チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

物は置き場所、人には居場所(その12)

2016-10-29 20:07:07 | 哲学

 物は置き場所、人には居場所(その12)   日常をデザインする哲学庵  庵主 五十嵐玲二

 11. 森をつくる営みが農業である (アマゾンの日系人移住地トメアスで生れたアグロフォレストリー)

 今回紹介しますのは、ブラジルアマゾン川の河口の都市ベレンから南へ230kmの日系移住地トメアスに入植した坂口陞(のぼる)(1933~2007)のアグリフォレストリー実践の記録です。

 この農業のお話は、単に日系移民の話にとどまらず、地球の肺であるアマゾンの熱帯雨林と農業の共存の可能性を探る物語でもあります。

 これまでの近代農業は、森の木を切り尽して、そこに残った土壌に単一作物を、化学肥料と農薬、農業機械を活用して、大規模に栽培されてきました。作物の収量は得られますが、それを支える土壌と地下水脈は、少しづつ消耗していきます。

 これを自然の理にかなった、「森を作りながら、農業を営む」、すなわち、熱帯雨林と農業の共存への道を開くお話です。(本文はjapan-Brazil Network News Letter 1998年4月 原後雄太より)


 『 「森を保護しようというより、これまでアマゾンで何とか生き抜いていこうとしていたら、結果的に森を育てることになったんです」

 海外林業コンサルタント協会の招きで来日し、実に36年ぶりに日本の冬を経験したというトメアス農村振興協会の新井範明会長は、アマゾンでの営農をみずから振り返ってそう語った。

 アマゾン川の河口に位置するベレン市。そこから230キロ南下したところに、アマゾンで最大の日系移住地トメアスがある。1929年から移住が始まり、1942年までに352家族、2104名が地球の裏側にある広大な密林に入植した。

 カカオ栽培と米作を基本に入植したものの、カカオは全滅。陸路はなく、船で10時間かけてベレン市まで野菜を出荷することになった。

 少し落ち着いたころに、悪性のマラリアが現地を襲い、治療もできないままに多数の移住者の命が奪われた。入植者の8割にあたる276家族が脱耕してトメアスを去った。

 1933年、移住者のひとりだった臼井牧之助氏の手でシンガポールからコショウの苗20本が海を渡った。そのうちわずか2本だけが生き残り、トメアスに持ち込まれると、空前のコショウ景気に沸くことになった。

 ジュート(麻)と並ぶ日系人によるアマゾンの二大産業として成長を遂げ、トメアスは世界有数のコショウ産地に変貌したのである。ところがコショウブームも60年代後半になると陰りが生じる。

 水害と土壌菌による病害の蔓延で74年までにコショウ畑は全滅してしまった。マラリア以来の悪夢の再来とばかりに、半数以上の入植者がふたたびトメアスを後にした。

 なぜそんな悪夢がふたたび訪れたのだろうか。熱帯林は種の多様性こそが命だ。そして遺伝子の多様性は、自然条件の変化に備えて種を存続させる自然の知恵である

 それなのに、「黒いダイヤ」(コショウ)だけをできるだけ作り出そうと、森林をすべて焼き払い、表土をツルツルにした。化学肥料をまいて、わずか2本の苗木から何百万本もの「クローン」を仕立てた。

 生産性は上がったように見えたが、「ひとたび一人が風邪をひいたらみんな風邪をひいてしまう」のは自然の理だった。(坂口陞さんはそう考えた) 』


 『 「水害や病害は自然の摂理に反したことのしっぺ返しだったのではないか」。トメアスに残った人々は、再建計画をつくるなかでそう考えるようになった。

 「それでは、これまでの逆をやってみよう」。野菜のほかに、メロンやスイカを植えて地表をできるかぎり覆う。柑橘類のほか、アセロラ、クプアスといった樹木性の果樹を植える。

 コショウの枯れた畑には日陰をつくるために木を植え、その間にカカオを植えた。カカオの大きな葉は落葉して降り積もり豊かな腐葉土をつくる。そこに木を植えると何を植えても驚くほどよく育った。

 カカオ、ゴム、コーヒーといった主要な樹木作物に、クプアスやグラビオラ、アセロラ、マンゴスチンといった果樹を植え込む。

 さらにブラジルナッツや薬用となるアンジローバ、家具材となるフレジョ、マホガニー、セドロなどの価値ある樹種を植えていった。

 東アマゾンの森も、いまではトメアスだけで40を超える製材所がひしめき、森林が急速に消えている。ところが日系移住地に入ると急に森が深くなる。古くは1930年代にブラジルナッツをうえ、60年代にゴムをうえ、70年代から本格的に植林をしているためだ。

 「コショウの病気は人害です」そう言い切るのは、樹木作物を熱心にうったえるトメアスにおける農業の先駆者で、その指導的な立場にある坂口陞さんだ。

 76年から森を切って焼くことをやめた。それと同時にコショウとも縁を切った。「自分の生より長く生きる作物を植える。それをつくって死ぬのが生だ。枯れるようなものを植えるのは百姓ではない」というのが坂口さんの持論だ。

 森を切り開くのではなく、森をつくる営みのなかで生かされるのが農業である、と考えるのだ。そうしたアプローチはこれまでの農業観をくつがえすものだ。

 森と対峙するのではなく、森を模倣して森を復元することで生かされる生業としての農業——。それをトメアスの人たちは”森林農業”と呼んでいる。

 くしくもそれは、かってアマゾンの地で行われてきたカヤポ人らの先住民の農法を模倣したものである。トメアスにはほっとする温かさがある。

 それは山村を荒廃させ、あるいは放棄して発展させてきた日本の産業社会の、さらに先にある大事なことに気づいているからではないか。

 森林という自然環境のなかで生かされる森林共存型の文明を築こうとしている。それは、アマゾンという濃密な自然のなかで生き抜こうとして行き着いた人類共有の知恵であるようにも感じられる。

 焼かずにむしろ木を植える農業——。トメアスの混作農業はかねてから世界の研究者に注目されてきた。そんな農業がアマゾンでももっと広まってほしい。 』


 『 「父は当時、『自然を見て学びなさい』としょっちゅう口にしていた」。坂口さんの次男で、現在、トメアス総合農業協同組合(CAMTA)の理事長を務めるフランシスコ・渉・坂口さんは振り返る。

 父はこうも言っていた。「土地を守るために、木の葉っぱで傘をつくれ」。森が育って、木の葉っぱで「傘」ができると、木が葉っぱを落として、そこに微生物が付いて、土壌になる。

 さらに、いろいろなフルーツの殻を堆肥にする。表土が流れやすいアマゾンの貧しい土壌を改良していく仕組みだ。CAMTAはいま、アグリフォレストリー農法で栽培したアサイーなどの熱帯フルーツの実をすりつぶし、ペースト状にした冷凍パックを出荷している。

 年間の出荷量は年々増え、パルプ(果汁ペースト)4千トン、原料で8千トン(うち半数がアサイー)にも達する。アイサ―の実は植物繊維やカルシウムが豊富なほか、ポリフェノールはブルーベリーの約18倍とも言われる。

 鉄分はレバーの3倍だ。90年代、テレビ番組をきっかけにブラジル人の間で人気が出て、その後、米国や日本でも愛飲者が増えている。 』 (第12回)


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