因幡屋ぶろぐ

劇評かわら版「因幡屋通信」主宰
宮本起代子による幸せの観劇記録。
舞台の印象をより的確により豊かに記せますよう・・・

三月大歌舞伎 昼の部「寺子屋」「傾城道成寺」「御浜御殿綱豊卿」

2024-03-20 | 舞台
*公式サイトはこちら 東銀座・歌舞伎座 26日終了
 1,「菅原伝授手習鑑」より「寺子屋」・・・本作については、2020年5月放送のNHK Eテレ「にっぽんの芸能」の中村吉右衛門、2015年の市川染五郎(現・松本幸四郎)、2016年の中村勘九郎がそれぞれ松王丸を演じた公演のblog記事あり。このたびは尾上菊之助が初役で松王丸を勤めた。公演を前に朝日新聞の「続かぶき特等席」のインタヴューで興味深かったのは、松王丸と妻の千代夫婦、菅秀才の身代わりになる息子の小太郎の家族の有りよう、そして子を持たない武部源蔵と戸浪夫婦について語っていたことだ。いくら主君への忠義とは言え、わが子の命を差し出すことを決意したこと、それをたった九つの子が納得し、「にっこりと笑って潔く首を差し出した」とはたやすく受容できることではない。源蔵夫婦に子がいたら、おそらくその子を身代わりにしただろう。そうできないゆえの苦悩があるから、松王丸、千代夫婦とともに、小太郎の死を悼むことができる。このような葛藤を以てを演じることがいかに難しいか、しかし、それでこその演じ甲斐であり、観客であるわたしたちも、そこまで尽くす忠義を理解するというより、子を失った松王丸と千代、子を失わせた源蔵と戸浪の二組の夫婦の悲しみを想像し、受け止めようとするのではないだろうか。

 このたび小太郎を演じたのは、菊之助の長男尾上丑之助である。何度も観てきた演目であるが、これまで小太郎自身の気持ちを考えたことがなかった。寺入りの前夜、両親とどのような話をしたのか、源蔵に首を差し出したとき、どんな気持ちだったのかを想像すると、「寺子屋」の物語がいっそう悲しく、しかし「もう一度観たい」、「人々の気持ちを受け止めたい」と願うようになるのである。

2,「傾城道成寺」・・・四世中村雀右衛門十三回忌追善狂言。童子を演じた坂東亀三郎、尾上眞秀のきりりとした演技、舞が嬉しい。

3,「元禄忠臣蔵」より「御浜御殿綱豊卿」・・・朝日新聞劇評に「片岡仁左衛門の徳川綱豊が当たり役の到達点を示す」とある通り、十五代目の仁左衛門と同時代に生きて、その声とすがたと演技を味わえることの幸運、幸福はどれほど喜び感謝しても足らない。自分の演劇人生の宝である。その綱豊と激しく議論を戦わせる赤穂浪士の富森助右衛門の松本幸四郎が、仁左衛門の綱豊にあるときは正面からぶつかり、またあるときは巧妙に躱し、最後は温かく包み込まれるように、さまざまな距離感や息遣いを伝えて誠実そのもの。
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