ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第29号

2006年10月14日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第29号(1999年12月16日発行)

           市立看護専門学校 哲学の教科通信

 12月9日はレポートを書きませんでした。そのため1回「天タマ
」を休みました。休んでみて、「天タマ」を出さないと楽だなと思
いましたが、1回でも皆さんのレポートがなくなると寂しいとも思
いました。9日は、裁判の話をし、休憩で「和裁技能士」のVTR
を見てから、ディベートの準備をしました。そして、最後にディベ
ートの練習試合を1回行いました。

 13日はディベート本番でした。3試合行いました。やはりまだ慣
れなくて、スムーズにはいかなかったようです。そして、最後のレ
ポートを書きました。なお、この日は南京大虐殺の日(1937年12月
13日)でしたので、授業の初めに、広島・長崎の原爆投下だけを記
念して、侵略を反省する日を作らないあり方について考えてみまし
た。

      ディベートをしてみて

──今日は3組の班が安楽死についてディベートをした。時間も少
ないせいか、内容が深いためか、時間切れでいまいちしっくりこな
い終わり方をしたと思う。安楽死については基準が明確でないこと
や、皆に正しい知識がないこともあり、ディベートの最中も理解不
能で、問題の焦点があわなくなっていた。

 1つの事をじっくりと考えるところが哲学の授業と似ていると思
う。ただ、それを「天タマ」ではなくて、生の討論にしているから
、時間をかけて考えることができない。そこが難しいと思う。とて
も難しいと感じたが、またやりたいと思う。

──今回のディベートのテーマは「安楽死」ということだったが、
人の死に関わることはそう簡単に結論は出せないと思う。安楽死を
望む人の意志は尊重するべきだと思うが、もしその人が自分にとっ
てかけがえのない人だったら、いくら本人の意志であったとしても
私は認めたくない。

 しかし、もし本当に苦痛が強くてもう治癒不可能で死が差し迫っ
ており、苦痛を除去する方法がなかったとしたら、認めざるをえな
いかもしれない。だから肯定側の意見も否定側の意見もどちらも正
しいと言えると思う。きっとみんなどちらの意見も持っていると思
う。その中でどちらの意見と決めて立論して戦っていくことにディ
ベートの面白さがあるのではないか、と思った。

 また、ディベートの授業はみんなが参加して初めて成り立つもの
なので、授業らしくてよいと思った。ただ座って講義を聞いている
のではそこにいるだけという時もあるので。

        安楽死をどう考えるか

──私自身、安楽死は否である。なにか安楽死というのは、その場
の状況に耐えられないため、死という終わりを迎えているように思
う。延命治療がいいとは言わないが、その場の感情で終わりを迎え
るのではなく、終わりにしたいという感情になった原因を追求し、
その原因を取り除き、自然にまかせ、尊厳死となっていくのが私の
理想であると思う。

──最初、私は安楽死に賛成だった。生死を決めるのは本人の意思
だと思っていたからだ。しかし、現実はそう簡単にはいかないと考
えた。自分には長年一緒に生きてきた家族がいるからだ。残される
家族が反対しているのに、本人の意思だといって、医者がそう簡単
に判断してよいのだろうか。医者の責任問題にならないだろうか。
本人の意思もどこまで本当かは分からない。

 だからといって安楽死を否定するわけではない。時間をかけて何
度も話し合い、本人の意思も変わらず、家族も納得してそう願うの
ならば、行われてもいいのではないかと思う。安楽死が許されるの
か、尊厳死との境目は? これは白黒のはっきりさせられる問題で
はないと思う。

      南京大虐殺の話に関連して

──「日本は自分のことを棚に上げて、自分がやられたことばかり
持ち出す国だ」というのは以前にも聞いたことがある話で、私も納
得できた。中学の社会科の先生だったけれど、昔、戦争で中国に渡
り、その後しばらく中国にいたという先生だった。ちょっと風変わ
りだったけれど、生徒に人気のある面白い先生だった。自分の犯し
た過ちを認め、素直に謝ることは当たり前のことなのに、なぜか難
しいらしい。将来、子供たちにそういうことを教えていく教育方針
になればいいと思う。

──私は高校の修学旅行で韓国へ行き、ソウルの独立記念館を見学
してきました。担任の先生が日本史の先生だったため、修学旅行の
前に、クラスのみんなで韓国についていろいろと調べ、自分たちな
りに戦争中の韓国の人々の辛さが分かっているつもりでいました。

 しかし、独立記念館で私たちは何も苦しみを理解していないこと
が分かった。人形で作ってあるとはいえ、今でも戦争中の話を聞く
と、あの人形の風景が浮かんできて、悲しくなります。自分たちと
同じ日本人があのようなことをしていたのかと考え、言葉が出なく
なってしまいます。

 私のクラスのガイドをしてくれたバスガイドさんは、「高校生に
このようなものを見せるのはちょっとつらいけれど、これを見て少
しでも考えてくれることがあれば~」と言っていました。

 日本は戦争があったということをはっきり言って忘れかけている
と思います。しかし、韓国の人達は「自分が日本人としての名前を
持ち、日本語を話したという経験があり、今でも日本語を聞くとつ
らくなる」と、ある老人が旅行中に教えてくれた。この人は私たち
を歓迎しつつも、本当はとてもつらいんだなと思った。

 その時、韓国の高校生と交流会を持った。その学校の校長先生が
「いままで日本と韓国は近くて遠い国でした。つらいことも多くあ
り、決して日本を恨んでいないとは言えません。しかし、今、若い
世代があのつらいことを乗り越えようとしています。つらい経験も
両国とも忘れるのではなく、それをバネにして、これから協力して
、近くて近い国になっていきましょう」と言ったのが、とても印象
に残っている。私もこの言葉を忘れずに、もっと世界中の国との交
流が増やせればいいと思う。

      哲学の授業を振り返って

──哲学の授業中、休憩で様々なVTRや本などを紹介してもらっ
た。和敬塾を始め、詩や絵、そして前回では着物を作る人のVTR
を見せてもらえた。哲学の授業だけで様々な知識を得ることができ
たように思う。これから先も、先生のように、新聞やTVを通して
知識を増やしていきたい。

──哲学の授業をやって、自分で物事をちゃんと考える力がついた
気がする。今まで別にこんなこと話したり考えたことがないような
ことを考え、いろいろなことに目がいくようになった。学生の私た
ちにとって今の時点では、哲学は国試の科目と比べたら重要性は2
割くらいしかないと思う。だけど、看護婦になったときにこの授業
は大切だったと思える日が来ると思う。

──はじめは哲学ではもっと違うことを勉強すると思っていたので
、意外な授業にびっくりだった。しかも、「天タマ」に自分の書い
たレポートを載せられることはすごく嫌で抵抗があったけれど、み
んなの意見や考えを知ることができ、自分の考えを深めていくこと
ができたので、「天タマ」はすごく良かったと思う。これから「天
タマ」がなくなるのはさみしいが、人と話すとき、もっと深く話し
てみて、意見を聞いたりしてみることも必要ではないかと思った。

──アンケートをしていて、この授業を受けていて自分はどう変わ
ったのだろうかと、少し振り返ってみました。自分の考えを人に知
らせることがあまり好きでない私は、最初のころは自分の意見を書
くことに対して恥ずかしさと反発を覚えていました。

 しかし、なぜ自分がこのように考えてしまうのかと考えていくよ
うになり、考えた結果、自分の考え方、価値観にいまいち自信を持
っていない事、書きたいことがうまく表現できない事が裏にあって
、それを今回みんなに見せなくてはならないという状況になったた
め、葛藤が起きて反発するという行為にいたったのではないか、と
思いました。

 でも、社会に出ていく上で、自分の考えを持ち発言することは必
要な事だと思います。なので恥ずかしくても自分の考えを書こうと
がんばりました。今、自分の考えを前よりは書けるようになったと
思っています。哲学の授業は自分にとってプラスになったと思いま
した。

 ★ 最初に「授業要綱」を配って説明することから始めるという
やり方は、始まったばかりの授業と出会ったばかりの教師に対して
生徒の抱く当然の不安、警戒心などを考慮して始めたことでした。
これで順調な滑り出しをするようになったために、それにもかかわ
らず生徒の持つ警戒心や自分を出すことに対する恥ずかしい気持ち
は無くなったわけではないということを十分にくみ取っていなかっ
たようです。

 たしかに個人差はあるのですが、誰でも多かれ少なかれそういう
気持ちを持っていると思います。現に、ほとんどの生徒が授業にな
れるに従って文章に落ち着きが出てきて、自分の考えをのびのびと
書けるようになります。そして、実力を発揮するようになります。
これは書く力が向上するという面以上に、この先生とはどのように
距離を取ったらいいかが分かってきて、気持ちが落ちつくからだと
思います。

 「匿名希望」の問題も、クラスの雰囲気と関係しているとはいえ
、根本はこの気持ちの問題だと思いました。その点をはっきりと自
覚したことは、私にとっての今年の授業の成果の1つだったようで
す。そして、やはり大変ではあったけれど、今年も「天タマ」をや
り通してよかったと思いました。この授業に出るのが苦痛だと言っ
ていたJさんが、冷静に自分を見つめ直して前進してくれたのが嬉
しいです。

      『日本一短い家族への手紙』

──家族というのは一緒にいるで当たり前になっていますが、何か
ふとした時、「家族っていいなあ~」と思える瞬間がある気がする
。学校で嫌なことがあったりすると、家に帰ると家族の暖かさが身
に沁みることがあります。

──「短い手紙」の中に、「〔夫の顔が〕久々に顔がちかづいたの
でドキッとした」とあった。結婚してずっと一緒に生活すると、た
まにしかドキッとしないのは少し淋しい気がする。いつまでもドキ
ドキした気持ちを忘れない夫婦もいいと思う。その方が新鮮な気持
ちで毎日を過ごせそうだから。私もいつでもドキドキしていたいか
な。

──私は結婚してもずっと恋人でいたいし、おばあさんになっても
手をつないで歩きたいと思っているので、お父さんがお母さんの口
にトマトを入れていた詩はすごくうらやましかったし、私もそうな
っていたらいいなあとあこがれた。(中略)どんな人が私のパート
ナーになるのか楽しみだ。それと同じように、これから出会う人そ
れぞれが私に何かを与えてくれるので、出会いを大切にしたい。

        その他

──先日、妹とドライブをしていたら、いちょうの並木にさしかか
り、いちょうが黄色くなりとてもきれいだったので、妹に「きれい
だね」と言ったら、「これは人間のエゴだよ」と言われました。い
ちょうの木が均等に歩道にならんでいること、いちょうの木しかな
いことが自然ではなく、人間のつくり出したものであるということ
からです。私は何も言い返すことができませんでしたが、その言葉
で私の気持ちはがらがらとくずれました。確かにその通りだなとも
思いました。でも、再度見てもいちょうの並木はきれいでした。

 ★ この世に存在するものは、生物はもちろん岩石でさえ、みな
、自分の立場から周囲の世界(環境)に働きかけ、環境を変化させ
ています。岩石では分かりにくいかもしれませんが、植物が養分を
摂り、動物が食物を食べることを考えてみると分かると思います。
この事自体を「エゴ」と言ったら、すべてはエゴになると思いま
す。

 人間以外の生物は本能みたいな自然的性質で環境と関わりますが
、人間は意識を持っていますから、考えてから環境と関わります。
従って、エゴ的な関わりも環境と共生する関わりも可能になります
。従って、人間にだけ、どういう関わり方をしたらよいかという問
題が生まれてきます。いちょうの並木を作ることはいちがいに「エ
ゴ」と言えるでしょうか。ではどうしたらよいのでしょうか。

──私の親戚のおじさんは、京都で西陣織の帯の職人をしています
。今年、京都に行ったとき、色々な着物や帯を見せてくれて、その
織り方や絞りの作り方を話してくれました。難しくてよく分からな
かったけれど、おじさんが帯に関する話をとても真剣にしているの
をみて、職人はすごいと思いました。

──前に父と、議論するとはどういうことかと話したことがありま
す。その時父は「議論する時には、相手が嫌いだとかいう感情をは
さんではいけない」と言いました。議論する相手に対して「嫌い」
とか「いやだ」という感情をはさんでしまうと、それは議論ではな
く感情のぶつけ合いになってしまう。議論とはあくまでもテーマに
対しての思いをぶつけ合うことで、それは相手の言い分も聞き、そ
の上で自分の言い分を言うということ。

 そこに、「あの人は嫌いだ」という感情が入ってしまうと、テー
マに対する議論ではなく、「あんただけには負けたくない」といっ
た思いにより、相手の言い分を聞けなかったり、自分の言い分だけ
を押し通そうとしてしまう結果を生み出す。ディベートという体験
を通して自分の意見を相手に理解してもらうことの難しさを知るこ
とができました。そしてまた、相手の意見を理解し、質問すること
がいかに大変かも知りました。

 ★ 本当の議論なり話し合いはそうですが、それを実際に実現す
るためには、公正な話し合いの技術なりシステムを作ると同時に、
本当の話し合いを妨げる要素(人間の心理とか金の力とか暴力とか
)を正しく認識して、それに対する備えをしっかりしておかなけれ
ばならない、というのが私の経験からの結論です。人間の心の中に
ある悪魔的要素を正しく認識することによって、天使的要素を促進
することが出来るのではないでしょうか。現実を美化して捕らえて
はかえって失敗すると思います。