七日市城
なのかいちじょう
城名 | 七日市城(角谷城) |
住所 | 松阪市飯高町七日市 |
築城年 | 天正4年 |
築城者 | 日置大膳亮 |
形式 | 山城 |
遺構 | 郭、石垣 |
規模 | |
城主 | 日置大膳亮 |
標高 | 230m |
比高 | |
歴史 | 北畠氏敗績後、川俣谷(かばただに)を織田信雄より給った。七日市の端で櫛田川の河岸段丘のきわに城を築いた。後、名が示すように昔は七の付く日に市が立ち栄えた。櫛田川上流部では中心集落だった。江戸時代になると更に、宿場として発達し宿屋も多かった。 |
日置大膳亮とは | 北畠家の家臣、伊勢・松ヶ島細首城主、織田信長の攻撃には居城を焼き捨て大河内城に入り防戦、しかし織田信雄が北畠家に養子として入ると信雄の家臣となる、のちの田丸城での北畠一族殺害に関与、北畠具親の挙兵には鎮圧軍として戦った、伊賀攻めにも出陣、のちに徳川家康に属した。 |
書籍 | 三重の中世城館、勢陽五鈴遺響 |
感想 | 山城とは言え櫛田川の崖のきわにあるので一般的な山城の様相ではない。守るための城ではなく治めるための城の気配である。織田信雄から給わったとあるが歴史の記述から日置大膳亮自身が長期にわたって居城したとは思えない。角谷氏との関係がどうなのか?だ。角谷氏に七日市城を任せて日置大膳亮は主人に仕えて各地を転戦したのかもしれない。 |
地図 |
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます