えてますよ!今回、タブーのキリスト教言語を持ち込んだことで、話は一気に進んだけれど、問題は、神を認めない人がそれで納得するか、ですがね。あーあ、ちょっと疲れたな。今日はもうこの辺で店仕舞いにしませんか?(つづく)

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする