霧の中の悪魔

「霧の中の悪魔」(リアン=ガーフィールド/著 飯島淳秀(よしひで)/訳 講談社 1971)

さし絵は、桑名起代至(きよし)。
ペン画のさし絵が、雰囲気があり素晴らしい。
装丁は、安野光雅。

――夏休みだから児童文学を読もう。
そう思って、まだ読んでいなかったこの本を読んでみた。
もう夏休みは終わりつつあるけれど。

本書は、英国の児童文学。
第1回ガーディアン賞受賞作。
話の筋立ては、ディケンズ風といったらいいだろうか。
突然、貴族の子どもだということになった少年の物語だ。

舞台は18世紀のイギリス。
主人公は、14歳のジョージ=トリート。

トリート一家は旅芸人。
大きなほろ馬車に乗り、町から町へ旅をする。

父は、トマス=トリート。
なかなかの発明家で、自分でいろいろな見世物をつくりだす。
子どもは、ジョージを筆頭に7人。
エドワード、ジェーン、ヘンリー、ネル、ホットスパー。
母親は、7年前に亡くなった。

トリート一座には、毎年6月と11月の3日、夜になると〈へんな人〉が訪れる。
場所はいつも、ライかサンウィッチ。
〈へんな人〉が訪れる時分になると、いつも陽気で威厳のあるトマス=トリートは、落ち着きを失う。
そして、みじめな様子で、あらわれた〈へんな人〉から金を受けとる。

ある、11月3日のこと。
宿屋で、化学実験のような〈ルシファーのけむり〉の見世物を披露していた一座のもとに、また〈へんな人〉があらわれる。
〈へんな人〉はいつもとちがい、こういい残して去る。

「もう、これっきりきませんぞ、トマス=トリートさん。わしのかしらの命令でな。――もう2度ときませんぞ」

それを聞いたトリート氏は、すっかり打ちのめされた様子に。
その夜遅く、父の様子をうかがいにきたジョージに、トリート氏はこう告げる。

「おまえはわたしのむすこじゃないんだ。おまえはえらい貴族の子なんだよ……」

ジョージは、じつは13年前に〈へんな人〉から預かった赤子だった。
ほんとうの父は、ジョン=デクスター卿というのだ。

一体なぜ、ジョージは13年前にトリート氏に預けられることになったのか。
またなぜ、いまになってデクスター卿のもとにもどることになったのか。
なんにもわからないまま、ジョージはサセックス州にある、いつも霧がたちこめているデクスター卿の屋敷に連れていかれ、そこでで暮らすことに――。

本書はジョージによる、〈ぼく〉の1人称。
訳は、どこがどうというわけではないけれど、すっかり古くなっている。
冒頭、〈へんな人〉について説明するジョージのことばはこんな風だ。

《「へんな人」は、いつも六月と十一月の三日に――ライかサンウィッチ(以前はファバシャムの町だったのが、ここに変わったんだ。)の町にやってくる。――きまって、こんなみょうなときにあらわれるんだ。……もっとも、そいつにはまったく、ま夏より、霧とじめじめした空気のほうが似あっていたな。といっても、そいつを、明るい日の光の中で見たことがあるってわけじゃないよ。そいつがあらわれるのは、いつも暗くなってからなんだ。》

語りかけるような語尾がいけないのだろうか。
14歳の少年が語る感じをだしたかったのだろうけれど、それが寿命を縮めることになってしまったのかもしれない。
ひょっとしたら、少女の1人称よりも、少年の1人称のほうが早く古びるのかも。

でも、ストーリーはサスペンスに満ちている。
ジョージがジョン=デクスター卿のお屋敷に着いてみると、ジョン卿は重傷を負い、ベッドに伏せっていた。
なぜ重傷を負ったかといえば、決闘をしたため。
しかも、相手は弟のリチャード大尉。

2人は相続のことで、決闘をするまでに仲がこじれてしまっている。
当時の英国は「限定相続」というものがあった。
ジョン卿には子どもがいないため、死ねば遺産はすべてリチャード大尉が受け継ぐ。
だから、ジョージがさらわれたのは、リチャード大尉がおこなった疑いがある。
それに、リチャード大尉は身持ちが悪い。
貴族にふさわしいとはいえない女と結婚し、次つぎと男の子をもうけた。

決闘のあと、リチャード大尉は逮捕され、ニューゲート監獄に入れられた。
ところが、リチャード大尉が脱獄したとの知らせが、デクスター家にもたらされる。

いろいろあって、屋敷の近所にあるシラカバの林のなかに身を隠しているリチャード大尉と、ジョージは対面。
すると思いがけなく、ジョージはリチャード大尉から、ジョン卿との仲直りを仲介してくれと頼まれる。

それから、トリート氏がジョージのもとを訪れてくる。
訪問の理由は、金の無心のため。
ジョージをデクスター家に返したことで受けとった1000ポンドは、ロンドンの公演のさい、劇場を丸焼けにしてしまったことでつかいつくしてしまった。
そう、トリート氏はいう。
――ひょっとすると、育ての親であるトリート氏も信用ならないひとなのだろうか?
ジョージは疑いの念にとらわれる。

ジョージは、デクスター家のひとたちに気に入られようと、けなげな努力をする。
ご近所のラムボールド家を訪問したさい、一座で身に着けた芝居を演じてみせる。
しかし、これは逆効果。
母親のデクスター夫人からひんしゅくを買ってしまう――。

すべてが霧のなかのようで、かつ遺産相続の話とくれば、これはでディケンズの「荒涼館」を思い出させる。
それに、庶民の子が突然紳士になるという筋立ては、「大いなる遺産」のようだ。

本書は、どう転ぶかわからないストーリーと、思わせぶりな雰囲気で、よく読ませる。
主人公のジョージは終始受け身。
そのことが、よりサスペンスを生んでいる。

でも、ラストは児童文学らしく、明快な結末がつけられる。
ここで、ジョージは大きな裏切りと直面することに。
この、〈裏切り〉というものも、児童文学でひとつのジャンルをなしているテーマだろう。



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