チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「つながりのコミュニティー」

2019-07-08 09:43:24 | Weblog
 188. つながりのコミュニティー  (平塚伸治他著 2011年8月)
    人と地域が「生きる」かたち

 今回は、本書の第1章 活動の現場から 第1節 地域の暮らしをつなぎ支える 、より 1. ゆるやかな地域自給圏ネットワーク構想「食の杜」 について読んでしょうか。いきます。

 『 新しい地平を切り拓く画期的な試みは中心的なところからは起こらない。むしろ周縁から起こる。これからお話しようとする佐藤忠吉(九一歳、木次乳業有限会社創業者)が実践する新しい規範づくり―—「自給自足の暮らし」もこの典型となろう。

 今、なぜ佐藤さんの「自給自足の暮らし」という生き様に興味を持つのか。「自給自足の暮らし」が次の時代を切り拓く規範となると考えるのか。それは私たちの暮らし・生活自体があまりにも高度に専門化され、細分化されてグローバルネットワークによる市場経済社会に深く組み込まれてしまっているからだ。

 私たちが日々生きていくために必要な食料の日本の自給率が四〇パーセントを切ってしまっている。近くのコンビニで買う五〇〇円の幕の内弁当をつくるために必要な食材のフードマイレージフードはなんと、地球四周分に及ぶとの試算もあるようだ。

 私たちが生きていくうえで、最も基本となる食生活がきわめて危うい状況にある。こうした状況に直面している私たちは、食料を安定的に確保して安心して生きていくための新しい規範をつくることが急務となっている。

 自給自足の暮らしを実践されている佐藤忠吉さんの生き様にこそきっと手本があるにちがいない。この直観的な思いから、島根県雲南市木次町の現場、木次乳業に出向いた。

 佐藤さんは自給自足を目指して、様々な農作物を育てる一方、乳牛の飼育にたずさわり、安心して飲めるバスチャライズ牛乳(低温殺菌牛乳)の開発に力を注いでいる。開発にあたっては次の二点を基本的な方針(規範)として掲げている。

 木次乳業のものづくりの規範は、佐藤忠吉さんの持論「まず、作る人が健康でなければならない。その上で私たちが食べているのと同じ安全な責任のもてる食べ物を消費者に届けよう」(森まゆみ著「自主独立農民という仕事」)である。

 さらに、「商品としての農作物や牛乳を作るのではなく、まず自分が食べたり飲んだりするものを作る。欲しい人があって余っていれば分ける。欲はかかない」ことだともいう。

 もしこうした規範を破るようなことになれば、結果的に農産物や牛乳を「商品とするためつい消費者にこびて味を作り変え」してしまうことになりかねない。佐藤さんによれば、「素材の生産だけだったら我々は都市の奴隷にすぎない」ことになってしまう。

 これらの規範に従って、佐藤さんたちは、ブラウンスイス牛を飼って乳をとり、究極の牛乳であるパスチャライズ牛乳をつくる夢に挑んでいる。

 こうした夢の実現へ向けた挑戦は命がけといえる。 「まずは三年間、自分の体で生体実験をした。とった牛乳を原料に、六三℃三十分でバスチャリゼーション処理したものを孵卵器で四十八時間腐敗試験をやって、それを毎日飲んで味をみた。

 その結果、エサの問題、牛舎の衛生、飼い主の心の動きまで乳質に現れてくるほど、微妙な問題だとわかったわけです」。 生体実験をやる過程で得られた貴重なデータから、飼い主が夫婦喧嘩をしてもその影響が牛の乳質に現れるほど繊細なものであることがわかった。
 このような製品は画一的な大量生産にはなじまない。牛乳は少量生産に適している。 』

 『 牛を育てるにあたって、まず、木次の地理的条件を活かし、牧場の草の植生、山の傾斜や平地などの地形をうまく活用して放牧をおこなう。第二には、牛は感性豊かな動物であるため、飲み水、通気、温度、湿度をはじめとする牛舎の環境に十二分配慮して飼育することが求められる。

 第三は、木次の太陽と空気と雨で育った山野草を中心とした餌が消化が良く、牛にとって好ましい。農水省が薦める濃厚飼料よりも、自然にできた粗飼料のほうが木次の牛にとっては好都合であるようだ。

 こうした牛の飼育方法は佐藤忠吉さんが新しく生み出したものではない。「私がそのとき素直に考えたことですね。そのもとは出雲の農学の中の伝統的にあった。放牧することをわが地方では「山をする」といった、いわゆる「山地酪農」に倣ってやってみる。」

 そうすると「牛も感情豊かな動物ですから、こころの問題が大きいでしょう。狭いところから解放される。そうすると体の中のCLA(共役リノール酸)やビタミンAやEも多くなるようですね」。

 佐藤忠吉さんは木次という地域の環境を総動員して身土不二(しんどふに)を実現しなければならないとする。身土不二とは、人間の身体は住み暮らしている地域の水と土などの自然環境でつくられているため、人間が食べたり飲んだりする食物もその地域で栽培されたり、採取されたものを食べること、いわゆる、地産地消が望ましい、とする考え方である。
 このような環境順化を体現した「雲南の風土にふさわしい」牛乳づくりをして初めて、パスチャライズ牛乳は誕生したのである。 』

 『 このような佐藤さんのユニークな生活および仕事作法(静かで簡素な自給自足の暮らし)はどのように育まれ、確立してきたのだろうか。

 第一点目は、戦争体験である。
 佐藤さんは、「体で覚えたことしか実現しない」とよく言う。日々の暮らしのなかで実際に経験したことこそが知恵となり、新しい規範づくりの源泉となっていく。
 それが、過酷な体験であればあるほど、その人の暮らしを左右するバックボーンに深く刻まれ、新しい規範形成に決定的な影響を与えることになるという。

 佐藤さんの戦争体験がまさにそうである。「食べ物への執着はないが、食べ物を作るという仕事を大事に思う気持ちは、この時の怨念のようなもんがありますね」 活き活きとした体を養う食べ物をつくり、自給自足の暮らしをすることの重要性を戦争体験で会得したことを物語っている。

 第二点目は、森羅万象を皮膚で感じ取ることです。
 佐藤さんは第二次世界大戦敗戦後、中国から復員してから体調すぐれず、四年間も闘病生活を送っている。佐藤さんはこの時期、森羅万象が人間に話しかけてくるあらゆる声を皮膚で聞きとっていた。

 例えばこうである。 「牛なんかの場合でも、牧草に化学肥料を施肥するよう県の指導もあって、それに抵抗を感じていたんですが、鶏糞ならまあまあ良いだろうと思ってパアッと散布したところに青々とした草が育つ。

 そうすると、そういうところの草は牛は食べんですね。いわゆる我々が見た目で緑したたるうまそうな草なんて食べんですわ。黄ばんだ、まずそうな草ばっかり食べていくんですね。それに、北斜面の草は一番後まわしにして南斜面の草から食べる」。

 佐藤さんはさらに一歩踏み込んで、牛が生きる環境としての空気・温度・湿度の重要性を皮膚で感じとり、牛の放牧、牛舎の設えをし、世話をしている。 「食べ物が本来口からだけだったらいいけれども、牛なんか飼ってみますと、通風が悪かったらもう絶対に上作(病気などを出さずに豊作であること)せんですね。

 いわゆる空気とか温度というような皮膚から食べる、その影響で鶏の産卵や牛の発情期が正常になったり、そういうものを案外無視しておるんじゃないかと思いますね。それは私の学問のない百姓根性で観察したものなのでそうなのだろう」
 自然の発する様々な声に耳を傾け、皮膚で聞き分けながら、自然と共生して生きることが最善の生活、仕事作法であることに気付いたのだ。

 第三点目は、百姓であることです。
 佐藤忠吉さんの名刺の肩書は百姓である。 「私はいまでも百姓ですよ。乳の加工も、野菜や農産物の加工も、百姓仕事のうちだとの考えは当初からありましたし、それが独立農民条件であるはず。家の農業規模は変わっとらんし、いまだに自分で稲の苗も植えれば、茶も摘みますよ。そばもまく」

 これからも分かるように、百姓という仕事は自給自足の暮らしをするために、まさに自然と共に生きるための知恵を総動員して暮らすことを意味している。そのために、自然に対して常に創意工夫と革新性をもって働きかけていかなければならない。

 その際、化学肥料や農薬などを使用する近代化農法は取らない。むしろ、自然との対話のなかで、内発的な営みで培われてきた伝統的な農業経営(小規模多品種少量生産農業で有畜複合経営)、いわゆる百姓こそが佐藤さんの規範になっている。 』

 『 佐藤さんは木次乳業の社員への実践教育の手始めとして、一九八三年に社員による水田耕作や味噌づくりを開始した。この試みは、たんに、自分たちの生活する地域で自給自足の暮らしをするということを実践するだけではない。
 安全で安心できる食物をつくるということはどういうことか、何をしなければならないのか、何をしてはいけないのかを学ぶ場なのである。

 また、食物をつくる人は健康体でなければならないという前提のもと、社員全員が健康な体づくりを実現していくプロセスでもあった。社員による水田耕作や味噌づくりという実践教育を、さらにもう一歩進めたものが、まかない社員食堂 「手がわり村」(一九八九年)の開設である。

 「手がわり村」の名前の由来は、「奥出雲の古い風習で、だれか手のあいた人が無償で他者の労働を助けること」で、ゆるやかな共同で仕事をしていくための相互扶助の仕組みに因んでいる。 「手がわり村」で木次乳業という小規模な閉じた世界における自給自足の仕組みをつくりあげた佐藤さんは、それをさらに発展させて理想郷 「食の杜」づくりへと進んでいく。 』

 『 「食の杜」(木次町寺領地区宇山、面積約六・七ヘクタール)は、地域自給圏ネット―ワーク構想の一環で、小規模な農工商の事業体が複数集まって構成されている。 「食の杜」はそれらの活動の総称である。

 「食の杜」について、佐藤さんはワインづくりを例にとりながら、こう説明する。品質の良いワインをつくるには信用力・資金力・販売力・技術力・品質の良い葡萄(素材)・それを醸造する施設がバランスよく揃わないといけない。

 けれども、これらの要件をすべて一人で揃えることはなかなか難しい。そこで、ワインづくりというロマンに共鳴する人々に呼びかけ、その呼びかけに応じて手を上げてくれた六人から出資を募り、事業を興すことになった。

 そこで、ワインづくりというロマンに共鳴する人々に呼びかけ、その呼びかけに応じて手を上げた六人から出資を募り、事業を興すことになった。こうして「日本でいちばん小さ」くて画期的な奥出雲ワイン製造のワイナリーである有限会社奥出雲葡萄園が生まれた。

 このワイナリーがどうして画期的なのか。それは事業出資者の目的が利益の追求という経済的なものではなくて、人生の夢の実現を目指していることにある。出資者が自分の得意分野の経営資源を持ち寄り、調達することでワイナリー事業を営む。

 個の確立をはかりながら自立した個人のゆるやかな共同によるきわめて小規模な地域自給圏ネットワークによるワイナリー経営であるところが画期的なのである。「食の杜」についてもう少し具体的に見てみよう。

 「食の杜」を構成する事業体のシンボルとなってゐる室山農園有限会社は、「百姓、研究者、医者、芸術家、職農希望者、福祉実践者が集まり、それぞれ提供可能なものを持ちよって農場に関わり支える」という目的で作られている。

 これに加えて、 「自分で育てた野菜を料理し、囲炉裏を囲んでワイワイと 「健康農業」 の夢を語り合う」 素敵な仲間が集うゲストハウス——土間や囲炉裏が郷愁を誘う 「茅葺きの家」 の二軒持っている。

 これ以外にも、豆腐工房しろうさぎ、大石葡萄園、杜のパン屋などが 「食の杜」 に参加している。この「食の杜」は、単なる事業体の集合ではない。この共同体に参画する事業者は、すべて安全で安心できる食物づくりを目指すという価値観を共有している。 そして、質の高い食の素材を生産し、加工し、流通させるという機能を有している。

 「食の素材生産をする農業(例えば、有機栽培による品質の高い葡萄の栽培)」 と 「この素材を活用して加工品生産をする工業(例えば、ワインの醸造)」 と 「それらの流通を図る商業(例えば、ワインの販売)」 という三つの機能が一体となることで、個の確立した、いわば自主独立農民によるゆるやかな共同体である地域自給圏ネットワークが十全に機能しているのである。

 「食の杜」は地域固有の環境条件を勘案しながら、それに合わせた(いわば身土不二という環境順化による)小規模多品種有畜農業複合経営(いわゆる昔ながらの百姓がしていた自給自足の暮らし)をするゆるやかな共同体であり、地域自給圏であり、理想郷なのである。

 私たちが成熟社会を輝いて生きるための最も基本的な条件は、食の地域自給に基づいたゆるやかな共同、つまり、「食の杜」のような地域自給圏を確立しておくことにほかならない。

 それはすなわち、人として生きていくための最低限必要な再生産可能な循環型農業を営むことである。これは、人が輝いて生きていく地域を再生産していくことを意味していよう。したがって、佐藤忠吉さんが提唱する「食の杜」は、「理想郷」にとどまらず、成熟社会を生き抜くうえでの新しい社会的な「規範」になるのではないだろうか。 (第187回)