チェロ弾きの哲学ノート

徒然に日々想い浮かんだ断片を書きます。

ブックハンター「投資の科学」

2018-07-28 13:47:00 | 独学

 170. 投資の科学  (マイケル・J・モーブッシン著 (2007年2月)

 MORE THEN YOU KNOW  by  Michael J.Mauboussin.   Copyright ©2006

   (Finding Financial Wisdom in Unconventional Places)     Unconventional:型にはまらない(ところ)


 『 じめじめと湿った森を散歩しているときに、ねばねばした変形菌を見かけることがある。この生物を分類することがそれほど難しいなどとは思いもよらないかもしれないが、実は変形菌には不思議な習性があり、何世紀にもわたって科学者を悩ませてきた。

 食料が豊富なときは、変形菌は独立した細胞組織として機能する。それらは動き、バクテリアを食べ、分化して再生する。しかし、食料が少なくなると、変形菌は集まり、何万もの細胞の塊を形成する。細胞は事実上個体としては動くのをやめ、集合体のように動きはじめる。

 これが、変形菌を分類するのが難しい理由であり、状況によって「単数」あるいは「複数」に変化するのである。

 (こうした変形菌の行動とは対照的に)投資の手法は状況を考慮することなく使われることが多い、これではうまくいくはずがない。ときとして、高く見える銘柄が安いこともあれば、安く見える銘柄が高いこともある。(その投資手法が成功するかどうかは)状況によるのである。 

 しかしながら、プロの投資家の大半はある特定の投資手法を使い、それに固執するように教育されている。

 やり方はきわめて単純だ。成長株(グロース株)戦略をとる投資家は、売上や利益を急速に増加させている企業の株を中心としたポートフォリオ(運用一覧)ばかりをもつことによりマーケットに勝とうし、企業価値(バリュー投資)についてはあまり考えない。

 割安株(バリュー株)戦略をとる投資家は、そこそこの利回りをもたらしてくれそうな割安株を集め、企業の成長にはあまり期待しない。

 資産運用を担当するファンドマネージャーの多くも、組織の規則やその他の制約を考慮しなければ、自分の投資手法を巧みに駆使することによってマーケットを打ち負かせると信じている。

 そして、彼らが信奉している投資手法はそれぞれに、ある投資行動が満足いく結果に結びつくという理論に基づいている。

 「理論」という言葉は、ときとして「理論上の」すなわち「実用的でない」と言ったイメージを想起させるため、投資家やファンドマネージャーの多くは、この言葉を好まない。

 しかし、もしも理論を「因果の偶然を説明するもの」と定義するなら、それはきわめて実用的な意味をもつ言葉である。有効な理論とは、ある一定の条件のなかで、ある行動や出来事がどのような結果をもたらすか、ということを推定するうえで役立つものである。

 問題なのは、投資理論のほとんどは、不十分な分類に基づいているため有効でないという点である。同じことが、経営理論についても言える。より具体的に言うなら、投資家は(たとえば「株価収益率が低い」といった)属性に基づいた分類を、状況に基づいた分類よりも重視している。

 したがって、属性重視から状況重視へと考え方を移行することができれば、投資家やファンドマネージャーは大きなメリットを享受できるはずだ。この点では、変形菌の行動を見習うべきだろう。 』


 『 ここ100年ほどの間にどのような変化が起きたのかを認識してもらうための、1896年5月にチャールズ・ダウが初めて指数に組み入れた工業株銘柄を眺めてほしい。

 アメリカン・コットン・オイル、  アメリカン・タバコ、  シカゴ・ガス、  ディスティリング・アンド・キャトル・フィーディング、 ゼネラル・エレクトリック(GE)、  ラクリード・ガス、  ノース・アメリカン、  テネシー・コール&アイアン、  USレーザー、  USラバー

 この中で、現存している会社はGEだけで、今では単なる電力会社を超えるコングロマリットとして知られている。

 これらの会社は当時の優良銘柄であり、商品(コモディティ:原油、天然ガス、金、プラチナ、大豆、トウモロコシ、コーヒー、食肉、牛乳、ゴムなどの世界的に幅広く取引されている商品の総称)を中心に発展を続ける米国経済を代表する企業であった。

 蒸留酒と家畜飼料の会社(ディスティリング・アンド・キャトル・フィーディング)や綿実油の会社(メリカン・コットン・オイル)が人気銘柄だったとは現在では想像できないが、未来の投資家も同じように、マイクロソフトやメルク(化学・医薬品メーカー)が人気銘柄になっている現代を振り返ってクスクス笑うかもしれない。

 過去100年間に起こった変化は、未来100年についてどんなヒントを与えてくれるだろうか? そう、2つだけ確かなことがある。一つは、遠い将来の予測は、まったく的外れに終わる可能性が高いこと。

 もう一つは、確実の予測できる唯一のことは、イノベーション(技術革新)が起こるということである。そこで、イノベーションをいかに捉え、いかに対処すべきかという点について検討する。

 投資家は、どの会社が競争に勝ち、どの会社が競争に負けるかを左右するメカニズムを知るために、イノベーションを理解する必要がある。しかし、注意すべき点もある。

 明日の成功企業が今日の優良企業とはまったく違う会社だとわかっていても、イノベーションをもたらすような変化は、とても小さく、そして少しずつ顕在化するものだ。

 よほど注意深く観察していなければ、少しずつ積み重なっていくイノベーションの効果を見逃してしまい、あなたは結局、昨日の優良企業と運命を共にすることになるだろう。

 ここでの主題の一つは、イノベーションは必然だということである。イノベーションは、現存する一つひとつのアイデアが組み替えられた結果として起こる。従って、より多くのアイデアが存在し、それらがより素早く組み替えられれば、よりハイペースで有益な解決法――イノベーション――が生み出される。

 頻繁に生じるイノベーションによって、あっという間に勝ち組と負け組が決まってしまうことも珍しくない。今日の企業は、常に勝ち残ろうとして活動しているが、いったん会社が負け組に転落すると、なかなか這い上がることができない。

 もう一つの主題は、人間は、変化に対応するのがひどく苦手であるという点だ。投資家は、現状の延長線上で株価を評価しようとする傾向が強い。たいてい、良い会社はずっと生き残り、悪い会社はいつまでたっても負け犬だと考えてしまう。

 企業経営者も同様で、現在の居心地のよいやり方に安住してしまい、そうした安易な経営姿勢が将来の敗北につながっていくのである。われわれは、変化にどう対処すべきなのだろうか?

 新しい産業が現れるとき、その産業にとって良い戦略と悪い戦略を選別するのはほぼ不可能である。このようなときにわれわれがよく目にするのは、多くの異なった戦略を試み、これが良いものかをマーケットに決めてもらうことである(興味深いことに、これは脳が発達する過程と似ている)。

 結果として魅力的な戦略が生き残るが、数多くの失敗した戦略のために多額のコストが費やされることにもなる。こうしたコストを好ましくないと考えるのではなく、優れたビジネスモデルを選び出すための不可欠なコストと割り切ったほうがよい。 』


 『 1903年12月17日、オーヴィル・ライトは人類の歴史を塗り替えた。エンジンを動力とする飛行機を制御し、地上120フィートで12秒間の安定飛行を成功させたのである。

 これを契機にライト兄弟はさまざまな航空事業を興し、長距離旅行の概念を変えた。ライト兄弟はどのようにして、世界を変えるような偉業を達成したのだろうか?

 彼らは神の啓示を受けたわけでもなく、まったく白紙の状態から始めたわけでもない。彼らが作った最初の飛行機は、当時すでに知られていたアイデアと技術を組み換えることによって完成したのである。

 経営学者のアンドリュー・バーガドンが言うように、すべてのイノベーションは過去からの飛躍であるとともに、過去の一部から構築されている。

 ライト兄弟が天才である所以は、軽量のガソリンエンジンとケーブルとプロペラ、そしてベルヌーイの法則を組み合わせれば、空飛ぶ奇妙な機械ができるのではないかと、ひらめいたことにあった。

 投資家はイノベーションの過程を正しく評価する必要があるが、それにはいくつかの理由がある。第一に、人類のあらゆる物質的な繁栄はイノベーションに依存しているということ。

 第二に、イノベーションは創造的破壊――新しい技術とビジネスが既存のものにとって代わる過程――を引き起こすこと。多くのイノベーションが頻繁に起これば、必然的に多くの勝ち組企業と負け組企業が現れることになる。 』


 『 経済学者のポール・レーマーは、次のような非常に単純な質問から物事を考え始めることがあるという。われわれは100年前や1000前よりも裕福なのだろうか?

 世界中のあらゆる原材料の埋蔵量――端的に言うと地球の物理的な量――は変わっていないので、われわれはより多くの人口で地球の量を分けなければならない。

 しかし、世界の一人当たりGDPは1000年前のおよそ30倍に増えており、しかもこの増加は主に過去150年の間に生じた。100年前は、原材料を支配下に置くことが富の源泉となっていたが、今日では、原材料を加工するアイデアや方法が、富を作り出す原動力となっている。

 チャーチルが60年前に正確に指摘したように、現代は知性によって支配されているのである。より具体的に言うと、レーマーは価値創造のプロセスを2つの部分――新しい指示(インストラクション)やアイデアや方式の発見と、それらの実行――に分けている。

 レーマーは、経済の大きな移り変わりを示すために、1900年のUSスチールと2000年のメルクを比較している。

 もしも1世紀前にUSスチールを訪れたならば、数多くの従業員が、いくつかのインストラクションに従って、鉄鉱石を運び、高炉に投入し、鉄鋼を形作る作業に従事する一方、ほんの一握りの従業員が新しいインストラクションの作成に取り組んでいる現場を見学できたはずだ。

 今日、メルクのような製薬会社を見学すると、まったく反対の状況に出くわすことになるだろう。ほとんどの従業員は、新しいインストラクションを作りだそうとしている。

もちろん、インストラクションを実行する従業員も存在するが、全体の一部でしかない。

 世界を形作るインストラクションは、富の形成において中心的な役割を果たし(皮肉なことに古典的な経済モデルでは脇役とみなされいた)、いくつかの重要な意味をもつ。

 第一は、経済学者が「競争材」と「非競争材」と呼ぶものの違いである。競争材とは、誰かが消費すると、ほかの誰かが消費できる量が減ってしまう商品です。

 非競争材は、ある一組のインストラクションのように、多くの人が一度に使用できる商品で、ソフトウエアがその典型である。

 第二は、イノベーションがアイデアの組み合わせによって成り立つのならば、イノベーションを形作るアイデアのブロックがより多く存在することによって、問題解決の機会もそれだけ多く存在するということである。

 このことは第三の意味を導く。つまり、より多くのアイデアのブロックがあれば、より多くのイノベーションが起き、経済全体の成長が加速するということである。 』


 『 われわれは、相互に関連しながらイノベーションに拍車をかけ続ける3つの要因――科学の進歩、情報貯蔵量、ムーアの法則によるコンピューターの処理能力の向上――に期待すべきである。なかでも、情報伝達における変化というイノベーションの側面に注目したい。

 ファン・エンリケスは、その挑発的な著書「未来の歴史(As the Future Catches You)」の中で、記号によるコミュニケーションの発展過程をたどっている。

 コミュニケーションの技術は、約5000年前にメソポタミア・エジプト文明がくさび形の文字および象形文字を使用したアルファベットを導入したことにより進歩した。この時代には、最初の数学的な表現による記号も登場した。

 この原始的なアルファベットは、われわれのコミュニケーション技術の発展にとって大きな一歩であった。しかし、読み書きできるのは社会のエリート層に限られ、まだまだ扱いにくいものであった。

 中国人が作り上げた漢字は、文字の標準化に大いに貢献した。この単純なコミュニケーション用の記号は、グーテンべルグがヨーロッパで印刷機を発明するおよそ500年前に、中国人が版木を使用して本を印刷することを可能にした。

 ギリシャ人は、数多くの音をわずか数文字で表現する方法を考案し、この文字体系が、今日多くの西洋言語で使用されている26文字のローマ字の基礎となった。

 われわれは、これらの文字を組み合わせることにより、ほとんどすべての概念を表すことができる。アルファベットは、人間の読み書き能力を劇的に向上させ、世界の生活水準を高めた。

 第二次世界大戦の直前になると、1と0で表現される別の言語が突然出現した。二進法、すなわちデジタル言語は、言葉や音楽からヒトゲノムのマップまで、あらゆる情報を記号化することを可能にした。

 デジタル言語は単純なので、情報をきわめて短時間に記号化し、伝達し、解読できる。そのうえ、元の情報を忠実に維持し、貯蔵するのが簡単である。

 このことは、イノベーションにとって何を意味するのだろうか? 柔軟なデジタル言語を使うことによって、今やわれわれは、アイデアのブロックをかってないほど容易に識別し、操作することができる。

 アイデアのブロックが急増していることを考え併せると、イノベーションのペースはますます加速すると結論づけることができる。

 たとえばヘルスケアのような分野では、デジタル化の技術と生物学の知識(ゲノムのマップ)と強力なコンピューターの組み合わせによって、次々に大きな変化が起こることが予想される。 』


 『 2000年の秋、私は第一線で活躍するファンドマネージャーたちを集めて小さな会合を開き、ファイナンスや戦略、ビジネスなど幅広い分野の専門家を招いて講演してもらった。

 彼らの話はどれもすばらしいものであったが、最も拍手喝采を浴びたのは、ロスアラモス国立研究所の科学者であるノーマン・ジョンソンだった。

 最初は気まずい雰囲気のなかで、彼は話し始めた。「私は、なぜ専門家が間違えるのかという私の専門分野について、ここで話をするように言われました。ファイナンスというテーマについては、ほとんど何も知りません」。

 名だたるファンドマネージャーたちが身を乗り出して、ジョンソンの言うことを聴きいったのはなぜろうか? 簡単に言えば、彼は、さまざまな’平均的’な人たちが集団で行動することによって、専門家よりも巧みに問題を解決できると主張したのである。

 アリやハチなどの社会的昆虫の振る舞いを示しながら、そのポイントを説明した。何よりも聴衆たちの興味を掻きたてたのは、昆虫たちの驚くべきパーフォーマンスであった。

 ジョンソンの話の大部分はマクロレベル、つまり集団がいかに問題を解決するかというものだった。これは、いかにマーケットの効率性が高まるかという理解に近い。

 私は、ここではミクロレベルの問題――つまり、個々の投資家が、集団としてどのように行動すれば、投資を成功させることができるかという点――に焦点を当てる。

 分析の対象は異なるが、意味するところは同じだ。多様な情報と多様な見通しが、投資のパフォーマンスを向上させるということである。

 個人の行動について考える前に、多様性がどのようにしてより良い答えに結びつくか、そして、多様性の欠如が非効率を生み出すのか、ということを明らかにしたい。

 ジョンソンは、平均的な個人よりも集団のほうがどうしてうまくいくのかを、迷路の実験を例に説明した。

 ・ まず、同じような能力を持った人たちに迷路を解いてもらう。彼らは、全体的な実験の目的については知らされておらず、目の前の迷路の答えをただ探し続ける。

 ・ 次に、もう一度、迷路を解いてもらう。最初の経験があるので、答えは少し改善する。

 ・ 最後に、各個人の答えを組み合わせて一つの経路を作成し、集団としての答えとする。

 個々の被験者が最初に探し出した経路はバラバラだったが、それらを集めてみると、多様な経験(迷った場所のバラツキ)、そして多様なパフォーマンス(経路の長さのバラツキ)が反映されていた。

そうした集合体は、標準的な人間にあらゆる情報が集積された状態とみなすことができる。こうして情報の多様性のおかげで、集団による解決方法は、平均的な個人が考えつく解決方法に比べてはるかに信頼性の高いものとなる。

 自然界でも、こうした集団的な解決能力は失われてはいない。ジョンソンが話の中で取り上げたアリの事例が、まさにそのことを示すものである。アリたちはどのように行動するのだろうか?

 働きアリは、ただ一つの目的をもって巣を離れ、食料を見つけたら巣に持ち帰る。そして、化学的な足跡を残し、その足跡に沿って行動する能力を持っている。

 最初に巣を離れるときは、まったくバラバラに行動する。いったん食料を見つけて巣に帰ってくる際には、足跡を残し、仲間たちがあとに続けるようにする。

 調査によれば、アリたちは、このプロセスによって、食料がある場所までの最短ルートを継続的に見つけられることがわかった。

 アリに集団的な能力があることを理解した研究者たちは、次に、アリに罠を仕掛けることにした。巣から同じ距離にある2つの場所にエサを置いてみたのだ。その結果、アリたちは1つのルートだけを用いて食料を持ち帰った。

 なぜだろうか? その理由は、化学的な足跡に従うという習性をもつため、1つのルートを進もうとするアリのほうが少しでも多ければ、ほかのアリたちをより強く誘引するため、アリの数がどんどん多くなってしまうのだ。

 こうしてアリたちは、一つの混乱したルートだけを利用する。驚くべきことに、自然界もこの問題に気づいたようだ。調査結果によれば、アリは定期的に主要なルートをはずれ、再びバラバラな方向へ歩き始める。

 アリたちは、既知の食糧源を搾取することと、次の食糧源を開拓することのバランスをとるようにプログラムされているのだ。ジョンソンはこの行動を「ワイルド・ヘア」と呼んだ。アリの遺伝子には多様性を追求する回路が備わっているのである。 』


 『 迷路やアリの事例は、資産運用という挑戦的な仕事とどんな関係があるのだろうか? 実は、大いに関係があるのだ。心理学者のホレイス・バーロウは、知性とは、何か新しい秩序を発見することにつながる推測をすることだと述べている。

 これは、問題を解くこと、議論のロジックを把握すること、適切なアナロジー(類推)を見つけ出すことも含む。では投資における知性とは、どのようなことだろうか?

 ノーマン・ジョンソンの主張は、投資家にとって非常に重要である。より完成されたシステムの中では、、専門家は役に立つ。規則に従った解決方法を提示してくれるからだ。

 しかし、システムが複雑になってくると、個人の集合体のほうが個人――それが専門家であっても――より上手に問題を解決する場合が多い。

 このことは、株式市場そのものが、たいていの場合、ほとんどの人間(投資家)よりもうまく機能していることを意味する。過去のデータがそれを実証している。株式市場のような複雑なシステムの中で専門家になるには2つの素養が不可欠であると、ジョンソンは言う。

 第一に、頭の中でシュミュレーションを行ない、さまざまな戦略を思いめぐらせ、最適な戦略を選択できなければならない。伝説的なファンドマネージャーであるジョージ・ソロスの逸話がその点に触れている。

 15年間にわたってソロスの元で働き、その仕事ぶりを間近で見てきたゴールドスタインは、ソロスのことを、自分の経験と能力とを結びつけ、世界全体のマネーとクレジットの流れを頭の中に描きながら、神がかり的な方法で売り買いする人物であると評した。

 「(ソロスは)全世界をマクロ的に把握している。あらゆる情報を用いて、それらのポイントを抽出し、どのように対処すべきかということについて、自分の考えを導き出す。チャートは見ているが、彼が処理している情報の大部分は言語的なものであり、統計的なものではない」。

 第二に、こうした思考方法を、さまざまソースからの情報と同居させなくてはならない。シュミュレーションの能力は生まれながらに備わっているものだが、多様な考えを追求できるかどうかは心がけ次第である。

 心理学者のドナルド・キャンベルは、このような思考方法について同じような言葉で表現している。創造的思考のプロセスとは「思考の多様性と選択的な記憶(blind variation and retention)」である。

 言い換えると、創造的な思考においては頭の中でさまざまな考えが思い浮かぶが、最終的には、目の前の目標を達成するうえで有益な考えだけが選択される、ということである。多様性は、ジョンソンの言う”弱いシグナル”を見つけ出すことを可能にする。

 弱いシグナルとは、主流となっているアイデアとはまったく異なる新しいアイデアの兆し(新しい技術や新しい変化など)かもしれないし、あるいは予期せぬソースから正しいタイミングでもたらされた正しい情報の一片かもしれない。

 実際、最近の研究によれば、ある組織の中で必要とされる知識の約70%は、(従来の学習という概念とは異なる)こうした思考方法によってもたらされるという。次の有益な考えがどこから来るかを知ることはたいへん難しい。

 とはいえ、多様な情報ソースに接することによって、有益な考えを見つける可能性が高まるのは確かなようである。 』


 『 メリルリンチ・インベストメント・マネジャーズのアーサー・ザイケル元会長は、よく知られた論文の中で、優れた投資パフォーマンスを達成するには、会社のキーパーソンが創造的な人物でなければならないと主張している。彼が言う創造的な人物の条件は次のようなものである。

 ・ 知的好奇心をもっていること

 ・ 考え方が柔軟で、新しい情報を受け入れられること

 ・ 問題を認識し、それらを明確かつ正確に定義できること

 ・ 情報をさまざまな方法で組み合わせ、解決方法を導き出せること

 ・ 権威主義ではなく異端であること

 ・ 現状に満足せず、強い意志をもち、高いモチベーションを保つこと

 ・ きわめて知性的であること

 ・ 目標第一主義であること

 多様性は、自然界やわれわれの頭の中で起きている多くのプロセスの燃料である。投資家があまりにも狭い情報ソースに基づいた取引方法に頼ろうとするなら、多様性の力を利用するチャンスを逃してしまうだろう。

 もちろん、多様性にもマイナスの面があり、闇雲にアイデアの多様性を追求するならば、役に立たないような大量の情報を頭の中で処理しなければならない。

 しかし、バランスのとれた多様性は、思慮深い投資家のパフォーマンスを高め、生活の向上をもたらすだろう。 』 (第69回) 


ブックハンター「キッチンと食の相反関係」

2018-07-04 18:39:04 | 独学

 169. キッチンと食の相反関係   (マイケル・ブース著 朝日新聞Globe2018年7月)

 The Man Who Eats the World [マイケル・ブースの世界を食べる28]

 『 私が最近考えた仮説の一つを、みなさんに話させてください。それは「キッチンにお金をつぎ込む国ほど、料理の質がいまひとつになる」ということだ。その心は次のようなものだ。

 世界を旅しながら見てきた、レストランなどのプロ向けのキッチンというより、ごく一般的な家庭のキッチンの中で、一番印象が薄かったのは、インドやベトナム、フランスといった国々のものだった。日本も含まれるだろう。

 狭かったり(少なくとも日本の都市では)、時には私の衛生基準を満たさなかったり(失礼、インド)、調理機器がそろわなかったり(ベトナム)、他の部屋と比べると付け足したような感じがしたり(フランスのほとんどの一般家庭のように)していた。

 でも、それがなんだ。こうした国々が生み出す食こそ、おいしさ、美しさ、魅力、いずれも間違いなく世界随一なのだから。こうした国々の料理を、広々としてピカピカの、調理機器が完備されたキッチンを誇る国々と比べてみるといい。

 例えば米国やカナダ。北米のキッチンはとにかく巨大、そこに並ぶ機器は初期の宇宙開発よりも高い計算能力を誇る。最近ではしばしば英国や北欧でもキッチンは手が込んでいて、手作りの戸棚やソファより大きい調理器具、キャデラックほどの大きさの冷蔵庫に何万ドルとかかけている。

 しかし、こうした国々の食べ物ときたらどうだろう。失礼のないように言うなら「料理の評価は最高というわけではないですね」、正直に言えば「米国ほどひどい食事の国があるだろうか」となる。

 キッチンについて考え出したのは、最近引っ越したばかりで、新居のキッチンがあまり気に入っていないから。我が家のキッチンで何を優先すべきかを見定め、どうデザインし直すか考えているところなのだ。

 一家の調理を任され、食についての物書きをしている身として、ことキッチンとなると、かなりのこだわりと偏愛ぶりを自負している。例えば、調理台にはあれこれ何も置かない。トースターやフードプロセッサーがホコリをかぶり、邪魔になるのは耐えられない。

 すべては食器棚にしまわれるべきだし、そうすることで不必要な器具の断捨離もできる。電動缶切りしかり、炊飯器しかり。大きなキッチンより小さなキッチンが好きだ。大小それぞれのキッチンで生活してきたが、食材や器具を集めてずっと歩き回るよりも、すべて手の届く範囲内にあるほうがよっぽどいい。

 以前、とても広いキッチンのアパートに住んでいたとき、夕食づくりではかなりくたびれたものだった。見晴らしはいいにこしたことはないが、ダイニングやリビングと隔てる壁がない「オープンキッチン」という概念は嫌いになりつつある。

 来客ととるに足らない会話を交わす必要がなく、一人で料理するほうが、私は断然好きだ。家中に臭いを充満させずに自由に魚を揚げられるし、誰かに見られることなく赤ワインを一杯余計に飲んだり、カキの殻をむくついでに、2,3個すすったりできる。

 それって、そんなに悪いことじゃないですよね? キッチンがどう見えるかを気にして時間と労力をかけすぎ、華美な冷蔵庫やオーブンにお金を使いすぎてしまったら、料理によくない影響がでないだろうか。

 いっそのことフランス人を見習って、キッチンが設置され、料理器機が備え付けられた当時のままにしておくべきか。見た目から、それは1978年といったところだが……。 』(訳・華原みなと)


 私の考えでは、インド、ベトナム、フランス、日本の共通点は、市場が成熟していて、新鮮な材料が庶民の手にとどくことだと思います。二番目には、庶民が得意とする調味料と調理器具、調理方法を持っていることも大きいと考えます。(第168回)