日比谷同友会 こぶし会

日比谷同友会 サークル活動

第383回例会(令和2年9月21日)報告

2020年09月23日 | 例会報告

こぶし会第383回例会について
  第383回例会は、インターネットにより開催された。
  2020年9月8日(火)に、講演者の予稿をメールの添付ファイルとして会員全員に送付し、討論に供し、その結果のレジュメを9月17日(木)に作成し、会員の閲覧に供するという形で行った。
  第384回例会についても、10月に同様の形式で実施予定です。
  コロナ禍がおさまり、会場が使用できるようになったらいつもの形式に戻します。

   話題1     パソコンと出会ってから40年      斎藤雄一

今回の報告は、パソコンとの付き合い40年の中で、個人的な趣味に属する部分において、自分で作ったプログラムでパソコンを動かす試みをやってきた経緯についてである。
私は、1980年3月31日、電電公社を退職し、当時大手町にあった電気通信科学館の運営を業務としていた、電気通信科学財団に再就職した。ちょうどこの時、当時世に出たばかりのパソコンをテーマとした「マイコン特別展」が開催されていた。当時まだ珍しかったマイコンをテーマとした特別展、ということで大変評判になり、NHKが長時間の特別番組を組んで放送した。
私もそれ以前からコンピュータに関心はあったが、当時コンピュータといえばIBMに代表される大型コンピュータの全盛時代で、これにタッチできるのはごく限られた人々であった。科学館に再就職した私は、世に出たばかりのパソコンにタッチできる機会を得て早速初心者用のプログラム言語 BASICを教えてもらい簡単なプログラム作成を試みた。三角関数のサイン、コサインの計算をやらせるという単純なプログラムで、計算をスタートさせると、一瞬のうちに角度とそれに対応するサイン、コサインの値がモニター上に表現される。これが出発点であったが、私の主な関心は、コンピュータで計算した結果を図形で表す、特に電気通信に関係ある物理現象を「動く画像」としてモニター上に表現することにあった。しかし、当時のパソコンをBASICで働かせても処理速度の遅さからダイナミックな画像を表現することは難しかった。そのため、「動く画像」をあきらめ、マイクロソフト系のパソコンからMacintoshに乗り換えたりしていたが、windows時代になり、パソコンの処理速度が向上するとともに、画像処理機能に優れたVisual Basicの登場もあって再びマイクロソフト系のパソコンに戻った。現在もこれを使用していくつかの「動く画像」のプログラムを自作して、老後の楽しみの一つとしている。
初心者向けに開発されたBASICは1998年に発売された、Visual Basic Versin6が最後で現在では実用的なプログラム言語としての役割を終えているが、個人的な趣味の範囲ではwindows 10の上で動かすことができる。


  話題2    ユダヤ人の歴史           稲村隆弘
レイモンド・P・シェインドリン「ユダヤ人の歴史」河出文庫2012.08.20.初版発行の概略
 BC1320年頃、モーゼに率いられたユダヤ人がエジプトを脱出してカナンの地(現在イスラエルがあるところ)に定住し、BC587年にバビロニア王ネブカドネザルに滅ぼされバビロン捕囚が始まった(第1章)。BC539年にペルシャ王キュロスがバビロニア帝国を征服して、ユダヤ人を解放したが、ペルシャ帝国のユダヤ属州となった故郷に戻ろうとするものは殆どおらず、中東全土やローマ、スペインなど欧州西部に広がった。これを撒き散らされた者を意味するヘブライ語のディアスポラを用いてディアスポラ社会と言った。ローマ人は彼らをユダヤ人と識別した(第2章)。以下、
第3章 ローマ帝国下のパレスチナとササン朝ペルシャのバビロニア(紀元70-632の562年間)
第4章 イスラム社会におけるユダヤ人 イスラムの勃興と中世の終わりまで(632-1500の868年間)
第5章 中世基督教欧州社会におけるユダヤ人(9-15世紀の700年間)
第6章 オスマン帝国と中東におけるユダヤ人(1453-1948年の495年間)
第7章 西欧のユダヤ人(16-19世紀の400年間)
第8章 東欧と米国のユダヤ人(1770-1940年の170年間
第9章 ホロコースト(1938-1945年の8年間)
第10章 シオニズムとイスラエル建国(1897-1948年の51年間)
第11章 1948年以後のユダヤ人
に分けて、世界各地のユダヤ人社会の状況を記述している。1948年以前は、どの権力者に対しても、その勃興期にはユダヤ人の才能が気に入られ重用されるが、衰退期に入ると迫害の対象にされるという傾向があり、特にナチスによるホロコーストは酷いものだったのでイスラエルの建国が実現したが、それで問題は全て解決したとは言えないようである。
 討論では会員各自のユダヤ人との付き合いが紹介されたが、「ユダヤ人が優秀なのはDNAか努力か?」という問題で、ユダヤ人自身の答えは努力だ、という話が紹介され、大変印象に残った。


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