メディチ・マネー

「メディチ・マネー」(ティム・パークス 白水社 2007)

訳は北代美和子。
副題は「ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス」。

メディチ家が銀行業で産をなしたというのは、知識としては知っていたけれど、具体的にどうもうけたのかは知らなかった。
それを教えてくれたのが本書。
簡潔な、ほとんど箇条書きをつなげたような文章で、100年弱のメディチ銀行の歴史をしるしている。

こういう、ぶっきらぼうな文章は好きなのだけれど、あらかじめこの時代の知識がない者にとっては、ちょっときつかった。

さて、メディチ銀行はどうやって巨万の富を得たのか。
そもそも、当時、教会は利子というものを認めていなかったという。

「1179年、ラテラノ公会議は高利貸がキリスト教徒として埋葬されるのを拒絶した」

「1478年、ピアチェンツァで高利貸が教会の敷地内に埋葬されたあとに滝のような雨が降ったとき、町民は遺骸を掘り起こし、それを掲げて通りをねり歩き、絞首刑のまねごとをしたあと、ポー川に沈めた」

こういう逸話が、読んでいて面白いところ。
で、利子でないなら、いったいなにでもうけたのか?
「為替(カンピオ)取引の技法(アルテ)」だという。

たとえば、ここに1000フィオリーニ必要としている男がいたとしよう。
利息を要求できないのだから、銀行はこの男に金を渡すいわれはない。
そこで男は為替取引を提案。

男は銀行に対し1枚の為替手形(カンビアーレ)を振り出す。
内容は、つねの例のとおり、ロンドンにおいてポンド・スターリング銀貨で返済するというもの。

男は、ロンドンにいる代理人を通じて、スターリング銀貨で銀行のコルレス(外国への送金や為替取引、業務代行契約を結んだ銀行)先に支払う。
あるいは、銀行の事務員が男の代理人のところに請求にいく。

ところで、両替商組合は、ある金融中心地から別の中心地への全行程に要する最長期間を想定していた。
フィレンツェからロンドンまでは90日。
為替が「つねの例のとおり」というのはこのこと。

そして、為替レートは、手形ブローカーが日曜祭日をのぞく毎日、屋外で商人や銀行家と会合をもって決定した。
だれかの建物内で会合をもつことは、その人物の支配権を認めることになるので許されない。

現在のレートは1フィオリーノ、40イングランド・ペンス。
男は、3ヵ月後に支払うようロンドンの代理店に指示。
銀行のコルレス先は4万ペンスを集金する。

さらにここがミソなのだけれど、銀行はロンドンで同額の貸付を希望する現地の客をみつけるよう指示をだす。

その客――イタリアに運ぶことで高値で売却できることを見込み、コッツウォルズで羊毛を購入するのかもしれないその客――は、3ヵ月後フィレンツェにおいてフィオリーノで返済することを申し出る。

こうして新たな為替手形がもう1枚書かれる。
ポンドの価値が高いので、レートは1フィオリーノ、36ペンス。

3ヶ月後、すべてが計画通りにいけば、銀行は4万÷36=1111フィオリーニを集金する。
6ヶ月間で、最初の貸付銀行は、11パーセントの利益を上げる。
年利にすれば22パーセント。

メディチ銀行はこの種の取引を何百件となくおこなったという。

……と、まあ、「為替取引の技法」を要約してみた。
でも、正直なところ計算に弱い身にはさっぱりだ。
金持ちになるひとはやることがちがうなあと感心するばかり。

ところで当然、この「為替取引の技法」もけっきょく高利貸しなのではという疑問が浮かぶ。
しかし、通貨レートが激変すれば、損失が生じる可能性もあることから、神学者たちは高利貸しではないと決定。

ただし、同一人物が2枚の手形を振り出す「空手形」は邪悪な振る舞いに。
「空手形」も、通貨レートに対するリスクはあるのだけれど、これを認めると客が望んでいるものは貸付であり、為替取引でないことが明らかになってしまう。
著者いわく、「動機は重要だ」。

とはいうものの、1435年、コジモ・デ・メディチがフィレンツェの政界で支配的地位についたさい、このような為替取引を禁じる法律はすみやかに廃止されたという。

私見では、この本のいちばんの見どころは銀行と教会との関係。

教会はいまの目でみると偽善のかたまりのようで、世俗世界と非常な緊張関係にあった。
そして銀行家は、キリスト教への帰依と世俗の名声という、相対立する欲求を解決する必要にせまられていた。

そのもっとも効果的な解決方法が、芸術と建築。
矛盾がルネサンスを生み、人文主義を生んだということらしい。

「美と真実という道徳的価値を、だが教会の教えとは独立してもてる世俗のスペースという考えかた。空手形で取引しながら「正直」であることを目指す銀行家がこのような考えかたを熱望しないはずがない」

「それは、こんにちわれわれが生きているスペースだ」

…もっとこの時代のことに詳しければ、この本をより楽しめたのになあと思うと、われながら残念。

訳者の北代美和子さんは、あとがきで与党に対する大手銀行の政治献金について触れている。
この15世紀のフィレンツェの物語を、一気に現代日本と結びつけ、読む気をそそらせる素晴らしい訳者あとがきだ。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
ありがとう (探していた者)
2008-09-02 05:06:51
必要な情報が見つかりました。
どうもありがとうございます。
 
 
 
よかったです (タナカ)
2008-09-02 15:48:14
よかったです。
ただ、できればこの本を直接読んでください。
要約があってるかどうか、自信がありません…。
 
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