はんどろやノート

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ヴュルツブルク

2009年06月21日 | はなし
 ヴュルツブルク
 ドイツ南部フランケン地方の都市。
 ドイツにロマンティック街道という観光の道があるが、南北に走るその道の北の起点になるのが、このヴュルツブルク市。

 図の右側にマリエンベルク要塞。1200年頃に造られた。
 流れる川はマイン川。150キロほど下るとフランクフルトに至り、さらに行ってマインツでライン川と合流する。ライン川は北に流れ、オランダで北海に注ぐ
 ところで、1990年代にこのマイン川と、ドナウ川(ドイツに源流がある)が運河で結ばれたらしい。(ライン・マイン・ドナウ運河という。) ということで、現代ではオランダから黒海まで川船で運行できるようになった。


 このヴュルツブルクに生まれ、江戸時代に日本にやってきた歴史上の有名人がいる。
 シーボルトである。
 彼、フィリップ・シーボルトはこのヴュルツブルクに生まれ、ヴュルツブルク大学を卒業し、医師となった。
 1822年、シーボルトは26歳のとき、日本にやってきた。目的は、植物採集であった。ドイツ人なのだが、江戸幕府はオランダとのみ交易を許可していたので、オランダ人医師として5年間長崎に滞在した。最後は、伊能忠敬のよく出来た日本地図を持ち帰ろうとしたために、(けしからんスパイだ、ということで)国外追放となった。しかし目的であった動植物のサンプル採集はおとがめなし。シーボルトは欧州へ戻り、日本の動植物の本を出版し、話題となった。
 「日本について知りたいって? あの極東の遠い国のことかい? それなら、あの人に、シーボルト氏に聞くのが一番。」  欧州で、彼はそういう存在となった。 
 
 
 時は流れて1868年、明治政府が生まれた。その3年後に廃藩置県が実行され、小さな「藩」という国の集まりだったのが、「日本」という国家になった。欧州の強国に植民地とされてしまわないために、日本は「強い国」を造らなければ、と思った。
 欧州大陸の中央では、イギリス、フランスという大国に負けてしまわないよう、やはり小さな国々が集まって「ドイツ帝国」が生まれた。1871年のことだ。 その中心となったのが、プロセイン王国であった。首都はベルリン(伯林)
 日本の政府は、このドイツ帝国に親近感と憧れを持ったようだ。ドイツは強く、勢いがあり、国民は勤勉だった。日本は、陸軍をドイツ式にし、ドイツ戦術を学んだ。憲法もドイツを規範とし作成されたし、その他、医学、哲学物理学をドイツから学ぼうと、優秀な人材をドイツに留学させた。小説『舞姫』を書くことになる森林太郎(鴎外)が、ベルリンに医学を学びに行ったのは1884年である。

 ところで、開国後、シーボルトにたいする追放令は解かれ、シーボルトは日本を再び訪れている。また、彼の次男ハインリッヒ・シーボルトは考古学者となり、日本に来て、日本人の娘と結婚したという。

 とにかく、19世紀からの、日本とドイツのつながりは深い。




 長岡半太郎
 この九州長崎県出身の物理学者がドイツ・ベルリンに留学するのは、半太郎27歳のとき、1893年である。

 その2年後、ドイツで、「大発見」があった。

 1895年暮れ、ベルリン大学で、長岡半太郎がいつものように教室へ行くと、普段よりも多くの人がいて、雰囲気が熱い。 どうしたことかと周囲に聞くと、「大発見があったぞ!」と興奮している。「なんの発見だ?」と半太郎は聞いた…。


 その「大発見」は、ヴュルツブルク大学の実験室において、なされた。 発見者は、ヴィルヘルム・レントゲン
 「大発見」されたのは、「X(エックス)」と名付けられることとなる謎の光線である。
 レントゲンは、まったく別の意図で実験をしていて、偶然にそれを発見したのであった。
 発見されたばかりで、なんなのか、まだわからなかった。ただ、それは、オカルトのように現われたり現われなかったりするものではなく、実験によって必ずだれの前にも出現した。 しかも、はっきりとした証拠をレントゲンは提出した。人間の手をその謎の(見えない)光線で写真乾板に写したものを。そこには、人の手の「骨」が写っていた。その光線は、人体を通過するのだ!




 長岡半太郎は、X線の発見のニュースを手紙で日本に知らせた。
 世界中の科学者たちが興奮した。なぜ、こんな不思議なものを、いままで見逃してきたのか。X線の正体はやがて波長のすごく短い電磁波と判明したが、実験室にはなんども現われていたはずのものだった。たまたま、レントゲンがそれに注意を止めたのだった。
 X線を利用して、今まで可視光線では見ることの出来なかったものが見られるのではないか。科学者たちは色めきたって実験をはじめた。もちろん日本の科学者も。

 次の大事件は翌年フランスからもたらされた。X線のニュースに刺激を受け、アンリ・ベクレルは、蛍光の中にもX線があるのではないか、と考えた。 蛍光を発する物質を含むある鉱物(ウラン鉱だった)を用意して実験したところ、またしても偶然に、別の「新しい何か」が発見されたのだった。
 その新しい謎の光線(?)には、「放射線」(radioactivity放射するもの)という名前が付けられた。
 しかし、これはいったい、何だ?
 正体が不明だった。 謎がさらなる謎を呼びこんだ。


 さらに1897年、イギリスではJ・J・トムソンが「電子」を発見した。
 1890年代から電気は(エジソンやテスラにより)実用化されつつあった。けれども、その電気の正体はといえば、どうにもわかっていなかった。それがついに、陰極から放出される粒子として証拠が確認されたのである。

 だが、「電子」の謎は、終わったわけではなかった。 謎は、はじまったばかりだったのだ。



 X線は、20世紀の物理学という、新しいドアを押し開いたのだ。

 1901年、ヴィルヘルム・レントゲンは第1回ノーベル物理学賞の受賞者となった。
 それはどこでだれが発見してもおかしくなかった。ただ、偶然にだが、ドイツ南部のヴュルツブルクの実験室で発見されたという事実があるのである。
 


 ところで、E・E・スミス『宇宙のスカイラーク』は、主人公リチャード・シートン(科学者)が実験中、偶然に、「金属X」という未知の金属を発見するところから始まるSF物語である。

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