浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2024-03-10 23:59:34 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


             第五章 心の曇りをとるための反省

             子供の問題はまず親の反省から

先の続き・・・

神様に不満の思いを抱き、文句を言っている時の自分の心は、
鬼の心同様です。
子が帰ってくれば、頭からどなりつけ、殴ったりしました。
しかし、神様に「私のもとに子供をどうぞ返してください」と、
自分からお願いした時、
子供が帰ってきて、顔を見せてくれた時は、神様に対して、
「よく私のもとへ返していただきました。感謝いたします」と言って、
心から神様にお礼を申し上げました。

そして、子供に対しては、「よう帰って来てくれた」
という言葉をかけるようになります。
幾晩か、家を明ける時もありました。
それでも、帰ってきたら、「よう帰ってくれたなあ」と言い、
いくら遅くても、風呂を沸かしてちゃんと入れるようにしておいて、
「早くお風呂にお入り。こんな無理をして体をこわしたらいけないから、
少しでも休まないといけない。早く寝なさいよ」
と言うように変わってきました。
それまでの鬼のような心はまったく消えてしまいました。

感謝と喜びの心になっていきました。
夜も寝ないで神様に文句を言っていた頃をふりかえりますと、
「なぜ家を出て行くのか。
なぜ帰って来ないのか。こんな子に育てたはずはないのに、
なぜこのように私のもとから離れようとするのか」という心でした。
この心を反省していきますと、これは自己中心的な心で地球上の全人類、
いや人間ならずとも動物、植物すべてが持っている心なのです。
それは、「自分にとって都合に悪いものはみな嫌い。
自分にとって都合のいいものはみんな好き」という心です。

私にとって自分の言うことを聞かない子供の行状が
都合のわるいものだったように、
子供の立場に立った時、自分のことを思って言ってくれる言葉でも、
何回も言われると子供にとって都合がわるいことになります。
うるさいことでしょう。
まして、怒鳴ったり暴力をふるわれたら、最悪と思うでしょう。
都合のわるいところから逃げ出すのは当然のことでした。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「垂訓」

2024-03-10 00:11:30 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


           第五章 心の曇りをとるための反省

          子供の問題はまず親の反省から

先の続き・・・

「しまった。うえらいことをした。お尻を叩かれ、
お尻をかばった手の指は折れてはいないだろうか。
お尻は切れていないだろうか」と思うと、
もういてもたってもおれず、
子供の部屋に上がっていきました。
「怪我はしていないか。指は大丈夫か」と言って、
体を見ますと、
有難いことに指も折れていません。
「もう二度とこんな思いをさせないでほしい。
もうこんなことは二度としたくないから」
と、頼むように話しました。
しかし、聞いてはくれません。
やはりまた、朝まで我が子の帰りを待つ時もありました。
どこへ行っているのだろうか。

わるい男とつきあっているのではないだろうか。
男女の間違いを起こすのではないだろうか。
それこそ取越し苦労から、心配、不安、苛立ちと、
これほど思っているのに、
いったい何を考えているのだろうかと
怒りの心をどうすることもできない自分の思いを神に訴えました。
「神様、私をどこまで苦しめたら気が御済みになるんですか。
私に与えられる苦しみは、どんな苦しみでもお受けします。
子供を通して私を苦しめないでください」
神様に抗議し、文句を言って、時間を過ごしました。
しかし、そんな頼みごとを神様も聞いてくださいません。

何カ月かそういう生活が続きますと、
神様に文句を言うのもあきらめてしまい、
今度は頼みに変わってきます。
まさに苦しい時の神頼みです。
「神様、どうぞ子供がどこにいてくれるかは
わかりませんが、あの子に事故がないように、
過ちがないように、守ってください。
どうぞ、あの子に間違いがないように守ってください」と、
もう必死でお願いしました。
そして、「もし、許していただけるのでしたら、
一時も早く私のもとに子供を返してください」と言って、
泣いて夜を明かしたことも幾度かありました。


  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする