チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

人はどのように形成されるのか

2016-05-28 14:42:44 | 選択

 多元的全体食のすすめ(十)    食べ物研究家  五十嵐玲二談

 10. 人はどのように形成されるのか

 「その人を知るには、彼の書斎の本棚をみれば、人となりがわかる」

 これは、その人が読んできた本によって、人間が形成されると言ってます。人は名著によって、感動を受け、触発されてわずかではありますが、前進します。しかし長い人生に於いては、目に見える差を生ずるのかもしれません。

 本は、時間と空間を越えて、その著者が描く世界に導かれて、会話をすることを可能にします。私たちは、自分がまったく知らない科学技術の分野についても、書籍を通して分け入ることも可能です。


 「その人の友人をみれば、その人がわかる」

 友人は、少なくて良いのですが、「類は友を呼ぶ」と言いますが、友人の影響は少なからず受けるものです。理想としては、お互いに高め合う関係で、敬意を払い合うなかでありたいものです。でも友人でも、伴侶でもなかなかに難しいもので、それでいてある距離感も必要な気がします。


 「あなたの病気も健康も日々の食事の積み重ねの結果である」(水野南北)

 水野南北は、大阪阿波座に生まれたが、幼くして両親を亡くし鍛冶屋をしていた叔父夫婦に育てられる。子供の頃より盗み酒を覚え、酒代に窮して叔父の稼ぎ集めた虎の子を持ち逃げし、天満で酒と博打と喧嘩に明け暮れ、家業の鍛冶職錠前造りから「鍵屋熊太」と呼ばれる無頼の徒となった。

 刃傷沙汰を繰り返し、十八歳頃、酒代欲しさに悪事をはたらき、天満の牢屋に入れられる。牢内で人相と人の運命に相関関係があることに気づき観想に感心を持つようになる。

 出牢後、人相見から顔に死相が出ていると言われ、運命転換のため、慈雲山端竜寺に出家を願い出たところ、「半年間、麦と大豆だけの食事が続けられたら弟子にする」といわれ、堂島川で川仲仕をしながら言われた通り麦と大豆だけの食事を続けたところ、顔から死相消えたばかりでなく、運勢が改善してしまった。

 こうした体験から観相学に興味を持ち、髪結い床の小僧を三年勤め頭の相を研究し、湯屋の三助を三年間で体の研究をし、火葬場のを三年やり、死者の骨相を研究した。(Wikipediaより)

 さらには、神道、儒教、仏教を研究し、観相学によって人相を占ってきたが、ただ人相のみで判断すると、お金ができ出世し長生きする相の人が、貧乏で若死にしたりで中々当たらぬことが多く残念に思っていた。

 『 処が或る日、ふと食物が大事ではと気付き、人の運・不運寿命は、みな食べ物、飲み物を慎むか、慎まないかによって決まるのではあるまいかと試してみた。

 それから、人を占うのに先ずその人の飲食の様子を聞いて、そして人相を観たところ当たるようになった。人間の一生の吉凶はみな只その人の飲食による。

 命のある間はどんな人にも運がある。朝早くから起きて毎日の仕事に精を出しその上に飲食を慎んで怠らなければ、自然に天理にかなって、運は段々開けてくる。これを開運という。 』  このように水野南北は述べてます。


 人間が、食物によって生きていることは間違いなく、とくに母親の食事は大切です。環境ホルモンに関するもの、PCB、ダイオキシン、有機スズ、枯葉剤などは、妊娠中や母乳から子供の体内にも蓄積します。母親の妊娠中の喫煙、過度のアルコールについても、充分な配慮が必要です。

 食物をよく噛んで、食べることは、食物を消化するために大切なことです。このためには、歯の健康をたもち、あごの筋肉の噛む力を保つことも必要です。

 胃腸の健康のために、発酵食品を十分にとって、腸内細菌を良い状態に保つことも重要です。日本人は、漬物、みそ汁、納豆、飯寿司などによって、酵母菌、乳酸菌、納豆菌、酢酸菌、麹菌をとることで腸内の健康を守ってきました。

 生物は、口と腸と肛門の3つがあれば、成立し、動物はイソギンチャクのようなものから、進化して他の器官は、後から創られたと考えられます。私たちは、胃腸の調子が悪いと気持ちも沈み、胃腸の調子が良いと気持ちも明るくなるものです。

 私たちは、食事に感謝し、よく噛んで食べ、清い水を飲み、自分の仕事や趣味を一生懸命に行っていると、何かが得られるのではないでしょうか。 (第10回)


好き嫌いと味覚の偏向

2016-05-26 13:50:02 | 選択

 多元的全体食のすすめ(九)    食べ物研究家  五十嵐玲二談

 9. 好き嫌いと味覚の偏向

 人間の味の好みに関する発達は、母親の胎内にいる時から始まります。胎児は羊水を通じて、母親が摂取した食物の風味や匂いを感じます。そして生まれたあとも、母乳を通じて風味を感知します。

 つまり果物や野菜が嫌いな子どもにしないためには、妊娠中や授乳期間中に母親が積極的に果物や野菜を食べることが望ましいといえます。さらに、家族全員の健全な食事や食育によって、子どもの好き嫌いをなくすことも大切です。


 縄文時代から、昭和の中頃まで、甘さと、脂肪分とアルコール(お酒)は非常に貴重品であった。このため人類は滅多に口にはいるものではなかった。そのためにこれらを食べ過ぎることは、一部の富裕な人に限られていました。

 本来、味覚は自分の体が必要としている、栄養素を含む食べ物を選択するはずが、現代では、糖分と脂肪分とアルコール(お酒)という嗜好性の強いものに偏向している。

 甘さに於いては、蜂蜜や黒砂糖のように、ビタミンやミネラルを含んで、栄養的にほぼ完結していれば、良いのですが、完全に精製した白砂糖は、味覚とカロリーにのみ偏向しており、肥満や糖尿病を誘発する。

 特にお菓子として、工場で製造するものに、白砂糖で造ることは子どもたちの未来を奪いかねない、赤砂糖(ブラウンシュガー)を使うべきです。家庭でも、白砂糖ではなく赤砂糖を使うべきです。(これは私の主張ですが、世間からは無視されてます)

 キューバでの砂糖の配給は、赤砂糖と白砂糖を半々に配給することによって、健康に配慮しているそうです。


 脂肪分についても、魚に皮と身の間にある脂肪分や、胡麻和えのゴマの脂肪分などは、栄養的にも完結していて良いものですが、揚げ物やバターを取り過ぎること、ビタミンやミネラル分の不足した、味覚の偏向は好ましいものではありません。

 大切な食事の折には、アルコール(お酒)は食事を美味しくして、さらに楽しいものにします。しかし、お酒の飲む量と時間を自分でコントロールしなくてはなりません。

 アルコールは、その量を飲むのではなく、より少ない量で楽しむことを心がけなければなりません。昔はお酒を飲む機会も少なく貴重品でしたから、お客さんに勧めるのが礼儀でした。

 しかし、現在は、アルコールの許容量に大きな差があるため、人にお酒を勧めるのは最小限にすべきです。ましてや一気飲みは、殺人行為になる可能性がありますので注意が必要です。

 お酒は、大きく分けてビール、ワイン、日本酒、蒸留酒がありますが、これらを飲む時間、その飲む量をコントロールしながら、料理にとの相性を考えて、楽しみたいものです。

 脂肪分も、アルコール同様に、美味しさにつられて、量を食べ過ぎるのは、肥満につながります。上手に良質の脂肪分を大切に食べることによって、食生活はより豊かなものになります。

 旬の野菜の甘みや、季節の魚の脂身や、ほのかな野菜の苦みなどの美味しさを楽しみたいものです。(第9回)


食べること、学ぶこと

2016-05-23 15:14:40 | 選択

  多元的全体食のすすめ(八)    食べ物研究家  五十嵐玲二談

 8. 食べること、学ぶこと

 動物は、基本的には食べることが、生きることです。

 鳥類は卵を産んで、ツガイが協力して、卵を温めつづけて、ヒナが誕生してからも、ヒナの安全を確保し、急速に成長するヒナのために、ツガイで、協力し全力でエサをとらえて、ヒナに与えなければなりません。

 そして巣立ちですが、ヒナもこの間に、自分が食べるべきエサについて学び、体力をつけて、飛び方から、エサの捕りかたまで、マスターしなければなりません。まもなく自分でエサを捕り、さらには渡りの季節に備えて、充分な体力と知力を持つ必要があります。

 このため鳥類は、哺乳類とならんで、ある意味過酷な子育てを通して、親も子も高い知能を獲得したと考えられます。

 一方、人類を含めて、哺乳類は、赤ん坊として生まれ、すぐに母親の母乳を飲みます。このとき、赤ん坊は、母親を通して、自分の様々な要求を伝えます。このときに、赤ん坊は、自分は何者で、自分の家族や群れや、自分たちが生きている環境について、学んでいます。

 赤ん坊から、子ども時代を向かえると、母親の食べる物を見て、食べることのできる物、食べることのできない物、食べ方、そしてそれらを獲得する方法を学んでいきます。

 次に、人を含む類人猿の中から、森の賢人をも呼ばれる、オラウータンの子育てについて見てみましょう。オラウータンは、ボルネオの熱帯雨林でうまれ、一生を樹上で生活し、地面に降りることはないと言われています。

 オラウータンの赤ん坊は、母親と一対一で、母乳を飲む時代を経て、独り立ちするまでの6~7年間は、片時も母親のもとを離れることなく、母親から森の果樹、木々の新芽、木の皮、アリなど800~3000種とも言われている、食べ物について学んでいきます。

 熱帯雨林に於いては、数年に一度しか実をつけないものも多く、最大で100キロもの巨体を樹上で維持していくには、母も子も多くの種類の樹木とその季節的変化、その食性について、懸命に学んでいく必要があり、6~7年の学習期間を必要とします。

 オラウータンの賢いところは、ボルネオの森の豊かな生物多様性を保ちながら、有用な樹木を損なうことのないことです。そのためにオラウータンのとった戦略は、より広い食材を求めることによって、森の豊かさを保つことです。

 私の推測ですが、オラウータンの子育てに父親は出てきませんが、母と子のオラウータンを見守る形で、遠まきに生活していると考えられます。本来は、母と子と父の三頭で生活すべきかもしれませんが、そうなると森の一箇所に負担がかかりすぎるためと考えられます。

 人間は、赤ん坊として生まれて、母親の母乳で育ちますが、生まれてすぐに泣き声で、母親に様々な要求を伝えます。その間でも母親の発する言葉について、学習していきます。

 そして離乳食によって、食べ物と味について学んでいきます。その中で家族関係と言葉を学び、料理法を学んでいきます。人類はさらに家族でコミュニケーションを取りながら、乾季や冬の食料の乏しい期間の飢えを予測して、それに備えます。

 食べ物の豊富な季節に、魚を干したり、山菜や野菜を甕や樽に漬けて貯蔵します。さらにどんぐりやトチノミのように青酸を含むものを水に晒して食料にします。

 ニワトリや家畜を飼うことも、食料の備えとして発達したものと考えます。

私たちも、数十年前までは、食べることは家族を中心に行ってきました。作物を育てたり、海や山のものを収穫したり、それらを調理しながら子供たちは両親に協力し、コミュニケーションをとりながら、多くのことを学んできました。

 寒い地方であれば、冬のための漬物や干物をつくることによって、食べ物を保存し、来るべき冬にどう対応するかを学んできました。私が子供のころ数羽のニワトリを飼っていて、卵を食べ、特別な日には、ニワトリをさばいて、解体し、内臓から鳥ガラまで調理して食べました。

 私の時代には、母親が作ったお弁当をもって、学校で食べました。簡素なもでしたが、弁当を通して家族を繫がっていたように思います。昭和30年頃までは、食料品を買うときも、対面販売であったため、会話をしながら、食べ方に関する情報が得られました。

 調理されたものを家族が揃って、会話をしながら、子どもたちは多くのことを学びました。

 現在は、スーパーマーケットで買い物をし、学校給食を食べて、工場で食品加工され、家族が食べ物を通して学ぶ機会が少なくなっていると感じます。

 しからば、現在、私たちは家庭に於いて食べることに、取って代わる多くのことが学べる物があるでしょうか。さらに、それによって家族の絆を築けるものがあるでしょうか。現代においても、私たちは食べることを家庭の中心に置いて、その意味と哲学について再構築する必要があるように思います。 (第8回)


日本人としての食事の基本形とは

2016-05-21 09:41:47 | 選択

  多元的全体食のすすめ(七)    食べ物研究家  五十嵐玲二談

 7. 日本人としての食事の基本形とは

 ごはん、味噌汁、漬物という基本三品の組み合わせは、鎌倉時代から八〇〇年以上も続いています。ごはんは、五分搗き米(又は胚芽精米)で、麦やヒエやアワを混ぜて主食としてきました。

 それを引き立てる発酵食品である味噌汁、漬物という名脇役、これに野菜、種実、海藻、魚介類を副食とすれば、ごはん食の基本形の完成です。(ごはん食の基本レシピ 幕内秀夫著 2002年)より

 それでは、私たちは多くの選択肢の中から、どのようなバランスで食事をすべきなのでしょうか。一つの例として、私も日本人の食事の歴史から考えて、ほぼ妥当と思われる幕内秀夫氏の提案を見てみます。

 穀物            (50%) (米、麦、ヒエ、黍,アワ)

 野菜、芋類、海藻、きのこ (30%)

 豆、種実          (10%)

 魚介類・卵・肉類・乳製品 (10%)  

 まずは、主食のごはんをしっかり食べます。このためには、ごはん、漬物、味噌汁で栄養的に完成されていなくてはなりますん。そのためには、米は芽を出せるに必要な栄養分を持っていなくては、なりません。

 そのためには、五分づき米、または胚芽米である必要があります。白米は確かに美味しいですが、陸軍の軍医総監であった森鴎外の誤った判断によって、日本陸軍の多くの若者の命が失われたことを忘れてはなりません。

 さらに多くの医者が実効性に乏しい極端な意見である玄米を持ち出して、やっぱり食べずらいからといって、白米を食べて江戸時代の富裕層の病である、糖尿病患者の増大を招いています。(これは私の個人的見解ですが、私の60年の近い経験と観察の結果です)

 美味しさを損ねてはいけない、お寿司のお店や、ハレの日の特別な場合、以外はこの原則は守るべきではないでしょうか。(これは私の意見ですが)

 日本人の食卓では、歴史的に、三~五分づき米に、雑穀等の様々な食材を混ぜて、食べてきたと考えられます。なぜなら日本人にとって米は貴重だったからです。

 二番目は、30%を占める、野菜や芋類、ワカメ、コンブ、ヒジキなどの海藻類は、季節を考えながら選びます。春は山菜(現在では、野菜としてほとんど栽培されてますが)、夏は、キュウリ、ナス、トマトなどの水分の多い野菜、秋はキノコや芋類、そして冬は大根やネギが旬です。

 煮物、あえ物、お浸し、2種類くらいの食材を組み合わせ、味噌汁の具にするのもお勧めです。さらに糠漬けにすると、栄養やうま味が加わり、いうことありません。

 現在は、野菜の種類が多くなり、それらを美味しく食べるための料理を工夫して、それらを、家庭で伝えていくことも、大切です。

 三番目は、10%の豆・種実です。豆類には、大豆、小豆、インゲン、エンドウなどの種類があり、また、大豆を加工した大豆製品として、豆腐・納豆・油揚げなどがあります。

 種実の代表は、ゴマやクルミ、ピーナツなどで、あえ物として使います。大豆は味噌、醤油の原料でもあり、タンパク質が豊富で、米との相性と栄養バランスに優れています。

  種実類とは、クリ、クルミ、ゴマ、銀杏、松の実、ひまわりの種、カボチャの種、アーモンド、ピーナツ、トチの実などを指します。これらは硬い殻の中の実で、芽を出して成木になるための栄養分をもったほぼ完全栄養食品です。

 四番目は、10%の魚介類、たまご、肉類、乳製品です。動物性食品は、魚介類、卵でとります。現代では、肉類、乳製品の比率が高まており、動物性食品の比率は、もう少し高くても良い気がしますが。(第7回)

 


魚と貝と海藻と全体食について

2016-05-20 07:47:55 | 選択

 多元的全体食のすすめ(六)     食べ物研究家  五十嵐玲二談

 6. 魚と貝と海藻と全体食について

 生命は海で誕生した。このために、海水に含まれている様々な微量元素を生命体は、その複雑なシステムを構成するうえで使用している。天然塩や岩塩は、鉱物のように思えますが、実は海水から水分だけを除いたものです。

 天然塩や岩塩に含まれている、NaCL(塩化ナトリウム)以外の微量元素のミネラル分が人間の体には重要です。(ミネラルとは、ナトリウム、マグネシウム、リン、イオウ、塩素、カリウム、カルシウム、クロム、マンガン、鉄、コバルト、銅、亜鉛、セレン、モリブデン、ヨウ素などです)

 海のもので、海水の成分を含んでいる食べ物に、コンブ、ワカメ、ノリなどの海藻があります。海藻の特徴は、コンブの全体が根であり、葉であり、茎なのです。従って海藻には海の様々なミネラルが含まれています。

 日本は海に囲まれているために、私たちは多かれ少なかれ海藻を食べてますから、日本では問題になりませんが、大陸の内部に住んでいて、ほとんど海藻を食べない人は、ヨード分の不足で病気になり、コンブなどを食べると治るそうです。

 カキ、アサリ、シジミ、ホタテ、ホッキ、ハマグリ、ムール貝、つぶ、サザエ、アワビなどの貝は、海水に含まれるプランクトンを食べて、成長しますので、海の恵みそのもので、人間が必要とするタンパク質、ミネラルを豊富に含む、完全栄養食品と呼べるものです。

 気仙沼の牡蠣養殖家の畠山重篤氏によると、カキの出来は、気仙沼に流れ込む大川の豊かさに関係し、その大川の豊かさは、大川の源流地域の室根山の森の豊かさによるそうです。

 したがって、気仙沼のカキは、室根山の森に支えられ、森と海を川がつなぎ、「海は森の恋人」と言っています。カキは一日に10~20Lの海水からエサとなるプランクトンを濾しとって食べます。すなわち、かきは、気仙沼の海そのものです。

 魚は、まず一匹すべてを食べる小魚について、見てみます。しらす、白魚、わかさぎ、煮干し(かたくちいわし)、めざし(いわし)、シシャモ、桜エビ、その他の小魚。これらは、内臓から骨にいたるまですべてを食べます。

 これらの小魚も、海の育んだ栄養素をすべていただくので、完全栄養食です。日本人は昔から魚によって、タンパク質、ミネラル、カルシュウムを得てきた。

 次に3~4kgの鮭の新巻についてみてみます。頭の氷頭は、大根と氷頭なますにし、三枚におろした身の切れ目は、焼いて食べます。

 少し身の付いた骨の部分は、一口大に切って、コンブを巻いて昆布巻きにして、じっくりと煮て昆布巻きにします。これを何日間かで食べると、結果的に鮭をまるごと一匹食べることになります。

 魚は、さしみや煮たり、焼いたり、飯寿司にしたり、干物にしたり、味噌漬けにして、魚の大部分を極力利用してきました。

 日本人の食事の一つの形として、魚の干物、漬物、ご飯となりますが、コメは一般に貴重なので、明治維新の立役者であった旧下級武士は、お米の代りに、サツマイモと魚の干物を食べて、明治維新は成し遂げられたといわています。

 サツマイモと魚の干物は相性が良く、栄養のバランスもとれたものです。日本人の食べてきた海の幸として、鯨について考えてみます。現状に於いて、捕鯨を禁止するか、捕鯨を許すかの議論は、置いておいて。鯨を日本人が食べてきたのは、歴史的事実です。

 日本人は、鯨の皮から、内臓から、鯨のヒゲまで利用してきました。そして、鯨を海の恵みとして、人の世界と海の神をつなぐものとして崇めてきました。(第6回)

 


食べることの精神的意味

2016-05-19 07:48:43 | 選択

  多元的全体食のすすめ(五)     食べ物研究家 五十嵐玲二談

  5. 食べることの精神的意味

 食べることは、命をいただくことであり、人の世界と神の世界をつなぐことである。(マタギより)

 かって日本人は、自然を畏れ、敬いながら生きてきた。狩りの獲物にも、人間のための「食べ物」としてではなく、自然から「命をいただく」という姿勢を持って向かい、ありがたく供養してきた。マタギの狩りには脈々と受け継がれているのだ。

 狩りによって、獲物を得るには、狩猟する人が、その自然を大切にして、自然の恵みの永続性を確保する必要があります。その自然の恵みによって、自分たちの命が支えられていることを、彼らはよく知っているからである。

 このことは、人間以外の頂点捕食者、トラやタカやオオカミやラッコなどの頂点捕食者においても、その森の生態系が崩れるとき、彼らのヒナや子どもが獲物がとれずに、育てられず、頂点捕食者が一番最初に、絶滅することを彼らは経験的に知っている。

 そのために常に山の神を敬い、神様に五穀豊穣を祈り願ってきた。農耕の民といえども、気象条件や自然災害は、人間の力だけではいかんともしがたく、最善を尽くしたうえで、五穀豊穣や大漁と安全を、山の神、海の神に祈り願ってきた。

 農耕民族でも、遊牧民族に於いても、一頭の熊でも、一頭の羊でも、非常に貴重な蛋白源であり、ご馳走です。そのため手塩にかけて育てた羊を、お腹に小さな切れ込みを入れて、そこから手を入れて、心臓近くの大動脈を引きちぎて、屠畜します。

 この方法は、羊が苦しむことなく、血の一滴も無駄にするこてなく、血は、内臓の一部と香辛料で、胃または腸に詰めて、鍋で煮て食べます。もちろん内臓も、骨のまわりの小さな肉も無駄にすることは、ありません。

 羊の皮はなめされ、骨の部分以外はすべて、食べられます。すなわち羊の様々な部位の栄養分が、得られたことになります。

 この事は、一頭の羊、一頭の熊、一羽の鶏についても、人類の祖先はすべての部位を食べることによって、羊一頭の全体食の養分を得たきたと考えられます。もちろん一頭を何人もで分けて食べ、ごちそうとして食べる訳ですので、量的には多くはありません。 

 すなわち一頭の羊、一頭の熊、一羽の鶏を長い期間で見たとき、全体食をしたことになります。一頭の羊でも全体を食べることによって、栄養のバランスをとっていたと考えられます。


 第二の食べること精神的意味は、家族(ある時は集落)で、作物を育て、食材を確保し、それを調理し、家族で分けあって食べることです。鳥類や哺乳類の他の動物でも、子育ての一時期はつがいが、協力して子育てをおこないますが。

 しかし、作物を育て、食材を確保し、それらを火や道具を使って調理し、家族が一緒に分けあって、”いいただきます”と言って食べますが、これは人類の重要な特徴です。これらのために人類は言葉を獲得し、家族の絆を深め、文化を発展させてきたと考えられます。

 現代は、家庭で料理を工夫しながら、つくる機会が減少し、工場でつくられたり、海外から輸入されることが、多くなりましたが、家族の絆や文化は、大丈夫なのでしょうか。 (第5回)

 


食べるということ

2016-05-17 15:17:39 | 選択

  多元的全体食のすすめ(四)        食べ物研究家 五十嵐玲二談

 4. 食べるということ

 食べるということには、大きく次の二つのためです。一つ目は、私たちが筋肉を動かしたり、心臓、腸を働かせるためのエネルギーとしての食物です。

 二つ目は、成長と代謝のための食べ物です。成長期には、勿論、成長するための体のすべての部分を構成し、それらを働かせるための栄養が必要です。

 しかし、成人になって成長が止まった状態でも、身体を正常に維持してゆくには、つねに古い細胞を新しい細胞で、入れ替えてゆく必要があります。これが代謝です。この代謝の周期は、年齢にもよるとおもいますが、二~三年で体のすべてが入れ替わると言われています。

 ここで、植物と動物について、見てみます。今から20億年前ころ、原始真核生物が光合成菌(葉緑体)を取り込んだものが、植物として進化し、酸素利用菌(ミトコンドリア)を取り込んだものが動物として進化ました。

 葉緑体は植物の体内で、独立した遺伝子を持ち、めしべから種子に伝えられ、おしべの花粉からの影響はありません。ミトコンドリアも独立した遺伝子を持ち、母親から卵子に伝えられ、父親からの精子の影響は受けません。

 葉緑体は、炭酸ガス(CO2)と水(H2O)と太陽光から、でんぷん(C6H10O5)nと酸素(O2)を生成します。このでんぷんをもとにして、植物は成長し、さらにそれらを食べた昆虫や魚や動物をも含めて、動物の食べ物になります。

 動物の体内では、これらの食べ物は、動物の腸から栄養分として吸収され、ミトコンドリアによって、ATP(アデノシン三リン酸、C10H16N5O13P3)を生成します。

 ATPは生体内に広く分布し、燐酸1分子が離れたり、結合したりすることで、エネルギーの放出・貯蔵、あるいは物質の代謝・合成の重要な役目を果たしています。

 すべての真核生物(動物、植物、菌類を含む)が、ATPを利用し、生命体のエネルギー通貨と呼ばれている。特に動物は、このATPを利用して、筋肉を動かし、運動機能を獲得しました。

 葉緑体もミトコンドリアも、高度な機能を担っているため、植物と葉緑体、動物とミトコンドリアは、共生の道を選びました。

 もう一つ人の食べ物にとって、重要な共生関係は、マメ科の植物です。マメ科の植物は、根粒菌に糖分を与え、根粒菌は、マメ科の植物に根から吸収できる亜硝酸を与えます。

 根粒菌は、空気中の窒素をマメ科植物からの糖分を燃料として、複雑な反応を経て、亜硝酸を生成します。マメ科植物は亜硝酸から、タンパク質の豊富な豆を実らせます。

 この根粒菌はなぜかマメ科植物にのみに、寄生し共生します。このため豆には、タンパク質が豊富であり、米や麦と豆をいっしょに食べると栄養のバランスが良くなります。

 このような生命体の高度な仕組みを維持するには、ミネラル、ビタミン、微量元素も重要な役割を果たします。このために、植物の種子や生長点には、これらの栄養素が豊富で、特に米や麦の胚の部分は大切です。 (第4回)

 


人類の雑食性の獲得と地理的拡散 

2016-05-16 08:14:36 | 選択

 多元的全体食のすすめ(三)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 3. 人類の雑食性の獲得と地理的拡散

 人類は、家族を単位として食べ物を獲得して、それらを分け合って、食べる動物である。特に家長である父親は、家族の安全を確保し、家族を飢えから守るという、使命を負わされている。

 ゴリラの家族(群れ)のリーダーである、シルバーバックも、家族の安全と食べ物が確保できるテレトリーを確保する使命をになっている。

 人類が二本足歩行を獲得し、火を手に入れ、言葉を手に入れ、石器を手に入れた時代に、乾季や冬など、季節的な変動飢餓と、数年に一度の飢餓が、襲ってきたであろうと考えられる。

 この飢餓に対して、大きく二つの戦略が考えられる。その一つは、食べ物があるところに、移動することである。事実、人類はアフリカから、ユーラシア大陸の拡散し、さらにベーリング海を渡り、北アメリカ、中南米を経て、南米大陸の南端まで拡散している。

 さらには、小船によって、南太平洋の島々にまで、拡散していった。これは、グレートジャーニーと呼ばれている。しかし、アフリカからユーラシアへ、ユーラシアから北米へと、冒険心で渡ったわけではない。

 常に、最も弱い家族(集団)が、飢えから逃れるために、押し出されるように、危険に耐えながらの決して、帰ることのない旅であったと考えられる。

 飢えに対するもう一つの戦略は、食べ物の種類を多様化することである。人類は飢えとの戦いで、他の動物の食べ物を観察し、それらを食べて試してみたと考えられる。ただし、草食動物が食べる草のセルロースは消化できないことを経験的に、知っていたと考えられる。

 特に、イノシシや熊などの雑食性の動物の食べ物は、試してみたと考えられるほど、彼らが好んで食べるもののほとんどを、人類は、火や石器や道具を使って、食べ物としている。

 ここで、人類の食べ物の全体像を見てみよう。

 食べ物 ――― 植物界

        ┃― 動物界

        ┃― 菌界  麹、乳酸菌、酵母菌、納豆菌

        ┃― 天然塩、岩塩     に大きく分類される。

 天然塩や岩塩は、鉱物のようにみえるが、生物は海で誕生したため、海水から、水分を除いたものと考えられ、水を飲むことによって、海水の成分となります。

 

  植物界 ――― 穀物 (イネ科)  米、小麦、とうもろこし、大麦、サトウキビ、モロコシ

         ┃― 豆類  大豆、ヒヨコ豆、インゲン豆、エンドウ、落花生

         ┃― イモ類  ジャガイモ、サツマイモ、キャッサバ、サトイモ、長芋

         ┃― 野菜  果菜類、茎菜類、葉菜類、根菜類、

         ┃― 海藻  コブ、ワカメ、ノリ

         ┃― キノコ  エノキ、ぶなしめじ、しいたけ、マイタケ

         ┃― 果実  仁果類、核果類、穀果類、柑橘類、常緑性果樹、熱帯果樹、その他落葉性果樹


  動物界 ――― 牛、豚、羊、鶏、牛乳、卵

         ┃― 魚、甲殻類、軟体動物

         ┃― カキ、ホタテ、シジミ、アサリ、ホッキ

         ┃― 蜂蜜、蜂の子、イナゴ


 このように、人は、粟や黍から、マンモス、鯨まで食べ物としてきた。 (第3回)


食べ物と栽培作物

2016-05-14 08:39:12 | 選択

 多元的全体食のすすめ(二)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 2. 食べ物と栽培作物

 人類にとって主要な食べ物は、麦と米であり、今日の麦や米となるには、長い人類の時間のなかで、改良されてきた栽培作物としての歴史がある。麦と米は保存性に優れ、単位重量当たりの栄養価が高く、文明の基礎をも築いてきた。

 最初に、中尾佐助著の「栽培作物と農耕の起源」(1966年1月発行)から引用します。

 『 「文化」というと、すぐに芸術、美術、文学や、学術といったものをアタマに思いうかべる人が多い。農作物や農業などは、”文化圏”の外の存在として認識される。

 しかし文化という外国語のもとは、英語で「カルチャー」、ドイツ語で「クルツール」の訳語である。この語のもとの意味は、いうまでもなく「耕す」ことである。地を耕して作物を育てること、これが文化の原義である。

 これが日本語になると、もっぱら、”心を耕す”方面ばかり考えられて、はじめの意味がきれいに忘れられて、枝先の花である芸術や学問の意味の方が重視されてしまった。しかし、根を忘れて花だけを見ている文化観は、根なし草にひとしい。

 文化の出発点が耕すことであるという認識は、西欧の学界が数百年にわたり、世界各地の未開社会に接触し調査した結果、あるいは考古学的研究、あるいは書斎における思索などを総合した結果である。

 人類の文化が、農耕段階にはいるとともに、急激に大発展をおこしてきたことは、まぎれもない事実である。その事実の重要性をよくよく認識すれば、”カルチャー”という言葉で、”文化”を代表させる態度は賢明といえよう。

 人類はかって猿であった時代から、毎日食べつづけてきて、原子力を利用するようになった現代にまでやったきた。その間に経過した時間は数千年でなく、万年単位の長さである。

 その膨大な年月の間、人間の活動、労働の主力は、つねに、毎日の食べるものの獲得におかれてきたことは疑う余地のない事実である。

 近代文明が高度の文化の花を開かせた国においても、食料生産に全労働量の過半を必要とした時代は、ついこのあいだまでの状態であった、とはいえないか?

 人類は、戦争のためよりも、宗教儀礼のためよりも、食べ物を生みだす農業のために、いちばん多くの汗を流してきた。現代とても、やはり農業のために流す汗が、全世界的に見れば、もっとも多いであろう。

 過去数千年間、そして現在もいぜんとして、農業こそは人間の努力の中心的存在である。このように人類文化の根元であり、また文化の過半を占めるともいい得る農業の起源と発達をこれからながめてみよう。

 農業を、文化としてとらえてみると、そこには驚くばかりの現象が満ちみちている。ちょうど宗教が生きている文化現象であるように、農業はもちろん生きている文化であって、死体ではない。

 いや、農業はもちろん生きているどころでなく、人間がそれによって生存している文化である。消費する文化でなく、農業は生産する文化である。 』

 

 『 一本のムギ、一茎のイネは、その有用性のゆえに現在にも価値がある。それはもっとも価値の高い文化財でもあるといえよう。そんな草がなぜ文化財であるのか、ちょっと不審に思う人もあるだろう。

 つまり、われわれがふつうに見るムギやイネは、人間の手により作りだされたもので、野生時代のものとまったく異なった存在であることを知る必要がある。

 そのもとをたずねることすら容易でなくなった現在の栽培作物は、われわれの祖先の手により、何千年間もかかって、改良発展させられてきた汗の結晶である。

 人間の労働と期待にこたえて、ムギとイネは人間に食糧を供給しながら、自分自身をも発展させてきたものだった。

 農耕文化の文化財といえば、農具や技術の何よりも、生きている栽培植物の品種や家畜の品種が重要といえよう。農業とは文化的にいえば、生きている文化財を祖先から受けつぎ、それを育て、子孫に手渡していく作業ともいえよう。

 イネとムギの野生種と栽培種とを比較するには、まずそれらの野生種が地球の上に存在しているかどうかが最初の問題である。今世紀にはいり、世界各地の植物学者、農学者は、いろいろな栽培作物の野生の原種を発見しはじめた。

 とくにソ連のバビロフの栽培植物探検隊は、ほとんど全世界に活動し、栽培植物起源の研究はそのコレクションのうえに一大進歩をとげることになった。

 その結果、確定した栽培植物の野生原種として、イネ、二条オームギ、一粒コムギ、エンマーコムギなどがある。これらの重要な穀類の野生種と栽培されている品種とを並べて栽培して、比較してみると、いろいろなことに気づいてくる。

 野生種のスタイルは一般に細くやせて、スマートな姿である。決して強壮に大型に生長するものでない。ブヨブヨと大がらに育つのと反対で、葉も茎も細く、硬い茎の先端に小さいバラバラと粒のつく穂を出す。

 その姿は人間にたとえてみると、小型ながら、スラッと八頭身の美人である。それにくらべると日本の豊産性のイネの品種や、改良されたコムギ品種は、ズングリと育ち、太くて厚ぼったい穂がつく。

 これは大がらな六等身型の不格好さを示している。イネやムギでは八頭身より六等身の方が実用的として、愛されているのである。

 よく熟した八頭身美人の野生種の穂をつかみ取ろうとすると、アーラ不思議、穂に手を触れるとたちまちこわれ、穀粒はバラバラと地上に落下してしまう。

 これは粒の脱落性といって、野生種の穀粒のもつ通有性である。野生種と栽培種がよく似ていて、区別がむずかしい時には、この脱落性のあるなしが野生型と栽培型の区別点にされている。

 この性質は野生のものが、種子を自然散布するために適応した性質である。人類は野生の穀類を利用しはじめ、その品種改良の初期に、野生の脱落性から非脱落性に改良したものと想像されている。

 人類は野生の脱落性の粒を採取して食用に供しはじめてから、非脱落性に改良された品種が栽培されるようになるまでには、何百年いや何千年もかかったであろう。 』


 『 コメが人間の味覚上非常に好まれるという事実は、コムギと比較して検討すべき問題であろう。コメとコムギが入り乱れて主食とされている地域をみると、中国では北部ではコムギ、揚子江沿岸ではコメとなり、その中間に大きく中間地帯がある。

 インドでは東部はコメ地帯、西部はコムギ地帯であって、たとえばニューデリーはコムギ畑にかこまれているが、カルカッタ周辺はぜんぶ水田である。その中間地帯では農民は容易にコメでもコムギでもえらんで食べることができる。

 ところが、中国でもインドでも、民衆はつねにコメを食する方を望んでおり、米の価格の方が高価となり、貧乏人はやむを得ずコムギ食を強いられている。

 中国とインドではたぶん二千年間にわたり、何億という人間がコメとムギをたべくらべての実験の結果がこのような評価差となったのだ。

 その過程では、コメもムギもおどろくばかりバラエティに富んだ料理法が生まれたが、その総合判決はコメの方がうまいということになった。コメがコムギよりうまいということはコムギの中心地帯でもいまではわかっている。

 イランやイラクのようなムギ作文明の発祥地でもこんにちでは灌漑できるところではコメをつくるのに熱心であり、米食は上流階級にのみ許されるものとなり、コメの価格はコムギに数倍している。

 人間の歴史をみて、コメからムギに転換した民族は存在しないのに、コムギ食民族はどんどん米食をとりいれていく現状である。明日の人類の主穀は、コムギよりコメとなる傾向がみとめられると認識すべきである。 』 (第二回) 


多元的全体食の動機

2016-05-13 08:28:26 | 選択

 多元的全体食のすすめ(一)           食べ物研究家 五十嵐玲二談

 今回から15回くらいの予定で書いていきます。

 1. 多元的全体食の動機

 なぜ、多元的全体食なのかといいますと、私は全体食主義者(経験的に良いと信じている)ですが、単に全体食と言えば、玄米を食べる人(私は胚芽米主義者)のように、受け取られるのではないかと思われます。(第一の点)

 私が気づいた第二の点は、現代の私たちは、食べ物について非常に多くの選択肢を持っていながら、その選択肢を有効に使いきっておらず、むしろ流され迷っているように感じられます。

 第三の点は、私たちは人類の食べ物についての全体像をどのように捉えているのでしょうか。むしろ、日本人としての食べ物についての全体像を、見失ているのではなかろうか。昭和の三十年代くらいまで、日本人は食べ物の全体像を、持っていたと考えられます。

 第四の点は、体と心のための食べ物と病気を誘発する食べ物、美味しい食べ物と健康のもとになる食べ物についての基本的、経験的哲学(選択基準)をもって、日常を生活しているのだろうか。

 第五の点は、食事は家庭でつくられるものか、工場や企業体でつくられるべきものか。昭和の三十年くらいまでは、料理は基本的に母親がつくって、家族で食べる、身土不二(シンドフニ、地産地消)という大前提がありました。しかし、昭和の三十年以降、工場で食べ物が調理されることが多くなり、さらに世界中からさまざまな食べ物が運ばてきます。

 第六点は、未来を担う子どもたちが、食べ物について、健康について、病気の予防の食事、食べ物についての哲学をどのように学ぶべきか。昭和三十年くらいまでは、家庭で経験的に学んでいた。

 一つの例として、満州で獣医をしていた父のもとで、少年時代を過ごしたムツゴロウ少年(畑正憲)は、近所の馬を大変かわいがっていた、あるとき馬が怪我をして、働けなくなったので、と殺してその馬肉を食べることになった。ムツゴロウ少年は自分が可愛がった馬なので、食べないといった。しかし、獣医である父親は、食べなさいといいました。(私も食べなさいといいます)

 第七点は、食べ物についての雑多な情報、肥満や糖尿病、アルツファィマー、アトピーに関する雑多な情報をどのように体系づけて、理解するべきか。

 第八点は、健康な水や簡素な食べ物さえも、十分でない世界の子供たちの問題と私たちは、どのように向き合えばよいのだろうか。

 これから、15の元(糸口)で、食べ物についての全体像を整理していきたいと考えてます。(第一回)


 多元的全体食のすすめ  (目次)

 1. 多元的全体食の動機

 2. 食べ物と栽培作物

 3. 人類の雑食性の獲得と地理的拡散

 4. 食べるということ

 5. 食べることの精神的意味

 6. 魚と貝と海藻と全体食について

 7. 日本人としての食事の基本形とは

 8. 食べること、学ぶこと

 9. 好き嫌いと味覚の偏向

10. 人はどのように形成されるか

11. 植物分類による野菜、果物、穀物について

12. 調理器具と調味料について

13. 食物の危険性について

14. 理想の食べ物

15. 世界の子供たちが水と食べ物を得るために  以上