いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

新しい街でもぶどう記録;第288週

2020年05月16日 19時16分44秒 | 草花野菜

久しぶりの毛梳きでできた毛玉で遊ぶみけちゃん

▲ 今週の看猫
▼ 新しい街でもぶどう記録;第288週

■ 今週の武相境斜面

■ 今週の草木花実

■ 今週の蜘蛛の巣

■ 今週の御頭


カマス

 ▼尾頭

■ 今週のもったいない本舗

6月カレンダーの絵図

■ 今週の大陸由来

いしがんとう: 石敢當(いしがんとう、いしがんどう、せきかんとう[2]、せっかんとう)は、丁字路の突き当り等に設けられる「石敢當」などの文字が刻まれた魔よけの石碑や石標。石敢当、泰山石敢當[3]、石散當等と書かれたものもある。中国で発祥したもので、日本では主に沖縄県や鹿児島県に多く分布する。  (wikipedia

■ 今週の「つくってあそぼ!!」

つくってあそぼ! 雪印メグミルク 牧の朝

■ 今週のビンゴ! 福田恒存関連

福田恒存は敗戦前後、「太平洋協会」と「二十世紀研究所」に在籍した(土屋道雄、『福田恒存と戦後の時代』)。敗戦前の「太平洋協会」での同僚の名として次が見える;

1943年には協会内にアメリカ研究室が作られ、丸の内の三菱ビル街に一室を設け、鶴見和子、坂西志保、都留重人、阿部行蔵らを主軸に、細入藤太郎、清水幾太郎、福田恒存らが加わり、戦時米国の実相調査が行われた。wiki)さらに、「太平洋協会」には平野義太郎の名が見える(wiki)。

これらの中で、戦後、米国のベトナム戦争を支持するなど米国の駐軍と出撃を熱心に擁護した者は、福田だけである。阿部行蔵(wiki)はのち立川市長となり、自衛隊の住民登録を拒否したことで有名。

一方、戦後の「二十世紀研究所」(清水幾太郎所長)には、名簿上、中野好男、丸山真男、久野収などの名前が見える(土屋道雄、『福田恒存と戦後の時代』)

すなわち、福田が批判することになる「進歩的文化人」が目白押しで、多かれ少なかれ福田と縁がある人々なのだ。福田恒存の「進歩的文化人」批判は、元仲間批判なのだ。坂西志保(wiki)は例外で、福田の渡米を実現させる。

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