本当に、お久しぶりです。
気づいたら、「新年の挨拶」以来、ブログを、休筆していました。
もう、4月も下旬。
近所の公園の桜の花も散って、若葉が、みずみずしい、
いよいよ、新緑の季節です。
去年と変わらない風景です。
が、
横浜が、東京が、日本が、世界が、大変なことになっています。
コロナウイルス。
ここ3か月、毎日、新聞、テレビの報道は、
日本の、世界の、感染者数と、死者数を報じています。
僕が生まれた75年前までの4年間の第2次世界大戦、以来の、
それ以来の、世界的規模の、ウイルス戦争、です。
100年前は、ヨーロッパで、ペストが流行、
何百万人もの死者が出ました。
カミユという作家が、「ペスト」とい小説を、発表しました。
150数年前の江戸時代末期、
アメリカのミシシッピー号が日本に寄港しました。
船員が、江戸の町を闊歩しました。
やがて、江戸の庶民が、コロコロと、死んでゆきました。
皆、コロコロ病だ、と恐れました。なんと8万人が死にました。
後になって、わかったのですが、
コレラ、だったそうです。
今の、コロナウイルス、と同じ、正体不明の疫病に、江戸庶民は、
右往左往したでしょう。
さて、
あなたは、毎日、どんな生活ぶり、ですか。
この「非常事態宣言」下で。
人に会わない。外出を控える。家にこもる。
不要不急の外出や、面会は、控える。
それぞれの立場や年齢で、それぞれの悩み、苦痛、不安、が、あるでしょう。
僕は、これまでの生活と、あまり変わらないのです。
19年前、教師を辞めてから、は、不要不急のこと以外は、控えてきました。
「書く」「ギター弾き語る」以外のことは、すべて、
不要不急のこと、にしていたのでした。
すべて、といっても、町民としての、国民としての、基本的義務役割は、
不要不急のこと、とはしませんでした。
先人たちが築いてきた民主主義の精神、自治の精神は、実践しよう、と
してきました。
今になって、気づかされたことは、不要不急のことを、俺は、していた!
ということでした。
仙人とか雲水という、生き方があります。
が、その片鱗を、今いるところで、実践したい、
と漠然とあこがれていたのかも、しれません。
≪雲が流れるように、水が、高き所から低き所へ流れ落ちるるように、
このわが身も、わが命も、そう、ありたい≫
と。
なので、僕の、この3か月余りの生活は、
それまでと、あまり変わらないのです。
ただ、変わったことが、一つあります。
それは、ここ10年ほど、毎月3-5回、どこかで、
ギター弾き語りで出演してきました。
特養老人ホーム、障碍者施設、銭湯、お店、などで。
が、
1月2月は、お店での出演、だけ。3月4月は、出演ゼロ♪
4か月、ほとんど、人様の前で、歌っていません。
ずっと、走り、いや、歩き続けてきた足を、止めることになりました。
プロの歌手の方は、収入が絶たれるので、これは、大変でしょう。
が、僕は、ボランテイア歌手なので、
もともと、金稼ぎ、が目当てではないので、
その点は、以前と変わらないのです。
謝礼は頂くところもありましたが、機材運搬に使うタクシー代に当てていました。
収支トントン、でした。
生活費は、年金です。
妻と二人、細々と、質素な暮らしです。
ただ、「書く」「ギター弾き語る」、この二つ、をするために、
衣食住、最低限の暮らしができれば、よし、として、
ここ15年、余命を生きてきました。
今朝の朝日新聞の、「声」欄に、こんな投稿文を見つけました。
―――≪わが人生 不要不急の積み重ね?≫
NPO法人役員 吉見満雄 鹿児島県83歳 ―――
ああ、僕と同じことを感じている方が、おられた!と思いました。
日本が、世界が、今、大きな曲がり角にいる、ことに間違いない、と思います。
第2次世界大戦以来の。
連休明け、が一つのめど、かもしれません。日本は。
しかし、これから、人類は、どう、生きる方法を構築して行くのか。
3年先、そして、5年先、さらに、10年先、を、この目で、見守りたいと思います。
ペンとギターで、僕が、できることを見つけて、歩みたい、と思います。
この、世界中が、不要不急の外出自粛の時、
僕は、読みかけて、途中で中断していた小説「沈黙」(遠藤周作)
を、読み切りました。
ーーー「踏むがいい、踏むがいい。私は、踏まれるために、ここにいるのだ。踏むがいい」
と、いうイエスの声を聴いた、ロドリゴ司祭。----
僕が、心に残った、最後のシーンでした。
では、また、投稿します。
See you 。再会(サイチェン) アウフビーターゼン。