日本の進路を考える

戦後70年が過ぎてもいまだに自立できない日本を考える。

熊本旅行二日目:高森、菊池、山鹿

2010年10月31日 | Weblog
二日目の朝は約束の9時過ぎ、社長が駐車場で待つ山村酒造見学。
玄関前は少し綺麗になったがその雰囲気は昔と変わらぬたたずまい。ドアをあけると
お酒の香が漂うなんとも懐かしい第二のふるさと。

工場では内部の見学をして、祖母の絵画ギャラリーでサインを残し、写真を撮り
お礼に昔の愛唱歌を一曲、男声合唱の定番「いざたて戦人よ」をハモル。
最近はやっていないとあまり歌いたがらないベースのO氏に歌わせるために昨日の湧水トンネルで
練習済み。さすがに嫌だとは言わず昔ながらにハモってもらった。
四名でたまたま男声四パートが揃っているのはまさに偶然。N,U,W,Oの順。
N,U氏の二人は今も関東でOB合唱団で歌っており、W氏も本番には出てくる。
O氏にも出て来い、歌わなくていいから打ち上げにと誘い(笑)
これは夜の宿でもう一度歌うことになる。

二日目のルートは高森からもと来た道を阿蘇の外輪山の裂け目へ戻り、
阿蘇市で阿蘇神社を参拝、大観峰へ向かい、綺麗なススキの原を抜けて、菊池水源へ。

菊池渓谷を一時間ほど散策して、菊池へと向かう。
菊池の街中を通り抜けて鞠智城跡の再建物と博物館を見学。
今は山鹿市の実家に立ち寄り姉夫婦にお茶を頂く。栗と梅の甘露煮はおいしかった。

山鹿市では八千代座を外から見学して、今回の幹事W氏お勧めの植木温泉が終点。
何枚かの写真と記事をご笑覧。

根子岳の見える温泉、休暇村南阿蘇

2010年10月31日 | Weblog
旅の初日にたどり着いたのは夕暮れの根子岳の正面に位置する比較的新しい温泉施設。
湯船から根子岳が正面に見える設計で、露天もあり、ガラス窓を通さない山容が見渡せる。
ぎざぎざの山頂は子供のときから変わらない素朴な不思議さ、どうやってできたの?

露天の湯船には先客がひとり「さむくなりましたねぇ」と声をかけると「ほんなこつ」と
熊本弁が返ってきた。「どっからきなはりましたか?」と会話が進む。
農家の方で果樹の採り入れがすみ出荷作業までのつかの間の農閑期で、休みに来たと。
しっかりと温泉を楽しむ様子であった。

そして食事はバイキング風、ステーキ、刺身からヤマメの焼き魚まで、何でもありのごっちゃ料理。
お酒は当然地元の霊山、大いに楽しんだ。

高度は結構高いのだがまだ秋の気配はほんの少しの紅葉。見ごろは数週間後か?
阿蘇カルデラの中での一夜も楽しく終わった。

夜中はいびきと寝言の大合唱で一人だけ寝不足のU君であった。


噴火口付近は亜硫酸ガスで立ち入り禁止

2010年10月31日 | Weblog
安全策を採るのは分かるのだが、自己責任でいける範囲を考えることもさせないのは
規制をしなかった当局の責任だとごね得ビジネスにする輩がいるからであろう。
住みにくい世の中になったものだ。

それにつけても昨日の台風の進路は予想より安全サイドで、列車の運行には殆ど
影響の無いようなものであったが、なんとJR東は東海道や横須賀線の間引き運行を
朝から始めていた。一方の私鉄各線は何事も無いかのような平常運行、この違いは何?
要するに官僚主義が垣間見える言い訳安全策であり、乗客へのサービスは二の次の保身策
でしかないように見えてしまう。いつもの事ながら、直接被害の無い身でも不満だ。

写真の左側の白い煙は噴煙で、これが風向きによってはこちら側に来ると猛烈な悪臭。
右側の向こうに見えるのは少し前の火口跡で壁を見ると噴火の歴史が見える。
地層は色とりどりで堆積物も時には火山弾、ときには火山灰と気まぐれだ。
このあたりは草木も生えないが草千里くらいの古い火口は風雨と植物の浄化で緑が育つ。
この噴火口を地球のほとと詠んだ女流歌人は小学校の同級生、本物を見て考えさせられた。

短いたびの間阿蘇山は殆どどこからも見え、白い噴煙が途絶えたことは無く観光客を
がっかりさせ続けたようだ。ゴンドラに乗り合わせた中学生同様にうるさい大人の集団は
韓国語だったようだ。我々同様に高い金を払って上がってみたらがっかりお疲れ様である。

この旅の最後の熊本城見学でも韓国語の団体が次々と現れた。
朝鮮征伐の加藤清正のお城だと知っているのかしらと思いつつも、壮大な規模には
圧倒されていたのが分かるような感じだった。

パノラマ写真はクリックすると大きくなります。



日本の名水の一つ、白川水源

2010年10月30日 | Weblog
初日の続き:
噴火口見物の不満足感を抱えて車に戻る。さて、次はと運転を変わる。
下り道アクセルは殆ど踏まず省燃費運転を心がけると隣からスピード落とせとチェックされる。
あ~~もったいないと思いつつも助手席の恐怖も理解できる(笑)
こんなに狭かったっけと思いつつも昔良く通った道を進むと白川水源に到着。

いやその水量には驚く。阿蘇カルデラの南の谷は南郷谷、その中程度で湧き出る火山の
伏流水が白川となり熊本市へと流れ下り、有明海に注ぐ。目に見える川だけでなく
熊本には阿蘇の山塊から地下水が海に向かって流れ、井戸や湧き水で飲料水には事欠かない。

今回植木町と合併して政令指定都市となった熊本市の水道も全て地下水である。
日本一水道のおいしい町といってもいいのだろう。

ところが、この水源の上流にも人里があり、そこにも水がある。その水は全て湧き水。
その典型が高森湧水トンネルに見える。熊本県高森と宮崎県高千穂とは阿蘇の外輪山の
一部である高森峠を挟む県境の街。この間をトンネルで結ぶ計画は古くからあったが、
実際に掘り出したのは昭和も40年代。そして途中猛烈な湧き水で工事中止、
しかも高森の水源となる湧き水が全て枯れてしまったために、結局工事は断念された。

現在そのトンネルから湧水を止めたところまで歩いていける公園になっている。
年中変わらぬ水温が懇々と湧き出ている。

写真:白川水源の水の噴出。砂を巻き上げながら水が湧く。
   白いのは空からの光の反射。水はグレーの砂の間からでる。

   

草千里が原のパノラマ写真

2010年10月30日 | Weblog
写真を見ると火口跡であるのはすぐ分かる。ここは冬には雪が積もりにわかスキー場と
なることもあるだだっ広い草原。一度雪の日に来てそり遊びをやったこともある。

写真の左の山の上の白い雲は、火山ガス、硫黄臭が強い。
火口付近は立ち入り禁止安全な所も息苦しい。

気温は一桁で寒い。風の冷たさに震えるくらい。

写真はクリックして火山の風景をご覧下さい。

羽田国際空港、旅の始まり

2010年10月30日 | Weblog
JALの窓から、混雑の羽田。これに国際線も加えて離着陸数がまた跳ね上がる。
それにしても搭乗手続きとう、ネットの時代に合わせて便利になったものだ。

早割りの搭乗予約をして座席指定もすませて、二次元バーコードの入った予約票を
自宅でプリントアウトして、手荷物検査にそのまま行くと読み取りで座席指定のメモが
出てくる。チェックを通過するとそのまま登場口へ、ここでは再度バーコードをかざすだけで
機上の人となる。

切符を発行することも無く、印刷費も紙も利用者負担、手間(人件費)も含めると
おそらく相当な効果があるものと想像されるのだが、JALは未だに再建の目処不明。
羽田へ帰着した昨日の様子を見るととてもそうは思えないほどの機体が空港には並び
オペレーションは普通になされている。

ほぼ予定時間に飛び上がると薄い秋空の雲の上に出て順調な飛行。あっというまに
熊本市の上を旋回して高遊原(たかゆうばる)の空港に降り立つ。

他の飛行機でくる仲間も集まり、レストランで食事後W君の車で出発。
なぜかそばセットがうどんセットより100円高いのが全員の疑問。

熊本へ

2010年10月30日 | Weblog
この建物は復元されたもの。

古代の鞠智(きくち)城、朝鮮半島における白村江の戦い(663年)に敗れた
大和朝廷が、唐、新羅からの侵攻に備えて西日本各地に築いた古代山城のひとつ。
同じ場内のとなりには校倉作りの高床倉庫もあり、ここが当時の兵站基地であった
という説明もわかる。

江戸時代から肥後米の産地として有名な菊池の七城地区の高台に古代もこのような
国家的設備があったと言うのは、その米作りの歴史の長さを示す気がした。

中を覗くと柱だらけ、五重塔などと同様に中に住むとかオフィスに使うものではなく
高さを持つ見張りの塔であったのだろうなと思う。鐘の音による緊急事態の発信設備
でもあったようだ。

今回の熊本旅行は、阿蘇熊本空港におりて、仲間四名が九州在住の一人の車にのり、
県の北半分をぐるりと廻るどたばた旅行であった。

初日:
阿蘇噴火口へ、草千里の眺めは素晴らしいが、風の冷たさに閉口。
マフラーに手袋まで持ってきたO君の準備のよさに驚いたがその位の山頂の気温。
ロープウェイで登った噴火口は有毒ガスの噴出で立ち入り禁止。一人1000円の
往復がもったいなかった。

その日は南郷谷の奥、高森へゆき、湧水トンネルを見学、意外と最近トンネルを
掘ろうとして大量の湧き水が出てしかも高森の水源が枯渇すると言う事態に、
計画が中止されたと説明があった。昭和50年代というからもうこちらはすでに
東京住まいであった。高千穂と高森を結ぶ鉄道計画は58年に断念されたとある。

宿泊はぎざぎざ頭の根子岳が良く見える南阿蘇休暇村。
ご飯もおいしく温泉もなかなか。但し循環かけ流しという表示であった。
ややぬるくて、もうちょっと温度が高いといいなというのが全員の感想。

地獄門の両側にアダムとイブがいる。「ユリアヌス帝がもし19年いたら?」塩野七生

2010年10月26日 | Weblog
人間の罪を知って悩むと言うキリスト教の茶番だが、原罪と称して人間は罪を犯した
ことになっているらしい。御伽噺の類だが真剣に信じている人を沢山作り出している。

「本物の宗教家は神などいないことを一番良く知っている」とは、誰の言葉であったか。

しかし、ロダンのアダムトイブは苦悩する目覚めた人を呈示しているとすれば
なかなかのだと思う。禁断のりんごを食べて罪に目覚めたと言う話なのだが、笑える。
そういうことで信じ込む人達が沢山いる世界である。

そういえば、ある雑誌でよんだが、アメリカ人の大半は映画を事実として受け止める
そうだ。特に宇宙生物の渡来、ホラー映画、核戦争などが実際に起きたと事として
受け止めるとか。タクシーの運転手から映画をみて怖がっている話を聞いた人がいる。

所詮は人間の大半はそのレベルかもしれない。

キリスト教は所詮排他的一神教、その中でも宗派争いを継続してきたのは歴史の示すところ。

ローマ人の物語「キリストの勝利」上中下(文庫本38,39,40)の半分を読み
考えた。宗教はビジネスだ。

キリスト教を支配の道具として利用する皇帝もいれば、これを跳ね返そうとした
皇帝もいた。ちょうどそのユリアヌスが殺されて、アンチキリスト教の政策が
元の木阿弥となる所まで進んだ。悲しい。塩野さんもここで殺されていなければ
今日のキリスト教支配は無かったかもしれないと、半分は痛ましく受け止めている。

なにしろ、皇帝の護衛隊長とその部下などのキリスト教徒による暗殺と見られるからである。
ローマ帝国よりキリスト教が大事、それは既得権益を綺麗に打ち消したユリアヌスへの
恨みでもある。

書いていく調子から、ああこれでこの人も終わりだと分かるペルシャ遠征の戦。
著者の視点に思わず同調してしまう。歴史に「イフ」はありえないが、もし
ユリアヌス帝が19ヶ月でなく19年皇帝であったら、というくだりには思わず
うなずいてしまう。

写真:国立西洋美術館の前庭にある巨大なロダンの彫刻「地獄門」の左脇のアダム。
   これらの彫刻は開館日であれば無料で見ることが出来るが、知らない人多い?



この悲惨な状況が隣の国の周辺ではいくつも起きているのでは?

2010年10月25日 | Weblog
カレーの市民はロダンの名作の一つ。

Wikipadiaによると、
6人の市民はカレー港の包囲を解く生贄としてイギリス王の要求に応じて
犠牲になろうと名乗り出たもの。
既に街は飢餓状態、フランス軍のイギリス包囲網突破は困難な状況。

フランスとイギリスの100年戦争の一つの記念碑でもある。

世界に12体あり、1953年に9個目として鋳造されたものが西洋美術館にある。

暴力による、国家間の取り合いは欧州では第二次大戦で終わった気がするが、
アジアでは今も現実のこと。中国の周辺国は自治州とかの名前で強制的に一部や全体が
占領され漢族が移入し、教育の漢化、結婚による人間の漢化まで推し進める。

モンゴル自治区、モンゴル共和国のような対になった周辺国がたくさんあるのは周知のこと。

これを日本に向けても想定しているのが恐ろしい現実。
そんなことはありえないと笑うのは簡単だが、共産党一党独裁の軍事支配国のこと、
戦前の帝国陸軍以上に異常な状況のようだ。

経済発展による一部富裕層の出現と生活の近代化が、猛烈な格差を生じて農村地帯の
疲弊、不満は時々暴動となって爆発している。軍幹部には出身者が多い。
まさに戦前の日本と状況が似ている。違うのは中国は資源国という所。

そのガス抜きが尖閣による日本問題であり、国民の目を背けさせる共産党による
強かなシナリオなのだ。

日本への留学生がインタビューに応えて言った事が、反日教育の凄さを実感させる。
学校教育では日本に恨みを持たせる教育が継続して行われ、自分も反日であった。
しかし、留学に来てみると日本人は親切で優しい、母国のことでは泣きたくなる、と。

騙されていることを知る人が増えることが、体制の崩落の速度を速めることであろうが
どうだろう、50年かかるのか?それとも100年?

情報統制はネットの出現でテレビのレベルを超えた。
数年前にその前に立ち、崩れるとはとても思えなかったベルリンの壁もあっけなく瓦解した。
中国の前にまず半島の問題があるが、こちらは10年持たないことだろう。
そのまえに、朝鮮自治区となるのではなかろうか?

南北の統合が当たり前のシナリオと普通は考えるのだろうが、共産党中国は別の
シナリオを考えているのだろう。

地球の上に、歴史が60年以上ずれて進む地域が並存している。
国家的暴力行使を厭わない国が隣にあるとき、核の無い世界のリーダーと宣言しても
無意味だろう?

お返しの暴力を準備して、やる気をなくさせる道しかないのではないか?
非暴力で進める道はインドをみれば何が起きるかわかるはずだ。
その犠牲は6人の市民では済まない。