いか@ 筑豊境 寓 『看猫録』

Across a Death Valley with my own Distilled Resentment

関門海峡散歩:門司港駅⇒関門トンネル⇒火の山公園⇒前田砲台⇒唐戸⇒門司港

2024年04月28日 19時35分40秒 | 筑紫洲 (つくしのしま)

北九州市に引っ越して来て5週間目。関門海峡を渡って「長州」に行ってみた。散歩だ。愚ブログの<お品書き>を19年前に書いた(2005年 プロフィール)。そこでは米英と合わせて薩長が<憎悪対象>となっている。なお、関心事に「近代の成立とゆくえ」、「日帝の成立と崩壊とその後」とあるが、関門地域はその種の現物、史跡が多数。よく本にその写真が出てくる幕末の「毛唐兵日本占領」のあの史跡が歩いていけるとわかる。行った。

もっとも、ブログ開設以来薩摩米国にはお世話になっている。ブログ開設間もなく「長州」は登場している。松下村塾にお参りした時の画像を使っている(吉田松陰、松下村塾。幕末のテロリスト学校)。今度は「隣り」に引っ越してきたので、散歩しに行った。


1:JR門司港駅、2:トロッコ列車:九州鉄道記念館駅、3:関門海峡めかり駅、4:関門トンネル人道入口(門司側)、5:同口(下関側)、6:下関市営国民宿舎 海峡ビュー しものせき、7:火の山ロープウェイ 壇の浦駅、8:火の山ロープウェイ 火の山駅、9:長州藩 下関前田台場跡、10:唐戸

■ 1.:JR門司港駅、特に2階

JR門司港駅は前回紹介っしたが、2階があったと今回知った。

■ 2:トロッコ列車:九州鉄道記念館駅

門司港と下関を結ぶ交通手段としては、門司港と下関(唐戸)とを結ぶ定期連絡船、和布刈地区と下関(みもすそ川)を結ぶ関門トンネル人道があります。また、下関の唐戸からみもすそ川の間はバスが頻繁に通っています。

ところで、門司港レトロ地区と和布刈地区間は2kmちょっとあります。歩くにはちょっと遠いかな、と言う距離です。

つい最近まで、門司港駅から和布刈公園をぐるりと回り込んで、田浦港まで臨港線(貨物線)が伸びていました。石灰石、セメントなどを積出港である田浦港まで運んでいたものですが、輸送量の減少に伴い平成17年に休止されました。

この休止された臨港線に観光列車を走らせようと考えました。レトロ地区と和布刈地区を観光列車で結ぶことで、両地区の移動は楽しくスムーズなものになります。また、門司港―和布刈公園―下関(みもすそ川)―下関(唐戸)―門司港と大きな周回ルートを創り出すことで、関門の魅力を満喫してもらえるものと期待しています。

観光列車は公募により「潮風号」と命名されました。モダンでおしゃれなデザインを、レトロをイメージする落ち着いた重厚な「青」色で装い、小型のディーゼル機関車(DB-10)がトロッコ客車2両を挟んで走ります。 (潮風号とは

■ 3:関門海峡めかり駅

■ 4:関門トンネル人道入口(門司側)

▼ トンネル

関門海峡を繋ぐ、全長780メートルの歩行者用海底トンネル。
海底に伸びるトンネルは上下に区切られ、上は車道、下は徒歩で通行できるようになっています。
人道入口にはエレベーターが設けられ、門司区側は地下約60メートル、下関市側は地下約55メートルまで降りてから通行。トンネルの中ほどには福岡県と山口県の県境の標識があり、珍しい海底の県境として有名です。(北九州市観光サイト 関門人道トンネル

■ 5:同口(下関側)

■ ⇒ 6:下関市営国民宿舎 海峡ビュー しものせき

絶景のオーシャンビュー「海峡ビューしものせき」は、下関市の観光振興に寄与するべく、 関門海峡という恵まれた立地特性を最大限に活かし、お食事・宿泊を通じてお客様に また来たいと思っていただけるサービスと料理を提供できるよう努めております。公式 web site


(こんな「ふるさと」はイヤだ!)

■ ⇒ 7:火の山ロープウェイ 壇の浦駅

▼ 火の山公園トルコチューリップ園

LT貿易は知っている(wiki)。LT貿易は1962年。この碑で顕彰している来日が1979年。廖 承志:日本生まれの日本育ちで、江戸っ子なみのベランメエ調の日本語も話すwiki)。

経歴は下記のように中国人らしい生き方だ(同上wikiより);

1963年には中日友好協会が設立されて会長に就任、その後一貫して対日交渉の最高責任者の地位にあった。文化大革命中に先頭にたって文革推進の立場から日本共産党攻撃を行い、北京駐在日本共産党員を「足蹴にしてしまえ」と叫んだという記録が残っている。しかし結局本人も「親日派」であると批判され一時失脚し、後に復活。 

火の山公園トルコチューリップ園は、平成21年4月に開園したチューリップ園です。
 また、平成26年には、イラン・イラク戦争時にテヘランに取り残された日本人215人を救出したイスタンブール市出身のオルハン・スヨルジュ元トルコ航空機長を顕彰するため、『オルハン・スヨルジュ記念園』の名を通称名としました。(海峡と歴史の街  下関)

■ 8:火の山ロープウェイ 火の山駅

 令和6年の「火の山ロープウェイ」の運行情報を紹介します。
 今年も長期運行する予定としていますので、この機会に是非、瀬戸内海国立公園「火の山」の山肌を進むゴンドラから眺める「関門橋」や「関門海峡」の景色をお楽しみください。
 昭和33年の運行以来、多くの方に親しまれ愛されてきた現在のロープウェイは今年の運行をもちまして終了いたします。ラストイヤーに多くの方のご乗車をお待ちしております。(下関公式観光サイト)

⇒ 下って帰る;

■ ⇒ 9:長州藩 下関前田台場跡


この写真は前田砲台の毛唐兵による占領の光景だが、これは第6次戦闘の時の英国による占領。フランスによる占領と民家焼却(第5次戦闘)とは別。

長州藩下関前田台場跡 (wiki

文久3年5月10日(1863年6月25日)、長州藩はアメリカの商船ペンブローク号を砲撃。同船は退却した。5月23日(同年7月8日)にはフランスの通報艦キャンシャン号を砲撃。5月26日(同年7月11日)には長年日本の友好国であったオランダの外交代表ポルスブルックが乗ったメデューサ号を砲撃した。ペンブローク号砲撃のニュースを知ったアメリカは幕府に抗議し、報復のためワイオミング号を下関へ向かわせた。6月1日(同年7月16日)、同船は長州藩の軍艦壬戌丸と庚申丸を撃沈し、癸亥丸を大破させた。フランスも報復のためセミラミス号とタンクレード号を派遣。6月5日(同年7月20日)に前田台場を砲撃のうえ、上陸し、周囲の民家を焼き払った。 

上画像の毛唐兵の親分:コンスタント・ルイ・ジャン・バンジャマン・ジョレス(Constant Louis Jean Benjamin Jaurès、1823年2月3日 - 1889年3月13日) 

 彼自身、前田砲台に上陸した。少将。82年も前。

日本での攘夷運動が盛んになったことを受け、横浜の居留民を保護するために、1863年4月26日(文久3年3月9日)には、ジョレスは上海からフランス東洋艦隊旗艦セミラミス(Semiramis)で横浜に到着した。同年7月8日(文久3年5月23日)、長州藩はフランスの通報艦キャンシャン(Kien-Chang)を攻撃した。7月20日(6月5日)、その報復として、ジョレスはセミラミス(砲36門)とタンクレード(Tancrède、砲6門)を率いて報復攻撃を実施した。セミラミス号は砲36門の大型艦で前田、壇ノ浦の砲台に猛砲撃を加えて沈黙させ、陸戦隊を降ろして砲台を占拠した。長州藩兵は抵抗するが敵わず、フランス兵は民家を焼き払い、砲を破壊した。長州藩は救援の部隊を送るが軍艦からの砲撃に阻まれ、その間に陸戦隊は撤収し、フランス艦隊も横浜へ帰還した。 (wiki

戦死した長州藩士で名前がわかる者:佐々木又四郎(コトバンク

1838-1863 幕末の武士。
天保(てんぽう)9年生まれ。長門(ながと)(山口県)萩(はぎ)藩士。文久3年萩藩が下関海峡をとおる外国船を砲撃した際,藩洋学校博習堂の司典をやめて参加。フランス艦隊の兵が前田砲台に上陸すると,捕虜になることをおそれ,6月5日茶臼(ちゃうす)山で自刃(じじん)。26歳。名は満寛。 

なお、この長州攻撃の翌年、1865年、「小栗忠順が横須賀造船所の建設を計画すると、ジョレスはレオンス・ヴェルニーを紹介している。 」 (⇒ 横須賀/ヴェルニー公園

▼ <第一次攘夷戦争>を見聞し、<第ニ次攘夷戦争>で焦土の国に直面した昭和天皇

興味深いのは、この地、すなわち全村が外国軍に焼かれ、占拠された地を、のちの昭和天皇(ひろひと さん)は皇太子・摂政のときに訪れている。「全村焦土ト化シ空シク荒涼タリ」との史実を伝えられたひろひと さんはこの事象を実感したのだろうか? 19年後に、全村30戸あまり=死傷者ゼロどころか、死者10万人・墨東地区壊滅を目の当たりにする(皇国の荒廃この一帯にあり)。

 全村焦土ト化シ空シク荒涼タリ

<碑文>
文久元治ノ間我長藩主トシテ尊王攘夷ノ義ヲ唱ヘ砲臺ヲ此ノ地ニ築キ欧米舩ト戦ヒ硝煙弾雨ノ為メ全村焦土ト化シ空シク荒涼タリ爾後事平キ漸ク舊ニ復ス大正十五年摂政皇太子殿下我縣下行啓ノ際親シク王址ヲ移サセラレ深ク其遺跡ヲ追懐シ給フ是レ即チ其事ノ延テ明治維新ノ基ヲ樹ツルニ在レハナリ地民感泣措ク能ハス乃チ相謀リ茲二此碑ヲ建テ将ニ以テ其盛事ヲ千秋ニ傳ヘントス
 昭和二年十一月   正七位勲七等桂文吾選並書 印印   <左側面>
山口縣知事正五位勲五等 大森吉五郎謹書  

(出典:web site 城下町長府 様

■ 前田 ⇒ 10:唐戸

前田からサンデンバスで唐戸へ行く。タイ人らしい観光客がたくさん乗っていた。

■ 唐戸 ⇒ 門司港


門司港駅。夕方は、今朝と違い、晴れた。