Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 585 10大ニュース ➎

2019年05月29日 | 1985 年 



熱しやすく冷めやすきはトラフィーバー
「お祭りは来年4月までお休み」というこの割り切りが大阪流

ザッと見積もっても250億円。何の数字かと言えば阪神が日本一になったお蔭で阪神グループが手にした額である。リーグ優勝と日本シリーズ勝利の二度に渡るバーゲンで阪神百貨店は約50万人を集客し104億円を売り上げた。これが阪神フィーバーの最高潮だったといえる。かつて「もしも阪神が優勝したら大阪の街は大変なことになるで」と冗談半分に囁かれていたが現実となった。ただ幸いだったのがペナントレースも日本シリーズも優勝を決定したのがいずれも甲子園ではなく敵地だったので、狂喜したファンが道頓堀川にダイビングする程度で済み当初予想された程の大混乱には至らなかった。

さて、フィーバーとは熱を意味するからいつかは自然と冷める。日本一の瞬間がフィーバーの絶頂で、それを境に予想外に早く大阪の街は普段の顔に戻った。「今年の阪神はお祭りやった。来年の開幕まで祭はお休みや」と熱心なトラキチはこう表現した。21年ぶりの優勝、しかもその勝ち方が型破りとあって未曾有の大フィーバーとなった。阪神球団の念願だった観客動員数200万人を優に超える260万人を記録し、巨人に追いつき追い越す勢いを見せた。しかし中村球団管理部課長は「来年は厳しいちゃいますか」と苦笑した。ホクホク顔の球団が何故そんな心配を?「今年は何もかも特別なんです。地に足が着いた人気ではない。今年のような首位争いを4~5年続けられれば本物の人気球団になれる(中村)」と。




森新監督を選んだ西武の㊙事情
堤オーナーのサゼスションと戸田社長の決断が全てだった

西武球団の三代目監督に森昌彦氏(48)の就任が決まり、12月5日に正式発表された。広岡前監督の突然の退団から約1ヶ月で下馬評では高くなかった森氏になぜ白羽の矢が立ったのであろうか?この間、様々な人物の名前が浮かび消えていった。広島の監督を辞した古葉竹識氏。元巨人軍監督で常に去就が注目されている長嶋茂雄氏。昨季で現役を引退した際には堤オーナーから「いずれ西武の監督に」との約束手形を得た田淵幸一氏。はては大リーグの名物監督でニューヨーク・ヤンキースの前監督のビリー・マーチン氏の名前などが並んだ。こうした大物の名前が列挙された背景には広岡氏という名将の後釜に相応しい人物をという思いがあった。

4年間で三度のリーグ優勝、二度の日本一という実績を残しながら人気という点で球団として広岡監督では満足できなかった。なので次期監督には人気のある人を求めた。前述の候補者の中でビリー・マーチンは噴飯ものだが他の3人の可能性は無くはなかった。古葉氏には昨年来、幾度も接触した形跡がある。東京進出を狙う古葉氏にとって願ってもない話だったが、広島の監督を辞した直後でもあり道義的にも受けられる話ではなかった。田淵氏にも確かに交渉している。しかし返事は「ノー」だった。ネット裏での勉強も1年では不足であり、自宅を埼玉・小手指から東京・杉並に移したばかりで経済的にも副業を自由に出来る評論家生活の続行を希望。長嶋氏には接触した形跡はなくマスコミの希望的観測だった。

マスコミ報道が過熱し始めると「人気云々はマスコミさんが騒いでいるだけ。我々は勝てる人を望んでいる」と戸田球団社長が発言し彼らの名前は消えた。和田博美・土井正博両コーチの内部昇格説が台頭してくる中、西武球団内では森氏に一本化しつつあった。森氏に絞る決め手となったのは退団が決まった広岡前監督と堤オーナーが会談した11月13日に堤オーナーが発した「次の監督は広岡野球を継承できる人」という発言。戸田社長・坂井球団代表・根本管理部長が連日協議を重ね「広岡野球を継承・若手育成」の観点から、日頃から森氏の頭脳を活かせないかと考えていた戸田社長のイニシアチブのもと、広岡野球の事実上の推進役だった森氏に決定したのである。
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# 584 10大ニュース ➍

2019年05月22日 | 1985 年 



草魂から魂が抜ける時・・・
それにしてもこんなにアッケラカンとした引退でいいのかな、鈴木さん

「ワシに記念のボールがいるとしたら、それは最後の登板の時のボールだけでええ」と常々口にしていた鈴木啓志氏。通算300勝の記念ボールもあっさりとスタンドへ投げ込んでいた鈴木氏。その " 鈴木投手 " が7月3日のボールは誰にも気づかれないようにグローブに隠してロッカールームへと持ち帰った。つまりそれは引退を決意した事を意味していた。後楽園球場での対日ハム11回戦は実に3週間ぶりの登板だった。万全の調整をして云わば満を持して、いや背水の陣での登板だったが結果は惨めなKOだった。実際はその3週間前に既に気持ちは切れていたのを本人も感じていたが、なんとか修復しようと努力したが無駄だった。

その一週間後、大阪・上本町の近鉄本社で佐伯オーナーに引退の決意を報告、そのまま記者会見に臨んだ。投げたらアカンって言うてたのは誰や!もっと投げて欲しい・・全国からファンの声が殺到した。また目前に迫ったオールスター戦には全パ・上田監督の粋な計らいで監督推薦で出場が決まっていて、多くのファンが球宴での登板を花道に、と願ったが本人は「草魂から魂が抜けたらただの草。戦いの場に魂の抜けた人間は相応しくない」と球宴出場を辞退した。ストイックなまでの厳しさ、己に対する厳しさがあっての現役20年、通算317勝だったのかもしれない。結局、近鉄球団初の引退試合までも断り、自分の美学を最後まで貫き通した。

あれから5ヶ月余り、鈴木氏は講演・評論活動に全国を飛び回り目が回るような忙しい毎日を送っている。「引退して体を動かさなくなったら食欲が落ちて体重が減ってしまった。お腹まわりも引っ込んでズボンが緩くなってしまったよ」という笑顔にも屈託がない。「未練?全くないよ。やり残した事はないと思ったから引退したんや。現役の選手を見る度にようあんな怖いことをしとったな、と体が震えるくらいや(笑)」と。未練があるのはむしろ鈴木氏の周囲を取り巻く人たちの方かもしれない。看板選手を失って観客動員がガタ減りの近鉄であり、記事になるスターの穴を埋めるべく四苦八苦するマスコミであり・・・。しかし近い将来、鈴木氏の近鉄監督就任のニュースが世の中を駆け巡るのも間違いはなさそうでる。




あぁ、コミッショナー不在・・・
野球協約も知らない一部オーナーの専横がプロ野球をダメにする

下田武三前コミッショナーは職を辞す意向を明らかにしてもなお精力的に仕事を続けた。非公式に来日した大リーグの新コミッショナーのピーター・ユべロス氏とも会談し、今後も日米野球界は強力な連携を取ることを確認し合った。その会談の中で下田氏はメジャーリーグ選手組合の幹部とユべロス氏が食事を共にしていることを知り驚いた。「かつてのようなお互いを敵視することなく話し合いの場を設けているユべロス氏はさすがだ。考え方が若い(下田)」と感心した。それを聞いたユべロス氏は「日本の野球は正直言ってまだメジャーリーグに追いついてはいない。しかしアメリカが日本に学ばなければならないこともある。それはチームに対する忠誠心だ。自分が所属するチームへの熱い思いこそ日本球界の財産だ」と。

日米間の緊密な関係維持の約束を取りつけて下田氏はコミッショナー職を辞した。「プロ野球界は独特な縦割り社会。もっと横の連絡を密にして視野を世界に向けなくてはならない。第三者の意見を聞く耳を持って欲しい」この発言はプロ野球創立50周年記念式典で、今日の繁栄を築いた先人の苦労を称えた後に呈した苦言である。プロ野球界の閉鎖性を危惧して任期満了で下田氏が辞してから1年、プロ野球界は未だに新たなコミッショナーを選定していない。この間、「コミッショナーなんて必要ない。いなくたって日本のプロ野球機構は問題なく機能してるじゃないか」という何とも無責任な発言をする " 妖怪たち " の声がプロ野球界を支配してきた。

そんな妖怪について某球団代表が「コミッショナーの座を空白にしておくのはおかしい、との意見は正論ですよ。でも現実問題として『俺たちに意見するようなコミッショナーなんて必要ない』と発言するオーナーが1人や2人じゃないんですよ」とこっそり教えてくれた。お金は我々が出している。何をやるにも自分たちが出した資金がなければ動けない。なのに我々の言動を縛るとは何事だ。コミッショナーは事務的な処理をする番頭役でいいんだ、これが一部オーナーの言い分だ。しかし時代は動いている。オーナーたちには寝耳の水の選手会による労働組合への動きに対応できず、代わりに川島・福島両セ・パ会長が仕切る。それを良い事に一部オーナーは「コミッショナー不在でも問題ない」とうそぶく。もはや末期状態だ。
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# 583 10大ニュース ➌

2019年05月15日 | 1985 年 



落合二度目の三冠王の本当の価値
誰も言わないけれどこの人はON、そして張本よりエライのだ

今シーズン開幕前に「今年は三冠王になってカミさんの御披露目をやろうと思っているんだ」とブチ上げていた落合選手。終わってみればその言葉通り三冠王に輝いた。打率.367 は広瀬叔功(南海)の打率を1厘上回る右打者として最高打率。また52本塁打は野村克也(南海)と並ぶタイ記録。更に146打点はパ・リーグ新記録で王選手と並ぶ二度目の三冠王に花を添えた。ちなみに昭和48年に王が達成した三冠(打率.355・51本塁打・114打点)の数字ををいずれも上回った。そして去る12月12日に東京・港区白金台の八芳園で三冠王を祝う会が催され予告通りに信子夫人を御披露目し「来年は三度目の三冠王を獲らせてもらいます」と高らかに宣言した。

ひょっとしたら打つことにかけては、あのONや張本を凌ぐ打者かもしれない。いいやONと張本の良い所を足して「3」で割ったのが落合なのかも。そう思わせるほどの怪物なのだ。落合の怪物たる所以は右打者という " ハンデ " を乗り越え四度も首位打者に輝き二度も三冠王を獲ってしまったこと。日本最高打率は張本が昭和43年にマークした3割8分3厘だが、落合に言わせれば右打者は左打者に比べると一塁までの距離が遠く損をしていると。また単に距離だけではなく左打者はスイングの一連の流れで一塁まで走れるが右打者はスイングした後に改めて一塁方向に走らなければならず時間のロスも大きい。よって内野安打を稼ぐには明らかに左打者の方が有利だという。

「左打者は一塁方向へ走りながら打てるからね。右打者は打った瞬間に三塁方向へ身体のベクトルが向く。そこから体勢を立て直して一塁方向へ走るんだから左打者との差は1歩や2歩じゃ済まない。打率にしたら左打者のほうが2~3分は得なんじゃないかな。本塁打数は減らないけど打率はアッという間に落ちるからね(落合)」と。これは至極もっともな意見で、プロ野球がセ・パ2リーグ分裂後の首位打者を見れば一目瞭然。首位打者のタイトルを二度以上獲得したのは川上・王・張本・谷沢ら左打者が8人なのに対し右打者は長嶋・中西・落合の3人だけ。つまり落合は右打者としては文句なくナンバーワンなのだ。打率に関してはあのミスターも及ばない選手なのである。




大阪で嫌われた !? バース
ナニワっ子は岡田びいき。外人はしょせん外人だった

バース選手がプロスポーツ大賞に選ばれた。シーズンと日本シリーズのMVPなど一人で賞を独占した格好になったバースだが、その極めつきがこのプロスポーツ大賞だ。野球に限らず全てのスポーツ選手の中からナンバーワン選手のお墨付きを得た。ちなみに次点は阪神・吉田監督だった。バースの活躍はこの受賞で全て言い尽くされたといって良いだろう。バースがいなければ日本中を沸かせた阪神フィーバーは生まれなかった。巨人と並ぶ人気球団を初の日本一に導いた男は球界の発展に寄与した貢献者と言っても過言ではない。猛虎ファンが「神様・仏様・バース様」と仰いだ優勝の立役者。その人気はシーズンオフになっても衰えるどころか増すばかりだ。

「これでようやく静かに暮らせるよ」とMVPの連盟表彰式を終えたバースは帰国する際に本音を漏らした。行く先々で神様のサインを貰おうとファンが群がり大騒ぎとなる。また滞在先を写真週刊誌にマークされるなど過剰気味な人気に少々ナーバスになっていただけに、やっと日本を離れられるとホッとしたようだ。そのバースが最近「来年は阪神でプレーするけどその先はアメリカでプレーしたい」と話したと伝えられた。足と守りに不安はあるものの今季の活躍が複数の大リーグ球団の目に留まり、代理人を通して接触があったようでバース本人もその気になって、大リーグ復帰を本気で考えているようだ。

神様・仏様・バース様と拝まれたところで所詮は出稼ぎ外人。特にオクラホマでそれほど裕福な少年時代を過ごした訳ではないバースはハングリー精神が旺盛。医者一家で恵まれた環境で育ったゲイル投手は常に朗らかでナインから親しまれているのに対し、バースは野球をビジネスと割り切り、同僚とも距離を置いていて対照的だ。大阪は排他的な一面がある土地柄。実績では劣る岡田選手が掛布選手と同列に扱われるのも岡田が大阪の下町育ちだから。千葉出身の掛布も一時はそんな大阪気質に悩んだほどだ。「外人のお蔭で阪神はやっとこさ優勝できた、と言われるのが悔しい。来年は岡田がMVPを獲って連覇して欲しい」が浪花のトラキチの代表的な声である。
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# 582 10大ニュース ➋

2019年05月08日 | 1985 年 



広岡サンと根本サンの大喧嘩の " 真実 "
「あんた頭おかしいんやないか」 vs 「それは退団の捨てセリフだな」

11月6日の昼下がり、療養先の長野県諏訪市にある諏訪長生館を発った広岡氏は愛車のBMWを中央高速へと走らせた。9日に予定されていたスタッフミーティングまで戻らないつもりだったが、急遽東京に戻る事となった。理由はかねてから球団に求めていた戸田博之球団社長との会談が組まれた為であった。来季以降のチーム作りに対する自分の考えを堤オーナーまたは戸田社長に訴えたい機会を求めていた広岡氏の願いをやっと球団側が了承したのである。会談の場は港区の新高輪ホテル。広岡氏は自宅へも寄らずホテルに勇んで直行したが戸田社長の反応は冷ややかだった。「球団の事は全て(管理部長の)根本に任せてある。話は根本にしてくれ」とにべもなくあしらわれた。

西武球団には " 堤 - 戸田 - 根本 " の厳然たるヒエラルキーが確立されている。堤オーナーの全権を受けて根本管理部長が球団編成にあたっている。何びとたりともこの指揮命令系統を侵す事は許されず、それを無視しようとした広岡氏に戸田社長が企業論理のイロハを説いたのは至極当然の事であった。広岡氏は翌7日に池袋のサンシャインビル54階の球団事務所に場所を改めて根本部長との会談に臨んだ。午前10時から始まった会談は1時間で終了し「来季に向けて前向きな話し合いをした(根本)」、「忌憚なく話し合った。有意義な会談だった(広岡)」と二人は口を揃えて円満な会談だった事を強調した。成り行きを注目していた報道陣は肩透かしを喰らい、一斉に『広岡監督続投』のニュースが流れた。

ところが実際は全く逆だった。両者は会談の冒頭から対立し、時には激高し怒鳴りあう場面もあった。チーム編成権における監督権限の拡大を要求する広岡氏に対し根本部長は全面的に拒否。加えて広岡氏が夕刊紙の記者を使ってフロント批判を繰り広げた真意を問い質すなどして対立は決定的となり話し合いは決裂した。遂に広岡氏は根本部長に向かって「あんた頭がおかしいんやないか」と毒つき、対する根本部長も「そこまで言うのは退団するという事だな」と返した。明けて8日、広岡氏は辞表を提出し球団は受理した。表向きの理由は体調不良だが実際は企業論理を逸脱した事への懲罰的解任だった。西武球団は広岡氏へ功労金五千万円を贈ったが来季は他球団のユニフォームは着ない、特定球団と関わりを持たないとの一筆を入れさせた。



定岡クンに舐められ切った?球界
本人も予想しなかった退団後のモテぶりにポスト江本を狙うんだってサ

巨人のユニフォームを脱いだらただの人。退団が決まった当時は定岡氏は球界内外からそう評されていた。だが意外や意外、モデルやタレントとしての勧誘・照会が後を断たない状態が現在も続いている。「現役の時より毎日が忙しい。色々な分野の人から引き合いがあって話を聞くだけで1日が過ぎてしまう」と定岡氏本人も驚いている。トレードを拒否しての引退は単なる我が儘で球界内部には巨人はもとより相手球団にも迷惑をかけた、との批判は多い。当初は定岡氏もそんな視線を意識して「もう球界と関わる仕事はしません」と宣言していたが、12月に入りハワイでの休暇を終えた後には「野球と関係のある仕事を主にしていきたい。解説者の話も来ています」と前言を翻した。

予想外のモテモテぶりに定岡氏は意を強くして「別に僕が後ろめたい思いをする必要はない」と開き直った感じである。「サダはお金についてもホントにしっかりしているよ。着るモノも安い服を着こなしで高級そうに見せるのも上手いし、ホテルとかレストランも一流どころは利用しないし無駄遣いはしないね」というのが巨人ナインの定評だ。したがって「方々の貯金を集めたら結構な額になった(定岡)」そうで、1億円くらい?の問いかけには笑顔で否定しなかった。また一時は売りに出すと言われていた東京・瀬田の1億円豪邸も「今月中に引っ越して来年からは『定岡企画』の事務所を兼ねる事になります」と経済的にも全く心配する必要はないようだ。

テレビのクイズ番組の出演やインタビュアーの依頼が次々と来る。最終的には江本孟紀氏のようなマルチタレントの座を視野に入れているようだ。恥をかかされた形となった巨人軍の某フロントは当初は「定岡のキャリアでは解説の仕事は無理。話術が必要なインタビュアーも難しいでしょう」と言い放っていたが実際は違う様相を呈している。「今は時代が変わってきた」と話すのは2年前に巨人を退団した中井康之氏だ。「僕クラスでも野球教室やインタビュアーの仕事の依頼がある。その道を究めた大物より気軽に使えて素人の発想に近い人間の方が視聴者受けが良いと局側も考えていると思う(中井)」と。定岡氏も江本氏や板東英二氏に次いでテレビや雑誌に登場する機会が増えそうだ。
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# 581 10大ニュース ➊

2019年05月01日 | 1985 年 



'85年のプロ野球、全く色々なことがありました。トラが21年ぶりに優勝したと思ったら巨人が " 桑田ジャック " 。三冠王が同時に誕生したのもビックリだった。古葉ちゃんがシーズン中に引退表明したら広岡サンもシーズン後にケンカ別れで続いた。全くもってドラマティックな1年だった。そんな '85年をちょっぴり意地悪な目で振り返ってみると・・・


桑田・清原が最大話題という球界の貧困
巨人がしっかりしないから高校生たちが主役になってしまうのだ

ぶっちゃけた話をすれば週刊ベースボール編集部は巨人が桑田を指名してくれて「シメタ!」と小躍りした。「事件だ!これで賑やかになる」が本音だった。ついでと言ってはなんだが清原を指名したのが西武だったのも良かった。失礼ながらこれがロッテや南海だとちっとも面白くない。球界の盟主の座を争う両球団だからこそ話題に事欠かない。その期待通り今オフはKKコンビの話が本誌のみならず各スポーツ紙やテレビを賑わせた。なんでこんな事になったのか?そう、全ては巨人のせいなのだ。球界最大の主役であり同時に最大の仇役が勝てない、選手にやる気がないでは応援する方もアンチも面白くない。せっかくライバル・阪神が優勝したのに巨人があの体たらくでは片手落ちなのだ。

しかしまぁ、阪神以外に目立った話題がなかった今年の球界を賑やかにしてくれたKKコンビには編集部としては感謝しないと。桑田は12月3日に契約金六千五百万円・年俸四百八十万円(金額は推定)で巨人入りが内定した。巨人の高卒新人としては球団史上最高額の条件だった。加えて堀内前コーチの背番号『18』が用意されているという厚遇ぶり。球団としてはドラフトで強行指名し、その後の騒動で迷惑をかけた罪滅ぼしといったところだろうか。ただし、これだけの厚遇にも桑田はあくまでもクール。どんな選手が目標か、と問われると「西武の東尾投手です」と答え、あえて江川や西本の名前を挙げないところが桑田らしい。

一方の清原は12月12日に西武入団発表。こちらは桑田を上回る契約金八千万円・年俸四百八十万円で契約。契約金八千万円は昭和56年の原と並んで球界最高額である。背番号は憧れのミスターと同じ『3』に決まった。「ポジションはどこでもいい。与えられた場所でベストを尽くします。とにかく怪我をしないよう気をつけて開幕一軍は勿論、レギュラーを目指します(清原)」と意欲充分。シーズン中は宿敵・阪神の後塵を拝し、Aクラスぎりぎりの3位に終わり、シーズンオフも定岡投手のトレードを巡って不手際を露呈し球界内外から苦言を呈され続けた今シーズンの巨人。良くも悪くも巨人が目立たないとプロ野球は面白くない。




吉田監督の " 成功 " と王監督の " 失敗 "
阪神も巨人も選手の体質は中小企業。吉田はそれを知り、王は知らなかった

「我々はチャレンジャー。全員一丸となって・・・」これは吉田監督がよく口にする台詞だが、そのまま中小企業の社長の台詞にも当てはまる凡庸なものだが日本一の監督が口にすると一気に深遠かつ高級な台詞に生まれ変わった。こういう一種の芸当が出来るところが吉田監督の秀でたところだ。阪神の主力選手がシーズン中に「毎日毎日、チャレンジャーだ全員一丸だと聞かされ続けるとそんな気がするようになる。ヨッシャやってやろうという気になるから不思議」とよく話していた。阪神にはこれまで幾多の監督が就任したが、本当の意味での管理能力を備えた監督は藤本定義氏以降はいないに等しかった。

吉田監督が " 成功 " を重ねれば重ねるほど対照的な話題として引っ張り出されたのが " 失敗 " した巨人・王監督。巨人の選手も阪神の選手同様に体質はトップダウン命令式の中小企業体質なのだが、王監督は選手を大人として扱い細かな事まで管理しなかった。王監督は本誌12月2日号の中で「吉田監督もここまでの好結果が出るとは驚いているのでは?」と冗談めかしていたが、本心は「ひょっとしたら吉田監督のやり方が正しいのかも」と思っているのではないか。来季の王監督の変貌にも期待したい。それにしても本来なら選手が主役であり、裏方であるはずの監督が目立つようではプロ野球界の正しい姿であるとは言えない。
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