Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 563 KKドラフト ⑩

2018年12月26日 | 1985 年 



内定1号は東筑の高選手
広島が2位で指名した高選手(東筑高)がドラフト会議から僅か4日後の11月24日に契約金三千万円・年俸三百六十万円で仮契約した。当初は大学進学の予定だったが広島の " 誠意 " で翻意した。高は今春のセンバツ大会に出場して俊足好打の評価を得ていた。一方で同じ東筑高で近鉄から1位指名された桧山投手は依然として大学進学の意志を変えていない。桧山は早大進学を希望しているが桑田投手の教育学部体育学専修の推薦入学と違う為、必ず合格する保証はない。そのあたりを梶本編成部長と西村九州地区担当スカウトは突破口と考えているようだ。11月27日の二度目の交渉では父親の文吉さんが「息子は迷っているようです」と桧山の心が揺れていると明かし、今後の交渉次第では逆転入団の目が出てきた。

亡き母に力投を誓う伊勢崎商・内山投手
24日の高選手(広島)に続き27日に内定2号となった内山投手(ヤクルト)。内山は1歳10ヶ月の時に母親の順子さんを交通事故で失った。内山を自転車の後ろに乗せて走行中にトラックに撥ねられた。咄嗟に順子さんは内山を庇った為に内山自身はかすり傷で済んだ。母親の記憶は全くない。内山の知る母は仏壇から優しく微笑む遺影だけである。父親の和巳さんは何度かあった再婚話も「子供がなじまないから」という理由で断ってきた。また和巳さんは元中日の投手で昭和33年から4年間在籍したが一軍のマウンドは踏めなかった。和巳さんは「私はプロの世界で苦労しましたから不安だったのですが、息子がやらしてくれと言うので今では応援しています」と。片岡スカウトによれば「南海・杉浦監督の現役時代のように身体の柔らかさが彼の財産。2~3年先が楽しみ」と高く評価している。

伊東が気になる長冨
投手の目玉だった伊東投手と長冨投手。伊東の方はヤクルトと相思相愛だったからか交渉の方はいたってノンビリムードで未だ条件提示もない。社会人野球の公式行事が全て終了する12月下旬に交渉を開始する予定だ。一方の長冨は既に広島から条件を提示されている。11月25日に長冨のもとを渡辺・苑田両スカウトが訪れて契約金・六千万円、年俸・六百万円を提示した。長冨は「相談したい人がいるので…」と即答を避けたが次回の交渉では気になる伊東を横目に仮契約を結ぶ運びだ。伊東の交渉が進まない理由は12月11日に行われる社会人野球ベストナインの表彰式。実は表彰式の前にプロ球団と契約してしまうとベストナインの資格を失ってしまう。なので本格的な交渉はそれが済んでからになる。

好対照の西川と園川
南海1位指名の西川投手は当初は拒否の姿勢を見せていたが杉浦監督の交渉出馬に態度を軟化。11月27日、伊藤チーフスカウト・堀井スカウトが川崎市木月の法大野球部寮を訪れて契約金・五千万円、年俸・六百万円を提示した。同席した法大・鴨下監督は「六大学のエースで通算30勝している男にしては評価が低い」とやや不満気だったが、南海側が杉浦監督が現役時代に付けていた背番号「21」を用意したことに西川本人はいたく感激し、次回の交渉で仮契約を交わすことを明らかにした。対照的にロッテ1位指名の園川投手はドラフト会議当日に球団側から連絡があった後はナシのつぶて。園川は元々セ・リーグ希望でもあり「礼儀として話は聞こうと思っていたのに…これじゃ断ることも出来ない」と不満気。
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# 562 KKドラフト ⑨

2018年12月19日 | 1985 年 



専門家はどう見ているのか?
先ずは桑田と比較された前述の堀内氏の見解から。「コーチが教えるようなことは何もない投手だよ。野球センスは俺より上」と絶賛するが、では即戦力かと問われると「桑田の球は江川よりキレが良いが問題はコントロール。桑田の制球力は抜群じゃないかと反論されそうだが、甲子園では八分の力で投げていたように見える。桑田の力量なら全力で投げなくても高校生相手なら抑えられた。でもプロではそうはいかない。目いっぱい投げた時のコントロールが本当にあるのか疑問符が付く。実戦で見てみないと即戦力かどうか判断できない」と慎重だ。加えてプロとしての体力不足を指摘する。「シーズンを乗り切れる体力作りが勝負となる。技術的には1年目から活躍できるものは持っているが無理して故障したら元も子もない。勝てたら儲けもの、くらいの長い目で見て欲しいね」と。

本誌『テクニカルポイント』でお馴染みの杉下茂氏は「1年生の時の桑田は実に魅力的だったが、こじんまりと纏まっちゃいましね。まぁ負けたら終わりの高校野球で勝ち進もうと思ったら仕方ないですけど。やっぱりポイントはコントロールでしょうね」と堀内氏と同じ意見だ。また指導者の重要性を説くのはロス五輪で代表監督を務めた松永怜一氏。「私としては早稲田に進学して欲しかったですね。早稲田大学には立派な指導者がいますから桑田君の将来を楽しみにしていたので残念です。私にはプロの指導者がどうも不明確に思える部分があります。昔は良い指導者を求めて進学なり就職をしたものです。プロのコーチは選手の自主性を尊重しますが、あの年頃の選手にはある程度の強制も必要です。桑田君はこの3年間で肩を酷使してきました。もし私が指導するなら先ずは肩の疲労を取ることを優先します(松永)」と高校3年間の酷使を危惧する。

同じく本誌で『トラ、トラ時評』を連載していた虎キチおじさんこと花井悠氏は「ほんま、タイガースやのうてジャイアンツに入ってくれるとは…。まぁ済んだことはええわ。今度は甲子園のマウンドでタイガース打線をキリキリ舞いさせるピッチングを見せてくれ。ただワシはこの点については悲観的なんや。桑田君の肩は " うとうとる " 。唄っているとは我々野球人の専門用語で " 膝がわらう " みたいなもんで、肩がヨレヨレになっていることを言うんや。そやから桑田君は投手やのうて打者に転向した方がエエ。あの俊敏な動きは内野手になれば篠塚クラス、いやあの精神力なら篠塚以上になるかもしれん。とにかく投手にしろ打者にしろ桑田君には巨人のスター選手になってもらわんと。巨人軍よ桑田君を簡単に潰したらワシが黙ってへんゾ。大阪中のファンが承知せんゾ。大阪の宝を東京にくれてやったんだ、大事にせいよ」とライバル巨人にエールを送る。

右肩の酷使とは別に精神面からの危惧を唱えるのは村山実氏。「PL学園はいわば世間から隔離された管理野球とも言える。ある意味で桑田は今回、巨人を選んだことで " 自由 " を手にしたのではないか(村山)」その自由を単に享受してしまうか、或いは自由こそ管理が大切であると考えるかで桑田の将来が決まると。「江川があれだけの騒動を起こして巨人に入ったのに数年で普通の投手になってしまった。喉元過ぎれば…で今の江川を見ると歯痒くて仕方ない。桑田にはそうなって欲しくないですな」と警鐘を鳴らす。ただし村山氏も桑田の実力は評価している。「まとまり過ぎた感は否めないが理想的なフォームをしており、背筋の使い方も素晴らしい。彼のバネならまだまだスピードも出るだろう。巨人の指導者も投手がダメなら打者で、などと安易に考えないで欲しい。地に足の着いた長期的な観点で指導してもらいたい」と注文する。



【桑田日誌】
11月24日:早大受験中止の発表から一夜明け、午前9時過ぎに宿泊先の赤坂東急ホテルで朝食を摂り自室へ戻ろうとする桑田に
      一人の記者が執拗に質問責めをすると「どちらの社ですか?名刺を下さい」と桑田は睨み返して険悪な雰囲気に。正午過ぎに
      羽田を飛び立ち大阪へ。午後1時、大阪空港のロビーで一般客から「頑張れ」と声をかけられるとニッコリと笑顔を見せた。
      タクシーでそのままPL学園の研志寮へ戻った。

11月25日:PL学園30周年の行事が23日、24日に催され当日は振り替え休日だったが退部届を大阪府高野連に提出し受理される。

11月26日:父・泰治さん、母・敏恵さんがPL学園を訪れ高木野球部長、中村監督に一連の騒動で迷惑をかけたと謝罪した。
      これに対し高木部長は「誠意ある謝罪で受け入れました」と語る。桑田の要望で中村監督と対面。中村監督から
      「頑張れ」と声をかけられ桑田もホッとした表情に。

11月27日:午後6時半、研志寮に隣接する室内練習場で投球練習。久しぶりに球を握り80球の全力投球で汗を流した。八尾市の
      自宅に巨人から29日に交渉の席を設けたいと連絡が入る。伊藤菊スカウト、沢田スカウト部長が出席する事が決まる。

11月28日:参議院の文教委員会で今回の出来事が取り上げられ社会党の久保亘議員が牧野高野連会長、本阿弥プロ野球コミッショナー
      事務局長に質問をした。久保議員が「プロ側が一方的に指名し、進学希望の生徒の人生を変えさせたり或いは他球団から
      指名されない為に大学進学の表明が使われていたとすれば背徳的で非教育的ではないか」と牧野氏・本阿弥氏の見解を
      求めた。本阿弥氏は「指名即プロ入りではない。進学か就職かの選択は選手の自由」と述べ、牧野氏は「世間を騒がせる
      結果となったのは遺憾だが自分の決断で進路を決めたのだからそれでよいのでは」と答えた。桑田本人は通常通り授業を
      受けたが報道陣の前には現れなかった。

11月29日:巨人との初交渉が富田林市の「ホテルあららぎハウス」で行なわれた。詰めかけた報道陣は100人を超えた。桑田はやや
      上気した表情で交渉の席についた。この日は具体的な条件提示はなく指名の挨拶と巨人サイドの状況説明だけで終わった。
      「即戦力として指名した経緯を説明した。雰囲気は良かった」と伊藤菊スカウト。交渉後の会見で桑田は「巨人にはたとえ
      PL学園を退学してでも入りたかった。早く自分の気持ちを表明したいと思っていたが、何をどうすればよいのか分から
      なくなりドラフト指名から5日間は寝つけなかった。今にして思えばマスコミの皆さんに失礼な態度だった。謝りたい」と
      これまで封印してきた本音を吐露した。
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# 561 KKドラフト ⑧

2018年12月12日 | 1985 年 



甲子園通算20勝(3敗)は新学制になってからの最多勝記録であり、恐らくこれからも破られることはないだろう。桑田真澄が技術を超えた何かを持っているのは明らかだが本当に即戦力として来季充分な活躍が出来るかとなると異論がある。巨人は桑田をどう使おうとしているのか?専門家たちは桑田の実力をどう見ているのか?

王発言に匂う内野手転向。キャンプが始まっても、投打どちらか決まらない !?
何本も差し出されたマイクに向かって延々と答える桑田。取り囲んだ報道陣の方から「ありがとう桑田君。もういいよ」と声をかけられるまでジッと寒空の下で対応する姿にマスコミの視線も変わってきた。自分達の前から逃げ隠れしなくなった桑田。「これで今回の桑田騒動も一段落だね」との声が報道陣から漏れた。この様子を伝え聞いた王監督は「大した子だね。指名した後の反響が大きくて心配したけど結局、自分の力で切り抜けてしまった。17歳の少年がなかなか出来ることじゃないよ」と感心した。この精神的なしたたかさに王監督が魅せられたのは今春のセンバツ大会だったそうだ。「僕の気持ちは春から(桑田指名で)ずっと変わっていない。そんなヒントもちゃんと言っていたよ」と王監督は話す。

王監督のヒントとは何だったのか?王監督はドラフト指名に関して「高校生を獲るなら絶対投手がいいよ。特に1位指名の場合はね。僕も川上さんも柴田も皆投手だったろ。投手はツブシが利くんだよ。1位指名されるくらいセンスのある投手は他のポジションをやらせても一流になれるんだ」と常々口にしていた。これを聞いていた報道陣は今ドラフトでは高校生野手の清原を指名せず、即戦力の伊東投手を指名したいとの伏線ではと勝手に解釈していた。甲子園で桑田がバント処理で信じられないような身のこなしでトリプルプレーを完成させた場面を見て「あの運動神経ならたとえ投手で使えなくても野手でいける(王監督)」と確信したという。

しかし決して桑田が投手として通用しないと言っている訳ではない。堀内前投手コーチを見い出し入団させた沢田スカウト部長は「堀内の方がもう少し身体にバネがあったかな。でも手首の柔らかさ、胸の張りは桑田君が上かな」と桑田を堀内クラスと評価。桑田が145km 前後の直球と落差の大きなカーブを外角低目に制球よく決めた時は高校生では打ち崩せなかった。準決勝、決勝と進むとこれにシュートを織り交ぜるシーンも見られた。皆川投手コーチは「充分プロでも通用する。水野のようにズドンという球ではなく伸びとキレで勝負するタイプ。先ずは中継ぎでスタートして夏場以降に先発というケースもあり得る」と。

投球内容についてはこんな話もある。「桑田投手は全体練習後の個人練習でフォークボールを試し投げしている。試合で投げたのを見たことはないが充分使えるレベル」とヤクルトの片岡スカウトは明かす。ただ気になる点もある。それは指にマメができやすい体質だということ。躯体、頭脳、持ち球、野球センスなど、どれをとっても投手として一級品で首脳陣も即戦力と考えているが、意外とこのマメ体質が落とし穴になるかもしれない。「投手をやる前は遊撃手もやってたそうだ。ミートの巧さ、振りの速さも素晴らしく甲子園で6本塁打でしょ。野手でも充分やっていけるよ」と王監督は桑田の野手転向を否定しない。

さて、本誌がある筋から得た情報によると球団は最初から投手をやらせない方針であるという。王監督の発言からも分かるように「野手・桑田」への期待は大きい。それは何故か?そこには巨人というより読売上層部の意向があるという。巨人軍の歴史上、投手で本当のスター選手となったのは沢村栄治ひとり。過去に大投手と呼ばれた投手は確かにいた。史上初の完全試合を達成した藤本投手や剛腕・別所投手、九連覇のエース・堀内も川上や王・長嶋あってこそという考えで、あくまでも野手が主役と考えている。数試合に一度しか登場しない投手ではなく毎試合に出場する野手、それもファンに近い内野手にスター選手が必要なのだ。そこで桑田を2~3年後にはクリーンアップを任せられる遊撃手に育てようと読売上層部は考えているという。



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# 560 KKドラフト ⑦

2018年12月05日 | 1985 年 



西武に1位指名されたPL学園・清原和博内野手は12月2日にも西武入りを表明する。この30年に1人という超大物を西武はどういう受け入れ態勢で待っているのか?また清原という素材が西武に何をもたらすのか?本誌評論家としてお馴染みの森昌彦氏の監督就任が確実になったこともあり、ますます清原という存在が興味あるものになってきた。

西武は器に相応しい教育をするチーム
パ・リーグの球団に指名されたら拒否して日本生命入りすると言っていた清原選手。ドラフト会議で西武に指名されて成り行きが注目されていたが、どうやら西武入りへ動き始めた。西武の浦田・鈴木スカウトが11月26日に清原本人と両親に会い指名の挨拶をした。「僕に西武のことを事細かに聞くんだ。球場や合宿所の写真を見せると身を乗り出して質問責めだった」と浦田スカウトは交渉の雰囲気を明かして西武入りへ手応えを感じたと語った。清原本人も心は既に西武の一員のようで「背番号は高校の時と同じ『3』がいい」と言ったという。清原の西武入りは確実のようだが、高校通算46本塁打・甲子園13本塁打の逸材を西武はどう育てていくのだろうか?

「高校生といっても我々は即戦力に近い評価をしている。実戦でどんどん使えば早い時期に中軸を打てる打者になるだろう」と話すのはチーム編成の元締めであり抽選で清原を射止めた根本管理部長。「選手には自ずと器がある。指導者はいち早くそれを見抜いて相応しい器を与えなければならない」が根本部長の持論。器とは投手なら先発・中継ぎ・抑え、打者なら打順を意味している。つまり将来四番を打つ打者は最初から四番の座に慣らしていかなければいけない、という事だ。だから打線の中軸候補だった秋山選手は1年目から二軍の四番だった。昨年のドラフト1位指名の大久保選手もまた二軍でクリーンアップを外れる事はなかった。


一塁・清原、三塁・秋山でON砲の再現狙う
しかし根本部長は持論を曲げてこうも言う。「清原は早い段階で一軍に上げて六・七番あたりを打たせて実戦で鍛えるのもいいかもしれない。四番の器に据えるのはそれからでも遅くない」と。二軍から育てた秋山や大久保と違っていきなり英才教育を施す可能性を匂わせた。つまり清原に対しそれだけ高い評価をしている。「長打力、右方向へも打てる技術などどれをとっても何十年にひとりという逸材。おまけに野球に対する情熱も並みじゃない。話をしてみてそれが痛いほど伝わってきた」と浦田スカウトも惚れ直す。打撃に関して異論を挟む者はいない。では高校時代はほぼ一塁しか守っていなかった守備に関してはどうだろうか?

「身体 (186cm・91kg) の割に柔軟性もあり器用だよ」とスカウトから報告を受けた根本部長は言う。本職は一塁だが他にも三塁や外野も守れる。甲子園で投手として登板したのは御愛嬌だろうが守りに関しても野球センスを感じる。根本部長は「練習すれば何処を守らせても一軍レベルに到達するのも早いだろうが打撃を生かすには慣れた一塁がいいかな」と話す。折しも今季一塁を守ったスティーブ選手の去就は未定。新外人次第で解雇される可能性もあり清原にとって願ったりの状況だ。一塁・清原、三塁・秋山はかつてのON砲が巨人の黄金時代を支えたようにAK砲が活躍すれば、数年来の課題であった人気面でも西武にとって希望の星となるのではないか。

そう言えば黒江前作戦コーチが退団会見で記者から「心残りはないか?」と問われて「気持ちは前向きだがひとつだけ心残りがある。清原君を指導できなかったのが残念だ」と答えた。清原とはそれくらいの選手なのだ。去る人がいれば来る人もいる。前ヘッドコーチで本誌専属の評論家・森昌彦氏が次期監督に決まっている。巨人V9の頭脳と言われ広岡前監督の懐刀としてヤクルトと西武でヘッドコーチを務め三度の日本一に大きく貢献した人物だ。西武球団初代監督の根本氏が開拓し、広岡氏が築き上げたものをしっかりと地固めするのが森氏の役目だ。「最近では別格の魅力的な選手だ。引っ張るだけじゃなく逆方向へも大きいのも打てる。並みのセンスではない(森)」と清原を高く評価している。



【清原日誌】
11月26日:西武と初交渉。富田林市の料亭「あき」で浦田チーフスカウト、鈴木スカウトの訪問を受ける。話し合いは2時間に及び「寮の設備は?」「グラウンドは?」など盛んに質問を浴びせる。交渉後の会見で「いい球団やと思います(清原)」と第一声。桑田について聞かれると「特に何もありません。寮で少し話しましたがドラフトに関しては話してません」と。そんな清原が目を輝かせたのは記者から「王監督が指名しなかったのを後悔するような選手になれるか?」と聞かれた時。清原は即座に「そう思います。それを心の支えにしていくと決心しました」ときっぱり言い切った。

11月27日:午後3時過ぎにPL学園のグラウンドで軟式野球部との対抗試合を楽しむ。姉・文代さんの中国旅行土産の人民帽を被ってプレーするなど茶目っ気ぶりを見せた。打ってはタイムリー二塁打、投げては先発した松山主将を好リリーフするなど大活躍。

11月29日:この日は桑田が巨人と初交渉の日とあって周囲はバタバタしていた。清原は授業を終えるとひとり研志寮からトレーニングウエアを着て現れた。記者から桑田について訊ねられると「僕には関係ないっス」と素っ気ない受け答え。黙々とランニングをして寮に戻った。来る12月2日に予定されている西武との2回目の交渉で西武入りを表明するものと推測されている。
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