三重を中心に徹底訪城 検索「山城遺産」「セルフコラボレーション」 ペン画で歴史を伝承 時々徒然に

中世の城を主に訪城しています。三重県が多いです。百名城は96/100。総数で600城。新発見が4城です。

坂内城

2017-08-07 23:04:25 | 松阪の城

坂内城

さかないじょう

城名 阪内城
住所 松阪市阪内字天守
築城年 1415年頃
築城者  ①坂内雅俊、②具能、③房郷、④親文(親能)、⑤具祐(具種)、⑥具房(具信)、⑦具義(兵庫頭・笠木城主)
   1400年前後から1576年までの①阪内雅俊から⑦具義まで7代、160年間くらいの歴史か?
形式 山城
遺構 郭、堀切
規模 東西50m×南北55m、主郭(30m×10m程度)
城主 北畠(坂内)雅俊
標高 302m
比高 136m・急峻
歴史  天正4年(1576)11月24日、六代具房(具信) は家臣の裏切りによって殺害され、25日七代具義は織田信雄の策略により田丸城において殺害され本城も廃城となった。
経緯  当初この城は、1342年仁木義長に攻められ落城したとある。その後、本城は応永22年(1415)、伊勢国司北畠家一門の北畠(坂内)雅俊が入城した。縄張りは古臭く土塁すら築かれていない。16世紀までそれほどの修築はなかったのではないか。しかし坂内城は、北畠氏の本拠地たる美杉と大河内との接点に当たる重要な地点にありと言われている。又、城主は北畠氏の中でも重きをなしていた。『坂内御所』とも称された。それほどの位置付けと城を取り巻く状況がそぐわない。その当りに想いを巡らせても良いのかもしれない。
書籍 三重の中世城館 坂内御所跡に残る説明文より
環境  大河内城と多気の館を結ぶ山道(細野峠~白口峠)の入口を守るようにある。麓の坂内御所より300m西進、橋を渡ってすぐ右折し1Km弱山道を走ると坂内不動堂がある。高さ30mの不動滝や坂内氏の墓石がある。
一族 木造顕俊の二男・雅俊が坂内氏を名乗る。
家臣 兵士数・・・・・・・・1000人   
現地  不動堂は、阪内川の支流不動川(花厳寺川)の上流にある緑濃い林間の小堂である。境内には高さ約30m、幅1.5mの不動滝が清冽な山水を落としている。不動堂は浄土宗知恩院の末寺。寺伝は不詳ながら、阪内城主坂内家の菩提寺であった華厳寺(廃寺)の奥の院で不動尊を祀っている。松阪一の大瀑であり、四季の景観に恵まれた仙境の地である。
感想  城は急峻な山頂にあるが規模は小さく遺構も充実していない。坂内一族の170年余りの歴史とは相反する貧弱なものである。逆に言えば御所は構えたが戦略的にはここは重要な位置ではなかったのではないか。地域の戦に備えた程度でそれ以上のものではない。多気へのルートは中村川が本筋であったと思われる。
地図  

 

 

 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿