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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~滋賀県米原市 吸湖山 青岸寺~

2019-06-02 20:00:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 新幹線の停車駅のある米原市は、京都・大阪・神戸方面と岐阜・名古屋方面、北陸方面への電車の乗り換え駅になっており、交通機関のキーステーションとなってます。
古くは中山道の宿場町(番場宿・醒井宿・柏原宿)が置かれていましたが、アクセスのよい近代的な都市というよりも豊富な自然が多く残されている地域で、伊吹山に近い地域は豪雪地帯(伊吹山では11.82mの積雪記録がある)でもあります。

米原駅の新幹線のホーム側とは反対側となる東口方面から、入り組んだ古い住宅街を抜けていった先の太尾山(標高254m)の麓に青岸寺があります。
青岸寺は、国の名勝となっている「青岸寺庭園」が有名な寺院であり、ゆっくりとリラックスした時間を過ごせる寺院だなぁと印象に残る寺院です。



南北朝の時代、近江守護職であった佐々木京極道誉により「米泉寺」という寺院が開創され、本尊として「聖観音菩薩」を祀っていたとされます。
1504年の兵火によって寺院は焼失してしまいますが、本尊聖観音菩薩像のみが難を逃れて、小堂に祀られていたといいます。



1650年になると、彦根藩第3代藩主・主井伊直澄の命により彦根大雲寺の要津守三が入山し、敦賀の伊藤五郎助の寄進により再興され、寺名を「青岸寺」として曹洞宗寺院になったと伝わります。
青岸寺は米原の地にありながらも“井伊家ゆかりの社寺めぐり”の16社寺に入っているのはそのような経緯によるもののようです。



米原駅からは車で数分の位置に青岸寺はありますが、周囲には複数の寺院や神社があることから、古くから大きな集落があったことが伺われます。
山門から入山すると、本堂と庫裡へ分かれる石畳の参道の間にイワヒバ(岩松)の群生が見られます。



正面に本堂があり、堂内へは庫裡で受付をして入ることになります。
こぢんまりとした本堂に見えますが、堂内は庫裡・本堂がつながっており、書院へは渡り廊下でつながる想像以上の広さがあります。



須弥壇には「聖観音菩薩坐像」が安置され、脇陣には「十一面観音菩薩立像」と「役小角像」が安置されています。
寺紋が3種類あるのは何故かは分かりませんが、何か意味があるのでしょうね。



御本尊の「聖観音菩薩坐像(像高79.7cm・南北朝期)」は1376年に、佐々木六角氏頼が金剛仏師・讃岐法眼尭尊に刻ませた仏像だとされます。
佐々木六角氏頼は戦争に赴く際に丈八寸程の聖観音を念持仏として竿頭に納めて出陣したといい、その念持仏を本尊の胎内に安置しているといいます。
そのためこの聖観音像は別名「御腹籠りの観音」「旗竿の観音」とも呼ばれるそうです。



仏像の中で一番古いと思われるのは鎌倉後期(と推定されている)の「十一面観音立像(像高56.2cm)になります。
躰が少し左に傾きながらもお顔は正面を見据えていて、元は赤茶けた染料が塗られていたようです。



青岸寺がかつて修験道や密教の影響を受けていた土壌があると思われるのは聖観音・十一面観音と一緒に「役小角」が安置されていることでしょう。
役小角像は米原市の有名な和菓子屋に安置されたものだったそうですが、その土地に残る文化(土壌)には興味をひかれるものがあります。



さて、青岸寺といえば「青岸寺庭園」。実に魅力的な庭園でした。
青岸寺庭園は青岸寺の開祖である守三和尚の入山と共に築庭されたといいますが、彦根城下の楽々園を築庭される時に石が取り出されて消滅してしまったようです。
1678年に庭園を再興し、近年には京都造形芸術大学の学生の学習・ボランティアとしての協力の元、素晴らしい庭園を守り続けておられるそうです。



庭園は実はそれほど期待していなかったのですが、実際に見てみると太尾山を借景にした広い空間を感じる庭です。
また、石を豊富に使っていることから迫るような迫力を感じるのでしょう。



珍しいのは庭の端にある「降り式井戸(蹲)」でした。
茶道では客人が這いつくばるように身を低くして、手を清めるのが習わしとされ、確かにこの井戸で手を洗おうとすれば身を屈め這いつくばなければならないようになっています。

更に面白いのはこの井戸の水量が多くなると、庭園に水が流れるようになっており、枯山水の庭園が池泉庭園に姿を変えるといいます。
1つの庭園が全く違う姿を見せる技法は実に面白いですね。



また、庭園の片隅には見慣れぬ様式の灯篭がありました。
この灯篭は「織部灯篭(キリシタン灯篭)」といい、茶人・古田織部が天正のキリシタン全盛時代に信者や茶人の好みに合うように創案したものだと伝わります。



庭の一番奥の場所には「六湛庵」という書院が建てられています。
この建物は明治時代に永平寺64世である森田悟由禅師が接化に趣いた地方から永平寺に帰る際に立ち寄り、休憩・宿泊するために建てられた建物だといいます。
片面の縁側には庭園が望め、後方には山が迫る建物の中は意外に広く、東司や浴司なども残されています。





最近は寺院に行って楽しみにしているのは“寺院の庭園を眺めながらスイーツを楽しむ”なんですが、この青岸寺には「-きまぐれ寺カフェkissako-」というカフェがあります。
素晴らしい庭園を眺めながらカフェを楽しむというのはとても贅沢な時間ですね。



注文したのは“ほうじ茶プリンと煎茶”のセットで、このプリンはほんのりとほうじ茶の香りがあり、甘さは控え目。
黒蜜も付いてきましたので最初はかけずに味わい、残り半分は黒蜜をかけて味わいと2種の味が楽しめました。



感心したのは、テーブル上や壁にさりげなく添えられた季節の野の花でしょうか。
実にセンスのいいおもてなしにすっかり心が和みます。

また、器にもセンスの良さが感じられ、丁寧な対応も嬉しかったですね。
煎茶の茶碗は、お茶が入っている時は“目が点”になっていますが、お茶を飲み干すと“笑顔のおたふくさん”が現れてくる。



寺院巡りをしていると、“歴史ある大寺の建築物や庭園の見事さ”や“仏像の素晴らしさ”“寺院にまつわる歴史の面白さや修行の厳しさ”などに出会いますが、もう一つ“心が落ち着いてリラックスして自分を取り戻せる”という魅力があります。
青岸寺は自分的には後者だと感じる寺院で、実に開放的な寺院である印象を強く受けました。



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