人は、ふるさとびと

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自殺した人の霊について(子供も含む)

2012-04-16 08:41:19 | スピリチュアル
 (問)自殺した人の霊はどうなるかということを
お教え下さい。

 (答)どこへ行くかということですか。
自殺するって、本当に色んな原因があって、誰も
自殺したくってする人はないんだけれども、
ただ稀に菩薩行で自殺する人があるんですよね。
 全部業を引き受けちゃって、そういう自殺の
場合は、自殺しても苦しい世界に行かないんですよ。
 自分が全部引き受けて死にますのでね。 


 (問)子供なんかどうなんですか。自殺しますが、
あれなんかどう解釈したらいいのか、又、残された
遺族の方については。

 (答)あれは本当にね、菩薩行もあるけれども、
あの多くは、何か遊ばれてね、色んなものに
とり憑かれて死んじゃうという事あるんですよ。
 つまり、それこそ幽界の低級霊なんかに憑依
されてね、あるんですね。

 それはその人が、神様を信じないから良くない
とかそんな事私は言うつもりは全くないけれど、
結局何故そうなるかというと、親が子供を本当の
意味で愛しているか愛していないか、つまり、
愛情のすれ違いがあるのかないのか、そういう
ところなんですよ。気持ちが通い合っているのか
いないのかね。相手を理解しているのかいないのか
という、そこがすれ違っちゃうと、人間というのは
寂しくなるんですよ。どんな小さな事柄でもね。

 おそらく小学校卒業する位までの子供で、自殺を
考えなかった子供というと、今ほとんどいない、
100人の中99人まで自殺を考えたという子供が、
沢山いるんじゃないかしらね。それは異常なことだ
というんじゃなくて、人間というのは生きてゆく
中で、死んでしまいたいという事が何度も何度も
あってそこを越えて生きて行く訳ですよね。
 ところがその子供達の場合は、子供でなくて
いいけれども、自殺してしまう人というのは、
そこのところが自分の心にも歯止めが効かないし、
誰も止めてくれないという絶望感があって、そこで
死んじゃう訳なんですよ。

 それはその人の因縁とか何とか、宗教的にみれば
前生がどうのこうのとあることはあるけれども、
だけれども、そんなんで片付けられたんじゃ
あまりにも寂しいわけ。それよりは、本当に親が
親の役目というか、親が精一杯子供を向いて、
色んな面から子供の人生を考えて、腹を立てずに
見守って、子供は子供で親にちゃんと伝えてくる
のかどうか、その辺の基本的なところでね、今、
親は親になってない、子供は子供になっていない、
お互いに影響して非常に悲劇になって
来ていますよね。その辺のところだろう
と思うんですよ。

 だから、想いを放つというか、親が子供に対して、
自分はこれだけお前を見守っているんだよという、
本当に心配しているんだよという、その心が届いて
いれば子供は死なない訳ですよ。本当に自分を
見守ってくれている人がこの世の中に一人でも
いると、親が駄目なら友達がね、そういう人が居る
と思えば人間というのは死なないんですよね。
 自分が必要な存在なんだと思えば
死ねないんですよ。そこのところが皆、今ぎすぎす
して駄目になって来ているでしょう。ですから、
まず子供が子供がと言う前に、子供がどうやって
生きていくか不安だという前に、じゃあ親は
その子供に対して、あるいは親であることに対して、
自信を持っていますかというね、それぞれがみんな
自信を持って生きるという事に対して援助が
足りないんですよね。お互いにね。自分のとこだけ
良ければよいという、それだと皆が成り立って
ゆかないんですよね。

 だから私は、私のままでいい、貴女は貴女の
ままでいいから、そのままでいいから一緒に
頑張って行きましょうと。それがお互いに、ああ
私はこれでいいんだなという自信をつけてゆく
ということになりますから。ああ有りのままで
いいんだなという。
 だから、私の言ってる、消えてゆく姿で
世界平和の祈りというのは、その自分なりの
素のまま裸のまま、無一物のまんまでいいから、
後は全部神様が下さるから、そこで人間の素直な
裸の自分を出していく事に恐れないで、必ず
愛情は後にあるんだから恐れないでという事を
言う訳ですよね。

 そういう限定されない神様の愛というものを皆
知っていれば、自殺なんてしないんですよ。人間の
生命が続いていくということを知れば、本当に
死ぬ人なんて一人もいなくなるんですよ。
 ですけど、一足跳びに宗教というよりは、まず
現実的に親も子供もそれぞれ現場の中でちゃんと
生きているか、今どうなっているか、歪んじゃ
いないか、その辺の所に目配りして気配りする
人が増えてゆけば、隣の子供がああいう風に
言っていたが、あれはどうなっただろうという、
その想いをあげてゆけばね、行動しなくても想う
だけでも、その光が届いて行く訳ですよ。そういう
まず、心を豊かにする、気持ちをやわらかくする、
そこから始まっていかないと、これは救いようが
ないですよね。
 だから、自殺するのはどうしてだろう
というのは、それは寂しくって悲しくって
辛くって仕様がないから、そこでどうしょうも
なくて、自殺しかないんですよね。そこの孤独地獄
から救っていかなきゃいけないんですよ、自分も
人も。
 それには自分が心豊かに生きるというね、自分
だけがいいというんではなしに、自分が心豊かに
生きるということになれば、まわりも豊かに
なってゆく。回り道みたいだけれども、そこから
始まってゆかないと、人間が永生で永遠の生命を
持っていて、明るい朗らかな神様の生命そのもの
なんだという所までは、なかなか行かない訳
ですよね。

 ですから、あなたのまわりで、そういう風な
気になる子供とか親とかいたら、ほんの一瞬で
いいから想いを放って上げてね、ああ、あの人も
辛いだろうなあと、それだけでいいんですよ。
 それがくい止める事になるんですよ。生命を
救うことになっていくんです。