ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

 2008年10月から「第2マキペディア」として続けることにしました。

「天タマ」第26号

2006年10月11日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第26号(1999年11月25日発行)

           市立看護専門学校 哲学の教科通信

 22日は前回の続きとして、給料の話をしました。

 カンファレンスは、「天タマ」及び今日の話の中からグループで
テーマを選んで行ってもらいました。

 休憩には朝日新聞日曜版の「いわせてもらおう」を読みました。

        給料について

──看護婦になろうと思った時は、人の命を助けることのできる、
とてもやりがいのある仕事だと思って選んだが、今では将来のこと
も考えるようになり、給料はいくらもらえるのだろうという考え方
が強くなってきてしまった。これは自分が少しずつ将来の安定した
生活のことなどを考えるようになってきた証拠だと思った。だんだ
ん自立へと向かっているのではないか。これは大人へと成長してい
ることだが、お金のことばかりになってしまったことについては少
し淋しい気がした。看護婦になりたいと思った時のことを思い出し
てもう一度改めて考えたいと思った。

──最初、先生の給料の時給を聞いたとき、結構いいなぁと思った
。看護婦は1500円なのに先生は5500円ももらっているんだって。だ
けど、授業中だけでなく、授業の準備や先生のような教科通信を作
ることを考えると、そのくらいでも足りないくらいなんじゃないか
と思った。

──高校の時、公立高校の先生と私立高校の先生の交流というのが
あり、何年間か交代させるというのがあった。私の高校に来ていた
公立高校の先生が、「私立高校の先生の初任給と何年も教師をして
いる自分が同じくらいの給料で嫌になってしまう」と言っていまし
た。同じ教員でも公立と私立では給料が違うなんて知らなかった。

 ★ 県立と市立の一時的交換もあるようです。それはともかく、
私立の給与はその私立によって様々のようです。公立より少ない所
もあります。根本的には、日本では教育が金儲けの手段になってい
るのが問題だと思います。

 ドイツでは、公立高校はもちろん私立高校(たいていカトリック
系)でも授業料はゼロです(シュタイナー学校を除く)。教師の給
与は自治体が出し、施設などの費用は設立母体の修道会などが出す
からです。

 日本では公立高校でも少し掛かるし、国立大学の授業料は世界一
高いです。今後は日本の私立学校でも資産運用などを取り入れてい
くことを考えるべきでしょう。因みに、ノーベル賞の賞金は近年1
億円くらいになっていますが、これはノーベル財団の資産運用者の
腕がいいからだと聞いたことがあります。

 ★ 「大学教授や高校の先生というのは、そうなるまでに大変な
努力をしてきた人だと思う」という趣旨の事を書いている人が何人
かいました。これは過大評価です。

 高校教師は資格を取り、採用試験に合格すればなれます。いずれ
もレベル的には難しいものではありません。ただ、現在は求人が少
ないという意味では難しいです。

 大学教授には資格は無関係です。教授会で承認されればいいだけ
です。そのためには推薦してくれる教授が必要です。つまり、教授
に気に入られればいいのです。そのためには教授の前で黙っている
ことです。

 大部前に『大学教授になる方法』という本がベストセラーになり
ました。偏差値50でなれると書いてあります。私もそう思います。
世の中で活躍しているようなしっかり研究していて実力のある教授
は全体の5%くらいだと私は推定しています。

        専門学校と短大と4大

──私たちは今、看護過程に頭を抱えているが、短大や大学ではこ
こまで奥深く看護過程をやらないそうだ。この看護過程を今しっか
りやっておくことは、今後患者さんの看護をする上で、なんで今そ
の症状が出ているかとか、この検査データから今後何が心配される
かとかその病態や根拠を理解するのに必要だと思う。

 それに短大や大学では専門学校のように実習をたくさんやらない
ようだ。だから実際には専門学校卒の方が使えるらしいということ
を聞いた。しかし、短大卒や大学卒は専門学校卒よりも給料がいい
し、婦長などの位にもつけるから納得いかないと思った。

 ★ ここで考えるべきことを挙げてみます。

 第1に、日本では「同一労働同一賃金の原則」が十分には確立し
ていないということです。

 第2に、上に立つ人には技術よりもリーダーシップが求められる
ということです。

 第3に、病院の院長は医者でなければならないという決まりは、
今後変わっていくでしょう(既に変わっている?)。

 第4に、専門学校卒は婦長とかその上の位につけないというのは
、法律ではなくて、多分、その病院の考え方だと思います。実力主
義の病院も今後は増えるのではないでしょうか。

 第5に、皆さんの勉強していることは、看護技術関係の事とそれ
以外の事(哲学など)とに大別出来ますが、国家試験に受かるまで
は前者の重要性が8~9割だと思います。しかし、試験に受かって
看護婦になってからは、両者の重要性は半々くらいになると思いま
す。

          青年と政治

──今日、先生が実際にドイツの高校で使われている教科書を持っ
てきて下さったのを見て、私は読めたら読んでみたいなと思ったの
と同時に、うらやましく思いました。以前テレビでフランスの学生
の日常を紹介した番組を見ましたが、皆厚い教科書を抱えて、宿題
がとても多いと知って驚きました。でも、そうやって未成人にも自
分で考える力をつけさせるために知識を惜しみなく与え、一人一人
が意見を交わせる環境を社会が支えている姿勢に感動しました。私
も勇気があれば、ドイツやフランスに留学して自分を磨いてみたい
と思っているのですが、どうなるか分かりません。

        今だから話そう

──私が胸部レントゲンを初めてやった時、背中を向けて立ってし
まった思い出がある。あの時は笑えるというよりも恥ずかしさの方
が大きかった。後になれば友達同士の笑い話ですむが。

──以前、母とスーパーへ買い物に行ったときのこと。魚売り場で
「ボイル下足100 円」と張り紙があった。これを私は読み違えて、
「ボイル不足で100 円なんだ」と近よると、そこにはしっかりとボ
イルされた「いかのゲソ(下足)」が。太いマジックで書いてあっ
たため、読み間違えてしまった。母は大笑い。スーパーでボイル不
足のものを売るはずはないのですが。

──昨日聞いた話だが、私はまだ小さいころ、母親に「今日の夕御
飯は外で食べようね」と言われ、喜んで外の芝生の上で座って待っ
ていたらしい。きっとそれまで外食をしたことがなかったのかなと
思った。自分にもそういうかわいい時期があったのかと思うと、お
かしい。

           その他

──父に学校でのことを話した。日頃、知りたそうにしているのを
いつの間にかうるさそうにしていたことを反省した。「学校のこと
話しだすなんて珍しいな」とニコニコしていた。やっぱり親は子供
のことを知りたいのかなと感じた。どうせ分からないし、照れくさ
いからと思っていた時から成長したのかな、と思った。まじめな話
も出来るようになって、父の話も納得できるようになったのも、自
分の意見をしっかり持てるようになったからかもしれない、と思っ
た日だった。

 ★ 万歳!!! こういう報告を聞きたかった。

──私も雑誌を買うと必ず読者のページを読む。同年代の人の意見
などを知ることができておもしろいと思う。

──休憩の「いわせてもらおう」は面白かった。お笑い芸人はいろ
いろと知恵を絞ってネタを考えているが、子供の純粋さにはかなわ
ないと思う。

──私はこの18~25歳くらいの時が生きている中で最も成長できる
時期だと思う。だからこそこの学校では生徒と先生、生徒同士が深
く関わるためにカンファレンスを大事にしているのだと思う。お互
いのことを知るにはやはり話すことが一番なのだろう。しかし、話
せばその人の良いところも悪いところも見えてくる。だからといっ
て、悪い所を見つけたら嫌いになるというのはおかしい気がする。
悪いところは人それぞれある。それを受け止められる心の広さが大
事だと思う。また、いいところに目をやってそれをほめて、人を好
きになることも大事なことではないか。私は褒め上手になりたいと
思う。

 ★ 叱るより褒めることで自分も相手も成長するのだと思いま
す。特に私生活では「人を責めない」ことがとても大切だと思いま
す。

──今回の「天タマ」には先日行ったアンケートの集計結果が載せ
てあって、更に今日の授業では生徒の要望を受け入れ、改善されて
いることを実感しました。こういうアンケートなら進んで記入でき
るような気がしました。

──先生はなんでドイツ語に興味を持ったのですか?

 ★ 哲学者は多くドイツ人なのですが、特にヘーゲルという人が
ドイツ人で、ドイツ語で書いているからです。それに、関口存男〔
つぎお〕という立派なドイツ語学者がいて、ドイツ語を手掛かりに
して言葉と人間精神について深い考えを述べているからです。

──今まで何か分からない言葉があった時は何の迷いもなく辞書を
引いていて、辞書に間違いがあるなんて疑いもしなかった。これか
らは辞書を引くときに疑いながら引くようにしたい。しかし自分の
知識だけでは正しいか間違っているか判断できない事もあると思う
。本当に正しい事しか書いていない辞書はどこにあるのだろうか。

──先生が「風邪をひいたかな」と言い、講義の間、寒いせいか、
手で足をさすって温めているのを見て、小学生の頃、冬の寒い時期
であってもランニング一枚で一年中過ごしている子を思い出してし
まった。その子も寒さが厳しくなった時期には鼻をすすっていたよ
うな気がする。薄着は健康に良いというが、ちょっと度が過ぎてい
たのかなと思った。

 ★ 家庭の考えとしたら、親の考えが間違っていると思います。
学校として冬の服装を決めて薄着させる所も多いようですが、その
薄着が又画一的で行き過ぎている場合が多いようです。日本の学校
は治外法権の場であるだけでなく、非常識の世界でもあるのは残念
です。なお、本校の講師控室には直ぐに暖房を入れてもらいました
し、22日は風邪を引かないで済んだようです。

──私は、先生のこれまでのお話を聞いていて、先生は孤独という
イメージがあったのです。それは、先生は大学の教授からいろいろ
言われたりすることや、オンブズマンの請求に関しての事やNHK
で意見が採用されないことから、「先生ってどうしてこんなにも戦
うんだろう。何が先生をそうさせるんだろう」と思っていました。

 しかし、今日、先生の「全国に 100人くらい支持してくれている
人がいる」という言葉で、「あっ、なるほど、そうだったのか。よ
かった」という気持ちになりました。私は先生のような人がいるこ
とは素晴らしいことではないかと思っています。確かに変わってい
るけれど、自分らしさって何だろうと、考えさせてくれます。そし
て、生徒にこんなに熱心でありがたいです。

 「天タマ」のアンケート結果の両親からのコメントの欄に、「哲
学って歴史上の人物の考え方、それに対する自分の道を考えるんじ
ゃないの?」という意見がありました。私がこの哲学の授業がなん
か違うなと思ったのは、このような授業のイメージがあったからで
す。このようなスタイルにしたのはなぜですか。

 私は、もし歴史上の人物の考え方を勉強していたら、成長できな
かったと思います。振り返ってみると、私は筋道を立てて考えるこ
とに対して成長してきたように思います。理由を述べて「だから~
だ、と思う」ということが大切なんだという事を勉強しました。だ
から先生にとても感謝しています。

 高校の時の漢文の授業で、才能のある馬がいてもそれを見つけ出
せる人がいなければ、その馬はだめになってしまう、という文があ
りました。先生はまさにその馬ではないかと思います。

 ★ 大学や世間で「哲学」の名のもとに行われていることについ
てどう考えたらいいか、いつか考える時間を取りたいと思っていま
す。

      寝ている生徒を先生は起こすべきか

 講師が「看護過程で疲れているだろうから、寝てもいい」と言っ
たことについての意見がありました。「授業要綱」の「成績評価に
態度を入れる」というのと矛盾するのではないか、と。本校の先生
は寝ている生徒に注意するが、外部講師は注意しない、と。これを
今日のテーマの1つにしたいと思います。

 考えて欲しいこと(気づくままに)

・寝るのは受講態度の悪いことになるか、なぜか。
・寝る理由はその善悪と無関係か。
・寝るのと私語や内職とは同じように悪いか。
・授業の性格(国試に関係するか否か)は無関係か。
・授業の善し悪しにとって、寝る生徒に注意するか否かはどの程度
関係するか。

 今日のテーマはこれに「公正な評価とは」を加えて2つです。