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表象主義

2007-06-28 | Weblog

●表象主義と計算主義のドグマ
 認知科学が、表象主義と計算主義との2つのドグマから成り立っていることを指摘したのは、ガードナーであった(1985)。
表象とは、頭の中に構築されるシンボル世界のこと。そして、表象主義とは、その表象の生成、変容、運用のメカニズムを明らかにすることを認知科学のねらいとするべしというもの。、
そして、計算主義とは、そのメカニズムの解明をコンピュータに可能性として実装できるような形でモデル化するべしというものである。認知科学の発生からほぼ20年間、1970年頃までの認知研究者が共有していた車の両輪のごときドグマであった。

●表象主義の何がどのように教育に影響を与えたか。
 眼前の光景をイメージとして頭の中に取り込むのも表象の一つであるが、それらを既存の表象と体系づけた、表象と呼ぶよりも、知識と呼ぶにふさわしい膨大な世界がある。
 表象主義が教育に与えた影響の一つは、この知識の分類の視点とその特徴についての知見を提供したことであろう(図2、Tulving、1972,1985)。
 とりわけ、宣言的知識に分類されるエピソード知識と、宣言的知識と対峙される手続き的知識とである。これは単なる分類の域を越えて、新しいタイプの知識の発見といってもよい。
 教育の中で重視されてきた知識は、言うまでもなく、意味的知識である。あらかじめ決められている意味的知識をいかにたくさん効率的に子どもに取り込ませるかが最大の関心事であった。そうした流れの中で、あらたに、エピソード的知識と手続き的知識との存在と位置づけが提案されたのである。これを教育の中でいかに位置づけるべきかが一つの大事な関心として浮上してきたのである。
 たとえば、エピソード的知識に関して、それが、意味的知識の記名や想起の際に重要な役割を果たしていることが、状況依存記憶の研究から明らかにされたことで、意味的知識だけを切り離しての知識教育の脆弱さが批判されることになった。従来、体験教育としてあいまいなままに散発的に実践されてきたことに、認知理学的な裏づけが提供されたとも言える。
 さらには、理論志向、実用性欠如という批判に十分に答えうる示唆に富む具体的な教育実践もおこなわれた。たとえば、1冊の研究雑誌で特集が組まれるほどの斬新な試みをおこなったランパート(1986)。そこでは、小学校4年生のクラス(児童数28名)を対象として「手続きと意味の一体的な理解」をめざした実践が報告された。お金という具体物や図解を媒介に、シンボル世界と現実世界の往復をさせることで、多位数どうしのかけ算の学習の手順をその意味を実感しながら習得させることに成功している。

● 表象主義の破綻
 理論志向の認知科学が、ただそこにだけ安住していれば、「破綻」といったような厳しい言葉を使わなくともよいのだが、人工知能の実現への貢献をも期待されたことが、表象主義の破綻に気づかされることになった。
 表象主義では、外界を抽象化したシンボル世界を計算論的に記述することとセットになって人工知能への実装をねらうはずだった。ところが、その成果が、人間の知能と比較すると実に貧弱なものにしかならなかったのである。その最大の理由が、人工知能に実装した表象世界の自閉性であった。自閉することで計算論的に完璧な表象世界が構築できても、いざ現実とかかわろうとすると、ほとんど役にたたないのである。
 具体的な、克服困難な問題を2つ挙げておく。一つはシンボル接地問題である(Harnad,1990)。表象世界でのシンボルと現実との対応づけがうまくいかないのである。卑近な例を挙げれば、<笑い>というシンボルが、現実世界の「笑い」とうまく対応づけられないのである。これでは、現実とうまくかかわれる人工知能が作れるはずがない。
 もう一つは、記号接地問題をよりスケールを大きくしたものとも言えるが、フレーム問題である。現実世界に対応する表象世界を記述する際に、どうしても、記述の残滓が出てしまうのである。たとえば、ある時点での光景を完全にシンボルで記述できたとしても、その1秒後の光景、あるいは、1m動いた場所からの光景は違ったものになる。そのすべてを人工知能の表象世界として記述するのは不可能である。だとすると、ここでも、現実との対応がうまくいかない事態が発生してしまう。
 こうした人工知能がらみの問題は、たちまち、逆に、子どもや人の認知的な優秀性へと関心を向けさせることになった。その一つが、第4で考察する身体性である。身体に組み込まれた知は一体どんなものでどんな働きをするのかにあらためて研究者の関心が向けられたのである。もう一つは、状況とのかかわりの中で構築される知の世界への関心である。次項であらためて考えてみたい。

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