「百舌鳥・古市古墳群 -古代日本の墳墓群-」が世界文化遺産に登録されたのは記憶に新しいところですが、滋賀県でも約900の古墳・古墳群が確認されているといいます。
滋賀県の古墳は、皇室や中央の豪族の巨大古墳と比べると規模はやや小さいとはいえ、見応えのある古墳や古墳群が県内各所に残されています。
白洲正子さんは「近江山河抄」で“妙光寺山にあるドルメン(巨石墳墓)”のことを書かれているのを読み、興味を引かれて実際に見に行って、その特異な姿に圧倒された記憶があります。
妙光寺山の巨石建造物は「岩神大龍神」として祀られて信仰されていましたが、竜王町にある「三ツ山古墳群」の剥き出しになった玄室も妙光寺山のドルメンに匹敵する迫力がある。
「三ツ山古墳群」は、新しい新興住宅街のすぐ近くにあると聞き、住宅街の中を探すが中々見つからない。
誰かに聞いてみようかと人を探すが山村のように立ち話されている方もおられず、人が居ても住宅街では声をかけにくい。
何とか看板を見つけて進んでいくのは民家の裏庭にある道でした。
子供の頃に遊んだような裏山に古墳はあり、整備された新興住宅街とはかけ離れた光景に別世界への境界を越えていくような違和感すら感じる。
裏山には倒木が何本も倒れているが、その先に古墳らしき岩のモニュメントが見えてくる。
「三ツ山古墳群」は“鏡山から派生する丘陵先端部に位置し、10数基から構成されている古墳群でしたが、現在は1基を残すのみとなっています”と説明板にあった。
現在は“墳丘の大部分が消失しており、石室の天井部、玄室部の一部が露出して残存している状態”だといいます。
岡を登るとまず石室の後部が見えてきて、まずその巨大さに驚く。
それもそのはずで、玄室の大きさは長さ5.4m、幅1.8m、高さ2.1mで、面積だけでも3坪近くのサイズとなっている。
今にも崩れそうな石組に見えるが、今まで現存しているということは絶妙のバランスで組み上げられているということなのでしょう。
天井岩は何tあるのか不明とはいえ、よく積み上げたと感心します。もっともその頃は周囲を封土が覆っていたのかもしれません。
玄室の正面に回り込むと、その堂々たる姿に圧倒されてしまいます。
表現はおかしいですが、まるで生き物のような、あるいは今にも動き出しそうな生命感すら感じてしまいます。
玄室を下から見上げると天井石の巨大さに改めて驚く。
石舞台とでも呼べるこの古墳を造る時には膨大な労働力が必要であったでしょうし、元は10数基から構成されていた古墳群だったといいますから、かなり権力のあった一族がこの地を治めていたのでしょう。
最近“摩崖仏・石仏・磐座・古墳など”を見て回っていますが、共通するのは全て石であること。
巨石と石に対する信仰のようなものに魅力を感じてきているのでしょう。
滋賀県の古墳は、皇室や中央の豪族の巨大古墳と比べると規模はやや小さいとはいえ、見応えのある古墳や古墳群が県内各所に残されています。
白洲正子さんは「近江山河抄」で“妙光寺山にあるドルメン(巨石墳墓)”のことを書かれているのを読み、興味を引かれて実際に見に行って、その特異な姿に圧倒された記憶があります。
妙光寺山の巨石建造物は「岩神大龍神」として祀られて信仰されていましたが、竜王町にある「三ツ山古墳群」の剥き出しになった玄室も妙光寺山のドルメンに匹敵する迫力がある。
「三ツ山古墳群」は、新しい新興住宅街のすぐ近くにあると聞き、住宅街の中を探すが中々見つからない。
誰かに聞いてみようかと人を探すが山村のように立ち話されている方もおられず、人が居ても住宅街では声をかけにくい。
何とか看板を見つけて進んでいくのは民家の裏庭にある道でした。
子供の頃に遊んだような裏山に古墳はあり、整備された新興住宅街とはかけ離れた光景に別世界への境界を越えていくような違和感すら感じる。
裏山には倒木が何本も倒れているが、その先に古墳らしき岩のモニュメントが見えてくる。
「三ツ山古墳群」は“鏡山から派生する丘陵先端部に位置し、10数基から構成されている古墳群でしたが、現在は1基を残すのみとなっています”と説明板にあった。
現在は“墳丘の大部分が消失しており、石室の天井部、玄室部の一部が露出して残存している状態”だといいます。
岡を登るとまず石室の後部が見えてきて、まずその巨大さに驚く。
それもそのはずで、玄室の大きさは長さ5.4m、幅1.8m、高さ2.1mで、面積だけでも3坪近くのサイズとなっている。
今にも崩れそうな石組に見えるが、今まで現存しているということは絶妙のバランスで組み上げられているということなのでしょう。
天井岩は何tあるのか不明とはいえ、よく積み上げたと感心します。もっともその頃は周囲を封土が覆っていたのかもしれません。
玄室の正面に回り込むと、その堂々たる姿に圧倒されてしまいます。
表現はおかしいですが、まるで生き物のような、あるいは今にも動き出しそうな生命感すら感じてしまいます。
玄室を下から見上げると天井石の巨大さに改めて驚く。
石舞台とでも呼べるこの古墳を造る時には膨大な労働力が必要であったでしょうし、元は10数基から構成されていた古墳群だったといいますから、かなり権力のあった一族がこの地を治めていたのでしょう。
最近“摩崖仏・石仏・磐座・古墳など”を見て回っていますが、共通するのは全て石であること。
巨石と石に対する信仰のようなものに魅力を感じてきているのでしょう。