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見たい番組が、これといって、ないのに、、、、
テレビのチャンネルを、ガチャガチャ回していたら、
こんな画面が・・・・・現れた・・・。
あれ!
回転だ。
スキー、の回転競技だ。
わー―い!!
懐かしい。ナツカシイ!
遠い、遠い昔、はるか遠い、遠い昔、の少年時代。
記憶の中で、小さく、小さくなった、僕の少年の頃 が、かすかに蘇った。
思い出すと、なぜか、
僕の心に、かすかに小さな痛みが、キュンと走った。
僕は、少年時代、
8才から13才までの6年間、雪国で育った。
父の転勤で、長野県須坂町から、
北海道の、雪の深い山村へ移ったのだ。
硫黄を採掘する鉱山部落だった。
父は硫黄採掘会社の経理担当だった。
「北海道有珠郡壮瞥村字黄渓」
深い山の中で、
渓流を挟んで、広がる斜面に、その部落はあった。
渓流を流れる水は、硫黄で黄色く染まっていた。
アイヌ語で、「黄渓」とは、
”黄色い河” という意味だと、後で知った。
今頃は、雪が、5メートルぐらい積もって、
村は一面、真っ白い世界だ。
8才の僕は、学校から帰ると、すぐ裏の山の斜面を、
毎日、スキーを履いて、滑っていた。
村の大人たちの滑る姿を見て、
真似をして、滑り方を覚えた。
当時、猪谷千春という回転の選手が、
オリンピックで銅メダルを取った。
僕は、猪谷千春選手に憧れた。
また、トニーザイラーというスキーの選手にも。
「白銀は招く」という映画の画面で、
滑走するトニーザイラーを見て・・・。
とにかく、滑走する姿を見て、真似をした。
猪谷千春も、トニーザイラーも、
ジャンプ・クリスチャニア、という、曲がり方、をしていると、
スキーがうまい大人のおじさんから聞いて、まねた。
小学校6年生の時、
村のスキー大会、回転競技の部で、
僕は優勝した。
回転競技で、オリンピックに出るんだ!という「夢」が生まれた。
その年、雪崩があった。
僕の友の松村君が、その雪崩に会い、生き埋めで死んだ。
僕の家は、裏が山の斜面に面していて、
いつ雪崩が起きてもおかしくない所にあった。
松村君は、3メートルも下の雪の中で埋まって、
窒息死したのだった。
その日、村の人たちと、友達とで、僕も、松村君を探した。
何時間もかけて、やっと、掘った雪の下に、松村君を見つけた。
皆で、雪の中から引っ張り出したのだった。
僕たちは、松村君を担いで、村の小さな病院まで運んだ。
僕は、松村君が、生き埋めになった直後苦しくてもがいた跡を、
雪の中に見てしまったのだった。
その冬の間、僕は、僕の家が、雪崩で埋まってしまう夢を、
何度も見て、脂汗をかいて目が覚めた。
窒息死、の恐怖に、僕は襲われるようになった。
死、よりも、窒息の苦しみ、が怖かった。
たまたま、であった。
中学生になる僕に、父母が、勧めてくれた。
小さな鉱山村の中学校では、勉強が遅れがちだろうから、
東京の母の姉の家に寄留して、都会の中学校に通わないか、
という勧め、だった。
僕は、勉強のことより、
窒息死の恐怖から逃れられる、という思いが、
まず頭に浮かんた。
翌年、僕は、表向きは,遊学のため、
その村を後にして、僕ひとりだけ、
東京の叔母の家に寄留することになった。
父母兄弟にも、窒息死の恐怖、は黙っていた。
(父も母も、もう他界したが、そのことは、 知らないまま、だ。)
僕が生まれて初めて抱いた、
スキーの回転競技でオリンピックに出る、という「夢」を、
僕は、自ら放棄してしまった。
僕 父と僕
「夢」より、「窒息死の恐怖」だった、あの時の僕には。
今も、胸が、キュン、と痛む。
はるか遠くの、遠くの昔、の「夢」・・・・・・。
1000年ぐらい、昔のことのように、思える。
78才ー12才
=「66年前」
なのに・・・・。
キュン、と胸が痛い。
●
「夢」 と 「恐怖」。
「憧れ」 と 「逃亡、放棄」。
―12才の僕
●
「夢」 と 「老い」
「憧れ」 と 「戦い、戦う」
―78才の僕
●
≪ キュン、と痛い ≫
≪ 痛いから、僕は、今、戦う ≫
✙♪