Haa - tschi  本家 『週べ』 同様 毎週水曜日 更新

納戸の奥に眠っている箱を久しぶりに出してみると…
買い集めていた45年前の週刊ベースボールを読み返しています

# 334 大山鳴動して…

2014年08月06日 | 1983 年 



契約更改で揉めて昨年12月末に球団から突然の解雇通告を受けた事を不服としてパ・リーグ連盟に提訴し、場合によっては法廷闘争も辞さないと言っていたロッテ・高橋博士選手。パ・リーグ会長もロッテ球団の手落ちを認めて2月18日に今季の契約を済ませたが1ヶ月後に一転して球団は高橋選手の任意引退を発表した。一体何が起きたのか?

契約条件が折り合わず保留選手になっていた高橋を突如、自由契約選手にしたロッテは確かにまずかった。これに対して高橋が弁護士をたてて法廷闘争も辞さないと身構えたのは当然である。ロッテの選手会は当初、高橋と球団の間に入り仲介の労を取ろうとしたが法廷に持ち込みたいとする高橋の意向を知り身を引いた。それは問題が厄介になったから逃げた訳ではなく、選手会としては寧ろこの問題が法廷闘争に発展して欲しかったのである。それはロッテ選手会だけではなくプロ野球選手会の総意でもあった。野球協約には多くの問題点があり、職業選択の自由を奪っている条項もあり選手会は不満を持っている。身近な所ではオールスター戦に出場した際の報酬が少ない事。その理由は収入の殆どが野球機構側に吸い取られているからだ。高橋の件が法廷で論じられるとこうした野球協約の不備にもメスが入る可能性もあり、選手会側はそれを期待していたのだ。

ところが事態は選手会の思惑とは違う方向に進んだ。法廷闘争に持ち込まれたくない連盟側が懐柔策を繰り出し何とかリーグ内で処理しようと動き始めた。ロッテ球団と高橋の間に入り和解するように勧め、2月18日に迷惑料を含めて推定年俸1137万円で再契約し一件落着した。ところが事態はこれで終息しなかった。混乱の責任をとって辞任した石原球団代表に代わる高橋新球団代表、山本監督、土肥二軍監督の三者が3月21日に会合を持ち「今更戻って来て貰っても困る」と復帰に反対したのだ。

この事は直ぐに高橋に伝えられ東京・本郷にある文京綜合法律事務所で代理人の友光健士、安田寿朗弁護士と共に記者会見に臨んだ。復帰反対が現場の意見の総意であれば仕方ないとして、表向きの理由は「キャンプも不参加で体力的に不安である」として任意引退を表明した。高橋球団代表は「それなりの償いをさせてもらう」として当面の生活費や功労金と称して年俸の 2/3 にあたる750万円が支払われたと言われている。本来なら昨年の年末に一銭も手にする事もなくクビとなっていただけに、結果としてそれ相応の額を得た高橋が一番得をしたのは事実。

高橋が復帰を断念した一番の理由は同僚たちの白けた視線だった。今回の問題が選手会は野球協約の不備を、ロッテの同僚は施設等など待遇改善の機会になればと願っていたが何一つ変わらなかった。期待が大きかっただけに落胆度も増した。更に高橋が復帰の為のトレーニングを怠っていた事も不評を買う原因のひとつだった。それよりも今回の件で強く印象づけられたのは選手会が機会があれば野球協約の中身を変えたい(選手側からすれば『改正』、経営者側からは『改悪』)と考えているのが如実となった事。選手会の中には虎視眈々と大リーグのフリーエージェント制度導入を狙っている動きがある事を付け加えておく。
コメント
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