日比谷同友会 こぶし会

日比谷同友会 サークル活動

第362回こぶし会例会報告(平成28年11月28日)

2016年12月04日 | 例会報告

話題1. ビックバン・イノベーションについて   (飯田徳雄)

 ビックバン・イノベーションとは、これまで安定して何の問題もなく、運営してきた事業が、ほんの短期間に破壊されてしまうような新しいタイプのイノベーションである。シャープや東芝など日本の家電事業を行っている企業の経営の悪化が話題になって久しいが、そうした企業の事業環境の変化が何故起こり、また、そのような環境のなかで生き延びて行くためには、企業が何を為すべきであるかが重要な課題になってきている。ビックバン・イノベーションっとは何か、グーグルマップについて、1つの事例として述べる。                                 20世紀の大半を通じて自動車の普及拡大があり、その影響で、道路地図の販売が拡大して、道路地図の専門の出版社は好景気に沸いていた。それが、グーグルマップが登場して、スマートホンにも搭載され、また、カーナビにも利用されるようになると、使用勝ってが良い上に、利用料が無料であることから、紙の道路地図の利用は殆どなくなり、販売量は激減し、道路地図の出版社は、大打撃を受けている・                                     交通分野でのビックバン・イノベーションには、ウーバーなる配車サービスがある。新技術を活用した配車サービスで、客はスマートホンを使って近くを流しているタクシーを所望の乗車位置まで呼び寄せて、車の到着を待つサービスである。                             ビックバン・イノベーションの特徴の1つは、開発のアイデアを社内だけでなく外部からアイデアを募集形式で集めることである。応募者は予め登録させておいて、課題を出し、投稿者の中で優れたものを採用し、奨励金を与えるという方法である。これにより、開発コストは自社の研究者より低下する傾向にある。                                          コンピューターが小型化し、機能が向上したことにより、ビックバン・イノベーションが随書で行われることになった。つまり、ビックバン・イノベーションに見舞われない産業は無くなったといえる。例えば、睡眠無呼吸症候群等の睡眠障害の患者は病院に入院する必要があったが、ウエラブル・モニターの登場により、入院の必要がなくなり、病院が閉鎖に追い込まれた例が出ている。                                                 ビックバン・イノベーションによる危機に遭遇した場合の回避に成功した例と失敗した例を示す。                                                         失敗したのは、コダックで、1970年代に世界で初めてデジタルカメラの開発に成功したが、利益率の悪さに本格生産を控えた。そして、本格生産に乗り出した時には、スマートホンがデジタルカメラにとって代わり、コダックはブランド力を発揮できなかった。業績が悪化して2012年の倒産に追い込まれた。                                       回避に成功したのは、富士フィルムである。富士フィルムは長い間、培ってきた専門技術と知識を化粧品や医薬品の分野に転用したのである。例えば、紫外線による写真の退色を防ぐ技術をスキンケアに生かして婦人用の化粧品の製造・販売を始めたのである。また、写真フィルムの製造で培った薄膜形成・加工技術や塗布技術を活用してフラットパネル市場のも進出している。

話題2. イギリスの歴史 ―王権と議会ー その1     (松本哲男)

 イギリスは、中世以来、国王(女王)と議会との話し合いによって、その時々の政治はもとより、経済や宗教に関わる政策もすべて決められてきた。16世紀前半にカトリックと袂を分かちイングランド国教会を形成したのも、「長い18世紀」にフランスとの壮絶な戦いに勝利を収めたのも、21世紀初頭に貴族文化の象徴であった「狐狩り」を動物虐待にあたるとして禁止したのも、「議会」という政治的な装置が機能しなくては実現し得なかったといえよう。そのような慣習や制度はいつ頃から定着したのであろうか。こうした問題を中核に据えて「ノルマン征服(1066年)」から現代に至るまでのおおよそ1000年の政治史をまとめる。今回はノルマン朝(ウイリアム1世)からハノーヴァ―朝(ヴィクトリア女王)までの835年間をまとめた。                                                         10世紀頃イングランドは、ゲルマン系のアングロ・サクソン人の王朝があった。ここにノルマン人が侵攻して征服し、ノルマン朝が誕生した。これがイギリス王朝の始まりである。ノルマン朝は4代・88年(1066~1154年)続き、諸侯との「賢人会議」を活用し、封建社会を築いた。                                                     1154年プランタジネット朝が誕生した。この王朝は8代・245年(1154~1399年)と長く続いた。創始者ヘンリー2世によって飛躍的に領土を拡大した時代。しかし、息子たちの失政によって多くを喪失。フランスとの領土争い(百年戦争)が始まる。1215年にはイギリス国制の基本文書となるマグナ・カルタ(大憲章)が調印された。                    この後は、ランカスター朝3代・63年(1399~1471年)とヨーク朝3代・23年(1471~1485年)の王朝であるが、この間、フランスとの百年戦争と薔薇戦争(王位継承をめぐる両家の戦い)など戦争に明け暮れる時代であった。                            次は、テューダー朝である。この王朝は5代・118年(1485~1603年)続き、混乱期を乗り越え後の繁栄の基礎を築く。ヘンリー8世の時代にはイングランド国教会(1534年)が設立された。                                                     17世紀初にスチュアート朝が始まる。スチュアート朝は7代・118年(1603~1714年)続き、国内で清教徒革命・名誉革命が起こり、一時共和政(1649~1660年)となるが、王政復古が行われる。名誉革命の後、「権利章典」が議会を通過し、国民の権利と自由が保障された。                                                     ハノーヴァ―朝6代・187年(1714~1901年)は「長い18世紀」の時代で、産業革命による発展と、広大な植民地の獲得により、世界帝国へと躍進した。「王が君臨すれども統治せず」と統治体制が形作られて、立憲君主制が確立した。イギリス帝国の最盛期であった。

 

 

 

 

    

 

 

 

 

 

 

 

                                                        

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