因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

劇団民藝『SOETSU-韓(から)くにの白き太陽』

2016-12-07 | 舞台

*長田育恵作 丹野郁弓演出 公式サイトはこちら 三越劇場 21日まで (1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,13,14,15,16,17,18,19,20,21,22,23,24
 清々しく力強い作品を次々と生み出している長田育恵(1,2,3,4,5,6,7,8,9,10)が、劇団民藝に新作を書き下ろした。朝鮮白磁に魅せられた美学者の柳宗悦(篠田三郎)を中心に、浅川伯教(塩田泰久)、巧(齊藤尊史)、料理屋の女将・姜明珠(カンミョンジュ/日色ともゑ)との出会い、朝鮮の美の魅力にとりつかれ、美術館設立への道のりを描く。日本統治下の朝鮮では、彼の活動は統治政策であると誤解され、また朝鮮独立運動や関東大震災における朝鮮人虐殺事件などによって、志を共有する仲間、親しい交わりをもっていた朝鮮の人々とのあいだにも亀裂を深めてしまう。紆余曲折の末、宗悦が導かれていったのは…。
 宗悦役に篠田三郎を客演に迎え、若手から中堅、ベテランまで幅広いキャリアをもつ民藝の俳優陣が揃い、新進の劇作家の新作を作り上げた。演出の丹野郁弓が公演パンフレットに記していたように、白磁器をはじめ、戦中の朝鮮の衣装などの風俗を取りそろえたり、俳優が朝鮮語、歌や舞踊を会得しなければならないなど、多くのハードルを越えるために大変な勉強と苦労を重ねたことが伝わる舞台である。

 いわゆる小劇場の場合、劇作家が演出を兼ねる場合が少なくない。長田は演出は他者に委ねている。互いに強い信頼関係と、ときには衝突や混乱を恐れず、とことんぶつかり合い、舞台をよりよい方向に導く覚悟が必要であろう。

 本作は1940年の沖縄で、宗悦が軍人の尋問を受ける場面にはじまり、そこから1916年に戻り、しばらくは順を追うが、また沖縄の場面になりと、時間軸がときおり前後する。場所は朝鮮から日本へと目まぐるしく動く。こういった作品の場合、場面が変わるごとに年と場所を映写して観客の理解を助けることも多いが、それが一切なかった。混乱することはまったくなかったが、場面転換など少しあわただしい印象は否めない。

 ここで先月見たばかりの『燦々』において、布と竹竿を大胆に用い、時も場所も自在に伸び伸びと乗り越えた舞台を思い出す。天井も奥行きもたっぷりある座・高円寺の空間を活かした演出(扇田拓也)が楽しかった。逆に広さがイメージを散らしてしまうこともあるから、何よりその作品の特性、劇作家の訴えんとすることを確実に立体化するのは、作品と劇場との相性もあり、簡単なことではないだろう。

  姜明珠は、長田が執筆のための取材や研究から生み出された人物、つまり架空の存在である。演じる日色ともゑが素晴らしい。チマチョゴリがよく似合い、立膝の所作も自然である。亡夫が日本人であったゆえに、日本への理解や親愛の気持ちも強く、宗悦も初対面からすぐに打ち解け、親しい交わりを持つ。しかし憲兵から逃れてきた若い農夫や、宗悦の妻でオペラ歌手の兼子(中地美佐子)の演奏会に心動かされた地元の人々が座敷にやってくると、びっくりするほどヒステリックになり、乱暴な所作で追い払う一面も持つ。終幕、娘(事情があって引き取った。実の娘ではない)が恋人とともに独立運動に身を投じ、美術館創立の日にテロを実行しようとしたとき、身代わりになる。何かのまちがいだと明珠を助けようとする宗悦に、彼女ははじめて日本への激しい「恨」(ハン)を吐露するのである。

 娘たちを助けるための方便とは思えない。まるで家族のように親しかった宗悦が、朝鮮白磁のことを評したことばに「あのひとことが私を縛りつけた」とぶつける。捕らえられ、引き立てられるとき、振り向いて「娘に子どもができました」と告げる。ほんの数分前、親しかったときと同じ柔らかな声は、訣別の決意を湛えていっそう悲しい。その声の強さ、深さ、色合い。長田の師匠である井上ひさしは、「一生に一度しか言わないようなせりふをここで言わせなさい」と教えたという。明珠のことばが、まさにそのせりふではないだろうか。

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