日比谷同友会 こぶし会

日比谷同友会 サークル活動

第353回こぶし会例会(平成27年11月30日)

2015年12月12日 | 例会報告

話題1. ファシリティマネジメント・新国立競技場・公共建築  沖塩荘一郎

1.ファシリティマネジメント(FM)                                         建築は建てれば良いのではない、建設後その施設を良い状態に保ち有効に活用することが重要である。「企業、団体等が組織活動のために施設とその環境を総合的に企画、管理、活用する経営活動」とするFMの考え方が、今や建築を考える時欠かせない。                戦争で被害を受けなかった米国本土の連邦施設で建設後50年以上経って良い状態に保たれている施設では、その施設の修繕・改良費が50年間でほぼ建設費と同額とのデータがある。また、電気・水代・警備費などを含めた費用は、50年で建設費の4倍必要とのデータもある。                                                  2.新国立競技場問題ーFMの立場から                                    2013年9月、2020年オリンピックの開催地が東京に決まったが、その直後新競技場建設費1,300億円が3,000億円超しそうとの報道があった。建設費が3,000億円の施設を良い状態に保とうとすると、50年で1兆円以上必要がFMの常識。                      発注者日本スポーツ振興センター(JSC)の発表もテレビや新聞の報道も、建設費だけを問題にしていてFM的考えが見られないことに危機感を持った沖塩は、日本ファシリティマネジメント協会の有志と要望書「東京五輪整備施設の長期収支計画明示を」を11月文部科学省などに提出。翌年3月毎日新聞に「長期収支の視点こそ」、7月日経アーキテクチュアに「50年先を見据えた長期収支計画を示せ」の記事を載せた。                               2015年7月7日JSC有識会議が2250億円で了承との報道に、反対の世論が涌きあがった。沖塩も翌8日のNHKクローズアップ現代などに出演、17日の阿部首相の白紙撤回に繋がった。                                                       3.公共建築のあり方(対立する多様な意見の調整)                             新国立競技場ほど多くの国民の関心を集めた公共建築は今までに例がない。ネット上でも「賛成」「反対」その他多くの意見が寄せられ、国民の関心の高さは驚くほどだった。           公共建築建設には利害が対立し、異なる意見の調整が困難な場合が多い。火葬場、廃棄物処理場、保育園、幼稚園など、市民の生活に必要であることは皆判りながら近所に建設する事には反対する。                                                     オリンピックを返上しろ、旧競技場跡地は緑地にして既存施設を使え、から、5,000億円掛かってもザハの案で造れ、迄盛り上がった国民の多様な意見を調整し、今後の公共建築のあり方モデルとなるような対応が欲しかった。

話題2. 「神功皇后伝説」を探る        中尾昭二

 「日本書紀」30巻の内訳は、最初の2巻が神代であり、以下の巻3以降は神武を初代として第40代持統迄まで、歴代天皇の事跡を述べている。ところが巻9のみは唯一の例外であって、「気長足姫尊」すなわち「神功皇后」の事跡を、身分は皇后でありながら独立の巻として、天皇と同格の取り扱いをしている。これは皇后であるがその和名に「尊」の文字を使っていることや、皇后の没年零、陸墓が記されているなど、殆ど天皇と変わりが無い。これは彼女の存在が、如何に特別視されていたかを物語っている。                      「紀」における「神功皇后」の行動は、大きく次の4時期に分けられる。                (1)仲哀天皇の熊襲征討失敗と神功皇后の「神がかり」                        (2)神功皇后の熊襲征服と新羅遠征の成功                               (3)神功皇后の大和帰還闘争                                         (4)神功皇后の「摂政」就位とその治績六十六年                             この内容を詳細に見ると、第一点として「神功」が巫女(シャーマン)的性格を持つ人物であったことが随所に出ており、これが「神功」の人物像として強調されている。次に(4)項では、分注として「魏志倭人伝」からの引用記事があり、「神功の時代」が大略3世紀の頃であったことが推察される仕掛けになっている。以上から、「神功皇后」が「倭人伝」における「卑弥呼」に擬せられていることを察知できるのである。                        この実証としては、故・井上光貞(東大名誉教授)の「日本国家の起源」に、「神功皇后紀」の「紀年」を朝鮮の「三国史記」と対比した場合、干支二巡(120年)古く遡らせていることを示している。つまり、「卑弥呼」の時代に合わせているのである。                    一方、九州北部とくに福岡県には、「神功皇后伝説」を持つ地域が約30箇所近くある。「神功皇后伝説の土地」は、元々は「卑弥呼伝説(3世紀)の土地」であったのを、すり替えているのではないかとの考えにたどり着く。                                   「魏志倭人伝」によれば、3世紀の前半には隆盛を誇る「邪馬壱国」があり、その偉大なる女王が「卑弥呼」であった。「福岡周辺こそ『卑弥呼』に『邪馬壱国』である」とは、故・古田武彦がその数々の著書において繰り返し主張しているところである。                   「日本書紀」は、虚像の「神功皇后」を、「邪馬壱国」の偉大な女王「卑弥呼」の実像に合わせるべく苦労しているが、それは幻影にしか過ぎないことが判明した。元来、福岡周辺に実在した「卑弥呼伝説」は、いつの間にか「神功皇后伝説」として「すり替え」られたように見えるが、それは「日本書紀信仰」によるものなのか、それとも「魅力ある人物の伝説」を「看板替え」したものとでも云うべきなのであろうか。

 

 

 

                            


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