通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

第六潜水艇殉難者之碑 鯛乃宮神社 呉市三津田町

2011年04月17日 | 広島の話題
「1910年(明治43)4月、岩国市沖で沈没した旧海軍第六潜水艇の乗員の慰霊祭が14日、呉市三津田町(みつたちょう)と、岩国市装束町(しょうぞくまち)であったそうじゃ」




第六潜水艇殉難者之碑(鯛乃宮神社境内)




鯛乃宮神社入口




「第六潜水艇って何?」

「1906年(明治39)4月、日本で初めて設計・建造された潜水艦なんよ。第一から第五までは、アメリカで建造後したものを分解して輸入、横須賀海軍工廠で組み立てたものなんじゃ」




第六潜水艇(大和ミュージアムにて撮影)



「潜水艦って、いつごろからあったん?」

「ウィキペディアによると、1620年にオランダ人のコルネリウス・ドレベルが、イギリス海軍向けに発明したそうじゃ。もっとも「櫂による人力推進」とあるけん、人が漕いで進みよったんじゃろうの」

「へぇ、最初の潜水艦ってそんなんじゃったん」

「1900年(明治33)、近代潜水艦の父と呼ばれたジョン・フィリップ・ホランドが設計した潜水艦ホーランド号が登場したんじゃ」

「日本も初期のころから潜水艦を使いよったんじゃね。第六潜水艇の慰霊祭があったということは、攻撃されて沈められたん?」

「ある事故を起こして、乗組員14名が全員死亡したんよ。ほいじゃがこの事故は、今でも語り継がれるような教訓を残しとるんじゃ」

「どんな?」

「1910年4月15日、第六潜水艇はガソリン潜航の実験をするために、岩国から広島へ向っとったんじゃ」

「ガソリン潜航って?」

「ガソリンを使って潜水艇を動かしとるけん、吸気と排気せんといけんのよ。潜水艇は海に潜っとるんじゃが、煙突は海面に出しとるという状態じゃ。例えたら、忍者が口に竹筒をくわえて水に潜るようなもんかの」

「でも、これじゃったら潜る深さも決まってしまうし、海が荒れたりすると海水が入ってきたりするけん大変じゃん」

「潜水艦も初期のころじゃけん、いろいろ試行錯誤しよっちゃったんじゃないんかの。それはともかく、午前10時から実験開始したんじゃ。ところが、何らかの理由で煙突の長さ以上に潜ってしもうて、浸水が発生したんよ」

「ありゃ、まぁ」

「煙突のバルブを閉めようとしたんじゃが、そのバルブが故障。手動で閉めようとする間に、深さ17メートルの海底に着底したんじゃ」

「そりゃ、大変じゃ」

「第六潜水艇の近くには、歴山丸という船がおったんよ。潜水艇はまだ未成熟な兵器じゃったけん、見張りよったらしいんじゃ。で、この歴山丸が事故に気づいて救難作業を行ったんじゃが、引き揚げられたのは翌日(または翌々日)のことじゃたんよ」

「お父さんは、「語り継がれるような教訓」って言うたけど、教訓らしきものはないようなけど?」

「それは、第六潜水艇を引き揚げたときにわかったことなんよ。艇長の佐久間勉(さくま つとむ)大尉以下、乗組員14人のうち12人が各自の配置場所に、残り2人はガソリンパイプの破損場所におって、最後まで破損の修理をしよっちゃったんじゃ」



この事故より先にイタリア海軍で似たような事故があった際、乗員が脱出用のハッチに折り重なったり、他人より先に脱出しようとして乱闘をしたまま死んでいる醜態(しゅうたい)を晒(さら)していたため、帝国海軍関係者も最初は醜態を晒していることを心配していた。
ところが、実際にはほとんどの乗員は配置についたまま殉職、さらに佐久間艇長は事故原因や潜水艦の将来、乗員遺族への配慮に関する遺書を認めていたため、これが「潜水艦乗組員かくあるべし」「沈勇」ということで、修身の教科書や軍歌として広く取り上げられたのみならず、海外などでも大いに喧伝(けんでん)された。
特にイギリス海軍では教本になり、アメリカ合衆国議会議事堂には遺書の写しが陳列された。

(「第六潜水艇」ウィキペディア)




「佐久間艇長は遺書を残しとっちゃったんじゃね」

「沈没の状況や事故の原因、今後の潜水艦技術への提言、乗組員遺族への救済依頼などを書かれたんじゃ。電気も消えて、ガスが充満する潜水艇の中でのう」

「ええ話じゃん。艇長は死ぬ間際まで冷静沈着で他人を思いやって、乗組員も死ぬまで自分の持ち場を離れてんなかったんじゃね」

「「イギリス海軍では教本になり、アメリカ合衆国議会議事堂には遺書の写しが陳列された」というのも、うなずけるよのう。岩国市での慰霊祭には、在日英国大使館の防衛武官も出席されとるそうじゃ」




第六潜水艇の紹介(大和ミュージアムにて撮影)



↓佐久間艇長の遺言については、こちら↓

「佐久間艇長の遺言全文」12期幹候のホームページ





「今日は、第六潜水艇について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする