Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 550 ドラフトネタ 阪急ブレーブス編

2018年09月26日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 白井孝幸:牛歩教育でマウンド経験は僅か。それでも期待は大きいぞ!
昨年のドラフト会議で1位指名された時、" 中央球界では無名の秘密兵器 " と言われた白井投手だが1年経っても秘密のままだった。基礎体力作りに専念し一度も一軍へは上がれなかったが決して誤算ではない。若手投手が伸び悩む阪急にとって大事な期待の星なのである。191㌢の長身から投げ下ろすストレートを武器にする山沖2世。阪急は昭和58年の榎田投手、59年の野中投手、そして白井と3年連続して高校生投手をドラフト1位で指名してきた。だが榎田も野中も故障がちで未だに戦力に成り得ていない。こうした反省から白井に対しては特別に慎重策をとる事となった。とにかく体力強化に重点を置き、今年1年はランニング中心に明け暮れた。

「そりゃ一日も早く一軍で投げたいですよ。でも一軍に上がっても二軍と行ったり来たりしていたら意味はない。一軍に上がる時は活躍できるだけの力をしっかりと付けてからだと考えています。今はとにかく体力作りとフォーム固めに取り組んでいます(白井)」とじっくり焦らず練習している。春季キャンプでは「高校生にしては下半身は出来ている。意外と早く使えるかもしれない(上田監督)」と評価は高かったがプロの壁は厚かった。春先と夏場に足を故障、秋口には肩の張りを訴えた。加えて投球フォームの改造も余儀なくされた。左腕を大きく前に出すフォームが制球難に繋がると判断されたのだ。秋季キャンプではフォーム固めを重点的に取り組んでいる。

ウエスタンリーグ公式戦の最後の2試合に2回ずつを無失点に抑え、教育リーグでも先発して7回を3失点と少ない機会ながらも着実に成長しているが課題は多い。バント処理、投内連携、牽制プレーなど細かなプレーは本格的にやり始めたばかり。中田二軍監督は「白井に関しては球団として3年計画でじっくり育てる方針をとっている。球威だけなら一軍クラスだけどプレート捌きなど細かなプレーはまだまだ素人レベル。焦らずじっくり育てます」と。だが白井本人は「今年1年は無我夢中でした。何度か故障したので決して満足していませんが、プロの練習についていける体力はついたと思います。2~3年先とは言わず来年の夏頃までには一軍に上がりたい」と来季は二軍に甘んじる気はないようだ。



【 運命のドラフト当日:野中徹博 】
「ドラフト会議当日は落ち着かなかったですね。学校で授業を受けていたんですけど、上の空で何も頭に入らなかったです」。野中投手が指名された昭和58年のドラフト会議は水野投手(巨人)や藤王選手(中日)が目玉と言われていた。野中も評価は高く指名は確実視されていた。意中の球団は地元の中日だったが中日は藤王を1位指名し願いは叶わなかったが阪急に1位指名された。「勿論、阪急は知っていましたけど名古屋では阪急戦のテレビ中継は無くて知ってる選手も山田さん、福本さんくらいでした」と戸惑ったそうだが直ぐに「1位指名されて光栄。感激しました」と。今は病気療養中の野中だが復活を期している。

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# 549 ドラフトネタ 近鉄バファローズ編

2018年09月19日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 佐々木 修:考えるピッチャー、これが佐々木の武器なのだ
19試合に登板して3勝6敗。防御率はチーム防御率とトントン。佐々木投手の成績は見方によって評価は様々である。「キャンプで見た時は球に力もあるし最低でも5勝はいけると思った。しかも初先発初完封だったから尚更ね。でもプロは甘くなかった、という事かな。でも来季への期待は充分あると思うよ」と期待値込みでプロ1年目として合格点を与える岡本監督。今季の後半、一時は佐々木中心のローテーションを組んだことからも期待の大きさが窺える。日向での秋季キャンプでも徹底した英才教育を施している。板東投手コーチによる佐々木の評価は「後半戦は球に力もついて打者の胸元を突くストレートが効果的だった。ただ短気な所もあって何度か初球を狙い打ちされるケースも目立った。向こうっ気は大事だが冷静さを忘れないようにしないと」

同僚のデービス選手も野手の立場から「ササキのいい時は投球にリズムがあって野手も守り易い。ゲームの進行もテンポよく、そういう投手は必ず打線の援護も多くなる。今年の投球を続ければ来年はもっともっと勝てるよ」との言葉を残して帰国した。確かに春季キャンプの頃と比べると身体つきも逞しくなりストレートだけでも打者を手こずらせる程の球威を身に付けてきた。元々右打者には切れ味抜群のカーブが効果を発揮していた。あとは左打者対策にシンカーを自由に操れるようになればデービスの太鼓判もあながち空手形ではなくなるであろう。加えて佐々木の何よりの武器と成り得るのが岡本監督以下、首脳陣や選手達がこぞって認める " 頭 " である。

「アイツはよく考えて投げている。マウンドに上がって打者と向かい合ってからテーマを決めて投げている。今日は左打者にどう対処するのか臨機応変に対応している。そんへんはウチの他の若手投手とは一味違う所。ピッチングマシーンみたいに、ただ投げているだけみたいな投手も正直おるからね」と岡本監督は苦笑まじりに言う。そのあたりが今季3勝という数字の割りに期待が大きい理由ではないか。「最初に完封した時はもっと勝てると思ったのは事実。でもプロはやっぱり甘くなかった。肝心な場面で一発を喰らったりして悔しいというか情けなかった1年でした。秋季キャンプでは直球を生かす為にも緩い球を覚えたいですね。他にもやらなければならない事が山ほどあります(佐々木)」と。その向上心や良し。



【 運命のドラフト当日:大石大二郎 】
他の大学生と同様に大石選手も大学の野球部合宿所でその瞬間を待っていた。昭和55年11月26日、「後輩のラジオを持ち出して伊東さん(パ・リーグ広報部長)の声を聞いていました(大石)」。この年の目玉は原(東海大)と石毛(プリンスホテル)。他にも愛甲(横浜)、中尾(プリンスホテル)、竹本(新日鉄室蘭)など人材豊富だった。1巡目指名が終わっても大石の名前は呼ばれずドラフト会議は昼食休憩に。大石も友人らと食事を摂りに合宿所を離れた。「食事を終えて戻って来たら合宿所の窓から後輩達が『大石先輩、近鉄が2位で指名しましたよ』と大声で教えてくれたんです」と。「最初は大学の監督さんは小柄の僕を心配してプロ入りに反対してたんですけど、僕と僕の親父の二人がかりで説得してプロ入りを認めてもらいました(大石)」だそうだ。

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# 548 ドラフトネタ ロッテオリオンズ編

2018年09月12日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 笠原栄一:体がプロになった時、150㌔ 男は本物の大物だ
佐波農高1年生の秋に西邑楽高と対戦して21奪三振を記録。ロッテ始まって以来の大物として入団し、背番号はロッテの監督も務めた事のある往年の大投手・金田正一氏と同じ「34」。その言動はキャンプが始まっても大物ぶりを発揮していた。腹筋100回を命じられても20回くらいで「ハイ、終わりました」と平然と言ってのけたり、バント処理の投内練習で一塁ベースカバーに入るのだが笠原投手は一塁ベースを踏まずに跨いて通り過ぎる。木樽投手コーチに注意されると「え?ベースを踏むんですか」と周囲を呆れさせた。「高校時代はバント処理は内野陣に任せっきりで僕はマウンドから動かなかったから…」と。

「僕は練習嫌いなんすよ。練習すると逆に力を発揮できないタイプなんです。高校の時にまともに練習なんかしなかったのに、こんなプロの練習なんか無理っスよ」の発言にはコーチ陣は唖然茫然。「とにかく笠原の場合は高校時代に何もやっていなかったので先ずは基礎体力作りから始める。ゼロからのスタートなので実戦登板の目途は立っていない」と木樽コーチも苦笑い。腹筋も背筋も50回が限度で直ぐにギブアップ。ならばと走り込みをさせると、あそこが痛い、ここが痛いと言ってリタイアしてしまう。それでいて球を握らせると時速145km を軽く超えるストレートを投げる規格外の怪物なのだ。

そんな笠原に与えられたメニューは8月まで筋力アップとランニングのみ。そして「メニューを全部こなしたらピッチングするのを許す(木樽コーチ)」といったニンジン作戦。投げたくてウズウズしていた笠原は木樽コーチの狙い通りメニューをこなすようになった。9月に入ると投球練習の他にフリー打撃に登板するようになる。本人は「調子が良い時は150km 近く出るんじゃないかな」と有頂天だが徳武二軍監督によると「まだ基礎体力を作っている段階なのでスピードに波がある」そうだ。が、何はともあれようやくプロの練習についていけるようになってきた。「プロの身体になれば150km なんて軽く出すんじゃないの」と木樽コーチは笠原の成長を楽しみにしている。



【 運命のドラフト当日:横田真之 】
昨年のドラフト会議で4位指名されて入団し、今季のベストナインに輝いた横田選手。ドラフト会議当日は「ドキドキしっぱなし。受験の合格発表とは比べものにならないくらい緊張してました」そうで駒大野球部の合宿所で同じくドラフト指名候補だった河野投手(日ハム)らと息を殺して結果を待っていた。「ドラフト会議が始まる前は指名されなかったらどうしよう、始まったらもし1位指名だったら何を言おうかとか色々考えていました(横田)」と。卒業後の進路はプロ一本で他の就職活動はしていなかった。だが3位指名までに名前が呼ばれず「こりゃヤバイと焦りました。ロッテが4位に指名してくれた時は心底ホッとしました」と当時を振り返る。

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# 547 ドラフトネタ 西武ライオンズ編

2018年09月05日 | 1985 年 



去年のドラ❶ 大久保博元:鳴りを潜めていた長距離砲は四番打者へ着々と歩んでいた
喉から手が出るほど欲しかった長距離砲。昨年のドラフト会議で広沢選手(現ヤクルト)を逃し、代わりに1位指名した大久保選手。陽気な性格で見るからに頼もしい体格の持ち主でレオファンの注目を集めていた水戸の怪童は激動の1年を送っていた。自主トレ初日の1月6日に姿を現した大久保はいきなりフリー打撃で高校生離れした打撃を披露した。当然マスコミは1年目から一軍で使える、と大騒ぎをした。しかし現実はそう簡単なものではなかった。「今だから正直に言いますけど、あの時の僕は体重が100kg を超えてました。マスコミの皆さんにはベスト体重(94kg)と言ってましたけど本当は104kg でした。スミマセン」と先ずはウエートコントロールの試練が待ち受けていた。

秋山選手を脅かす飛距離があっても守る所が無ければ、大田選手や片平選手など指名打者候補のベテラン勢がいる西武では出番はない。広岡監督は「打つだけじゃ一軍では使えない。捕手以外にも一塁・三塁でも守れるようになるのが一軍定着の条件。それには先ず身体を絞って身軽にならなきゃね」と冷静に突き放した。広岡監督の指摘通りプロとしての身体作りが最優先課題だった。身体を絞り二軍の試合に本格的に出場するようになったのは5月に入った頃。初本塁打はイースタンリーグが開幕して15試合目のロッテ戦(6月11日)。同期入団の田辺選手は既に3本塁打しており、やっと飛び出したという印象だった。打率も2割台をウロウロして上昇する気配はなかったが日野二軍監督は大久保を四番から外さなかった。

「大砲としての自覚を植え付ける為ですよ。当りが止まっていたのも土井(二軍打撃コーチ)とマンツーマンでフォームの改造をしていたから。心配はしていない」と日野二軍監督。英才教育は続く。7月20日からの二週間、一軍を体験した。本人は「やっぱり野球はお客さんが多い所でやらなくちゃ」と一軍定着を狙っていたが広岡監督は大久保をお客さん扱いして5試合(4打数1安打)で早々に二軍に戻した。「やっぱり一軍は違う。やるこの全てがスピーディ。日本シリーズも登録されて掛布さんや岡田さんを自分の目で見れたのも収穫でした。今は体重も87kg に落ちたし来季はやりますよ」と本人はやる気満々。現在は秋季キャンプで汗まみれとなっている。「化けたら今年の秋山以上の活躍をするかも(黒江コーチ)」と首脳陣の期待は大きい。



【 運命のドラフト当日: 渡辺久信 】
レオのヤング右腕は2年前の昭和58年11月22日を思い出すと複雑な気持ちになるそうだ。前橋工のエースとして運命の日を迎えた。高校1年生の時に甲子園出場して以来、時速150km の剛腕投手は12球団の注目の的だった。「ええ、全球団のスカウトの方が学校や家に来ていたし、指名されるかもしれないから当日は学校で待機するように言われてました(渡辺)」。渡辺投手は子供の頃から巨人ファンで憧れの王選手や中畑選手と同じユニフォームを着るのが夢だった。担当だった堀江スカウトから「絶対に1位で指名する」と言われて胸をときめかせてその瞬間を待っていた。だが現実は西武が1位指名。「正直がっかりしたけど、ヨ~シ日本シリーズで見返してやる!」と直ぐに気持ちを切り替えた。

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