いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

ツクバヤマハレ

2012年12月09日 16時50分16秒 | 筑波山麓


霞ヶ浦湖畔から望む筑波山


■ 最近知ったこと。そして、12月8日あたりのブログねたにしようと思っていたこと。 ツクバヤマハレ。

ニイタカヤマノボレ一二〇八、はとても有名。"正史"に書いてある;

 〔「新高山登れ」〕 機動部隊と先遣部隊は、十二月二日夜、「新高山登れ一二〇八」という隠語電報を受信した。それは「開戦日は十二月八日と決定せらる。予定通り攻撃を決行せよ」という意味の命令で、聯合艦隊が午後五時三十分に発信したものであった。骰子はここに投げられたのである。  服部卓四朗、『大東亜戦争全史』

巷の本に書いてある;

 この奇襲攻撃を推進した山本長官を含む海軍指導層には、土壇場で外交交渉が実り作戦準備が無駄になることを願う矛盾した感情をもつ者も存在した。その際はただちに作戦を中止し帰還するようにという山本長官の指示に「それは実際上無理な注文である」と反発する指揮官もいた。長官は「百年兵を養うのはただ平和を養うためである。命に従えない者は即刻辞表を出せ」と断じて沈黙させた(高木 『山本五十六と米内光政』) 五百旗頭真、『日本の近代6  戦争・占領・講和』

もし、日米交渉がうまくいった時、ヒトカップ湾から遠征した真珠湾攻撃の艦隊を"直ちに帰投"させる隠語電報が、ツクバヤマハレ

知らなかった。 

同義の幻の言葉・詩に、 マリコ全快、がある(?)。

さらにすごいのは、マリコの死後の善後策が練られ、実行されたこと。

▼ それにしても、なぜ、ツクバヤマハレか?

おそらく、海軍の霞ヶ浦航空隊にゆかりの人が多かったから、かつて、あの霞ヶ浦から見えた筑波山を使ったのだろう。山本五十六自身、1924年(大正13年)、霞ヶ浦海軍航空隊教頭兼副長となり、航空学校教頭を務めた(google)。もしかして、山本五十六自身が、日米開戦回避の詩であるツクバヤマハレを考案したのではないだろうか?

 

■ ニイタカヤマは当時の大日本帝国で最高峰の山にほかならない。 富士山じゃない。 ~♪~富士は~にっぽんいちの~山~♪~じゃない時代だ。 

 
 ― 飛行機からみた富士山。雲の帽子をかぶっていた。 フジヤマハクモリ! ―

ニイタカヤマとツクバヤマの共通点はなんだろう? 富士山を参照に考えよう。

ひとつ、非火山。 ニイタカヤマを含む台湾島は、島全体で大きな山脈の一部で、海面に頭が出ている部分なのだ。

筑波山も火山ではない。 ただし、筑波山は、ニイタカヤマと違って、そして富士山と同じく、火成岩からできた山である。マグマが地中深くで固まったのだ。そして、隆起した。ニイタカヤマは堆積岩が隆起した山。

 



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