三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

松阪の城一覧

2022-09-25 21:54:09 | 松阪の城

松阪の城・砦・館一覧;( 制覇72 )      松阪の城 順位・星数表 

★ は「松阪の城50選」につけられた星の数。

  1. 星合氏館
  2. 佐藤氏館
  3. 曽原城
  4. 須賀城 ★ 
  5. 小川城
  6. 天花寺城 ★★★ 
  7. 筒野砦 ★★ 
  8. 天保館
  9. 堀ノ内城
  10. 八田城 ★★★ 
  11. 釜生田城 ★★★ 
  12. 森本城 ★★
  13. 滝之川城 ★★★ 
  14. 矢下城 ★★ 
  15. 小原城 ★★ 
  16. 上小川城 ★★ 
  17. 柚原城 ★★ 
  18. 黒米城 ★★ 
  19. 小牧薩摩守館跡
  20. 松ヶ島城 ★★ 
  21. 久米城
  22. 船江城 ★ 
  23. 赤城 ★ 
  24. 阿坂城 ★★★ 
  25. 高城 ★★ 
  26. 枳城 ★★ 
  27. 岩内城(松阪)★★ 
  28. 天ケ城 ★★ 
  29. 伊勢寺城 ★★★ 
  30. 五輪山城
  31. 松坂城 ★★★ 
  32. 黒田城 ★ 
  33. 白山城 ★★ 
  34. 岡ノ谷城 ★★ 
  35.  
  36. 園館  
  37. 立野城
  38. 大河内城 ★★★ 
  39. 泉ヶ久保城 ★★ 
  40. 脇谷城 ★★★ 
  41. 坂内城 ★★★ 
  42. 坂内氏館
  43. 達磨城  
  44. 浅堀木城 ★ 
  45. 神山城 ★★★ 
  46. 尾タケ館 ★ 
  47. 矢倉山城 ★★★ 
  48. 戸垣内館
  49. 山室城 ★★ 
  50. 上山城 ★★ 
  51. 六呂木城 ★ 
  52. 花木館
  53. 霧館
  54. 大石御所(館)
  55. 有間野高城 ★★ 
  56. 下滝野城 ★★ 
  57. 上ノ原館 ★ 
  58. 滝野城
  59. 赤桶城 ★★ 
  60. 田引城 ★ 
  61. 愛宕砦 ★ 
  62. 九十九曲城 ★★ 
  63. 福本城
  64. 富永館 ★★ 
  65. 和田丸城(栃川城) ★ 
  66. 七日市城 ★★ 
  67. 谷野城 ★★ 
  68. 森城 ★★ 
  69. 乙来栖砦
  70. 青田城 ★★ 
  71. 波瀬城 ★★ 
  72. 峯城 ★★ 

 

奥野城

梁瀬(柳瀬・野呂)兵庫頭城跡

髯山狼煙台   

小原冷泉館跡

宮野城

西野城(情報不足によりリストより欄外へ)

 


八田城

2022-03-20 20:28:16 | 松阪の城

八田城

城名
 八田城
読み
 はったじょう
別名
 霧ヶ城
住所
 松阪市嬉野八田町
築城年
 鎌倉時代か(注1)
築城者
 三浦盛時か
形式
 山城
遺構
 曲輪、土塁、堀切、横堀、井戸、見張台
規模
 100m×150m
城主
 三浦氏
一族
 三浦一族
家臣
 鳥羽氏(与原)
標高 58m 比高 34m
歴史
 1,鎌倉時代に相模から三浦五郎左衛門盛時が来て築城した。
 2,姓を大多和に改め十一代大多和盛成は北畠顕能に従い以来北畠氏に属した。
 3,永禄12年(1569)信長の伊勢侵攻の時、大多和監物が籠城した。秀吉は二手に分かれて攻めたが堅固で攻めあぐねた。
 4,折しも山手から濃霧が城を覆ったので八田勢が優勢であった。かくして秀吉は引き揚げた。
 5,大河内城合戦は和睦となり、下之庄へ土着し三浦姓と改めた。
参考文献
 三重の中世城館
環境
 麓に祖先の三浦義明の霊をまつる義明寺がある。
現地
 八田城山公園保存会が城跡の管理をされている。
考察
 鎌倉時代の築城が考えられるが、現在の遺構は戦国時代に増強されたものと思われる。
感想
 コンパクトだがパーツが多く備わり見応えがある。2021年4月には地元の情報から新たに長さ40mの堀切が主郭から100m離れた所に発見され城域が広くなった。
注1
 三浦盛時は建長4(1252)年、宗尊親王が鶴岡八幡宮参詣の際列席し鎌倉にいたと思われる。弘長3(1263)年、出家している。この前後に八田に住んだか。
 

位置づけ;北畠家臣団が中村川流域を守る城(天花寺城堀之内城小川城釜生田城森本城滝之川城・八田城)の一つで織田信長の南伊勢侵攻に備えた。

勢陽五鈴遺響に「永禄十二年大多和兵部少輔居ナリ」とある。又伊勢名勝志には相模・三浦氏の築城とある。

永禄十二年(1569)8月26日、早朝、木造城を出た織田信長は滝川雄利と柘植三郎左衛門たちを案内人として山際の道を南下、沿道に火を放ちつつ大多和兵部少輔の拠る八田城に向かった。

しかしこの朝、八田の在所は濃霧で見通しがきかなかったので信長は八田城の攻撃を中止した。また近隣の岩内城阿坂城に降伏勧告を出した。

感想;小さいながらも遺構がしっかりした形で残っている。訪れることも容易で観察することも行いやすく(地元の皆さんのご努力に感謝!)お気に入りの場所。

地図;


北東1Kmに堀之内城

 

 


御麻生薗見張城

2021-07-12 21:14:47 | 松阪の城

城名
 御麻生薗見張城(注1)
読み
 みおぞのみはりじょう
住所
 松阪市御麻生薗町/庄町
形式
 山城(見張台)
遺構
 曲輪・堀切・見張台(虎口・西・主郭)
標高 250m 比高 200m
歴史
 古くは伊勢神宮のあらたえの材料である麻を栽培していたということから地名にその面影が伺える。
経緯
 2018年2月3日 初登頂「本郷浅間山 松阪ノ猪」のプレート有り。この時、尾根筋に堀切を見つけ城跡を認識する。同13日俯瞰図を描く。2020年1月10日約2年振りに2回目の登頂。新たに虎口・見張台と東堀切を確認する。又、主郭の北西の口を虎口と認識する。
書籍
 無し
環境
 櫛田川中流域の左岸にあって妨げるようにその流れを右折させている。そのことによって流れと山肌は近接し全ての往来を妨げている。まさに自然の要害を創り出している。
考察
●虎口見張台
 御麻生薗見張城の南に位置し尾根を半分強登ってきた肩にその遺構はある。
 直下の登城道とそれより西の広瀬から御麻生薗と大河内を結ぶ根木峠辺りまでを見晴らす位置にある。
 遺構として決定付けた要因は、①石が周辺の半分くらいにかけて積まれている。
 ②その一部に土塁で壁をつないでいるところがある。
 ③浅いが空堀が崖の際まで掘られている。
 ④見張台として決定付けた要因は石積で囲われた先端に据わりの良い大きめの石が置かれ、まさしく少しでも高さを増したいという気持ちが見える構造である。
 逆に城の遺構でない理由として考えられるのが、一番に炭焼きである。しかし、大きさや場所、構造などその可能性は少ない。他に、木落し道、切通し道、荷の集積場等々を考えても合致しない。
●西見張台
 西に張り出した小さな尾根上に、小さな遺構が3か所ある。東から削平地、土橋、見張台である。
 削平地は尾根の斜面を切り込んで削平地が半円状に造られている。人間なら2~3名が駐屯するに限界の面積しかない。
 土橋はかすかに石積の様子が見られる。細い尾根をさらに細くする造作のようだがその意図が読み取れない。
 見張台は岩石が露頭する尾根の先端で、岩石のために広さが犠牲になっているようだ。それでも削平感はかなり認められる。根木峠から広瀬の入口まで明瞭に捉えられる。
 広瀬史に北畠の桜という条がある。別名駒引の桜ともいい北畠氏が桜木に駒をつないで櫛田川の景色を見ながら休んだという。地元では桜広と呼んで看板が設置されている。
●堀切
 堀切は主郭の南尾根と東尾根にそれぞれ1か所設けられている。残念ながら堀切の半分はミカン園の造成工事によって削り取られているため認められない。
 尾根の片側半分だけしか現存しないのであるが、堀切として明確に判定できるだけの様相である。特に東堀切の残存状況は明瞭である。
●主郭
 主郭は浅間神社、役行者の祭事に利用されているため改変が行われている。こういう場合はあえて縁を丹念に調べることである。
 曲輪が2段になっている。主郭上段と虎口から帯曲輪につながる下段である。
 虎口は食違いの構造を持っていると言っていいかもしれない。立木の根が土塁の存在を今に伝えている。
 虎口のもう一方は幅広で高さもあり見張台の様相である。北方面、寺井の峠道辺りを見ていたのかもしれない。
感想
 一般的な山城という様相ではない。それは遺構が分散しているせいであろう。守りを集中的にやっているという遺構ではない。砦ということも難しいかもしれない。
 虎口においても見張を意識した造りである。西見張台においても文字通り見張を意識した造りと考えられる。主郭においても見張台を持っており見張を意識している。
 
 
注1;命名について
 この城を発見した責任として命名には慎重を喫した。
 所在地が御麻生薗町と庄町にまたがるため、本来なら複合した名称にするか、あるいは所在地と関係ない名称にするかであるが、庄町には庄城があるので複合にした場合、関係性にややこしさが生まれるので避けた。
 所在地と関係ない名称にするにはそれだけの謂れなり、特色が欲しいがそれは無い。
 御麻生園は伊勢神宮に奉納する麻を栽培していたという古い歴史があり、川や道は古から整備されていたと考えられる。その種の情報は複数見聞きしている。”御麻生薗”は生かすべきである。
 先達の郷土史家がふもとにある上山城の別名”御麻生薗城”を書籍にて発表されているので使えない。
 現地の遺構を観察するとそれぞれが中心より離れ、分散し、集中的に何かを守るという縄張でもなく、近辺ではあまり例がない。
 個々を見ると、虎口見張台、西見張台、主郭見張台と東西南北の見張に配慮した遺構と思われる。
 統合して見張に重点を置いた遺構群と結論付けた。御麻生園にある見張をしていた城砦であり、御麻生薗見張城とした。

 

 


矢倉山城整備

2021-03-11 22:21:46 | 松阪の城

松阪市にある矢倉山城の訪城会が4月4日に行われる。

子供も参加可能の一般向けの山城の見学会を射和公民館が計画されている。

それに向けての事前整備ということになった。

ボランティアで参加したのは9名で心強い。

半日悪戦苦闘の結果見違えるようになった。

一般参加ができるようである。

よく見る北畠の城とは、やや趣が異なるコンパクトだが見どころのある山城である。

 


御麻生薗城(仮称) 新城発見か?!

2020-08-25 17:55:31 | 松阪の城

新城発見か!? 仮に御麻生薗城とする。

 御麻生薗城縄張図(自作)

住所 松阪市御麻生薗町 / 庄町

遺構 主郭(虎口あり)、堀切、削平地、土橋、見張台

詳細不明 見張台の位置から根木峠、および櫛田川から伊勢本街道を見張る砦ではなかったろうかと想像する。

経緯 口伝も、史料も何もない。縄張図の右下に「庄城」を示したがこれは2018年に発見した城であるが、その城を調査しているとき付近に「武士ヶ谷・陣出・馬場」などの小字名を知ることになり、もう一度付近を調べ直す必要があると思ったことがきっかけとなった。

 この山の名前は「本郷浅間山」というのかもしれない。また庄城も浅間山である。そのこともあって、もう一度「本郷浅間山」を調べることにした。

 上山城の脇の道を登ると南の尾根筋である。登り口からの急坂を登り切ったところに石組と土によって造られた虎口のような遺構に出迎えられる。遺構と言い切るのは、石がL字型に組まれている・石組の内側に土塁が盛られている・空堀が崖に向かって施されているなどがあるためである。また見張台としたのはこの場所が櫛田川から伊勢本街道を川向こうの牧まで見下ろせる唯一の場所と思われ、見張り役が乗るのに都合のいい大石があるからである。

 尾根筋をさらに登ると最初のピークに出て、一息つくと目の前に堀切が見えてくる。東側は昭和45年頃のミカン畑造成の改変でなくなっているのが残念である。しかし、西側に残る堀切の半分は崖に続く明瞭なものである。

 西に延びる尾根には堀切はないが、削平地、土橋、見張台がセットとして施されている。恐らく根木峠から櫛田川までの見張台に使われたのではないかと想像する。

 主郭は北西に虎口を持つ。虎口の外には帯曲輪と連続するエプロンがある。主郭北の土塁は当初は今より面積があったのかもしれない。神社の祠等の造営でかなり改変され無くなっている。

 主郭から東の尾根に入りかなり進むと明瞭な堀切がある。同じく片側(南側)はミカン畑造成によってなくなっている。

 ふもとの上山城との関係は定かでない。上山城は中世も末期の館跡でないかと言われているが、この御麻生薗城はそれより以前の戦国最盛期の砦跡ではなかろうか。上山城の詰城にしては簡素すぎるし、中世末期には見張台は必要性が乏しいなどが考えられる。

 大河内城と三瀬の館を行き来するには根木峠、ないしは寺井からの間道は重要であったと考えられる。また伊勢本街道と櫛田川と間道の監視もできるビューポイントであることから流通を監視する見張台とも考える。

 昭和56年発行の「広瀬史」北畠の桜の項によると、『字山ノ下にあり一名駒引の桜とも云う。往古多気の国司北畠隆盛の時三瀬御所の通路に当れるに依り国司通行の都度此処にて櫛田川之景色を眺むべく桜樹に駒をつなぎて休憩せられたりより之を名づく。(中略)今や其の跡を桜広(サクラビロ)と称す。』とあり、三瀬に行き来する道があったことをうかがわせることから、この付近を警護する見張台があったのではないかと想像してしまう。

 

 

 

 


まだまだある松阪の城

2020-08-25 17:53:56 | 松阪の城

「松阪の城50選」に取り上げられなかった、「その他の松阪の城館」をリストアップしてみた。

 遺構の有るもの無いもの、資料の有るもの無いもの、それぞれ条件は厳しくなるが全くのでたらめでそれらの名称が云われているわけではないだろう。

 火のないところに煙は立たず!

  コラムⅠ対応 他の城について
 

  「資料に登場する城館」

51 小川城 松阪市嬉野中川町
52 立野城 松阪市立野町椋谷
53 曽原城 松阪市曽原町城屋敷
54 堀之内城 松阪市嬉野堀ノ内町
55 達磨城 松阪市松名瀬町
56 久米城 松阪市久米町
57 五輪山城 松阪市藤之木町
58 島田城 松阪市嬉野島田町
59 寺井城 松阪市笹川町
60 福本城 松阪市飯高町福本
61 星合氏館 松阪市星合町里中
62 佐藤氏館 松阪市肥留町
63 天保館 松阪市嬉野島田町
64 戸垣内館 松阪市八太町戸垣内
65 大石館 松阪市大石町御所屋敷
66 久保三河守館 松阪市広瀬町
    「今後の研究が期待される城館」
67 庄城 松阪市庄町
68 仁柿城 松阪市飯南町上仁柿
69 大石城 松阪市阪内町 / 深野町
70 小原冷泉館 松阪市嬉野小原町
71 乙栗子砦 松阪市飯高町乙栗子
    まだまだある松阪市の城館
72 花園城 松阪市嬉野上小川町
73 二段平城 松阪市飯高町加波
74 山副氏館跡 松阪市山添町
75 御麻生薗城 松阪市御麻生薗本郷/庄
76 丹生寺城 松阪市丹生寺町
77 大阿坂城 松阪市大阿坂町
78 阿波曽城 松阪市阿波曾町
79 宮野城 松阪市嬉野宮野町
80 朴木砦 松阪市小片野町
81 岩内御所 松阪市岩内町
82 白粥城 松阪市飯南町向粥見
83 岸江城 松阪市東町/宮町/愛宕町
84 川島砦 松阪市川島町
85 園館 松阪市小片野町
86 深野城 松阪市飯南町深野
87 長野城 松阪市飯南町深野
88 沼田氏館 松阪市大阿坂町
89 下池田館 松阪市立野町下池田
90 奥野城 松阪市西野町/笹川町
91 西野城 松阪市西野町

 


花園城

2020-08-04 09:43:23 | 松阪の城

👆 花園城遠景

👆 曲輪

👆 土塁

👆 土塁

👆 堀切の痕跡か?

 

城名
 花園城
読み
 はなぞのじょう
住所
 松阪市嬉野上小川町(大字花園小字鳥屋尾辺り)
築城年 
 不明
築城者
 大久保佐兵衛督
形式
 平山城
遺構
 土塁 曲輪
規模
 20m×50m
家臣
 北畠家臣(家臣帳に記載あり)
標高 385m 比高 15m
環境
 松阪市嬉野上小川町花園集落のほぼ中央にあって、北、東、南を見下ろす台地の上にある。
現地
 眼下の間道は南に向けて走るがいずれ白猪山系にぶつかり、更に南下することは出来ない。
 南北に延びる丘の上にある。北に登る山側にだけ土塁が施されている。堀切はない。曲輪の削平感は甘い。
考察
 上小川城の西側が白口峠・多気方面であり、大手口である。反して花園側は搦手となる。
 上小川城の背後の間道であり、無防備であれば敵の攻勢に対して弱点になり得る。
仮説
 花園側(搦手)の番人として中峠への入口辺りに門番を配置した。門番は最小限の防御施設を造った。それが花園城といわれる所(曲輪・土塁)であり、又その下に住まいを造って常駐したと考えられる。
地図


白米城のろし実験

2020-01-29 08:08:27 | 松阪の城

 北畠氏の情報伝達手段の一つにのろしがあったと考えられる。霧山城から、髯山のろし台黒米城を経由して、阿坂城へ、そして最後には大河内城へ。

 その一端として、松阪山城会ではのろし実験が行われている。のろしの実際はどうなのか、有効性は伝承のようにあるのか、ルートはどうだったのかなど明らかにしようとしている。

 松阪の城50選」にもそのことは取り上げられている。直線距離なら20Kmに満たないが如何せん、山間部と平野部でいくつもの山が連なり、想像以上に距離感がある。このことが解き明かされることを期待する。

 

のろし実験の様子

2017.2.16    第1回

 

2018.2.15    第2回

 

2019.2.7    第3回

 

 2020.2.6  第4回

 阿坂城にてのろしを揚げる予定。この時期、見晴らしの良い山頂で、のろしをまっすぐ高く揚げるのは気象条件からかなり確率が低い。

 過去3回分の阿坂城におけるのろし実験の様子から、今回につなげられる注意点は何か探ってみる。

 

 

 

 


阿坂城の堀切を新たに確認

2020-01-27 09:19:50 | 松阪の城

山城探訪は面白い。いつも訪れているなじみの阿坂城で新たな堀切を確認した。「山城は調べつくされている」と考えない方がよいという例である。

場所の特定(GPS軌跡の北東の旗2カ所が新堀切の場所)(上方、北の旗2カ所は水源地と思われる場所)

枡形山(阿坂城)から北東に延びる尾根筋の2箇所に堀切を確認した。

新堀切1(標高の高い方)

新堀切2(標高の低い方)

共にやや大型である。(尾根がしっかりしている)

遺構はかなりしっかり残っている。

阿坂城がある枡形山から延びる尾根にはまだ未発見の遺構があると想定している。全容はまだまだ明らかでないと思われる。

松阪の城50選入手

  

 

 


SAKURA 阿坂城 さくら 白米城 桜 椎木城

2020-01-26 10:23:12 | 松阪の城

阿坂城(別名;白米城)と椎木城の桜(2019年撮影)

👆 中央、頂上が阿坂城(別名;白米城)と右側に椎木城

👆 阿坂城、主郭の登り口

👆 主郭中央に白米城の顕彰碑

👆 伊勢平野と奥に伊勢湾を一望する。

👆 松阪インター方面、山が笑っているようだ。

👆 観音岳、堀坂山方面。

👆 青山高原方面。

👆 主郭下より厳しい切岸を望む。

👆 同。

👆 同。

👆 同じ場所を東から見る。

👆 中ほどの堀切の残り方が素晴らしい。

👆 切岸の厳しさが際立つ。

👆 隣接する椎木城の細長い曲輪。

👆 椎木城から白米城を望む。

2019年4月9日撮影

 松阪の城50選が発刊(1,000円/税込み)されたが表紙を飾ったのはやはり桜の白米城である。松阪の城マニアにとっては外せないカットということだろうか。

書店では手に入らないので、厄介だ。

チラシによると、

郵便はがきかEメールでの申し込み代金は後払いとのこと。

郵便は、〒515-0063 松阪市大黒田町1850-5 高瀬孝二

Eメールは、mphoto_7@mctv.ne.jp 門山信男

とのこと。