日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

自民党総裁選で垣間見えた日本の現実。

2012年09月27日 | Weblog

ブログへのコメントの一つがある方のブログで、そこには今回の自民党の総裁選では石破を支持した既得権益を守りたい旧勢力があり安倍への風当たりが強かったし、マスコミが総動員されていたように書いてある。そのよって立つところは石破は戦後体制堅持、安倍は打破して日本の本当の独立をということらしい。いろんな見方があるものだが、決選投票では派閥の意向で安倍になったという解説もあり、石破は元々派閥から出て横断組織を動かしてきたから、ここには矛盾を感じる。

一方で、今回の尖閣問題の海外から見た目は、日本人が国内で報道される内容から考えることとは雰囲気が違い、殆ど日本への批判的な報道が多いのだという。そもそもなぜこの時期に寝た子を起こしたのかと言うのが、もっぱらの見方であり、テロなどの被害も日本の責任だという論調だという。

これらの事を少し遠くから眺めると、原発問題も含めてマスコミが大本営発表になってしまっているどころではなく、現実をきちんと捉えていないばかりか、殆ど嘘を書き立てているのかもしれないという疑問が浮かぶ。実際、自分がかかわった事でも新聞の記事は半分くらい真実とは違うことを脚色して書いてあった経験がある。しかしそれはまだ子供の頃の事。

現在の情報網が発達して、世界中の情報が瞬時に伝わるときに、この国だけが言語の障壁で囲われた鎖国状態になっているという指摘まであるのだ。あるネット仲間のおひとりは、既にテレビ番組にも嘘ばかりや偏向を感じとり殆ど見ないし、新聞も読まない、見るのは信頼できるネットだけだという極端な方までおいでだ。

確かに、感じるところは多い。報道がコントロールされている感覚は、特に原発の初期対応などであからさまに見えていた。どう見ても危険だし、その後の測定で判明した放射能の拡散の事も当初は安全と言い張る政府のいうことをそのまま流すだけのマスコミであった。自分で調べて検証するのは、なんと素人の主婦などの子供たちの事を真剣に考える親たちであった。

何処の国にも起きることだが、非常に危険なところまで、マスコミ全体が堕落してしまったのかもしれない。背景には無理をしなくても安定した収入があり、生活があり、人生が送れる。なんで無理するのと言う風潮があるのかもしれない。が、これは非常に恐ろしい話だ。

新聞が信じられない、テレビが信じられない、まるで、一党独裁の隣国の様な状況なのだろうか?いくつかの視点を持ちながらこれからの動きと情報に接することをしなくてはならないのだろうか?

情けない国になってしまったものだ。いや、戦後ずっと隠されていたものがちょっとだけお粗末民主党のおかげで綻びて見えてきたのかもしれぬと、考えてしまう。

写真:豊作もある。コナラ(ブナ科)の実。見事などんぐり。