ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第21号

2006年10月04日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第21号(1999年11月 4日発行)

           市立看護専門学校 哲学の教科通信

 今回は、人間関係をそれだけとして考えるのではなく、それを取
り巻く状況の中において考えるということを主題にしましたが、そ
のテーマより「レポート発表における匿名希望の自由」の問題に皆
さんの関心が大きかったようです。少し感情的になっているような
所もあったと思いますが、これは自制して欲しいと思います。

 これを巡る賛否両論を網羅します。

  ☆ 匿名のメリット、記名のデメリット

──先生の意見に対して否定的な意見が名前付きで載ると、「あの
子、先生に反論してるよ」、「当たり障りのない事を書いておけば
いいのに」とか思われそうで、怖い。

──他人に自分の意見を見せると、他人がどう評価するか気になる
ので、苦手です。こういう人達が多いので匿名希望が多くなってい
るのではないか。

──知られたくない事や個人のプライバシーに関する事は匿名にし
てよい。

──みんなは私のことをあまり知らないし、私もみんなのことをあ
まり知らないので、恥ずかしい。

──自分のクラスだけならまだしも隣のクラスまで配られるので恥
ずかしいと思うのかもしれない。

──自分の考えを伝える相手は自分で決めたい。だから少しでも自
分の考えを守るために匿名希望にするのである。

──先生が名前を載せても構わないと思う内容でも、本人にとって
は名前を出したくないものかもしれない。

──人のは見たいけれど自分のは見せたくないというのは誰にでも
少しはあると思う。

──考え(どんな意見か)が知りたいのであって、誰の意見かは問
題でない。

──匿名だから言えるということは意外に多い。

──先生には言えるけれど他の生徒には知ってほしくないことがき
っとあるのだと思う。

──私も匿名希望にしたことはあるけれど、それは「何となくいや
だから」という感じです。自信がないのです。

──匿名で自分の意見が載っていたら、自分の考えに対する友達の
考えも聞ける。名前を出したら、友達の本音は聞けないかもしれな
い。

  ☆ 匿名のデメリット、記名のメリット

──哲学とは人と人との対話の中から生まれ育つのであり、匿名希
望で「以降話し合いお断り」とした人は、本人はそのつもりがなく
とも、物見の塔信者が剣道の授業を拒否したように、哲学の授業を
拒否した形になっていると思う。

──哲学の授業では意見を発展させて考えを深めることが大切だと
思います。匿名希望だと、その人の意見をみんなに伝えることは出
来ても、他の人からその人への意見が伝わらず、考えが深まらない
ので、私もなるべく匿名希望を使わない方がいいと思います。

──匿名希望にしたい気持ちは分かるけれど、自分の意見を言うの
は気持ちがいいし、それに同調してくれる人がいたならばなおさら
気持ちがいい。

──名前があると、人との交流の上でいいきっかけになることもあ
ると思う。意外な一面や共感出来る考えを読むと、「この人はこん
なこと考えてたんだ」とその人を知れていい機会になる。

──私は「天タマ」に名前が載ると、恥ずかしいけれどちょっと嬉
しい。読む方として見れば、いい文があると、これ誰のだろう、と
思ってしまうのが当然であると思う。

──日常の付き合いではあまり真面目な話をし合わないためか、「
天タマ」の人の意見は新鮮で、みんなすごいことを考えているなと
、感心したりできる。むやみに匿名希望を使うのではなく、「これ
は身内のことだから」とか根拠があって仕方のない場合のみ使って
いくのが、匿名希望の目的ではないだろうか。

──こういう形式の授業は今までなかったので、慣れなくて、自分
の意見を載せられることに抵抗を感じるかもしれないが、だんだん
慣れてくれば、特に気にならなくなってくるのではないかと思いま
す。あの人はこういう考えを持っているのか、と思えていいです。

──家族やプライバシーに関わることは匿名希望でもよいが、テー
マについての自分の意見はしっかりと名前を出す方がよいのではな
いかと思う。その意見が合っているかは、その後みんなで考えれば
いいことである。

──カンファレンスで話し合うことですでに自分の意見を相手と交
わしているのではないか。そう考えると、文章にしたものはなぜ匿
名希望なのか。グループの人の意見だけでなく、もっとクラスの人
の意見を聞いてみたいから、なるべく匿名希望は避けてほしい。

   次のような具体的な対策案がありました

──カンファレンスの班を毎回、変える。匿名にしても、今まで話
さなかった人と話ができる。

 ★ これは皆さんで考えて、時々席替えしてくれるように希望し
ます。

    講師の感想

 初め少なかった匿名希望がだんだんと増えてきましたので、どう
してかなと考えました。女子高校生のスカートやルーズのように、
ほかの子がするから~ということで、安易に匿名希望をしているの
かな、とも思いました。そこで、皆さんに問題を提起しました。

 「講師の意見を聞いていると、匿名希望に対して自分の意見を押
しつけていると思ってしまう」とか、「匿名希望で書くのはイケナ
イ事なのでしょうか?」といった反発気味の意見もありましたが、
皆さんよく考えてくれたと思います。

 名前を出すのは恥ずかしいという心理についてはこんな事を思い
出しました。

 中学時代、『山びこ学校』とかいう農村の作文教育が評判になっ
たころ、私の国語の先生(この人は担任でもあった)が、みなの作
文を読ませようとしました。最初、ある女子生徒が指名されました
が、その人は泣きだしてしまい、ついに先生は諦めました。次に私
が指名されて読みました。

 その後、どうなったかは覚えていません。中学生の作文は身の回
りのことを書くので、私は魚屋の住み込み店員さんと裏の池で魚釣
りをしたことを書いたのですが、友達からその後少し聞かれまし
た。

 しかし、やはり一番関係していることは、そのクラスがどの程度
本当のクラスになっているか、ということではないかと思いました
。これは直観みたいなもので、証拠はありません。S大学のドイツ
語の授業の教科通信では名前を全然載せていません。2クラスあり
、相互に無関係だということ、大学のクラスはクラス自体が本当の
クラスになっていないということ、がその理由です。

 それ以上の感想としては、皆さんは本当の話し合いに慣れていな
いな、と思いました。これは皆さんの責任というより、学校教育の
問題かもしれません。ともかく、多くの人は、人と話す場合、馴れ
合いと感情的対立の両極端しかないようです。話し合うというのは
馴れ合いでもなければ、感情的対立でもないと思います。自分の意
見も冷静に言い、相手の意見もきちんと聞く。その中で本当の事は
どうなのだろうかと一緒に考えていく、これが話し合いだと思いま
す。どんな結論になっても、あるいは結論が出なくても、話し合っ
てよかったなと思えるような対話をしたいものです。

   今回の結論

 授業要綱はそのままです。つまり、「匿名希望も可」です。「匿
名希望の意義について考えて、安易に使わないように」と言う必要
はないと思います。もう既にしっかり考えたのですから。


   「哲学の授業が苦痛だ」という「疑問」について

──私達が将来看護婦になった時、深く考えることは重要なことに
なると思う。安易な考えでは場合によっては患者の生命の危機へと
結びついてしまうこともあるだろうし、患者にとってより良いケア
が出来ない気がする。だから、自分の考えにとらわれず、客観的に
ものをみつめ、様々な方向からの意見、考えができなくてはならな
いと思う。創造性も養わなくてはいけないと思う。自分の考えを見
せるということは、つまり自分の考えを相手に伝えることはどんな
時でも大切なことである。看護婦はチームプレーが鍵となる。

 患者に説明する時も、人に何かを伝える時も、納得のいく説明や
自分の気持ちを伝えるためにも、人に自分の考えを見せるというこ
とは大切なことではないだろうか。しかし、これらのことはすぐに
出来るものではない。だからこそ哲学というこのような時間を利用
して、深く考えることや相手に伝えることが出来る能力を養ってお
かなくてはいけないのではないだろうか。

──この人は今回このような事を書いて後悔していると思う。自分
がこの授業に対して思っていることを正直に書いたことで、このよ
うなテーマとなり、周りから批判(批評)を受ける。先生だけに伝
えて一つの意見として見てほしかったと思う。

──私は今まで生きてきて、こんなにも物事を深く考えたことはあ
りません。考えていると言ってもいつも表面ばかりで、そこから先
に進みません。でも、哲学の授業を学び、身近な「対話」や「先生
と生徒」、「親」などのことからも深く考えられるのだと思いまし
た。また、よく考えてみると奥が深いということを感じました。

 この人のように、自分が考えたことを心にしまっておきたいとい
う人もいると思うけど、私は、自分の考えた事を言うことにより、
相手の考えも聞くことが出来るし、そうすることでより深く物事を
考えることができる、ということにつながると思います。他の人の
考えを聞き、新たな自分にはないものを得られるかもしれません。


   講師の考えの一部

 深く考えないで生きたいのも、人に自分の考えを見せたくないの
も、それ自体としては「個人の自由」だと思います。問題は、看護
婦になること、看護学校に来ていること、哲学の授業に出ることと
、その自由との関係です。

 体操の授業の目的は柔道をすることではなく、体を鍛えるとかで
すから、柔道をしないでも、ほかの手段で替えられます。しかし、
哲学は考えることであり、授業に出ることは最低限、先生に見せる
ことを含んでいると思います。従って、深く考えたくないとか、先
生にも見せたくないという人は哲学の授業の前提に抵触するわけで
す。ではこの時どうしたらよいか。これが本当の問題なのです。あ
る事柄をそれだけとしてだけでなく、状況の中において考えるとは
こういうことです。

   状況と人間関係

──今の制度で看護婦が患者の話をじっくり聴くことは、困難かも
しれないが無理ではない。ある看護婦に患者の話を聴く時間はある
のかと質問すると、「時間を作って行く。業務的に夜になってしま
うけれど」と言っていた。その時はベッドサイドで椅子に腰掛けて
話をするそうだ。「忙しいからできない」というのはもっともらし
い理由に聞こえるが、実は適当な言い訳なのかもしれない。

   組織はトップで8割決まる

──私は中高と吹奏楽をやっていたが、指導内容と大会での成績と
は比例していた。そして、いい先生がいなくなるとすぐに成績は落
ちた。あの先生はいい先生だといううわさがあると、よけいに付い
ていこうという気持ちが大きくなった。こういう評判もプラスにな
りマイナスになると思う。

──組織はトップで8割決まる、というのが現状かもしれない。し
かし、それではトップだけの世の中になってしまって、トップ以外
の人の意見はどうなってしまうのだろう。でも、今は、学校でもそ
うだけど、意見を言う所がないので困ってしまう。もっとトップが
この現状を知ることと、トップ以外の人は、自分たちが意見の言え
るような場所をつくったら、もっと割合が変わると思う。

   コスモス寺のVTR

──私は結婚して子供が出来たら、家族で花畑に行って、寝ころが
ったり、香りを楽しんだりしてのんびりしてみたい。好きな人とき
れいなものを感じることは、同じものを共有して、また一歩距離が
縮まる気がする。

──コスモスは安らぎを与えてくれる花だと思います。中学生のこ
ろ、私は姉にコスモスの種をもらい、温水で育ててみたら予定より
3ヵ月も早く花が咲いてびっくりした思い出があります。しかし、
咲いた30本のコスモスは次の日、祖母が1本 100円で売ってしまい
ました。種は 100円なのに3000円のもうけ! うれしいのも束の間
、もうけ分はすべて祖母のもとへ。悲しい思い出でした。

   その他

──先生は、学校の教育はサービス業だといいましたが、私は違う
と思います。予備校や塾はサービス業だと言われても仕方がありま
せんが、学校は、勉強を教える場所でもありますが、人間を育てる
場でもあります。サービス業というだけで軽い物のような感じがし
てしまいます。

──「宿題」について、なぜ先生は「お父さんの方がよい」とおっ
しゃったのでしょうか。

 ★ お父さんは会社勤め、お母さんは専業主婦かパートというの
が多いと推定される。日頃からお父さんとの対話がとても少ない人
が多い。当の問題を話し合うのに適当な人ならもちろん誰でもいい
し、お母さんとの話も否定していません。

──「授業要綱の修正」で「Eメールで意見を送ってもよい」とあ
りますが、先生は勤務時間外のプライベートな時間でも哲学や生徒
との関わりを持つことがいやではないのですか。

 ★ 教師は学校でだけ働くのではないと思います。授業の準備、
テストの採点など、私の場合なら教科通信の作成など、家庭でする
ことがあります。問題はそれをどの程度するかということだけだと
思います。メールが少し来る程度なら問題はありません。

──今回の「天タマ」で私の意見が取り上げられていた。この事に
ついて私は何か悲しい気分になった。今考えてみれば、私は先生の
考えに対して否定的にとらえてしまっていたように思う。しかし、
私が先生の考えをそのようにとらえてしまったことは事実である。
そのとらえ方が本来先生が言いたかった事とは違ったのでしょう
か。

 ★ 「天タマ」第20号の記事で、皆さんが判断して、こういう載
せ方では筆者が悲しくなると思う、という記事がありましたら、お
知らせ下さい。私は少し困惑しています。少なくとも冷たい扱いは
していないつもりなのですが。

──「天タマ」で先生が書かれているように私たちは「目に見えて
いるものしか見ていない」かもしれない。でも、私は今は学生で患
者に接する時はまだ患者のことだけを見ていいのではないかと思う
。たしかに周囲の状態が見えていないし、まだ社会というものが見
えていないのかもしれない。社会のルールについて甘い考えかもし
れない。でも、これはこれから社会の波みたいなものにもまれて自
らが感じ取れていければいいのではないかと思った。

 今、学生のうちでしかできない一人の患者さんと向き合い、いろ
いろなことを学んでいる。これから看護婦になる上でとても貴重な
体験をしていると思う。看護婦になったらなかなか出来ないことだ
と思う(看護婦を見ていると)。それを私は大事にしたいと感じ
た。

──ある授業でデンマークは老人の自殺率が高いと聞いた事があり
ます(記憶違いかもしれませんが)。またある本で、日本とデンマ
ークは文化が違うのでデンマークのような福祉制度は日本にはその
まま使えない、というのを読んだことがあります。それも踏まえて
デンマークの制度について学ぶことは、すごく哲学的なことだと思
います。

   読みやすいレポートのために

 まだ読みにくいレポートがあります。字を直すというのはなかな
か大変なことだと思います。もちろんきれいな字で書こうと思う気
持ちも大切ですが、次のことなら実行しやすいのではないでしょう
か。

・濃い字で書く。これはとても読みやすくなります。2B以上にし
てほしい。
・大きめの字で書く。これも役立ちます。
・行間と左右の隅を空ける。