マクナイーマ

「マクナイーマ」(マリオ・ヂ・アンドラーヂ/著 松籟社 2013)
訳は、福嶋伸洋。
副題は、「つかみどころのない英雄」
「創造するラテンアメリカ」シリーズの3巻目。

現在、ブラジルで開催されているワールドカップの真最中。
日本は惜しくもグループリーグ敗退。
決勝トーナメントには出場できなかった。
残念だ。

まあ、それはともかく。
ことし、ワールドカップの開催地がブラジルだったと知ったとき、まず思ったのは、
――そういえば、ブラジルの小説は読んだことがないな。
ということだった。

ラテンアメリカ諸国の小説なら、ことしの4月に亡くなったガルシア=マルケスを筆頭に、大いに紹介されたはずだ。
でも、ブラジル小説が紹介されたとは聞かない。
たとえば、「ラテンアメリカ十大小説」(木村榮一/著 岩波書店 2011)という本をみても、ブラジルは巨大な空白のままだ。
一体これはなんだろうと思ったけれど、答えはすぐわかった。
ブラジルは、ポルトガル語をつかうのだ。

つまり、ラテンアメリカ小説ブームというのは、ラテンアメリカのスペイン語圏で書かれた小説を対象としたブームだったのだ。
同じラテンアメリカといえども、ポルトガル語で書かれたブラジルの小説は対象外だった。

そんなことをぼんやり考えて古本屋にいったら、ブラジル産の小説が置いてあるのをみつけた。
ブラジル小説は、だれも紹介していないわけではなかった。
そして買って読んだのが、本書「マクナイーマ」

ブラジル小説を読むのははじめてなので、作者の経歴や作品の成り立ちについては、全面的に本書の記載に寄りかかりたい。

解説によれば、原初の刊行は1928年。
作者マリオ・ヂ・アンドラーヂについては、後ろのカバー袖に書かれた文章を引用しよう。

《マリオ・ヂ・アンドラーヂ
 1893-1945
 
1893年10月9日、サンパウロに生まれる。
ブラジル芸術を一新した〈近代芸術(モデルニズモ)〉の立役者のひとり。
ヨーロッパの前衛主義に強く影響され、詩集「どの詩篇のなかにもひとしずくの血が」を1917年に刊行。
また、ブラジルの“土着のもの”に対して関心を寄せつづけ、その成果は詩集「シャブチ亀の一族(1927)や、本書「マクナイーマ」(1928)に結実した。
詩集、音楽論、文学論など多岐に渡る著作のなかで、散文による創作は少ないながらも、彼の創造した「ラブレー的」主人公マクナイーマは広く「ブラジル人の象徴」と受け入れられている。
1945年死去》

作者、マリオ・ヂ・アンドラーヂは、この小説の主人公像を、ドイツの探検家コッホ=グリュンベルグがブラジルのアマゾンとベネズエラのオノリコ川流域とをめぐって著した長大な旅行記、「ロライーマからオリノコ川へ」(1917)に書きとどめられたインディオの民話からとったという。
ちなみに。キューバの作家アレホ・カルペンティエルの「失われた足跡」も、同じ本に着想を得ているとのこと。

ほかにも、この小説には、たくさんの民話やインディオの単語がつかわれているという。
というわけで、本書は3人称のですます調で書かれた、口承的かつ民話的な小説。
物語は、主人公マクナイーマが生まれたところからはじまり、死んだこところで終わる。
では、ストーリーをざっとみていこう。

ブラジル人の英雄マクナイーマは、ジャングルの奥、インディオのタパニューマ族の子どもとして生まれる。
口ぐせは、「あぁ! めんどくさ!……」
マアナペ兄さんとジケー兄さんという2人の兄がいる。
6歳まで口をきかなかったが、ガラガラのなかに水を入れてやると、みんなと同じく話すように。

子どものころから女好き。
ジケー兄さんの妻、まだ年若い娘のソファラーに、森のなかの丘が崩れた場所に連れていってもらうと、マクナイーマは美しい王子様に変身する。
そこで2人はじゃれつきあう。
その後、この小説には、「じゃれあう」ということばが頻出するように。
2人の仲はすぐジケー兄さんにばれる。
そのときの描写はこう。

「とんだおろか者のジケーは怒りました。アルマジロのしっぽの形のムチをつかんで、英雄のおしりを思う存分ぶちました。マクナイーマの泣き叫ぶ声があまりにも大きかったので、長い夜は短くなり、びっくりした鳥たちは地面に落ちて石になってしまいました」

第2章では、ジケー兄さんは新しい妻イリキを得る。
マクナイーマはいたずらを母さんに怒られ、野原に置いてけぼりにされる。
その後、森の守り神クルピーラをうまく出し抜いたり、木芋(マンヂオッカ)を粉にしているおばあさんと出会ったりする。
魔法の汁をかぶったために、汁のかかったからだは大人、頭部は子どものままとなる。
それから、こんどはイリキと仲良くなる。
さらに、シカとまちがえて母さんを射殺してしまう。

第3章.
マクナイーマとマアナぺ兄さん、ジケー兄さん、それにイリキは世界へと旅立つ。
そこで、マクナイーマは森の母神さまシーに出会う。
シーは月の鏡湖(エスペーリョ・ダ・ルーマ)の岸辺に女たちだけで暮らしているアマゾン族の娘。
マクナイーマは、ひとりではシーにかなわないので、兄さんたちの力を借りてシーを組み伏せる。

おかげで、マクナイーマは森の皇帝に。
シーは男の子を生み、マクナイーマは息子に、「息子よ、さっさと大きくなってサンパウロに金をたくさん稼ぎにいくんだぞ」などというのだが、息子はすぐ亡くなってしまう。

妻のつとめを終えたシーは、首飾りから名高いお守り(ムイラキタン)を外してマクナイーマに贈ると、木のつるをつたって空にのぼり、お星さまになる。
それが、ケンタウルス座のベータ星。

第4章.
マクナイーマは、下唇に穴を開けてムイラキタンを唇飾り(テンペター)にする。
マクナイーマと2人の兄はふたたび旅へ。
シーへの恋しさ(サウダーデ)をつのらせて苦しむマクナイーマを兄たちはなぐさめる。

あるとき、マクナイーマたちは滝にある石の打ち明け話を聞く。
滝の石は、もとはナイピという名前の娘だった。
カペイという蛇女の生贄になるところを、チサテーという若者と一緒に逃げだした。
が、カペイにみつかり、滝の石に姿を変えられてしまった。

マクナイーマは、突然あらわれたカペイとたたかう。
そのさい、カペイはあやまって自分で自分の頭を切り落としてしまう。
頭はマクナイーマを追いかける。
頭がマクナイーマを追いかけるのは、マクナイーマのしもべになったためだったが、マクナイーマにそれはわからない。
怖くて相手にしないでいると、カペイの頭は悲しみ、オオツチグモの助けを借りて空に昇りお月さまになる。

ところで、カペイとの騒動のとき、マクナイーマは唇飾りにしていたムイラキタンを失くしてしまった。
マクナイーマを不憫に思った牧童の黒んぼ神さま(ネグリーニョ・ド・パストレイロ)は、ウイラプルー鳥をつかわし、ウイラプルー鳥はマクナイーマにこんな話をする。

ムイラキタンは川カメに飲みこまれ、漁師はカメをつかまえて、その緑の石はヴェンセスラウ・ピエトロ・ピエトラというペルーの商人に売られ、お守りを手に入れた商人は、大農場主となり、サンパウロでお金持ちになった――。

そこで、マクナイーマはムイラキタンをとり返すためにサンパウロにゆくことに。

とまあ。
紹介はこれくらいでいいだろうか。
本書は全部で17章と終章がひとつあるから、ここで全体の4分の1くらいだ。

この作品は民話的文体で書かれている。
因果関係があるんだかないんだかよくわからないものごとが、ものすごいスピードで次つぎと語られていく。
固有名詞が豊富でどんどん列挙していき、登場人物たちはあらわれては去る。
そうして語られる物語は、神話や民話、由来譚や滑稽譚で織られたタペストリーのよう。
だから、上記の要約は相当にはしょった。
すべて紹介するには、全部読むほかない。

主人公のマクナイーマは、女好きで、怠け者で、甘えん坊。
根気もなければ根性もない。
神話的ろくでなし。
蛇女カペイとのたたかいも、まったくもって格好いいとはいいがたい。
副題の「つかみどころのない英雄」は、ずいぶんマクナイーマに優しい表現だ。
この主人公を「ブラジル人の象徴」と認めるなんて、ブラジルのひとは心が広い。

このあとも、物語は饒舌に語られる。
サンパウロはジャングルとちがってお金がつかわれている。
でも、マクナイーマはお金をもっていない。
「英雄である自分がはたらかなくてはならないなんて」
と、すぐに自分が皇帝である森へ帰ろうとするが、マアナぺ兄さんが金策をしてくれたので思いとどまる。

ところで、ムイラキタンを手に入れたペルーの商人、ヴェンセスラウ・ピエトロ・ピエトラは、じつは人食い巨人ピアイマンのことだった。
マクナイーマは、マアナぺ兄さんとともにこの巨人とたたかう。
このとき、マクナイーマはうっかりミスで死んでしまうのだが、マアナぺ兄さんのおかげで生き返る。
(物語の後半、マクナイーマはまたしても本人の過失により死んでしまう。そして、このときもマアナぺ兄さんの尽力により生き返る)

死んでも生き返る登場人物たちは、しばしば思いついたように変身する。
マクナイーマはアリに変身するし、ジゲー兄さんは電話機に変身する。
マクナイーマは電話機になったジケー兄さんをつかい、キャバレーに電話。
ロブスターとおフランス娘を注文する。
また、巨人ピアイマンに殺されて生き返ったあとは、巨人に電話をかけて、巨人のお母さんの悪口をいってやる。

紹介してきたように、この小説はファルスじみている。
語り口も、語られる物語も大変シュール。
シュールというのは、つまりリアリティのレベルが一定ではないということだ。
読者に対し、この小説が抵抗をおぼえさせるとすれば、それはこの点だろう。
リアリティのレベルが一定でない作品を読むのは、なかなか辛い。
でも、この語り口が、ジャングルとサンパウロ、株式市場とバクの足跡をごっちゃに語ることを可能にしている。
――かけはなれたものごとを一度に語らざるを得ない。
このあたりが、ブラジル風なのかもしれない。

それにしても。
この語り口で短編を書くというのならわかるけれど、この作品は長編なのだ。
その力技には恐れ入る。

マクナイーマはろくでなしだけれど、憎めない。
なにしろ、なんにも考えない。
反省しないし、悩まない。
その場の感情にのみしたがって、軽やかに行動する。
その姿はいっそすがすがしい。

小説の後半、そんなマクナイーマは病気がちになる。
最後は天涯孤独になる。
読んでいて、なんだかさみしくなったものだった。


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