チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

物は置き場所、人には居場所(その8)

2016-10-09 15:29:25 | 哲学

 物は置き場所、人には居場所(その8)   日常をデザインする哲学庵  庵主 五十嵐玲二

 7. 小さな南の島に桃源郷をつくる

 ここからは、著者が6年後に書いた、「青い鳥の住む島」 (崎山克彦著 1997年6月発行)により、前回の続きを紹介いたします。

 

 『 私たちも、もう島に住み始めて六年になる。この間、島をよくしようといろいろなことを試みた。 

 しかし、長い目で見ると、結局は、島民たち、特に子どもたち自身に、しっかりと物を見る目を養い、自分で考え、正しい判断をすることを身に付けてもらうしかない、ということがはっきりと分かってきた。 

 私たちにできることは、まず、良い教育環境をつくるお手伝いをすることだ。新任の先生と話し合った。台風で倒れていた国旗掲揚台を作り直し、国旗を掲揚したい。 

 そして、「カオハガン小学校」と書いた木のパネルを自分で作り、学校に掛けたいそうだ。いいだろう。それから、これも台風で壊れて開かなくなっている窓を修理する。 

 今の教室は昼間でも曇りの日はかなり暗いのが気になる。まわりの木を切ったり、壁をもう一度、白く、明るく塗り直す。先生が必要なもののリストを作ってくれたので、それをできるだけ供給したい。

 物の援助は比較的簡単にできる。問題は中身なのだ。子供たちにぜひ知ってもらいたいことがあるのだ。思いつくままに、箇条書きにしてみよう。 

 一  カオハンガ島に生まれたことに誇りをもつこと。 

 二  世界は広いこと。しかし、その中でも、カオハガンはすばらしい場所であること。 

 三  お金や物をたくさん持つことだけがしあわせではないこと。 

 四  まじめに働くことの大切さ。 

 五  環境を守ることの大切さ。 

 六  ゴミをポイポイ捨てないで、ゴミ箱に捨てること。 

 七  鳥をパチンコでうったりしていじめないこと。 

 八  木が生えていることの大切さ。木をやたらに切らないこと。ココ椰子の実も全部食べてしまったら新しい木が生えてこない。 

 九  徐々に、ウンコをトイレでする習慣をつける。 

 十  魚や磯の生き物、木などを採り尽していまわないこと。 

 学校の教育の中で、こういったことを教えてもらいたいのだ。 

 新しくやって来た、レスディーとフェルマ、男女二人のサロンガ先生は夫婦なのだ。そして、若い。セブ島の南端にある島、シキホールからやってきた。小さな子どもを一人連れて、住み込みで教えてくれるらしい。 

 カオハガンのような小さな島の事情もよく分かっている。三月の末に卒業式があった。島民のほとんど全員が出席して式は進められた。そして、最後のころに、サロンガ先生は大演説をぶったのだ。 

 すぐに終わると思ったが、二〇分、三〇分といつまでも続く。どんどん熱を帯びてくる。島民たちも、帰る人もなく引き込まれるように聞いている。 

 「教育というものがいかに必要か」を、自分自身の例など引いて、とうとうと説いたのだ、うれしかった。将来が明るいものに思えた。 』

 

 『 島の子どもたちは、島全体を自由に動き回り、生活し、遊ぶ。その意味ですばらしい自然環境だ。同時に、「もう少し知的な、自由な遊び場」を私たちの手で創りたいと思うのだ。 

 まず、少し広めの、竹と木と椰子の葉でできた小屋を創る。誰でも、いつでも自由に出入りできる。その場所で、次のようなことをしてみたい。 

 一  絵本など、子どもたちが読んで楽しめる本を中心に、小さな図書館をつくる。貸し出しもしたい。 

 二  絵を描く道具をおいて、誰でも、いつでも絵が描けるようにする。 

 三  資金ができれば、大型のビデオデッキを入れて、良いビデオソフトを週に一度くらい見せる。いろいろな世界の存在を知らせたい。 

 四  週末や、夕方、時々「お話の会」をする。 

 五  日本などからきた方に専門のことを教えてもらう、例えば、絵を描くこと、おりがみ、彫刻、木工、空手など。 

 子どもたちが自由に出入りできる環境で、自由にものを教えてみたいのだ。そして、子どもたちの個性を見つけたら、それを伸ばしてやりたい。 

 それから、大人の島民たちへの教育も大切だと思っている。子どもたちに知っておいてもらいたいことをまず大人に分かってもらいたい、家庭で子どもたちに教えてもらいたいのだ。 

 一  衛生のこと。 

 二  簡単な医療の知識。 

 三  ミシンを使った縫い物などを教える。 

 四  新しい商品、例えば、観光客の買いそうな、島でできるみやげ品を考え、作らせる。 

 五  伝統的な島のクラフト、例えば、ゴザ、籠編みなどの技術を若い世代に引き継いでもらう。 

 六  子どもに教育を与えることの大切さ。 

 これらを、会合を開いて話し合う。特に、婦人向けの集会を定期的に開いていきたい。 』

 

 『 カオハガン島のような小さな島の運営にあたっては、「スモール・イズ・ビューティフル」の考え方だ。カオハンガ島は小さい。だから、そこに入ってくる人の量、物の量、金の量を多くしてはいけない。 

 それらが限度を超えて増えれば、必ず環境が破壊される。人が心を失う。そして、私の心の中でのオカハンガンの「存在の理由」を失うのだ。 

 カオハガン島の自然は美しい。住んでいる人たちもゆったりと伸び伸びと生きている。住めば住むほどそれを感じる。同時に、簡単に環境や人の心が破壊され、美しさを失ってしまう大きさ、いや、小ささなのだ。 

 今までは、台風や、旱魃などによる破壊、島民自身によるダイナマイト漁などによる破壊を考えればよかっただろう。しかし、交通、通信手段の発達した現代では、他の世界と無縁に美しい環境、人の心を保つことが難しくなっている。 

 まずは、私たちの宿泊施設にやってくる人の量だ。一昨年の夏の出版以降、宿泊を希望して島にやって来る人の数が増えた。それまでは、私の友人、知人たちがパラパラと来ていた程度だから、激増したと言っていいかもしれない。 

 さいわいなことに、今までに島を訪れたほとんどの人がカオハガン島に満足してくれた。何回も繰り返して来てくれる方も多い。うれしいことだ。 

 今、私は、宿泊客を一日平均四人、年間で千五百人に制限することを考えている。年間千五百人の人が来てくれると、島の運営は経済的に安定する。 

 私は、カオハガン島の運営で私利を得ようとはまったく考えていない。しかし、事業を永続させるためには、安定した利益を得ることは絶対に必要だ。 

 そして、この程度の数の人間がカオハンガ島を訪れていても、それは自然の中に吸収されてしまう。総体の人の量を考えなくてはならない。数としては島民が一番多い。 

 これについては、「人口についての取り決め」の効果が出始めている。生れて来る子どもの数もこれからは減りはじめることを期待したい。今後五年くらい、カオハガン島の人口は四百人を越さないだろうと思うのだ。 

 島民たちも、人口を増やさないことの問題の重要さを漠然とではあるが、理解し始めている。 』 


 カオハンガ島の例は、小さい島だからできたことですが、小さいといえども四百人もの人々の生活を安定させることは、そう簡単なことではなく、国レベルで発生する様々な問題が発生します。

 急激な人口増加、フィリピンの政治情勢、武装組織の襲来、自然災害、急激な社会情勢の変化、……。

 さらには数十年のレンジでは、地球温暖化による海水面の上昇なども、大きな問題ですが、このように成功している例は稀なケースです。

 第一の道 「あの世での天国」、第二の道 「現世での理想郷の建設」、第三の道 「この世の生活を芸術の形につくりかえる」 の三つの道があります。

 この世の生活を芸術に変えるという、第三の道といえども、現世で生きる必要があり、第二の道といえども、芸術によって潤いのあるものにする必要があります。

 さらには、人間はいずれ死に至るので、第一の道 「あの世での天国」も必要とします。従って、この三つの道すべてを人はバランスをとりながら歩む必要があるのでは、ないでしょうか。(第8回)


コメントを投稿