チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「米中神経戦切り札はトランプにあり」

2017-05-26 14:30:51 | 独学

 138. 米中神経戦切り札はトランプにあり  (ティム・マーシャル著 文芸春秋2017年6月号)

 本記事は、”特集” ”朝鮮半島クライシス” での ”米中神経戦切り札はトランプにあり” のインタビュー記事です。

 平和の反対側に戦争・紛争があります。憲法九条だけで、平和を考えていければ、ハッピーですが、平和の反対側の戦争や紛争や様々な武器や核や、神経ガスなどを含めて、本当の平和が考えられます。

 著者の地政学によって、米国、中国、ロシア、インド、EUなどの力関係を頭に入れて、世界情勢のニュースを聞くのと、知ることなく世界の平和を考えるのでは、その方向性に大きく違いが生じるのではないでしょうか。

 ここで述べている地政学は、私でも抵抗なく、理解できます。では、いっしょに読んでいきましょう。


 『 イギリスで出版され、ベストセラーになった「恐怖の地政学——地図・地形でわかる戦争・紛争の構図」が、ドイツ語、スペイン語、中国語などに翻訳されて世界中で話題を呼んでいる。

 昨年十一月に刊行された日本語版も既に七刷りまで版を重ねた。著者はティム・マーシャル氏(57)。コソボ紛争、アフガニスタン侵攻、アラブの春の騒乱、米大統領選など三十ヵ国以上の紛争地域や国際ニュースの現場に身を置いてきたジャーナリストだ。

 

 トランプ大統領誕生後の世界をどのように解釈し、理解すべきか、多くの人が悩んでいます。トランプについてまず言えることは、彼が次に何をするか、誰にもわからないということでしょう。

 彼はおそらく、意識的に予見できない状況を作り出している。結果として、彼が支配する「トランプ・ワールド」では、過剰なまでの予測合戦が起こっていて、「こうなるかも」 「ああなるかも」と、四六時中、人々は彼の次の一手を予測することに明け暮れています。

 世界の情勢を見通すことが困難な時代だからこそ、私の本が各国で注目されているのだと思います。地政学とは、国際情勢を理解するために地理的要因に注目する学問です。

 山脈がここに存在するから、大河がそこを流れているから、砂嵐が止まらないから——このような地形や気候の条件が、意思決定者の選択肢を規定しているからです。

 まだ二十代の駆け出しのジャーナリストとしてバルカン諸国を取材していた頃、私は地理や地形が、主要な政治や軍事の戦略を規定していることを、身をもって学びました。

 ベオグラードでセルビア人の友人から「セルビア軍は山岳地帯をどう防御するのか」 「NATO(北大西洋条約機構)はどこまで進軍するのか」 について、地図を広げながら解説してもらうと、ブリュッセルの広報機関が公表している以上にNATOの選択肢が限定的であることがわかりました。

 このことを、以後、あらゆる紛争地帯を取材する際に肝に命じています。 』


 『 四月六日、アメリカは地中海に展開していた海軍駆逐艦からシリアの軍事施設を空爆しました。米国がシリアを直接攻撃したのは、初めてのことです。

 今回のシリア空爆を、どう分析すべきでしょうか。そのためには、まずアメリカという国を地政学的に正しく理解しておく必要があります。

 「アメリカ衰退論」とでも呼ぶべき言説は、三十年以上前からありました。世界情勢を語る際に 「二十世紀はアメリカの世紀だったが、もはや……」 という枕詞でアメリカの将来を悲観的に語る言説です。

 でも実際は、二十一世紀の現在も「アメリカの世紀」であることに何ら変化はありません。実はこれは地政学的には当然の話です。アメリカは、地形によって運命づけられた「史上最強の国」だからです。

 確かにオバマ政権の八年間は、アメリカの国力が減退した印象を与えたかもしれません。今後、トランプ政権でどうなるかも分かりません。しかし、大統領が誰であろうと、アメリカの位置は変わりません。

 宝くじが当たり、どこの国でも買えるほどの富を手にしたとしましょう。私が不動産業者なら、真っ先に勧めるのはアメリカです。アメリカは東海岸から西海岸まで約五千キロも離れていますが、そこに存在する五十の州は、EUとは違い、一つの国としてまとまっています。

 敵が攻めてくるのであれば北か南からでしょうが、北にはカナダがある。カナダとアメリカは非常に密接な経済パートナーであり、二国の間は世界最長の非武装国境です。

 カナダ南西部の砂漠地帯も、敵の侵入を拒むはずです。一方、南のメキシコも、トランプが建設を狙う「国境の壁」がどうなるかはさておき、関係は深く、広大な国土を持っています。

 敵国がメキシコを通過してアメリカを攻めようとすれば、気が遠くなるほど長い兵站線が必要になるでしょう。東西南北を広大な海岸と、比較的友好関係にある隣国に接していることが、アメリカの「戦略的深み」となっています。

 地政学的に見たアメリカは、外部からの侵攻が不可能に近い、難攻不落の地なのです。さらに言えば、アメリカのことを知るためには、アメリカ大陸の地図だけを引っぱり出してきてもダメです。

 世界地図を眺めなければ意味がありません。アメリカは、日本の沖縄やペルシャ湾、地中海など、世界各地に何百という軍事基地を持っています。こうしたすべてを把握して、初めて「本当の国力」が浮かび上がってきます。 』


 『 今回のシリア空爆が長期的戦略に欠けた、反射的で浅はかな行動だったという批判はよく聞かれます。私は、この空爆は後世の歴史書に残るような「ゲーム・チェンジャー」(局面の大転換)ではないと考えています。

 アメリカにとって、シリアは、存亡を左右する存在ではないからです。だからこそ、オバマ大統領は在任中、アサド政権の化学兵器使用を目の当たりにしても、シリア情勢を成り行きに任せてきました。

 今回の空爆も、中東全体を見据えた長期的戦略ではなく、あくまで短期的戦術として捉えるべきでしょう。ただ、そこには三つの、決して小さくない成果がありました。

 第一に、ここ攻撃によってトランプは、大統領就任から百日以内に全世界に米軍の展開能力を誇示することに成功しました。同時に、化学兵器を使用したアサド政権に対して、「何らかの措置がとられるべきだ」という世論の期待に応えました。

 第二に、大統領選の最中から「トランプはロシアと結託しているに違いない」と騒ぎ立てている人々に対して「私はプーチンの操り人形ではないぞ」というメッセージを明確に打ち出してみせました。

 そして、最重要である三番目の成果が、中国に対して「北朝鮮問題に手を貸せ」というメッセージを、もっとも強烈な形で送ったことです。習近平国家主席の訪米に合わせてシリア空爆が行われたことが、その狙いを物語っています。

 習はフロリダ州パーム・ビーチにあるトランプの別荘マール・ア・ラーゴで、夫人同伴で夕食を共にしました。

 そして、デザートを頬張っているところでトランプはおもむろに、「たった今、シリアに五十九発のミサイルを撃った」と伝えたことを、米経済専門チャンネルのインタビューで明かしています。

 習はしばらく沈黙し、通訳を通じて「もう一度、説明してほしい」と聞き返したそうですから、その衝撃の大きさがうかがえます。その上で、「北朝鮮の状況について、手を貸してくれませんか」とトランプは習に求めたわけです。

 この行間に「さもなければ、シリア同様、北朝鮮も我々の手でどうにかしますよ」という、中国がもっとも避けたいシナリオが込められていたのは明らかでしょう。 』


 『 中国を地図で見れば、もっとも敵国に付け込まれやすい急所は、中朝国境です。ここに、アメリカの手が及ぶ事態は、何としても避けたいのが中国の本音です。

 もう一点指摘すれば、中朝国境付近を黄海に向かって流れる鴨緑江と日本海に向かって流れる豆満江。この二つの川で隔てられた隣国の政情が不安定になることは、中国にネガティブな影響をもたらします。

 ひとたび動乱が起きれば、二千五百万人の北朝鮮人民が、中国に大量の難民となって押し寄せる可能性があるのです。歴史を紐解けば、中国は昔から、外敵から緩衝地帯を確保することを基本戦略にしてきました。

 そして、今のところその戦略は功を奏しています。わかりやすい例が、インドとの国境です。

 中国とインド。互いに莫大な人口を抱え、政治的にも文化的にも相容れない二つの大国は、長い国境を接しているにもかかわらず、これまでに戦ったのは一九六二年に一回、それも一ヵ月間だけです。

 これは二国間に世界一高い山岳地帯、ヒマラヤ山脈が横たわっていることが大きな理由だと考えられます。

 加えて、西や北に目をやれば、チベットやウイグル、内モンゴルといった辺境の地が国境を形成して、その砂漠や山岳地帯が自然の要塞の役割を果たしています。

 これらの自治区では独立を求める運動が相次いでいますが、戦略的な重要性から、中国政府がこれを認めることはありえません。

 さらに中国とロシアの国境を眺めてみた場合、ロシアが進軍するのに最適な場所は極東のウラジオストクです。しかし、理由は後述しますが、ロシアの目は常に東欧に向けられており、極東からの進軍はありえません。

 このように見ていくと、中国が内陸から侵攻される危険性は低いことがよく分かるでしょう。つまり、中国にとって朝鮮半島だけが例外です。 』


 『 ここにアメリカと軍事同盟を組む韓国が主導する統一国家ができることは、中国にとって悪夢です。朝鮮半島を除けば、アメリカと中国が唯一衝突する可能性があるのが、海上です。

 中国ももちろんそのことを重視しており、もっぱら海の軍備を増強させてきました。これが中国のもう一つの基本戦略です。地政学的に見て、新しく地図を塗り替える動きと言えるのが、中国の「島」建設です。

 岩礁を埋め立てて既成事実を作り上げる——この作業を、中国は南シナ海で、驚くべきスピードで進めています。中国は地理を自分たちに有利に「作って」いるのです。

 将来的には中国はこの既成事実をどんどん拡大し、力ずくで押し通すようになるでしょう。今後は、中国が一方的に領有権を主張している南沙諸島の周辺の、フィリピン、ベトナム、マレーシアといった国々との関係をどうやって築いていくのかが焦点となります。

 現に、中国はフィリピンとの関係を修復させつつあります。このように見てくると、世界一、二の大国、つまりアメリカと中国と比べて場合、地政学的に「難攻不落の国」であるアメリカの方が、随分と恵まれています。

 トランプは習に、四月の首脳会談で、「北朝鮮が食糧を手に入れられず、石炭を売ることができなければよい」と伝えたようです。事実、首脳会談後の中国は、北朝鮮の外貨獲得の主力品である石炭の輸入禁止や、中国人観光客の北朝鮮渡航規制などを実施してます。

 一方でトランプは、原子力空母カール・ビンソンを北朝鮮近海に向かわせており、北朝鮮問題を中国が片づけないなら、自分たちでどうにかするぞ、という圧力をかけ続けています。

 軍事力についても、中国のそれは米軍の足下にも及びません。十年、二十年後ならまだしも、今の中国に本気でアメリカと渡り合うほどの準備はありません。

 となると、トランプに北朝鮮問題でいくら圧力をかけられても、中国は受けざるを得ない。つまり現時点では、軍事においても、貿易など他のあらゆる面においても、トランプ(切り札)を持っているのはトランプです。

 この二十年間で、中国が今ほどナーバスになっているのを私は見たことがありません。このように改めて整理してみると、アメリカにとっては大した経済的負担もなく実行されたシリアへの一度の空爆で、トランプ政権は極めて大きな果実を手にしたことが分かります。

 私はトランプ支持者ではありません。つい先日も、ホワイトハウス報道官が「ヒトラーはアサドとは違い化学兵器を使わなかった」と、とんでもない発言をした物議を醸しました。

 ところが、歴史観や常識を欠いても、必ずしも政権として愚かであるとは限らない。トランプが嫌いでも、この点に気づくことが情勢分析には重要です。 』


 『 アメリカ、中国に次ぐもう一つの大国、ロシアについても考えてみましょう。モスクワの繁栄を守るため、ロシアは歴史的に常に二つのことを企図してきました。

 一つはヨーロッパ平原から攻められた際の緩衝地帯を、東欧に維持すること。だからこそ、ウクライナに反ロシア政権が誕生することは何としても阻止せねばならなかったのです。

 たとえ世界中から「侵略行為」と非難されてもです。もう一つは、不凍港を求めて南下すること。だから、黒海艦隊の重要拠点であるクリミア半島の軍港セヴァストポリは、死守すべき生命線なのです。

 最後に、日本は一体どうすべきなのかを検討してみましょう。今、世界の発火点とでも言うべき場所は、二ヵ所あります。一つが先ほど説明したロシアと東欧、もう一つが北朝鮮——まさに日本の「ご近所」です。

 朝鮮半島と日本の対馬(長崎県)とは、わずか四十九キロしか離れていません。半島情勢がこれだけ緊迫する中、日本は今こそ、地政学に学ぶ必要があるでしょう。

 周辺の動きを常に注意深く観察している日本はすでに、中国に呼応するように軍事費を年々上昇せせています。防衛予算は五兆円を超え、過去最高となっています。

 昨年度は第二次世界大戦以降で最多となる航空自衛隊による緊急発進が行われています。その数、実に千百六十八回。中でも、中国機に対する発進は最も多く、八百五十一回だそうです。

 さらに日本政府は、事実上の空母と呼ぶべき「ヘリ搭載護衛艦」も配備しています。日本はアジアにおける軍事国家としてのプレゼンスを今後ますます高めていく、というのが地政学的観点から見た自然な流れです。

 いずれにせよ、国土の周囲をすべて海にかこまれた、資源に乏しい海洋国家である日本がとるべき地政学的戦略は限られています。それは一言でいえば、「シーレーン(海上交通路)を確保し続けること」に尽きます。

 今後どれだけ技術が発達しても、経済が発展しても、地形が変わらぬ以上、不変です。先述したように、中国が海で「地理を作る」行為を止めようとしない現状では、選択の余地はなく、アメリカをパートナーとするしかありません。

 そこに米韓同盟を組んでいる韓国も加えて考えてよいでしょう。日本と韓国は、地政学的に見ればもっと自然に良い関係を結び、軍事的にも協力関係を築ける間柄です。

 韓国の向こうに、北朝鮮、そして中国が控えているのですから、日本が韓国を味方につけておく地政学的メリットは極めて大きい。ただ、戦後七十年という期間が曲者です。増悪を持続させるには長すぎますが、すべての記憶を洗い流すには短すぎる。

 韓国の首都・ソウルは、朝鮮半島の南北に分断する三十八度線からわずか八十キロしか離れていません。全人口の約半数、二千万人が住む産業と金融の中心地は、北朝鮮の射程圏内に位置してます。

 金正恩というトランプ以上に予測不可能な指導者がいるために、憶測ばかりが飛び交う状況が生まれています。政治がギャンブルと見分けがつかない現状こそ危険なのです。

 三万人の在韓米軍が駐留しているとはいえ、強がる弱虫のごとく常軌を逸した言動を続けている金正恩は現実的脅威です。もし何かのきっかけでひとたび戦端が開かれれば、中国は国境を越えて北朝鮮を守り、緩衝地帯を死守しようと決断するかもしれません。

 したがって、日韓両国の間に感情的な行き違いがあるにしても、中国と北朝鮮に関する共通の利害がそれを上回ることは、双方認めざるをえないでしょう。

 やはり日本には、韓国、アメリカとの三ヵ国の連携をより密接にする以外の選択肢は見つかりそうにありません。 』


 『 現在、私たちは「不確実性の時代」に生きています。

 それはつまり、第二次世界大戦後の世界秩序を規定してきたブレトンウッズ体制(第二次世界大戦後の国際経済体制)——すなわち国連、EU(欧州連合)、NATO、WTO(世界貿易機関)、世界銀行などに象徴される組織や枠組み——が機能しなくなり始めたことを意味しています。

 二〇〇八年の金融危機に始まり、移民問題、南欧の高失業率、世界的な所得格差といった問題を、これまでの体制は解決できなかった。

 フィリピンにドゥテルテ、アメリカにトランプのような指導者が浮上し、フランスでもルペンが大統領になるかどうかが取りざたされる背景には、すべて「現体制の、機能不全」が存在します。

 不確実性に直面した時、人は内向きになりやすく、自己愛に傾倒しがちです。ナショナリズムの台頭はこれからも続くでしょう。現在、世界に存在する国境の「壁」のうち、七五%が二〇〇〇年以降に建設されているそうです。

 私は先週イスラエル・パレスチナの取材から帰ってきたばかりですが、ヨルダン川西岸地区の分離の壁もこの目で見てきました。今まさに「壁」が私の最大の関心事なのです。

 本来、世界中が瞬時にインターネットでつながるグローバル時代では、国境は開かれ、壁ではなく橋がどんどん建設されてしかるべきです。

 それなのに、現実の世界では逆のことが起こっている。バングラデシュを包囲するインドのフェンス、ブルガリアとトルコの国境の壁……そして次はアメリカとメキシコの間に壁が築かれるかもしれません。

 不確実性が高まっているからこそ、地理は究極のファンダメンタルズ(基礎的条件)として、ますます重要になります。ヒマラヤ山脈はいつもそこにあり続けます。地政学は、今まで以上に重要なツールなのです。(第137回)



ブックハンター「希望への扉 リロダ」

2017-05-18 10:10:59 | 独学

 137. 希望への扉 リロダ  (渡辺有里子作 小渕もも絵 2012年11月)

 本書は児童書ですが、著者は2000年から3年間、シャンティ国際ボランティア会(SVA)という日本の教育NGOのスタッフとして、タイにあるミヤンマー難民キャンプの図書館支援に携わった経験を基にして書かれたものです。

 私が本書を取り上げた理由は、以下のように考えたからです。

 ① 世界の各地に現在でも多くの難民キャンプが存在し、難民キャンプがどのように運営されているかが少しわかる。

 ② 世界には学びたくても、教育を受けられない多くの子供たちがいることを知る。

 ③ 日本は難民とどのように向き合うべきかを考えるヒントを与えれくれる。

 ④ 世界の民族紛争の芽は、植民地支配の時代に形成されていたのかと考えさせられた。

 ⑤ 日本で生活している私たちは、日本語だけで最新の科学技術から世界経済や政治の情報を得ることができますが、本書のカレン族であれば、それらの知識を得るためには、カレン語、ビルマ語、英語をマスターしなくてはならない。

 ⑥ 世界の人々は、2つに分類されます。一つは、図書館をほとんど利用しない人、もう一つは、図書館をよく利用する人です。

 ⑦ 本書の中に、一冊のノートが、一冊の本が、一つのちっぽけな図書館が希望への扉を開くことを知りました。

 ⑧ 日本人のボランティアが頑張っていることに、私は希望と誇りを感じました。


 私がこの本を知りましたのは、5月16日の朝日新聞の北海道版に音更町図書館司書・加藤正之さんの記事を読んだからです。最初にその「おすすめの本箱」から紹介いたします。

 『 タイトルにある「リロダ」とは、ミヤンマーのカレン族の言葉で「図書館」のことをいいます。リロダで働く図書館員は「リロダサラムー」です。ミヤンマーは135の民族が暮らす多民族国家です。

 人口の7割はビルマ族で、あとはカレン族、カチン族、シャン族などの少数民族です。ビルマ族率いる政府軍は、政治の権力を握ると、少数民族の権利を認めなくなりました。

 少数民族はビルマ族を同等の権利を求めましたが、その答えは村を攻撃するという形で返ってきました。カレン族の少女・マナポは、村にいつ危険が迫るかわからない状況の中、家族で隣国・タイの難民キャンプに入ることができました。

 マナポは難民キャンプでの高校生活が残り少なくなったある日、難民キャンプの中にリロダができることを知り、リロダサラムーに応募します。

 母親はマナポに先生になることを望んでいましたが、難民キャンプの中で学校に行けない子どもたちがいることを知っていたマナポは、そんな子どもたちのためにリロダで働きたいと考えたのです。

 マナポは研修を受け、リロダサラムーになりました。リロダは子どもたちで大にぎわいです。リロダに通ううちに字が読めるようになる子もでてきました。

 難民キャンプの人たちは、「リロダは宝物を見つけられる場所だ。私たちに未来に光をともしてくれる」と話します。ここには図書館を原点があります。 』


 これから、この物語の最初の部分を紹介していきます。

 『 マナポたちは、ミヤンマー南東部カレン州の、小さな村にくらしていた。五十人ほどの村人は、昼は畑をたがやし、床下の広い空間では、鶏や豚を育てていた。

 マナポの家族は、祖父母、両親、妹の六人家族。おじいちゃんは、長年の畑仕事で腰を痛めてからは、日中でも家ですごすことが多かった。しかし、村では長老として信頼が厚く、マナポの家にはたえず村人たちがおとずれた。

 顔じゅうに深いしわがきざまれ、眼光するどいおじいちゃんは、幼いマナポたちには、どこか近よりがたい存在だった。

 一方おばあちゃんは、いつもおだやかなほほえみをたたえて、だれからもしたわれ、両親が畑仕事をしている間、家事いっさいをまかされていた。

 「マナポ、今日はタルポを作ろうかね」 おばあちゃんといっしょに、夕飯を作るのは、マナポの日課だった。 「じゃあ、私はお米を粉にするわ!」 マナポの頭の中には、すでに香ばしく煮えたタルポがうかんでいた。

 手ぎわよく材料をそろえると、マナポは茶色く炒られてお米を石臼でつきながら、「おばあちゃん、私、学校へいきたいな」 とつぶやいた。 「どうしたんだい、急に」 

 「お母さんが少しずつ、カレンの文字を教えてくれたけど、もっといろんなことを知りたいの」 「マナポ、その気持ちは大切だよ。一つずつ、いろんなことを知っていくことで、どんどん大人になっていくんだからね」

 「だけど、お父さんもお母さんもいそがしくて、なかなか私たちの勉強を見てくれないわ。もし学校へいくことができたら、毎日いろんなことを勉強できるんでしょう?」

 マナポの澄んだ大きな瞳に見つめられたおばあちゃんは、人一倍好奇心が強いマナポの思いに、どう答えてよいかとまどい、複雑な気持ちになった。

 ”もし私が文字を読んだり、書いたりできたら、この子にもっといろいろなことを教えてやれたのに……” マナポたちの村には学校がなかった。いくとすれば、となりの村の小学校まで、山を一つ越えなければならない。

 おじいちゃんは村人たちから、「なんとかこの村に、小学校をつくれないものでしょうか」 と相談をうけていた。となりの村まで通うには、子どもの足では遠すぎる。しかし親たちが心配していたのは、もっとべつのことだった。

 「学校へいく途中、もし子どもたちが政府軍の攻撃にあったらどうしますか?」 「べつの村では、男の子たちが山の中でさらわれて、今じゃ軍で働かされていると聞きました」

 村人にとって、何よりもこうした不安が、いつでも大きな壁となって立ちふさがっていた。 』


 『 マナポが生まれたミヤンマーは、百三十五もの民族がくらす多民族国家だ。人口の約七割がビルマ族、あとはマナポたちカレン族をはじめ、カチン族、シャン族、モン族、カレニ―族など、さまざまな少数民族が共にくらしている。

 しかし、ビルマ族が率いるミヤンマーの政府軍は、政治権力をにぎったとたん、国内の少数民族には、ビルマ族と同じ権利を認めてくれなかった。

 「私たちにも平等な権利をください!」 「自分たちの文化や言葉を認めてほしい!」 いくつかの少数民族は、そう、政府にうったえた。しかし、その答えは、人々や村を攻撃するというかたちで返ってきた。

 いつ、自分たちの村にも、危険が迫るかわからない。そんな恐怖にさらされたくらしが、ずっと続いていた。

 ”この村で、子どもたちに教育を受けさせたいのはやまやまだ。しかし、学校をつくっても、いったい先生はどうする? この村で小学校を出ている大人は、ほとんどいない。それにもし、政府から禁じられた民族の言葉、カレン語で子どもたちが勉強していると知られたら、この村は……”

 と、マナポのおじいちゃんは、子どもたちの未来を思う気持ちと、命を守る責任とのはざまで、途方にくれていた。

 「いいにおいだな、今日はタルポを作ったんだね」 聞きなれた、低くひびく声にマナポがふり向くと、畑からお父さんとお母さんがもどってきたところだった。 

 お父さんの背丈はそれほど高くなかったが、長年の畑仕事で、両腕の筋肉はたくましくもりあがり、褐色に日焼けした肌は、健康な輝きをたたえていた。

 お父さんは大きな手で妹のレポの頬をなでると、「今日はお土産があるぞ」 といって、お母さんにニヤリと目くばせをした。 「お父さんが畑のそばで大きなカエルをつかまえたのよ。新鮮なうちに料理するわね」

 お母さんは、カエルの肉を細かく切ってやき、炒めた玉ねぎに唐辛子とまぜあわせた。「そうそう、畑でインゲンがたくさん取れたから、タヘポも作るわ」 

 お母さんはマナポに取りたてのインゲンを洗ってこさせと、ナッツ、オクラ、キュウリといっしょにゆで、ニャウティ(魚醤)をたらりとかけた。

 するとたちまち香ばしいにおいがあたりにたちこめ、マナポは、「今日はごちそうね! 早く食べたいわ」 と思わずお腹を手でおさえた。

 家族みんながそろう夕飯時は、一日をしめくくるたいせつなひとときだ。できたての料理を前に、みんなは円くなってすわり、目をつぶって祈りをささげた。

 食事中には、お父さんとお母さんが、その日の畑のようすを聞かせてくれた。もうじきサトウキビが収穫できそうだという。なごやかな食卓に、マナポはお腹も心も満ち足りた。

 食事が終わると、おばあちゃんがマナポとレポに、「さあ、二人ともお皿を洗う手伝いをしておくれ。それが終わったら、お話をしてやろう」 と声をかけた。二人は顔を見合わせ、われ先にとお皿を片づけはじめた。

 「今日はおばあちゃん、どんな話をしてくれるのかしら」 と、マナポがタライの水の中でお皿を洗いながらいうと、 「この前のおばけの話はこわかった。今日は楽しい話がいいな」 と、レポも期待に胸をふくらませた。

 二人にとって、何よりの楽しみは、寝る前におばあちゃんが語ってくれるお話を聞くことだった。マナポは、「おばあちゃんの頭のなかには、いったいどれくらいのお話が入っているの?」 とたずねたことがある。

 するとおばあちゃんは、大きな口を開けてわらいながら、どこか茶目っ気のある瞳で、「私が子どもだったころ、いろんな人たちがたくさんのお話を聞かせてくれたからね。頭の中にどんどんお話が入ってきたんだよ。楽しいお話、悲しいお話、こわいお話も、みんなね」

 そういって、たくさんのお話が飛び出さないよう、頭をおさえるしぐさをした。マナポはおばあちゃんのそのすがたがおかしくて、口をおさえてわらった。 』


 『 その晩、いつものようにおばあちゃんは、ならんですわる二人の前に、ろうそくを置くと、まずお話をはじめる前に、小さな声で歌を歌ってくれた。

 ♪ お母さん 暗くなってきたよ わたしのそばでねんねんして ぐっすり眠れるように抱きしめて 

 お母さん 暗くなってきたよ 楽しいお話 聞かせて 幸せな気持ちになれるように お話してくれなくちゃ

 おこって泣いちゃうよ フンフンフン ♪

 マナポとレポは、最後のところで思わずクスクスとわらった。なんだか体をくすぐられるような感じがしたからだ。さあ、いよいよお話がはじまる。二人は期待のこもった眼差しで、おばあちゃんの顔を見つめた。

 おばあちゃんが口を開きかけたそのときだった。お父さんが、マナポたちの前をサッと手でさえぎると、けわしい顔で口の前に指を立てた。

 ”合図だわ!” お父さんがこういうしぐさをしたときには、ぜったいに声を出してはいけない。そのことをマナポもレポも、幼いころからの経験ですでによくわかっていた。

 暗闇の中、ろうそくの炎だけが静かにゆらゆらとゆれている。マナポたちは息を殺し、どんな音も聞きもらすまいと、身動きもせず意識を外に集中させた。

 トッケー、トッケー、のんびりとしたヤモリの鳴き声に混じって、遠くから、ポコポコポコ、ポコポコポコ、という何かをたたく音が聞こえてきた。

 その音はマナポたちを急き立てるように、どんどん、どんどん早くなっていく。お父さんはすっくと立ち上がると、「軍がくる! 急がなくては!」 とするどくいい放った。

 その言葉を聞いたお母さんは、口元をきゅっと一文字にし、夕食のときとは別人のようなかたい表情で、部屋のすみにならべてあった籠を次々とお父さんとおじいちゃんに手渡した。

 その中には、いつでも持ち出せるように、お米や豆といった数日分の食べものや食器、衣類が入っている。「ぜったいに声を出しちゃだめだ」 お父さんは小声でみんなにいうと、部屋のまん中に灯るろうそくの炎を、素早く吹き消した。

 マナポたちは月明りだけをたよりに、暗い山の奥へと急ぎ足ですすんだ。夜中にこの道を歩くのは、もう何度目だろう。マナポたちが目ざした山の中の洞窟は、入り口は、大人が腰をかがめて、ようやく入ることができるほどの大きさしかなかった。

 しかし奥にすすむにつれて天井が高くなり、少し広い空間になっている。お母さんは妹のレポの手をしっかりとにぎり、穴の一番奥へとつれていった。その後をマナポとおばあちゃんが続いた。

 おばあちゃんは家から急ぎ足で歩いたせいで、まだ息が荒かった。マナポは、そんなおばあちゃんの片手をぎゅっとにぎっていた。お父さんとおじいちゃんは洞窟の入口にかがみこんで息をころし、外の気配を全身で感じとろうとしている。

 しばらくすると、マナポたちの村のある方角から、ダダダダッ、ダダダダッと、はげしい銃声が聞こえてきた。お母さんとおばあちゃんは、マナポとレポの手をにぎり、祈るように固く目を閉じてうむいている。

マナポの顔と背中には、汗がいく筋も流れた。どれくらいそうしていたのだろう。ようやく銃声が聞こえなくなると、お父さんが洞窟からそろそろと顔を出し、外のようすをうかがった。

 そしてもどってくると、「村の方角から火の手があがっている……」 と、ぼう然としたようすでつぶやいた。その言葉におじいちゃんは、「なんということだ!」 と、こぶしで地面をたたいた。

 おばあちゃんとお母さんはただだまり、うつろな表情で宙を見つめている。マナポの耳には、さきほどの銃声がまだ残っていた。 ”でも、いつものようにきっと、家に帰れるはずだわ”

 しかしマナポの淡い期待は、すぐにお父さんの言葉で打ち消された。 「もう村には帰れない。しばらくこの洞窟でくらすことになるだろう」 ”しばらくって、どのくらい?”

 マナポはそう、声に出してたずねたかった。しかし、お父さんのいかりと悲しみに満ちた表情をみると、その言葉を口にすることはできなかった。 ”このまま村にはもどれないのなら、あの人形を持ってくればよかった……”

 その人形は、十字に組んだ木に、お母さんが小さな服を作って着せてくれた、大切な宝物だった。しかし、マナポが失うことになるのは、宝物にしていた人形だけではなかった。

 家も畑も、生まれ育った村も。そして何より、この日をきっかけに、大好きな家族といっしょにすごす日々も失うことになろうとは、マナポは想像すらしていなかった。 』


 これから、おじいちゃんとおばあちゃんを残して、お父さんとお母さんとマナポとレポの4人が、ミヤンマーとタイとの国境を越える逃避行のすえに、タイの難民キャンプに到着します。そこで、マナポは小さな図書館と出会います。

 私が紹介できるのはここまでです。(第136回)

 


ブックハンター「才能の見つけ方天才の育て方」

2017-05-10 10:23:56 | 独学

 136. 才能の見つけ方天才の育て方  (石角友愛(いしかどともえ)著 2016年6月)

 本著は副題として、「アメリカ ギフテッド教育最先端に学ぶ」とあります。著者自身が現在アメリカで子育てしながら、経営活動をしながら、幼児のサイエンス教育、クリエイティビティ教育について研究を続けています。

 私がこの本を紹介しますのは、ギフテッドチルドレンの才能の見つけ方そしてその才能の伸ばし方は、すべての人間(0歳~百才まで、凡人から天才まで)に当てはまると考えて選びました。

 才能はできれば、見つける人とそれを育てる人がいれば一番良いのですが、私(70歳)でも、やって見なければ、自分のどこに小さな才能が眠っているかは、わからないものです。

 とにかく多様な教育方法をトライして、よりクリエイティブな人材を育てていく必要があると思います。日本の老若男女がわずかでもよりクリエイティブな生活目指して、多様な挑戦が必要と考えてこの本を選びました。


 『 アメリカやカナダでは、10代の子どもが大人顔負けの研究や発見をすることはめずらしくありません。彼らは「gifted=ギフテッド」(神に与えられた才能を持つ人=天賦の才のある人という意味)と呼ばれ、特別な教育=ギフテッド教育を受けていることも少なくありません。

 特にアメリカでは、ギフテッド・チルドレンの発掘と育成は、家庭の枠を超え国家レベルでの責務とされ、数々のギフテッド教育のための団体や学校が存在します。

 ギフテッド・チルドレンは、社会経済的な背景に関係なく、どんな階層・地域にも存在すると言われ、アメリカでは約6~10%の子どもがギフテッドという統計があります。

 私は現在、アメリカ・カリフォルニア州のパロアルト市に住み、幼稚園生の娘と乳児の息子を育てていますが、娘の今後の教育方針を研究する中で、「ギフテッド教育」の存在を知りました。

 そして、私自身がもとから発達心理学などを専攻していたことから興味を持ち始め、ギフテッド教育に特化した専門家たちで構成される、アメリカで一番歴史が古く、大きな団体である全米天才児協会に入会し、多岐にわたるアメリカのギフテッド教育の最先端の情報を学ぶ機会を得ました。 』


 『 では、どのような才能を持つ人をギフテッドと定義するのでしょうか?実をいうと、世界的に統一された定義は存在せず、アメリカだけをみても、連邦政府、各州政府、また各学校の多くが、独自の定義と評価方法をもっています。

 米国連邦政府の定義は、「ギフテッドとは、知性、創造性、芸術性、リーダーシップ性、または特定の学問での偉業を成し遂げる能力のある個人を指す。また、その能力を開花させるために特別のサポートを必要とする個人を指す」とされています。

 また、前出の全米天才児協会による定義では、「ギフテッドとは、例外的な論理能力と学習能力の才能を持つ個人を指す。分野は大きく分けて二つあり、一つは言語化・記号化された分野(数学、音楽、言語等)と、二つめは感覚運動能力の分野(絵、ダンス、スポーツ等)がある」となっています。

 ギフテッド教育心理学の研究者として有名な、モントリオール大学のフランソワ・ガニエ教授は、次のように定義してます。

 「ギフテッドとは、未訓練かつ自発的に表に出る自然な能力のことを指し、最低でも一つの分野で同じ年齢の子どもたちと比べ上位10%に入る能力を持つ場合、ギフテッドと定義される」

 このように様々な定義がある中で、私は、ガニエ教授の定義にある、”未訓練(untrained)” かつ ”自発的(spontaneous)” という言葉に注目しました。

 暗記式テストで100点満点がとれる子どもは、努力型の秀才児であって、だれにそうしろと言われなくても、内から自然に、生まれつき湧き出し能力をギフテッドといいます。 』


 『 ある公立小学校の4年生の教室に、ジャイロという少年がある日転入してきました。ジャイロの母国語はスペイン語で、英語はまったくしゃべれません。ジャイロは今まで学校に通ったことがなく、また彼の家族には家がありませんでした。

寝泊りをしているのは、両親が持つ自家用車の中です。そんな彼が転入してきて2日目。ほとんど口をきかない彼が、小さな声で、”I griega”とつぶやきました。

 これはスペイン語で「Y]のことです。先生はその後、ジャイロが黒板に書かれていたアナロジーの答えを言っているのだと気がつきました。 13:25=M:▢

 Mがアルファベットで13番目なので、25番目はY だ、という論理的推理のことをアナロジーと呼ぶのです。全く英語がしゃべれず、アナロジーの手法や教室での授業形態もあまり知らないジャイロが、正解を述べてことに、先生は驚きを隠せませんでした。

 彼がアナロジーを解くということは、黒板に注意を払う観察力や、点と点を結び関係性を発見する能力があるということだからです。

 それから数週間後、ジャイロはNNAT(ナグリエーリ非言語テスト:Naglieri Nonverbal Abilities Test)を受けることになるのですがその結果、彼は全問正解していることが判明しました。

 ジャイロは正真正銘のギフテッドだったのです。ジャイロのような生徒は、普通のIQテストでは真の能力は発揮されません。英語が読めず、喋れないからです。 』


 『 ギフテッドというと、皆さんも「周りより秀でていて」 「周りのロールモデルになっていて」、「モチベーションを高く持ち、成績優秀で」、「家族に評価される能力をもっていて」、「精神的に大人びていて」、「助けがなくても成功できるような才能の持ち主」というような、ドラえもんの出来杉君のような子どものイメージを持っていませんか?

 それとも、ギフテッドと聞くと、ちょっと周りと違う変人タイプを思い浮かべますか? クロス博士によると、前にあげたような形容は、全部よくありがちなギフテッド・チルドレンに関する誤解なのだそうです。

 実際、ギフテッドは本当に多種多様なタイプの子どもがいるため、パターン化するのは難しいのですが、多くの場合、整理整頓能力がなかったり、モチベーションを高く持っていなかったり、恥ずかしがりやで引っ込み思案で目立たない子どもだったりするのです。

 ギフテッド・チルドレンの多くに見られる特徴として、非同期的な成長が挙げられます。

 たとえば、普通の12歳の子どもの場合、知覚面、精神面、学力面、社会面、体力面等における成長過程がどれも平均値の中に入ることが多いのですが、ギフテッドの場合、そのうちどれか一つだけが抜きん出ているけれど、他のものは平均以下、ということが多いのです。

 「ギフテッド・チルドレンは、周りの友達、親、先生にどう思われているかによって大きく影響を受けるという研究成果があります。

 もし周りから精神的におかしい、性格に問題がある、または、クリエイティブ過ぎてエキセントリックだ、というように思われた場合、多くの子は周りに同調することでそのような烙印を回避します。

 多くのギフテッド・チルドレンにとって、成績が悪くても人気があることの方が、成績優秀で社会から孤立するよりも、大事なのです」 』


 『 アメリカで最近話題になったジャック・アンドレイカ君は、15歳の時に、一番発見が難しいと言われている膵臓がんを90%の精度で検査できる新検査法を開発しました。

 彼は、親しくしていた叔父を膵臓がんで亡くしたことをきっかけに、技術革新が進んでいない腫瘍マーカーによる血液学的検査法に疑問を持ち、自分でよりよい検知方法を開発することを決意します。

 その後、カーボンナノチューブと紙片を使い、90%の精度で膵臓がん、卵巣がん、肺がんなどを検知できる方法に成功します。しかも、彼の方法は従来の検査方法より170倍早く、2万6千分の1の費用で済みます。

 ジャック・アンドレイカ君には兄がおり、彼もギフテッドなのです。その二人を育てたお母さんのジェーン・アンドレイカ氏がどのように子育てをしたきたを紹介します。


 ① 結果は褒めるな

 褒めるのは過程のみ。努力したというそのプロセスを褒めるのが大事であり、誰でも結果がだせるようなもので金賞をとったとしても、それは褒めてはいけないと、ジェーン氏は話しています。

 「頭がいいね」などという褒め方をすると、新しいこと、さらに難しいことにチャレンジしたときにそうではなくなったり、間違いをするのを怖がる子どもになってしまいますが、努力した過程を褒めると、努力すること、チャレンジすることが素晴らしいのだというスキームが子どもの中で出来上がり、新しい学習チャンスを逃さないようになるということです。


 ② 答えは絶対に教えない

 例えば、「どうして葉っぱの色は秋になると赤くなるのか?」というように簡単に親が説明できる質問だとしても、自分で答えにたどり着くプロセスを教えることが大事だというのです。


 ③ アイデアブックを活用せよ

 ルークとジャック兄弟は、常にアイデアブックというものを持ち歩いていて、どんなアイデアでのよいのでノートに書き留めるようにしていたそうです。

 例えば、今度やってみたいサイエンスの実験のアイデアや、自分が考えた物語のプロット等。そしてそのノートをしょっちゅう眺める癖をつけるのが大事だということです。

 日本でも、「情報は1冊のノートにまとめなさい」(奥野宣之著)が、1冊のノートにアイデアをまとめることを推奨しています。

 私がこのアイデアブックに関して面白いと思ったのは、右脳の中で張り巡らされている想像力を、ノートに文字という形にすることで左脳も使われて、whole-brain child (右脳も左脳も同じだけ発達している子供のこと)になることです。

 ダニエル・シーゲル医師が書いた「The Whole-Brain Child」という本はアメリカの子育てのベストセラーとなっていますが、この中で、自分の中の感情や想像力を、言葉や文字におとすことが、いかに大事かが書かれています。

 右脳と左脳両方が刺激を受けて発達することにつながり、感情的に浮き沈みのないEQ(感情のコントロールや共感度などを含む、心の知能指数のこと)の高い子に育つということです。


 ④ 簡単な成功などない

 常日頃からジェーン氏はルークとジャックに小さなステップの積み重ねが大きな成功につながると教えていたそうです。ルークがある日、川でカヤックをしていたとき、水がオレンジ色になっているところを見つけ、「なぜ水が明るいオレンジ色をしているの?」と聞いてきたとき、

 ジェーン氏は、「なんでだろうね。どうやったらその理由が解明できると思う?」と促し、それが結果的に、2012年のインテル国際学生科学フェアで優勝するプロジェクトにつながったそうです。(ルークは9万6千ドルを賞金として受賞)

 そのプロジェクトの中で、数々の小さなステップを繰り返し、最終的にはそのオレンジ色が酸性鉱山廃水によるものだということを発見し、化学的、政治的、環境問題的観点から物事を解明していったそうです。


 ⑤ 世の中の問題は、実は最高のチャンスである。

 ジェーン氏は、常に息子たちに、身の回りに起こることや社会の問題に目を向けるように育てたようです。それも、ただ問題意識を養うためではなく、「問題に見えるところに実はチャンスがある」ということを教えるためだったと言います。

 これは、高校1年生にして果敢にも膵臓がんの新しい検知法を発明したいと思い立ち、行動に移したジャックの起業家精神あふれる行動からも垣間見られると思います。

 また、ジャックはこの新しい検知法を発明したときに、研究を続行するための多角的な支援を受けるため、実験プロトコル(取り決め)と論文、予算タイムラインなどを記載した事業計画書なるものをジョンズ・ホプキンス大学と国立衛生研究所に在籍する200人の教授と研究者に送付したのです。

 うち199名から断りの返事が来て、たった一人だけ返事をくれたのが、ジョンズ・ホプキンス大学医学部化学生物工学教授のマイトラ博士だったのです。この何回断られても目的を達成するまで諦めない姿勢は、まさしく起業家的能力ではないでしょうか。


 ⑥ 親の辞書に「面倒くさい」はない

 子どもたちは学業で忙しいもの。色々なコンテストやコンクール、イベント、サマーキャンプ、学校等の調査をし、申し込みをし、関係者や教授たちと親しくなり事前準備を進めるのは全て親の役目であり、「面倒くさい」と親が思ってしまったら、何も始まらない、ということです。

 ジェーン氏の場合も、二人の息子の本当の才能がどこにあるのか発見するまで、多くのトライ&エラーを繰り返したそうです。ピアノ、バイオリン、水泳、演劇、野球、造形など与えられた選択肢は全て試されて、全部だめだったといいます。

 最終的に、息子たちの才能はサイエンスの世界で花開くと気づいたのですから、これはもう、やらせてみるしか方法はないのだと思います。

 ジェーン氏は、「自分の子どもが18歳になってはじめて、「あなたはどんなことに興味があるの?」なんて聞く親はだめだ」と言い放ちます。

 学校というのは、基本的な読み書きや色々な教科を幅広く教えるところではあるけれど、子どもの才能を伸ばす場所を学校にもとめるべきではないのです。

 「子どもの才能を見つけてのばす」という20年近いスパンにわたる壮大なプロジェクトのプロジェクト・リーダーは、他のだれでもない、子どもの親しかいない、ということを忘れてはならないのです。 』

 

 『 アメリカで一番古い教育法は、親が子どもを家で学ばせるように義務づけるものだったと言われているように、アメリカでは1870年代までホームスクーリングは盛んに行われていました。

 その後公教育などの整備がなされホームスクーラーは減りますが、1950年代にその魅力が再認識されるようになりました。1980年代以降急速に増え始めたと言われています。

 ホームスクールで育ったひとの中には、社会で大きな影響を及ぼした人が多くいるのも面白い点です。発明王のトーマス・エジソンも、実はホームスクーラーでした。

 エジソンは学校になじめず、先生から劣等生の扱いを受けていました。そして、わずか3ヶ月で小学校を退学してからは、ずっとホームスクールで育ったということです。

 彼の数々の逸話の中でいかにもギフテッドらしいなと思うのが、算数の授業で、1+1=2というのを素直に受け入れられず、「一つの粘土ともう一つの粘土を合わせたら大きな一つの粘土になるのになぜ1+1は2なのか?」と先生を質問攻めにしたというものです。

 そのような強い好奇心から、先生たちを敵に回してしまったのでしょう。退学後は家で独学で化学などを学び、多くの実験や研究に時間を費やしていきます。

 また、エジソンに似たタイプの、学校になじめなかった天才として、本田宗一郎も挙げられます。彼は学校に全く興味を見出せず、保護者が成績表に押さなければいけない印鑑を偽造し親の代りに自身で印鑑を押していたというエピソードがあるくらい、型にはまらないタイプでした。

 天才発明家タイプ以外でも、ホームスクーリング経験者は多くいます。私が興味を惹かれたのが、アメリカの歴代大統領44人のうち、実に32%にあたる14人がホームスクーラーだったのです。

 1863年に奴隷解放宣言を出し、「人民の、人民による、人民のための政治」とスピーチをしたエイブラハム・リンカーンは、独学で法律を学び弁護士になったことは有名ですが、彼もホームスクーリング経験者の一人です。 』 (第135回)


ブックハンター「知の現場」

2017-05-02 08:41:25 | 哲学

 135.  知の現場  (NPO法人知的生産の技術研究会編 2010年1月)

 現在活動している21名の方々に、あなたの「知の現場」とは何かをお聞きしたものが本書です。どのようにテーマや課題を設定し、情報を収集し、どのように組み立て、編集し、著作や問題化解決に導いていくかをインタビューしたものです。

 私たちもアイデアをなんらかの形あるものにすることによって、様々な発見やヒントや成果が得られ、次のステップに立てるのではないでしょうか。

 テーマや問題を文章にするにしても、問題解決の糸口を探るにしても、アイデアを検証するにしても、それらを文章や図や絵コンテにして、多くの人に理解してもらって、協力してもらう必要があります。この中から、何人かを紹介したします。


 原尻淳一 本業はマーケティングプランナーで、アーティストや映画などのマーケティング・リサーチやプラニングを行っている。1972年、埼玉県生まれ、「IDEA  HACKS!」 「PLANNING  HACKS!」 などの著書があり、大学講師も務めてます。

 『 龍谷大学大学大学院時代、フィールドワークの技法を研究しようと、鶴見良行先生の自宅の仕事部屋を見学させていただきました。鶴見先生は、偉大なアジア研究者です。

 徹底したフィールドワークと学術資料から「バナナと日本人」 「ナマコの眼」などの代表作を生み出されました。私がお宅にうかがったのは、先生がお亡くなりになって2年くらい経っていた1997年頃でした。

 まず、玄関を開けた瞬間に、目に飛び込んできたのは、アジア関連の書籍がびっしり詰めこまれた本棚でした。そして、通路にも本棚が並び、そこをすり抜けて仕事部屋に入ります。

 そこで見たものは、アウトプットを生み出すための大変優れたデータベースシステムでした。私はそのすべてに圧倒されました。そのシステムにはデータベースが三つありました。

 まず一つ目は「読書カード」です。本のタイトルと自分が気になったところを抜き書きしてあるカードで、4万枚ほどありました。そしてキーワードごとにきちんと整理されていました。

 二つ目は「写真」。鶴見先生ご自身が現場で撮影したものです。腕前はプロ並み。美しいものばかりでした。そして、三つ目が「フィル―ドノート」で、これは現場で書いた日記です。これも、ほとんどがそのまま本になるほどのすぐれた文章でした。

 この三つのデータベースから、データを取り出して並べ替えることによって、アウトプットである本を作ってしまうのです。つまり「再編成するだけで本ができる」という、非常に優れたシステムをコツコツと作り上げていたのです。

 特に名著「ナマコの眼」は、このシステムの集大成です。私はとても感動し、自分も実践したいと思いました。これを知った時は、大学院の修士課程の1年生の終盤でした。

 卒業までの1年間では、このシステムを作りあげるのはとうてい無理だと思いました。もっと早く知りたかったですね。 』


 『 卒業後、私は広告代理店に就職し、マーケティング・プランナーになりました。多くの仕事を抱え、短時間で、企画書をどれだけ効率よく作れるかが問われます。

 当時、私は梅沢忠雄先生の名著「知的生産の技術」を何度も読んでいました。そして前述した、鶴見先生のデータベースシステムを自分のプランニングに活かせないだろうか。

 つまり、自分で優れたデータベースを作り、そこに蓄積された要素を編集して企画書を作るというシステムを構築したい。そういったことをずっと考え続け、試行錯誤を重ねていきました。

 もちろん、鶴見先生の時代と比べて、技術は格段に進化し、仕事のスタイルも変化してます。そこで、WEBの技術やツールを使い、改良を重ねて完成したのがハニカム・データベースシステムです。 』


 『 このシステムは、六つのデータベースで構成されています。このデータベースは、蜂の巣構造になっており、真ん中にある六角形(ハニカム・データベース、アウトプット用)の周囲を六つのデータベースで構成されてます。

 1. アイデアファイル

 「これは面白い! 美しい!」と思ったものが詰まったファイルです。「グラフ」 「ランキング」などのカテゴリー分けしたクリアファイルを用意しています。主に、雑誌やフリーペーパーの切る抜きを集めているだけですが、非常に刺激的なファイルです。

 2. 携帯電話メモ

 携帯電話のメモ機能を利用して、気づいたことをその場でメモしたり、面白いと感じたものを写真に撮ったりします。ひらめきの瞬間を逃さず記録するアイデアデータベースです。

 3. データファイル

 ウェブ上で公開されているデータをブラウザの「お気に入り」でせいりしています。仕事上、統計データをよく利用しますので、政府が出しているもの、広告代理店が発表しているもの、企業の研究機関が公表しているものなどを整理してまとめています。

 4. ブログ

 日記とともに、日々収集したネタから、これは使えるというものを書いています。また、「読書カード」というカテゴリーを設けて、読んだ本の中で使えると思って部分をページ数とともにメモし、自分の感想を含めてアップします。

 5. 教訓ノート

 仕事で経験してきたこと、思ったことをまとめたノートです。プロジェクト終了時に総括したり、本を読んで実行しようと思ったことなどが書き込まれています。新しいプロジェクトを始めるときには、必ずこれを読みます。自分の行動規範になっています。

 6. 名作ファイル

 過去に作成した企画書で、今後も参考になるものを集めています。企画書を作る際のお手本ですね。宣伝プランや事業計画など、カテゴリー分けしてすぐれた企画書を集めています。次回、企画を立てるときに参考にして、漏れがなく進めるようにします。 』


 『 以上がデータベースですが、これは料理にたとえると、レシピや冷蔵庫のようなものです。この中に材料をどんどんストックしていきます。そして、アウトプットするときには、レシピを見ながら材料を取り出し、料理をするイメージです。

 このデータベースが充実していれば、アウトプットの際に、再び参考資料や本を読んだり調べたりするという時間が短縮されるのです。あとは日々データベースにデータを蓄積して充実させていくだけです。

 情報収集のコツは「入れる場所を用意しておく」ということですね。私の場合、入れる場所はもちろん、先ほどのデータベースになります。そして、どこにいても何をしていても、そのすべてが情報源です。

 至るところが知の現場といえますね。日常的に、これ必要だな、面白いなと感じたものは確実に押さえます。ストックする場所(データベース)は用意してあるので、そこに入れるだけなのです。

 本には付箋を貼って、あとでパソコンに入力する。歩いていて気になったものは、携帯電話のカメラで写真を撮る。誰かと会話していても、そのそばからブログにアップする。

 雑誌は破ってファイルに溜める。アイデアは携帯電話でメモをする。不思議なもので、データベースをつくることを常に意識していると、それに合ったものが自ずと集まってくるようになります。

 さらに、効率を高めるための工夫もしています。たとえばブログは、私の場合「はてなダイアリー」を使っています。書籍は、タイトルなどを入力するだけで、著者名や出版社、本の画像などが自動で入り、自分で書く手間が省けます。

 このように、すぐに入れられて、入れる際にも、なるべくストレスが軽減されるものを選ぶことが重要です。 』

 

 『 アイデアを出したり企画書を練るときは、まず情報を拡散してから収束していくという流れを必ず意識しています。拡散の段階では、チームメンバーなどと、たくさん会話をし、アイデアを出し切ります。風呂敷を全部広げることを心がけています。

 全部出し切って、次に整理をする。そのうえで収束していき、さらに良いものに変えていくのです。資料、データを広げたうえで、方法を変えてみようとか、レシピが悪いんじゃないかとか、違うものを取り入れてみようなどということが話し合われます。

 そういった議論や研究を通して、新しさが出てきます。そういうステップを踏んで、最終的な方針をきめていきます。

 そうして、企画書などのアウトプットを作成するときは、誰にも邪魔されない環境を作り出し、一人で籠ります。本、企画書など、アウトプットするものによって、それぞれふさわしい場所を用意しています。

 たとえば企画書の場合は、会社の会議室を予約し、そのときの参加者を自分一人にします。大きな机に資料を全部広げ、それらを眺めてから一気に取りかかります。

 本を書くときには、行きつけの喫茶店があります。そこはアールデコ調のシックな内装で。クラシックのBGMが流れている。とても雰囲気の良いところです。

 そして、喫茶店という他人の視線がある環境から、ちょっとした緊張感が生れ、原稿が進みます。会社が終わったら喫茶店に行って、ラストオーダーまで書くという感じですね。

 その他にも、ノートパソコンがあれば、どこでも仕事ができるので、カフェやホテルのラウンジなど落ち着いた雰囲気の場所を知的生産の基地として利用しています。

 そして、アウトプットをつくり始めたら、一気にとことんやってしまいます。家でやっていると、気づいたら朝、ということも珍しくありません。一気にやってしまうのは、長い準備期間があるからかもしれません。

 データベースに蓄積する。そのテーマに関して、常に頭の中で考え続ける。そうすることによって気持ちがだんだん高まってきます。たとえていえば、少しずつ火薬が入れられていくようなイメージでしょうか。

 すると、だんだんイライラしてくる。そして溜まりに溜まったものを爆発させるかのごとく、ドーンと一気にやってしまい、仕上げてしまうのです。 』


 武者陵司 1949年長野県生まれ、横浜国立大学経済学部卒業後、大和証券で企業調査アナリスト、大和総研アメリカで調査部長、ドイツ証券副社長を歴任後、現在武者リサーチ代表取締役。

 多くの証券アナリストがひしめく中で、「新帝国主義論」を表し、兜町、そしてアメリカ証券界で実績を積む。では、お話を聞きましょう。


 『 子どもの頃は父が発電所に勤めていて、秘境のような田舎に住んでいました。近くには当時、農家と国鉄駅員の家族くらいしか住んでいませんでした。テレビもないので野原で遊ぶか、学校の図書館で本を濫読するしかありませんでした。

 大和証券に入ったのは、特に目的とかキッカケがあったわけではありませんが、横浜でよく利用する喫茶店の階下に大和証券の支店があったので、頭の中でその名が刷りこまれていたのでしょうね。

 大学では経済史、大塚経済学を学びましたが、恩師は大塚久雄門下の学者でしたからマルクスとか、マックス・ウェーバーのような社会主義的な書もずいぶん読みました。ただ、仕事をするなら株式リサーチをやってみたいという希望はありました。

 大和証券へ行ったらアナリストの仕事があると聞き、大学で先進国資本主義、後進国資本主義、アジアの資本主義などさまざまな資本主義を共同理論との兼ね合いで分析する資本主義類型論を学んだということを大和証券の役員に話したところ採用され、リサーチをやらせてもらったのです。

 ですから私は証券会社の人間ですが、実際には証券について詳しくありません。まあ証券マンというより調査マンでしょうね。私に目を開かせてくれたのはアメリカの存在、特にアメリカの経済でした。

 それまでアメリカ像といえば、利益追求とか資本の自己増殖的な拡大要求によって人間を従属させ、侵略して弱者をつぶすというようにステレオタイプ化した負の側面ばかり見ていました。

 実際に職業人としてアメリカの現実を見てみると、それまで書物を通してしか知らなかった反米とか嫌米感情と、現実の間に大きなギャップがありました。

 ととえば、マックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムの論理と資本主義の精神」に描かれている資本主義精神のモデルは、ベンジャミン・フランクリンであり、イギリスやヨーロッパ大陸ではなくアメリカを指しています。

 私はものを考える上でいつもアメリカを軸に置いています。 』


 『 これからも今までやってきた経済・金融を中心とした情勢分析と情報発信をしていく環境をつくりたいと思っています。

 インターネットも普及してきていますし、データベースもあり、昔ならリサーチというのは独立して行うのは無理だと思われたのですが、今ではそれが可能となりました。

 その点で、私にとって情報源として一番役に立つのは「ウォール・ストリート・ジャーナル」だということははっきりしていますね。

 その理由として第一に、今世界の金融というのは一つだということです。金融というのは最も優れた知見が現れた場で、それが世界を支配するわけです。知性とインテリジェンスの「塊」が金融です。

 インテリジェンスの一番高いものとか、説得力のあるもの、普遍的なものが、勝負し生き残るわけです。「ウォール・ストリート・ジャーナル」はそうした金融における最高の見識が出会う場になっていると思います。

 第二に、仮設というのは実学でなければいけません。単なる机上の空論や、論理、価値観にとどまっていてはならないということです。経済とか金融はより良い結果を生み出すための手段ですから、結果に責任があり、解決策に結び付かなければなりません。

 政策でも投資でも、どんな立派な理念を述べてもそれ自体が本当に永続していくためには、経済的で合理的な根拠が必要です。あらゆるロジックがチェックされ、ソリューション(解決策)を持っているかどうかということが大切です。

 これらの点で、「ウォール・ストリート・ジャーナル」は、日本の経済メディアより優れていると感じます。日本のメディアは、論理、正義感、価値観にてらしたロジックをかざしながら、どう解決するかというソリューションを示しません。

 その点で「ウォール・ストリート・ジャーナル」には、データとプラグマティズムの究極である、ソリューションがあります。今後は資本の肥大化とか、バルブとかモラル崩壊のような問題を修正したり解決していく必要があります。

 そのために求められるプラットフォームの構築という点では、「ウォール・ストリート・ジャーナル」に圧倒的な強みがあります。 』


 『 経済学というのは非常にプリミティブ(原始的)な学問だと思います。経済学が支配し、説明できる領域は極めて限定的です。過去の事象を分析する経験科学より、人類そのもののほうが常に先行します。

 経済学が過去の実例を論理化して未来を予測することは不可能に近いと思います。その不可能なことを可能にしようというのが新しい経済学の挑戦です。それはまさにゲームです。

 かつての一国経済だけの経済学では現在のインターネットの普及や、グローバル経済を理解することは不可能となりました。巨大な賃金格差とか、長期にわって巨大な超過利潤が保留されるということなども解決不能です。

 これはもはや経験科学の限界で、従来の経済学の方程式だけでは役立つ情報分析にならないと思います。

 私はかって悲観的な見方をとっていましたが、今は楽観論者で、現在世の中に起きていることは、必ずしも大きなパラダイム(共有概念)転換に伴う挫折ではないと思っています。

 禍(わざわ)いの結果というより世界経済の繁栄のひとコマで、少々行き過ぎや逆流が起きていますが、その基本的なフレームワーク(枠組み)は変わらないだろうと思います。それが私の楽観論の根拠なのです。

 なぜ金融危機は起きたのか。あえていえば、経済が繁栄し過ぎて行き場のない貯蓄や所得が溢れてバルブになったからだと思います。

 財政や金融面でモラルのない拡大政策が間違いだったという人もいますが、それだけでないと思います。人々が信じ切っていた投資における保険がまったく無力になりパニックによって市場が大暴落したためだと思います。

 今世界経済が一つになって史上空前の産業革命が起こっています。人類の歴史を振り返りますと、農業従事者が工業に従事することにより産業革命が起こり、その分業化によって生産性が著しく上昇しました。

 それと同じように巨大な人口スケールで国・地域別の分業が起きているのが現在です。今日、世界で起きている産業構造の転換と富の創造をもたらしているのは、史上空前のことだと思っています。 』


 『 日本の若者が国際社会で活躍するために必要なことは、英語に習熟する状況を日本に取り入れることです。つい最近まで基礎としての国語も十分学ばずになぜ英語か、論理的に日本語でしっかり話ができる人を育てるのが先決と考えていました。

 しかし、それはどうも違うようですね。現実に世界の文化や知見、インテリジェンスは明らかに英語をベースに展開されています。はっきり言って1億人の知恵の集まりでは話になりません。

 40億人の知恵が集まっているのが英語です。40億人の知恵が集まっているベースのうえで話しをしないとほとんど世界で理解されません。

 たとえば、インド、シンガポール、香港などは不幸にして植民地でしたが、彼らは英語社会という条件下であったことが有利に働いています。

 日本語の狭い世界の中では限界があります。今や日本は世界の情報・知見から急速に取り残され井の中の蛙状態です。

 各国がそれぞれ自国のプレゼンス(存在感)を発揮しようと努力しているのに、日本だけは何もしないで悲観的になったり、自虐的になったりしていては解決策は何も浮かびません。

 世界のビジネスにおいても金融についても取り残されています。外交でも、軍事でも、政治でも、経済でも何もしない。まったく無責任国家に成り下がっています。

 日本はグローバルでオープンな世界の中に依存してこそ存在しうる国家であるのに、国内にはクローズドで完結した世界ができあがっている。その元凶はメディアで、日本の閉じた情報空間は恐ろしいですね。 』


 『 富の蓄積についていえば、富の再投資が経済再生産を生むメカニズムが必要だと思います。あり余る資本の余剰性をどう処理するか。そのためには巨大雇用を生む現代のピラミッド建設が必要です。

 現代経済をダイナミックに考えると、資本の新たな投資対象を考える必要があります。今日一番重要な対象は地球環境の再生です。

 現在資金が余剰にありますから、地球再生のために投資して、一方で地球エネルギーを活かしてエネルギー革命を行うことが必要です。これは同時に新たな雇用を生み出します。

 現代のグローバル経済はローマ帝国に似ています。ローマ帝国が遺したものが二つあります。一つは遺跡であり、もう一つは辺境にあるコインです。ローマ帝国は版図を拡大して膨大な土木建設を行いました。

 それが今日、帝国の中心に遺跡として残されています。他方、辺境ではコインが非常に多く発掘されますが、それはあの時代に所得の移転があったことをうかがわせます。

 ローマ帝国はコインを輸出し、周辺地域から借金をしていたわけです。借金をして富が溜まり、それが今日残っている遺跡になったと考えられます。

 これとまったく同じことが現代でも起きています。アメリカはドルをばらまいて、世界中から借金をして富を集中しています。このことは浅い資本主義の歴史の中のほんのひとコマですが、大きな人類史の中で同じことが繰り返されているのです。 』 (第134回)