堀之内城
ほりのうちじょう
別名;堀之内御所
住所;松阪市堀之内町
築城期;天正18年
城主;舟木正尚、正頼、光俊、、、三右衛門
遺構;土塁、堀跡
由来;舟木正尚は父舟木頼尚の監督のもと堀之内城を築いた。正尚の子
正頼は応永21年(1414)雲出川の戦いで手柄をたて北畠満雅に小
倭谷の地を賜る。
その子光俊の時、国司家といざこざをおこし国司家の夜討ちを受け
たが、その後美濃の一族を率いて堀之内城を取り返し園の御所と称した。
大河内城の戦いで手柄のあった舟木三右衛門は四代後の城主である。
三右衛門の弟、中村仁右衛門光長は久米城主となる。
天正四年(1576)北畠家没落と共に蒲生氏郷の家臣となり会津へ移る。
現地;嬉野史によると「城は土塁、堀に囲まれた方形の居館と思われる」と
ある。グーグルの写真を見ていて気になる地形があったので再び現地
へ行くと、それは堀跡と思わせる曲線ではないだろうか。田んぼの畔の
線が堀を埋めて残った曲線と考えた。はたしてどうだろうか。そうすると
その延長線上には、はたして何があるのだろうかと探索すると藪の中に
土塁を発見したのである。
地図;
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