Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 768 最強サブマリン

2022年11月30日 | 1977 年 



優勝目前と言われながら雨で順延された日程の為、なかなか胴上げが出来なかった阪急の中で山田久志投手は耐えに耐えていた。昨年のMVPに続き今年の前期MVPも確実視されている。王者阪急が最も苦しんだ今季をモノにしたのは彼の怪腕によるところが大きい。

苦しみを乗り越えた " 秋田ケン " の粘り
「イワテケン」のCMが受けているが山田投手は岩手県のお隣の秋田県出身である。現在セ・パ両リーグにいる秋田県出身者は山田投手の他に大洋・三浦捕手、近鉄・村田投手がいるだけだ。山田投手の負けず嫌いは雪に閉ざされた能代高時代の下積み生活から端を発している。今季の阪急は開幕前の予想とは違い苦戦の連続だった。それというのも足立投手が脇腹を痛め山口投手が乱調で投手陣の足並みが揃わなかった為である。「こうなったらヤマには悪いが毎試合投げてもらわんと勝てんワ」ただでさえせっかちな上田監督は優勝へのマジックナンバーがなかなか減らない現状を嘆いた。そんな投手陣の中で山田投手の踏ん張りが最後になって阪急に栄光を呼び込むことになる。

「こんな悪天候でよく試合をやるもんだ」と両チームの関係者が血相を変えて怒った6月19日の神宮球場のロッテ対阪急戦。昼過ぎまで雨が降りグラウンドは泥沼状態。人工芝の後楽園球場ならともかく、近くの川崎球場の大洋対ヤクルト戦は早々と試合中止が決定した。「アッ、やばい!」と上田監督が三塁側ベンチの椅子から思わず立ち上がったのは6回裏無死一・二塁の場面だった。山崎裕選手の送りバントの処理をした山田投手がぬかるんだグラウンドに足をとられて体を捩じるように転倒したのだ。だが周りの心配をよそに山田投手は何事もなかったように後続を抑えて9勝目をあげると同時にプロ入り通算1000奪三振を達成した。

「やっぱりヤマは違う」と上田監督は感心しながらも、雨中での試合続行を強行したことを酷くなじった。もしもあの時、山田投手が怪我をしていたらと思うと冷汗が出たそうだ。それほど阪急投手陣の台所事情は苦しかったが、さすが昨年のパ・リーグMVPだけのことはある。3年連続で開幕投手を務め今年は南海を相手に延長戦を制して勝利。昨年は前後期ともに優勝決定の試合は山田投手が登板し締め括った。山口投手の存在も大きいが今年も阪急投手陣の大黒柱は山田投手である。今季から前後期ごとに新設されたMVP。前期は山田投手が選ばれることは確実だ。


ケガに強い " 名選手 " のパターン
前期優勝までの道のりは厳しかった。南海が開幕ダッシュに成功し、次いで近鉄が追い上げて一時は首位に立った。開幕前に本命視されていた阪急が首位になったのは5月下旬だった。阪急の躓きの原因は続出した故障者。ただし故障といっても選手個人の不注意が原因の怪我も多かった。山口投手は遠征先の福岡の宿舎の階段で足を踏み外して足首をねん挫した。加藤秀選手は他の選手が素振りをしていたバットが足に当たり負傷した。マルカーノ選手はよそ見をしていて打撃練習の打球が顔面を直撃した。プロ野球選手は不注意な怪我を恥としなければならない。足が痛い、肩やヒジが重いといって試合を休んだり成績不振の理由にする選手が最近とくに多い。

山田投手は怪我や故障があっても成績不振の理由を怪我のせいにはしない。高知キャンプでグラウンドでダッシュ練習をしていた山田投手が急にしゃがみ込んでしまった。左大腿部筋症、つまり肉離れだった。「疲れがたまると同じ箇所を痛めるもんですね。去年もオープン戦で左足に肉離れを起こして1週間苦しんだもんですわ」と残念がっていたが、短期間で克服し開幕後は手薄な阪急投手陣を1人で背負って頑張り通した。そんな山田投手も7月の誕生日で29歳になる。選手としてはそう若くはない。だからこそ体調管理には人一倍気をつかっている。若い頃は登板前日に深夜まで飲み歩いていた酒豪も今や嗜む程度だ。


目標は再び打倒巨人
前期優勝、前期MVP獲得となれば次なる山田投手の目標は夢の球宴オールスター戦での活躍だ。過去5年連続出場・6試合登板・3勝の記録を残しているが、今年は大きな狙いがある。セ・リーグは多くの巨人勢の出場が予想されるが山田投手は巨人選手との対戦を日本シリーズに役立てたいと考えている。何故なら山田投手と巨人は日本シリーズでの因縁があるからだ。山田投手が最も悔恨の思いを抱いているのが昭和46年の日本シリーズ。1勝1敗で迎えた第3戦(後楽園)、1点リードの9回裏に王選手に逆転3ランを浴びサヨナラ負け。あの時以来、山田投手の負けず嫌いの性格が一層深まったといわれている。

昨年の日本シリーズで山田投手は巨人相手に4試合に登板したが1勝2敗。失点14・防御率 5.14 と満足出来る成績ではなかった。それだけに「オールスター戦で巨人勢を抑えて秋の日本シリーズで思い切り活躍したい(山田)」というのが今の目標だ。過去の日本シリーズでは昭和50年の対広島戦は阪急は日本一になったものの、最優秀選手には新人だった山口投手が選ばれた。自分が選ばれなかった悔しさでヤケ酒をあおり野球から足を洗うとまで言い放った。その時は幸枝夫人に「男なら男らしく、やることをやってから文句を言いなさい」と諭されて心を入れ替えて練習に励むようになった。

数々のタイトルを手にしてきた山田投手だが足りないのが日本シリーズの最優秀選手賞である。前述の昭和50年に続き翌51年の日本シリーズもチームは日本一になったが最優秀選手賞は福本選手が選ばれた。福本選手と山田投手は昭和44年プロ入りの同期である。ポジションこそ違うがライバルとして互いにしのぎを削ってきただけに悔しさも倍だ。「アンダースロー投手は概して技巧派が通念だ。しかし山田投手ほど本格派のアンダースロー投手は見たことがない。真っ向勝負のオーバースロー投手と何ら遜色のない力強さには驚かされる。足腰が人並み以上に強いせいだろう。本人の精進ぶりに頭が下がる」とかつての大投手・村山実氏も絶賛する。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 767 週間リポート 大洋ホエールズ

2022年11月23日 | 1977 年 



オッ!目を覚ましたぞオバQ
田代選手が5月4日の巨人戦で小川投手から13号本塁打を放って以来、実に20日ぶり試合数では14試合目の対阪神戦で61打席ぶりとなる14号を放った。実はプロ入りしてからこれまで阪神戦では本塁打はゼロで、この一発でセ・リーグ全球団から放ったことになる。開幕以来、プロ野球界にオバQ旋風なるものを起こしホームランダービーのトップを突っ走ってきた田代選手だが「僕はまだホームラン王って器じゃないですよ。追い抜かれるのは時間の問題です」と謙虚だ。その言葉通り阪神のブリーデン選手が5月23日の大洋戦で14・15号を連発し田代選手はトップの座を明け渡した。

ところがところが、翌日にはブリーデン選手の目の前で15・16号を連発し再びトップに返り咲いた。「なんかモヤモヤしていたものが吹き飛びました。気分がスカッーとしました」と久しく見られなかった笑顔に。「最近はホームランが出なくて周りから『これで何試合出てないな』と言われましたけど自分ではヒットは打ててたので焦りは無かった。でもこれでしばらくはホームランのことも言われなくなるかな」と。本塁打を放った後のタバコの味は格別だという田代選手は旨そうに一服しながら意地悪っぽく片目をつむっておどけた。

5月26日現在、本塁打はブリーデン選手と並び16号で同数1位。打率は3割7分3厘で若松選手に1分6厘離して単独1位。打点はトップのブリーデン選手と1打点差の2位ともはや三冠王も視野に入っていると言っても過言ではない。「いい感じですよ。軽く当てただけであそこまで飛んで行きましたから」と15号本塁打が対阪神戦プロ入り初ホーマーなら、その試合の4打数4安打もプロ初だ。三冠王はともかく弱冠22歳、年俸340万円の安サラリーでこの快進撃はとても痛快である。やっぱり君はオバQだよ、田代くん。


洋子、見てくれオレの笑顔
ガラスのエースこと平松政次投手が6月3日にやっと今季初勝利をあげた。ヤクルト相手に7安打・2失点で完投勝利。昨年10月11日に同じくヤクルト戦で勝利して以来、7ヶ月ぶりの笑顔だ。試合後の第一声は「あ~疲れた」だった。久しぶりの勝利に星野投手(中日)はマウンドで男泣き、池谷投手(広島)も復活劇で涙を流したのと対照的に平松投手は笑顔・笑顔だ。昨秋に女学生(フェリス女学院大学)の洋子さんと結婚し、第二の人生を歩き出し今年に賭ける意気込みは例年以上だったが出だしから平松投手にとって暗い出来事が続いた。自主トレの初日に孫のように可愛がってもらった中部謙吉オーナーが突然の死去。

「何としてもオーナーの墓前に好成績を報告したい」と決意しハードトレーニングをしたが裏目となり気持ちに身体がついて行かなかった。自主トレ中に腰痛を発症しキャンプに参加できず多摩川で二軍の選手に混じり練習する羽目に。腰痛が完治したのは開幕1週間前。オープン戦登板は僅か3イニングだけでペナントレースに突入することになった。その後も連日の投げ込みに精を出したがこれまた裏目に。肩が張っていたのに無理に続けた為に今度は肩痛になってしまった。プロ入り11年目となる平松投手も度重なるアクシデントに焦らずにはいられなかったのである。今季初勝利に「これでもう大丈夫。腰も肩も足も全て完治しました。2勝目も間近ですからその時また話をさせて頂きます」と口の方も滑らかな平松投手。


うらめしやウイニングボール
「嬉しくて嬉しくて思わずウイニングボールをスタンドに投げ込んでしまいました」感激のあまり日頃のウイニングボール収集の趣味を忘れてしまい後悔する斎藤明雄投手。プロ入り初勝利は5月8日の阪神戦(甲子園)で先発し、7回を投げ高橋投手の救援であげた。2勝目は5月11日の巨人戦(川崎)で二番手投手として登板し4回を投げて、初勝利と同じく小谷投手の救援のお世話になった。合宿所にはこの2個のウイニングボールが飾られているが斎藤本人としては是非ともウイニングボールを自分の手で掴みたいと思っていた。「先輩から手渡されるのではなく自ら手にしたい」と。それが6月12日の巨人戦(川崎)で実現することになる。

4対2とリードした6回表に高橋投手が一死二・三塁の場面で代打の淡口選手に右翼場外に特大の逆転3ランを打たれた後に斎藤投手が登板し後続を抑えた。その裏の攻撃で二死一・二塁のチャンスに打席に入った斎藤投手。プロ入り以来、未だに無安打とあって「代打だなと思ってました。そうしたら監督さんに『新浦投手の球は速いから右方向へおっつけて打て』と言われて驚きましたが必死に球に食らいつきました」と無我夢中で打った斎藤投手の打球は右前打となりプロ初安打が初打点を記録し同点に追いついた。更に続く代打の伊藤選手の適時打で逆転に成功した。この虎の子の1点のリードを斎藤投手が最後まで守り、最後の打者・王選手を二ゴロに仕留めて勝利した。

念願通りウイニングボールを受け取った斎藤投手は興奮のあまりその球を一塁側のスタンドへ投げ入れてしまった。大勢の記者に囲まれてヒーローインタビューに応じているところにスタンドでウイニングボールを手にしたファンが斎藤投手のサインを貰おうとやって来た。気分良さそうに『斎藤明雄・3勝目』と書いて渡した。記者団から解放されてロッカールームで一息ついた斎藤投手だったが、プロ入り初安打・初打点で勝って手にしたウイニングボールを手放したことに少々恨めしそう。「でもまぁいいや。これが最後というわけでもないし、これからもっと頑張ればいいさ」と気持ちを入れ替えた。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 766 週間リポート ヤクルトスワローズ

2022年11月16日 | 1977 年 



巨人け落とすには1番がカギ
広岡監督が珍しくナゾカケを出した。「1番になれるかどうかは1番が1番より先に復活することだよ」よくよく聞かないと分からないナゾカケ。正解は「1番」を3回言ったが最初は首位躍進の事で、次は若松選手の事。最後は王選手の事だ。阪神と抜きつ抜かれつの2位争いをしているヤクルト。「今のウチに首位になれるだけの力はないが仮に首位になったら選手は大変な自信を得られる。首位を狙うには先ずは阪神を倒して巨人への挑戦権を得なくては(広岡監督)」と5月21日からの対阪神3連戦に臨んだが結果は1勝2敗に終わった。冒頭のナゾカケは負け越しが決まった後に飛び出したモノだった。

打率4割を超える猛打で首位打者争いのトップを快走していた若松選手だったが阪神戦の前の広島戦あたりから調子を崩し打率は急降下。肝心の阪神戦でもバットは湿ったままで打率4割を切っただけでなく同僚の大杉選手に抜かれてしまった。大杉選手が好調なのは心強いが、あくまでもチームリーダーは生え抜きの若松選手なのだ。その若松選手の打撃に陰りが出始めたら、ただでさえ凡打を繰り返す両外人が当てにならないヤクルトにとってお家の一大事なのだ。もう一人の「1番」である王選手は22打席ノーヒットの惨状で巨人も6連敗中。どんなに強いチームや選手も長いシーズンではスランプはある。要は如何にスランプの波を小さく抑えるかだ。

「あっち(巨人)の1番はいずれ打ち出すだろうが、願わくば復活は先延ばしして欲しいね。ウチの1番にはそんな悠長なことは言っておられんよ」と広岡監督が本音を漏らしたその日(5月23日)の神宮球場の試合で若松選手は4打席ノーヒットでチームは負け、王選手は近所の後楽園球場で23打席ぶりにヒットを放ち巨人は再び連勝街道に走り出した。首位と若松選手にかけた「1番」への思いは明けて24日からの巨人戦で明暗がはっきり出た。王選手の48打席ぶりの打点でヤクルトは負け、翌日の試合では本塁打を許した。若松選手が再び打ち出すまで広岡監督の「イチ、イチ、イチ」の呟きは止みそうにない。


外人が " 害人 " を返上したぜ!
マニエル、ロジャーの2人がようやく " 害人 " から脱して本来のガイジンパワーを見せるようになった。神宮球場での巨人戦、中日と帯同遠征した長崎・熊本の九州シリーズで3試合連続本塁打したマニエル選手。ロジャー選手も熊本での中日戦で苦手の左腕・松本投手から一発を放つなど遅まきながらエンジンがかかってきた。「働くどころかチームの雰囲気を悪くする害人なんていらん!」と言い続けてきた広岡監督だが、ようやく本領発揮の2人の助っ人に前言を撤回せざるを得ない。「オールジャパンじゃやっぱり迫力不足だものなぁ」と苦笑しながら最近は2人をスタメンで起用し続けている。

「なぜ我々を使わないのか」という両外人の抗議に広岡監督はひとつひとつ細かに凡プレーを列挙して起用しない理由を説いた。マニエル・ロジャー選手が菅原通済なみに三悪(打てない・守れない・走れない)追放を実践するようになったのは、このままでは広岡監督に見放されてクビになる危機感を実感したからだ。2人は自主的に特訓を志願し、ロジャー選手が欠点である低目の変化球に手を出さないよう心がけ、マニエル選手は走り込みに精を出した。こうなると福冨選手や山下選手らジャパニーズがいくらハッスルしても " 脱害人 " の2人には敵わない。「やっとお灸が効いてきたかな」と広岡監督はニンマリ。


あなたはどう表現しますか?
奇跡は二度起きた。柳の下にドジョウは二匹いた。どんな表現をしても若松選手の " 2試合連続代打サヨナラ本塁打 " の快挙は言い尽くせない。6月11日・12日の広島戦2試合とも若松選手のワンスイングで決着がついた。ヤクルトナインは勿論、冷静でなる広岡監督も狂喜乱舞だ。首位打者争いトップの若松選手が代打で出場すること自体が不思議なのだが、実は6月5日の中日戦で脇腹を痛めてスタメンを外れていた。新井トレーナーによると筋肉痛でもかなりの重症で全治まで2週間は必要との診断で、登録を抹消して治療に専念するくらいの怪我だったが若松選手はベンチ入りを志願し、代打での一振りに賭けていた。

素振りをしてみたがズキンと痛みが走った。ファールが続いてもダメ。文字通り「一振り」に全身全霊を集中させるしかなかった。若松選手の気持ちを読み取った広岡監督は「土壇場の勝負所に限って使ってみよう」と決めた。若松選手は「ファーストストライクを思い切って振る。仕留められずファールになったら潔く降参(見逃し三振)だ」と一か八かの大勝負に賭けるあたりは昔の神風特攻隊の精神。「チャンスはワンスイングのみ。当たって砕けろの精神で挑んだが狙っていたホームランが打てるとは自分でもビックリしている」と若松選手が一番驚いているがそれが2日も続くとは。まさに筋書きのないドラマとはこのことだ。

3割打者でも10回中7回は凡退する。1試合平均4打席が回って来ても安打できるのは2回はない。ましてや本塁打を計算通りに打てるものではない。しかも1試合フルに出場して投手の球筋をじっくり見極め、配球を読み取って狙い球を絞るのとは違ってワンチャンスの代打勝負は打てる確率はグンと低くなる。2試合連続代打サヨナラ本塁打は昭和43年、ヤクルトの前身サンケイの豊田泰光選手が中日戦で2試合とも同じ中山投手から放って以来二度目の出来事。「同じ場面でもう1回打てるかって?無理、無理(若松)」は本音だろう。まさに神がかりの一発、いや二発だった。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 765 週間リポート 中日ドラゴンズ

2022年11月09日 | 1977 年 


青エンピツから万年筆へ
軽量級の青エンピツこと青山久人投手はチーム内で「アイツはドライボーイだ」と専らの評判だ。昨年入団した早々から人を食ったような発言で担当記者たちを煙に巻くことも再三。むしろコーチや先輩選手たちをハラハラさせていたくらいであった。いい意味ではプロ向きのハートの持ち主とも言える。その青山投手が今季二度目の先発に起用された5月21日の対大洋6回戦でスイスイと投げているうちに何とプロ初完投・初完封勝利をやってのけたのだ。オバQこと田代選手ら猛打を誇る大洋打線が完封されたのは今季これが初めて。まさしく初物ずくめの青山投手にとっては嬉しい今季初白星であった。

最後の打者・長崎選手をシュートで空振り三振に仕留めると女房役の木俣選手から受け取ったウイニングボールをポ~ンと一塁側スタンドへ投げ込んでしまった。「やっぱりアイツはドライだな。普通なら記念すべき球は大事に取っておくもんだ」と中日ナインを驚かせたが、その直後に青山投手の両目から涙が。勝利インタビューも出来ないくらいの号泣でこれには選手も記者たちも二度ビックリ。「ドライに見えてもヤツも人の子だったんだな」と周囲は青山投手が人並みの青年だと分かって逆に爽やかな印象を受けたようだ。

青山投手がこの日の先発登板を中山投手コーチから言い渡されたのが3日前の甲子園球場。登板前夜はあれこれ考えているうちに明け方まで眠れず僅か2~3時間足らずの睡眠だった。「このチャンスを逃がさないゾ」と自分に言い聞かせてマウンドに上ったのが望外の初完封に繋がった。しばらくして涙が止まると青山投手は元の人を食ったようなおトボケを取り戻していた。すぐに折れてしまいそうな青エンピツがいつの間にか一回り太くなって丈夫な万年筆に成長した、そんな感じの青山投手である。


大島の " 意識 " が変わった
今季が開幕して1ヶ月間、三塁のポジションには阪急から移籍して来た森本選手がデンと構えていた。地元名古屋のテレビには「一発長打の大島クン」というCMが流れているが、一発を売り物にしている大島選手のバットはずっと湿りがち。そんな大島選手に森下コーチが「オイ、いま頑張らなくてどうするんだ。亡くなった兄さんが見守ってくれてるぞ」と励ました。5月10日の対阪神4回戦の試合前に兄・隆さんの訃報が舞い込んで来た。この試合に臨んだ大島選手は代打で出場して同点タイムリーを放った。

大島選手の頬を涙が流れ落ちた。兄の死を契機に大島選手の人生観が変わったのだ。「今まで兄貴におんぶしてのんびり生きてきた。だけどこれからは自分が一本立ちして実家の家族の面倒をみなくては」と。こう考えた時、大島選手はそれまでの自分には心のどこかに甘えが巣食っているのに気がついた。それからは余計なことは考えずひた向きに野球に没頭しているうちに森本選手から三塁のポジションを奪い取った。プロ入り9年目にして初めての定位置確保となった。

森下コーチの激励はこうした背景があったのだ。それと同時に「お前の実力はこんなもんじゃない。もっと努力しなければいつまた元のベンチ要員の控え選手に逆戻りしてしまうぞ」という意味も込められていた。5月末の巨人戦では打順が六番から五番に昇格した。対左腕投手攻略用の変更だったが大島選手がクリーンアップ(三・四・五番)の一角になったのは今季初だった。それだけに首脳陣の大島選手に対する期待の大きさが分かる。


テレビ中継は見るべきですね
阪急へ移籍した稲葉投手や島谷選手が新天地でバリバリ活躍している。中日ファンは2人の活躍を嬉しく思う一方で「それにひきかえ中日に来た連中はパッとせんなぁ」と嘆いている。むろん当事者の戸田投手にもそんな声は届いている筈だ。森本選手は怪我で欠場だし大石投手は二軍落ちしている有様を見て同僚の戸田投手の胸中はさぞ残念無念で歯ぎしりしたほどであったに違いない。戸田投手自身も5月11日の阪神戦で2勝目をあげて以降、勝ち星はストップしたままで焦りのせいなのか体調まで崩してしまったが、次の先発予定を前に戸田投手は「今度こそ頑張らなくては」と気合いを入れ直した。

登板前夜、戸田投手は自宅で川崎球場での大洋対巨人戦のテレビ中継を見ている時にある考えが閃いた。「そうだ、俺は投げる時に手首を十分に返してなかったんだ」と。人間という者はふとした瞬間に忘れていたものを思い出すことがある。その時の戸田投手はまさしくそれだった。ベテランだけに気がつけば修正を実行するのは早い。6月12日の対大洋10回戦に先発した戸田投手はそれまでとは別人のような投球で9奪三振・2失点に抑え完投勝ちした。「長かったですね。左打者への内角へのスライダーが良かった。テレビ中継を見たお陰です」と心から嬉しそうに戸田投手は笑った。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

# 764 週間リポート 広島東洋カープ

2022年11月02日 | 1977 年 



あぁ、もう甦らないのか…
肩を痛めて二軍に落ちている外木場義郎投手は6月29日に一軍に戻って来る予定になっている。外木場投手自身もこの日を目標に懸命に努力をしているが、故障した箇所が投手にとって生命線である肩だけに周囲は復帰に慎重である。昨年から六度も肩とヒジを痛めていることから再起を危惧する声があるのも事実。二軍では打撃練習の投手を務めるまでに復調してきているが本格的な投球練習までには至っていない。「もう肩に痛みは感じていない。戦列を離れる前は投げた後に肩が張っていたけど今はもうない(外木場)」のは朗報だが全力投球に対する恐怖心は未だ抜けていない様子だ。

肩をかばう気持ちがある間は本来の外木場投手に戻ることは出来ないようで、その点の解決策を首脳陣は「身体のことは本人しか分からないことだが、一度思い切って投げてみてその結果を見るのも一つの方法ではないか」と話している。北別府、小林誠、望月投手らイキの良い若手が台頭しつつある投手陣は開幕から何とか持ち堪えているが、やはり外木場投手が出て来なくては長いペナントレースは乗り切れない。それだけに外木場本人も「必ず一軍のマウンドへ戻る」と意欲いっぱいだが、さて。


続・あぁ、もう甦らないのか…
外木場投手が実に1ヶ月ぶりに先発登板した。とは言っても悲しいかな二軍の阪神戦での話だが。悲しいと言えば結果は3回途中、一死も取れずにKOされ降板した。初回、町田選手に左中間に3ラン本塁打を放たれ3失点。3回無死の場面で交代するまで計6失点だった。今年二度目の肩の故障で二軍落ちしてから既に1ヶ月が経過しても未だ二軍ですら通用とは。ところが本人は「もう少し投げ込みをすれば大丈夫でしょう」と意外にも明るい表情だ。その理由について「力いっぱい投げても肩に違和感が無かったから」だそうだ。6本の長短打を浴びたのも球威を試す狙いで速球ばかり投げたせいと悲観していない。

大石投手コーチも「痛みや不安はもう無いのであとは投げ込んで勝負の勘を取り戻せば大丈夫。とにかく全力投球できたことが何より収穫でしょう」と安堵している。だからといって今すぐに戦列復帰とはいかないようで、これから1週間ほど様子を見るという。その後、短いイニングを投げて肩慣らしをし、徐々にイニング数を増やしていく計画だ。目下は池谷投手も故障で離脱し高橋里投手が柱となって投手陣を引っ張っているが、文字通り投手陣は火の車状態。苦しい夏場を迎える前に何としても外木場投手に戻って来て欲しいのだ。「大丈夫」という外木場投手の言葉を誰よりも頼りにしている古葉監督は首を長~くして復帰を待っている。


中日さんの気持ち分かります
今年の赤ヘルは神宮球場が鬼門。6月13日現在、9試合を消化し2つの引き分けを挟んで7連敗で未だ勝ち星ナシ。まるで中日の後楽園球場並み。昨年の中日は後楽園球場で12連敗し今年も連敗を継続中だ。「神宮でのヤクルト戦になるとまるで別のチームみたいになってしまう。気おくれするとかは無いし、むしろ余裕があって受けて立つといった感じなのに…」と広島ナインも勝てないことに不思議がる。対するヤクルトナインは「今年のカープにはV1当時の勢いは微塵も感じられない。元気もないですねぇ」である。12・13日の試合も負ける気がしなかったというのだから広島ナインは顔色なしだ。

この2試合とも若松選手のサヨナラ本塁打で敗戦。12日は延長10回裏に池谷投手が、翌13日は9回裏に松原投手が被弾した。ともに初球というのも癪の種で、これでは古葉監督がカンカンになるのも当然だ。12日の試合はルーキーの梶間投手から2点のみで打線の不振を嘆き、13日は6得点したが投手陣が崩れて8失点。投打が嚙み合わず古葉監督の怒りも頂点に。昭和43年の豊田泰光選手(当時はサンケイ)以来の史上2人目となる「2打席連続代打サヨナラ本塁打」を若松選手に許してしまった。「初球はボールにするつもりだった」と道原捕手は悔やんだが後の祭り。悪いことは重なるとはまさに悪いチーム状態の見本だった。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする