―先住猫八百屋お梅に習って、八百屋お三毛を演じる新入生―
■ ある産業廃棄人の 物語 事実の羅列、あるいは、成仏しない昭和のために。
Amazon: 北嶋一郎、生きぞこない
おもしろかった。 注意をそらすことなく、一気読みできる。
(あのうさんくさい)ポプラ社の編集者とゴーストライターは誤算だろう。
なぜなら、本屋の立ち読みで全部読んじゃった読書子あまた、に違いない。
作り話とはおもえない、エピソード満載である。
昭和の"産業廃棄人"の『俘虜記』だ。
たとえば、神経症の症例集などを読んで食い足りないのは、具体的な社会的文脈が捨象されていることだ。
その点この北嶋一郎、『生きぞこない』には書いてある。
獨協大学卒業の”「エリート」ビジネスマン”。
嗤っちゃいけない。おいらは、まじに北嶋一郎さんは”「エリート」ビジネスマン”=昭和の産業人="キチガイ"の嫡子さまだとわかっている。
御尊父が、昭和ひとけた生まれ、1970年代後半-1980年代前半米国で、夜は家で軍歌を歌いながら、昼間は米国で自動車を売り歩いた、トヨタの”「エリート」ビジネスマン”なのだ。
北嶋一郎さん、多感な子供時代は、米国で過ごす。 デトロイト(だったけ?)のエピソードはすごい。
”「エリート」ビジネスマン”=昭和の産業人の末路は、"廃人"、である。
その点この北嶋一郎、『生きぞこない』には書いてある。
そして、息子も結局、廃人、=双極性障害 ⇒自殺未遂。
親子二代にわたる昭和~20世紀末における、日本資本主義と神経症の関係を描く、ひと絵である。
作り話とはおもえない、エピソード満載であるのだが、何より驚くのが、
"産業廃棄人"となり、双極性障害という神経症でありながら、寄り添う女性がおり、
さらには、そういう女性が一人ではないということ。
しかも、その寄り添う女性(の少なくともひとり)に暴力を振るうことである。
この北嶋一郎、『生きぞこない』には、出世欲に燃えた男が、日本資本主義に自分の命運を捧げ、そして、燃え尽きて、神経症="キチガイ"となり、パートナーの女性を日常殴るまでの話と、
神経症="キチガイ"となった男に、自分の命運を捧げ、そして殴られている女の 物語 事実の単なる羅列である。
やはり、資本主義と女と狂気=キチガイは、奥が深いのだ。
■なにより、北嶋一郎、『生きぞこない』の俗物性には驚く。
それにしても、ストレートすぎる俗物性ではある。
▼この本は、昭和前期の軍国主義の物語に続く昭和後記の経済成長至上主義の『俘虜記』なのだ。
そして、この昭和後記の経済成長至上主義の『レイテ戦記』は、未だ書かれていないのだ。