Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

#128 新人・岡田彰布を巡る阪神の内紛 ①

2010年07月28日 | 1980 年 




鳴り物入りで阪神へ入団した岡田でしたが、プロの投手という敵より大きな壁が自軍の監督でした。
この前年に阪神の監督に就任したのがブレイザー監督でした。南海、広島で日本の野球を経験は
しましたがファンやマスコミ、特に関西での阪神の注目度は前の2球団とは段違いでした。球団は
当然、岡田を前面に売り出したい、片やブレイザー監督はあくまでも実力主義。六大学の人気選手
入団で球団と監督との微妙なズレは春季キャンプの頃には見えていました。

当時 三塁には掛布という絶対的な選手がいましたが、岡田の父の「息子は三塁で使って欲しい」との
無茶な要求を球団はアッサリと了承し一時は掛布が不快感を示すなどチーム内はバタついてました。
岡田の二塁コンバート案で掛布とのわだかまりは消えましたが、今度は監督発案の外野コンバートを
岡田が拒否して監督との冷戦状態が始まりました。岡田の守備力では内野は無理と判断した監督は
現状では控え選手だと球団フロントに告げると 「なんとか使えないか」「外野で八番でもいいので」と
フロントが懇願し妥協策としての外野コンバートでしたが岡田が拒否したことで内野の控えになる事が
決定しました。

オープン戦が始まっても先発で使われる事は無く途中出場した試合でも右翼・一塁・三塁とタライ回し
状態。一方、球団の反対を押して獲得した前ヤクルトのヒルトンや加藤一博など、ガッツを前面に出す
タイプの選手には多くの出場機会が与えられました。ブレイザーは「代打は左の藤田、右の中村勝が
切り札。この後にも榊原、大島もいるから岡田は代打の五番目」と公言していました。控え選手として
開幕を迎えても中々デビュー出来ませんでしたが4月11日の敗色濃厚な大洋戦の9回の裏に代打で
プロ初打席に立ちましたが、平松投手にアッサリと見逃し三振にきってとられました。

その後も代打専門でファンも岡田自身にもフラストレーションが溜まりだした頃に転機が訪れました。
掛布が膝を痛めて離脱した事で三塁が空きました。周りは当然そこに岡田が納まるものだと思ったの
ですが、ブレイザーの判断は外野手の佐野を1年半ぶりに三塁へ、外野には加藤を入れるというもの
でした。これをきっかけに岡田を使ってほしい球団フロントが現場に干渉するようになりました。 常々
ブレイザーは「現場に介入して来たら辞める」と言っていましたが、横浜での大洋戦を控えた移動日に
小津球団社長が大阪から駆けつけブレイザーと会談しました。 表向きはチーム状態の確認という事
でしたが岡田の処遇が主目的である事は誰の目にも明らかでした。

会談後、両者は中身を公表しせんでしたが大洋戦から岡田はスタメンに名を連ねるようになりました。
2人の会談前 遠く離れた大阪の阪神電鉄本社・田中オーナーの記者に対して「明日からはテレビを
見る楽しみが増えますなぁ」発言はフロントの現場介入を示唆したものでした。常々現場への介入は
監督失格の烙印だと言っていたブレイザーは阪神を去ることになります。





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#127 1980年版 新戦力 

2010年07月21日 | 1980 年 
クラウンライターからの移籍選手






加藤も真弓も移籍組ですがライオンズ時代はメディアへの露出が少なかったせいか
阪神でのプレーの方が印象に残っています。加藤は「江川キラー」が売りの叩き上げの
選手&明るいキャラクターで人気者でした。指導者としても期待されましたが、早すぎる
死が惜しまれます・・





サモアの怪人


この頃の日ハムが獲得した外国人選手は当たりが多く、もう一人のクルーズと共に活躍して
球団初優勝に貢献しました。





現役メジャーリーガー


球団創設以来、助っ人外国人はハズレばかりでしたが、このスティーブは当たりでした
もっともシカゴ・カブスの正三塁手で3年契約で2億円の契約金、年俸6千6百万円は
当時では破格でしたので、打って当たり前の選手ですけど

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#126 鬱陶しい野球観

2010年07月14日 | 1980 年 



最近は地上波でのプロ野球中継は減る一方ですが、30年前は高視聴率を望める優良番組
コンテンツで野球中継に批判的な声は少数派でしたが皆無では有りませんでした。 しかし
そんな数少ない意見もメディアは総出で叩きました。



4月24日付け 朝日新聞に「ナイター視聴は時間の無駄使い」という投書が掲載された。 「…やれ巨人が勝った、広島が
負けたとやらに貴重な時間が浪費されていくのは実に勿体ない…」「この2時間半を読書などに使ったら莫大な価値がある
ことに気付いてもらいたい」 一読して投稿者には大変申し訳ないが筆者は「野球というスポーツのもつ醍醐味を分かって
もらえないとは可哀想だな」と同情したものだった。野球嫌いの人に野球の面白さや奥深さ、見る人への心の効用などを
説いても逆効果かもしれないが、埴谷雄高氏の随筆の一文を紹介しよう。

例えば投球の数瞬前に捕手のサインを覗いて頷いている投手の表情と、数瞬後に本塁打を打たれてマウンドの土を握りしめ
叩きつける無念と落胆の表情を眺め続けて見るならば、そこに不安の破局と栄光へ向かってひた走りに走っている時間の一瞬
一瞬の渾池の姿が窺われる。

寥寥たる人影しか見えない外野スタンドでホームランボールを追う4~5人の少年の姿を見て、過ぎ去った自分の人生の一断面を
思い出し、それは不意に昔日の迫真性をもって私に蘇えってきたのであった。テレビ観戦はこの上なく楽しいものだ。そこには活字
文化を越えた豊かな人生の反映がある。

一瞬後には何が起こるか分からない野球。その何が起こるか分からない場合に備えて選手が日夜鍛錬を積んだ成果を見る楽しみ。
そこから学ぶ人と人との連係・呼吸・共同作業。その瞬間にうろたえるのは何故だったかを考えるのも読書からは得られぬ「ひとつの
人生」なのである。


野球をどう見るかは人それぞれ自由ですが、この様な見方は私には「鬱陶しい」と感じられます。以前
「朝まで生テレビ」という番組内でスポーツライターの玉木氏が 「門田(南海)が打ち上げた内野フライが
門田と言う武骨で不器用な性格を体言する様に実に美しかった」と滔々と語っていた時に野球評論家の
江本氏が 「したり顔して何を言ってるの、最近 多いんだョこの手の輩が・・アホくさっ」と言ったのを聞き
溜飲が下がる思いをしたものでした。野球選手に物語を求めて叙事詩的に語る必要は無いし、単なる
内野フライに形容詞を付けて美化する気も、野球から人生訓を学ぶ気も有りません。野球は数多くある
娯楽の内の一つに過ぎないと思っています。真夏のナイターを冷房の効いた部屋でビールを飲みながら
懸命にプレーする汗だくの選手や監督に罵声を浴びせる・・そんなモンです、プロ野球は。

記事の中に書かれている「野球の奥深さ」についても、個人的に心理戦や知恵比べには全く興味は
無いです。根が単純なので「裏のウラ」などの駆け引きはどうでも良くて「チカラ比べ」が好きなのです。
南海時代の江夏投手が野村捕手は1点リードの9回2死満塁フルカウントの場面で敢えてボール球を
要求しサイン通りにボール球を投げたら空振り三振が取れ改めて野球の奥深さを知ったと言ったのを
聞いた時も 「ふ~ん、だから何? 鬱陶しいんだよ」と思ったりしてました。 手も足も出ない剛速球、
桁外れの怪力で飛ばす場外ホームラン・・それで充分です。
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#125 まだまだ主役のベテラン選手たち

2010年07月07日 | 1980 年 


この頃のカープは黄金期でした。もう一方の雄、山本浩二はカープの監督に招聘され
ましたが、この衣笠は監督どころかコーチにすらなっていません。オーナーの松田家と
確執があるとの噂を耳にした事もありますが、他球団からも声がかからないと言う事は
何か他に理由があるのかもしれません。













村田兆治、有藤、張本、リー兄弟・・・さらに入団2年目の落合と、ロッテは魅力的な球団で
前期優勝も成し遂げたのに、パ・リーグの悲哀のせいか球場は閑古鳥が鳴いていました。








この谷沢にも監督の声がかかりません。他には大洋OBの平松も同様です、実績は
申し分ないのに不思議なものです・・・








福本は・・監督やコーチをするよりも、テレビで笑える解説をしてる方が向いているかも
ただの関西弁のオッサンだもんなぁ、ただし全国ネットには不向きですが。







ところで息子の田淵アナはまだ病気療養中なのでしょうか? 頑張れタブチくん!
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