幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

柑橘香で癒される!!

2020年05月27日 11時32分02秒 | 暮らし
茶香炉を使ってハーブ香を楽しんでいます。

お気に入りは日本のハーブの代表的存在の蓬さんと地元産の柑橘類の皮のブレンドです。 

今日はそれにレモンバームを加えました。  


蓬で浄化して柑橘類で免疫細胞を活性化。
(もちろん蓬にも細胞活性化や免疫力アップの効果はありますしね)

・・・って知らずにやってましたが
柑橘類のリモネンと言う物質が免疫細胞を活性化し
インフルエンザや風邪の予防になるんですって。

さらには不安やストレスも軽減してくれるのだとか。
おまけに食欲をセーブしてダイエットにも効くそうな・・・・・・へぇ~~~~~~

随分前からこの組み合わせで焚いています。
みかん、文旦、甘夏、八朔、とにかく無農薬のものが手に入ったときに
食した後、皮をカラカラに干して保存しておきます。   
これは時々、お風呂に入れたりもします。

蓬は今は岐阜県八幡市のブナの木福祉会さんのを使わせてもらっていますが
自分で摘んだものを干して使ったりもします。

お部屋と私の両方の浄化です!!

ほ~~~んと、安上がりで気持ちの良いハーブ香。
アロマオイルを購入して焚くのも好いけれど
野にある蓬と、食べた後の柑橘類の皮の再利用。

なんだか自分が賢く地球にやさしい、みたいな気がしてご満悦、でございます。

愛することを忘れていませんか?

2020年05月26日 16時05分02秒 | 波動
‶ 愛するというのは、そのもののよさを認め、
  好意的にみることができ
  ちゃんと価値を認めることができるということです。
  大切に扱い、尊重できるということです。

  また、それが、自分を助けてくれているものであることをわかっていて
  それが人生の中になくてはならないものであることや、
  必要であるということを素直に思えるということです “

  
     佳川奈未 著 「宇宙銀行」から好きなだけお金を引き出す方法


恋愛映画などに出てくる「愛している」と言う言葉には
時々?????となってしまう私です。

恋心はわかるし、「好き」と言う感情も
「ずっと二人でいたい」とか「君といつまでも」とか言うのも
かつて、経験したと思っています。

が、それが男女の恋愛の「愛」である限り
私の中では「それはお前さんの欲望のひとつにすぎないんでないかい?!」
と言いたくもなるのです。

そして「恋愛ホルモンは三年が限度」と言われるように
いつか醒めるでしょう、
永遠なんて無理でしょう、
無理だからこそ「誓う」という契約を結ぶのでしょう。

と、皮肉ってさえみたくなるのです。



しかし、
「愛」と言うものが
上記の佳川氏の言葉のような定義であるならば
それは確実に存在し、長く維持できるものである、と素直に頷けます。


先の言葉は「お金」のエネルギーに関して述べられたものですが
この定義で測るならば
お金はもちろんのこと、家族や友人を私は確実に愛しています。
空、風、花、猫、犬、樹々、鳥や虫、
お気に入りの本、着物、洋服、
この世にあるあまたのものを私は愛しています。

そう、胸を張って言えます。



・・・と、ここまで書いて

「あれ?!
 だったら、それらの価値をちゃんと認め
 大切に扱い、尊重してきたかしら・・・?」

と、立ち止まってしまいました。



「ねえ、ねえ、昨日も夫と喧嘩したよね?!
 ちゃんと彼の価値を認め、大切に扱ってて、あの喧嘩???」


昨日着た洋服を脱ぐとき、その有難さに感謝して大切にやさしく脱いだっけ?????

さっき使った包丁、その価値を認め、感謝して、大切に扱ったっけ?

読んでいた本、使っていた眼鏡、座っている椅子、パソコン、・・・・・・・

私の暮らしを彩り、助けてくれている数々の物たち。

私の生活が支障なく送れるために、どこかで働いてくださっている人たち、

目には見えないけれど
そこに絶対的に存在する空気や湿気、

そして、私を導き守ってくださるお陰様方、

そういう、欠かすことのできないたくさんの人々や物達を
私は本当に尊重し、丁寧に、大切に扱い、感謝しているでしょうか。


否!!
否!!!

忘れているよね。忘れています。
当たり前すぎて、忘れています。

拙著「しあわせの祝文(じゅもん)」に書いておきながらも、まだまだ、まだまだでした💦💦💦

















今日の奇蹟 薔薇の贈り物

2020年05月26日 15時49分28秒 | 
「今年はなんだかどのバラも調子がすごくいいんです 」

そう言って、彼女は丹精込めて育てた薔薇を贈ってくれた。 

 



私好みの
彼女らしい、やさしい色と雰囲気の薔薇。

そして、私好みの
彼女ならではのすてきな取り合わせのラッピングで・・・・・





土曜の朝、九時。

なんてステキな週末の始まり。

今日も豊かさが巡っている。



ベランダのガラステーブルに置けば
薔薇はまるで青空の海の中。

   


弥栄八坂。

今日も私は豊かです。
幸せをありがとうございます。


夫婦喧嘩の真っ最中にエネルギーの操縦桿をにぎる

2020年05月26日 14時28分50秒 | 波動
 2020・5・24  12;52

今日も空はこんなに広く、美しいではないか!!




あ~~~あ、馬鹿々々しい!!

なんで私がこんなに心を乱さなきゃいけないの?

心を乱せば波動は下がるだけ。
豊かさのエネルギーパイプが詰まってしまう!!

怒ったり、悲しんだり、を続ければ続けるほど
私自身の運気が下がってしまうわ。

や~~~めた!!

あんな男のために心を振り乱して、運気を下げたって私自身が損をするだけだわ。



「はい、私の中の怒りさん、あなたに用はありません。
 私は、穏やかに、ピースフルに、豊かさいっぱいの今日を過ごしたいの。
 だからあなたとはさようならです。
 怒るのも、悲しむのもおしまい!!
 バイバイバイ」



それでは今から、この瞬間に持っている「幸運」を数えます。

〝 こんなにも美しい青空をじっくりと堪能する機会を与えてもらってる。

   太陽は心地よく光を与え、風はさわやかに過ぎていく。小鳥の声が気持ちいい。

   誰もいない空間で、この静けさとさわやかさを独り占めしながら読書する、という
   豊かな時間を持たせてもらっている。

   持参したお弁当はとてもおいしくて、それを感じられる健康な肉体がある。

   こんな山の上まで、ちゃんと自分の足で歩いてこれた!! わたしの足さんありがとうね~~~~

   彼と喧嘩していること以外何の問題もなく、老母たちも娘家族も無事でありがたい。

   etc. ”


ほらね、
当たり前かもしれないけれど、ひとつひとつの「有難いこと」を口に出して、数え上げればきりがないでしょう?

喧嘩していても、一人でお山に来ていても、
「今、この瞬間の幸運」に目を向ければ、それはいつだってたくさん与えられているもの。

持っている「不幸」よりも
与えられている「恵み」の方が、いつだって、ずっとたくさんあるのにね。

だのに、「喧嘩したこと」にいつまでも意識を向け、やるかたない憤懣に身を委ねれば
途端に、苦しくて悲しくて、不幸になってしまう。



さあ、どっちがいい?!

不幸な私と豊かな私。

どっちを選ぶ?!


・・・そう、自分自身に問いかければ
当然、「豊かさいっぱいのしあわせな自分がいい」と応える。


わかった!!
ならば手放そうね。
今もまだ持っている「喧嘩した」という「過ぎたこと」へのこだわり。
そしてそれに伴う「怒り」「悲しみ」「欲」を手放そうね。



そんなことをつぶやきながら、
また
広くて美しい空を眺める。     
本当に、なんて広くて、なんて青くて、なんてきれいなんでしょう。



誰かのせいでその感情にされたのではない。
その感情を選択しているのは自分自身。
「誰かのせい」でそうなったと思っている間は
エネルギーの操縦桿をその「誰か」に明け渡してしまっていることになる。

ちゃんと感情の操縦桿を自分自身で持って、自分の好みの感情の中で生きよう!!






なぁんて、
夫婦喧嘩の真っ最中に
独り、お山の上で
エネルギーの操縦桿を取り戻す訓練をした一日でした。

弥栄八坂    

 岡崎中央総合公園 椿の丘より



 

   

今日の成功 たった一人の人を喜ばせる

2020年05月22日 16時10分29秒 | ひとりごと
〝 自分らの言う才能って何や? 
  それは、たまたま今の時代に生きとるたくさんの人から認められたちゅうことやろ?
  でも、ワシからしたら、そんなんめっちゃ小っさいことやねん」

  自分らは、たくさんの人を喜ばすことだけを『成功』て思てるみたいやけど、たった一人の人間を
  たくさん喜ばすんも『成功』なんやで ”   


これは、お笑いを仕事にしようとしている主人公にゾウの神様ガネーシャが言った言葉。
「夢をかなえるゾウ 2」(水野敬也 著)の一節である。



「成功」ってほんと、なんでしょうね。

拙著では

この世のことは全てが経験、全てが成功。 

全てが「経験」という「成功」

としています。
だから、わたしは、そもそもが「失敗」などというものは存在しないと思っています。
まぁ、思い通りにはならなかった、と言うことはしばしばありますが・・・

が、
私達が「愛」と「光」であろうとするならば
誰かを喜ばせることの価値は大きいですね。

もっとも「誰か」がヒトである必要もないのですけれど。

お花を褒めてあげればお花はうれしいでしょう。
お茶碗を心を込めて扱ってあげればお茶碗もしあわせでしょう。
お野菜に感謝して丁寧にお料理し、おいしく食べさせてもらうならお野菜だって本望に違いありません。

もちろん人間ならなおさらのこと。
たった一人の人にでも、やさしさを分けてあげられたとき
それは、お相手のみならず自分自身をもしあわせにするはずです。

ガネーシャ流に解釈すればそれらは「全て成功」。


だとすれば、
さてさて、今日の私は成功だらけ?!

う~~ん、
まずは、空を見上げてその美しさに満足し、その瞬間は充分にしあわせだったなぁ。・・・ハイ!!成功!!!

それから、初めて作った餅ピザでパパさんに「おいしい!!」と喜んでもらったから、
 
ハイ!!これも成功!!!

他にも、丁寧に洗濯物をたたんであげられたし、

散歩途中で
榎さんを見上げて感嘆してあげられたし、   


他にも、いろいろいろいろ・・・・・・

なぁんだ、私の今日は成功だらけじゃん!!

    しあわせが今日もあれこれ散歩道


OH !!
素晴らしい!
私の今日は大成功 👏👏👏  弥栄八坂