ブログ「教育の広場」(第2マキペディア)

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「天タマ」第28号

2006年10月13日 | 教科通信「天タマ」
「天タマ」第28号(1999年12月09日発行)

    市立看護専門学校 哲学の教科通信

 12月06日は「先生と生徒は議論する関係か」というテーマを考え
るために、議論のゲームであるディベートのVTRを見ました。少
し古いものですが、高校生のディベート選手権の様子を描いたもの
です。レポートを読むと、これまでにも中学や高校でディベートを
したことがあるとか、入試で数人の受験者を議論させるような方法
を体験したという人が何人かいました。

 講師の話は、議論とは相手を論破して自分の考えを主張すること
であり、対等な立場でしなければ良いことはない。先生と生徒は対
等でない関係で、教壇が高くなっているのはその象徴である。話し
合うことはぜひ必要だが、どうしても意見が一致しない時は先生の
考えでするのが学校である。しかし、それは先生の考えが正しいか
らではない。先生の教えることは8割は間違いであることは仕方の
ないことで、それを自覚しておいた方がよい、というものでした。


 1組のレポートで「安楽死」でディベートをしたと書いている人
がいたため、2組では「安楽死」でディベートをしてみることへの
賛否を聞きました。賛成者が多かったようで、実行してみることに
しました。今日から準備をしましょう。

      ディベート甲子園のVTRを見て

──私がディベートという言葉を知ったのは或る看護学校の入試の
時である。そこの面接では6人ずつに分かれて、その中で司会を決
めてテーマについて討論をしていく。その様子を面接官が見ている
のである。それまで私にはこのような経験がなく、他の人の言うこ
とは耳から耳へと抜けていき、自分の考えをまとめて言うのに必死
だった。ディベートとは名ばかりで、とにかく何か言わなければ~
と焦っていた。

 このような私をよそに6人の中で3人は社会人で、この人達はし
っかりと裏付けをして、意見を述べていて、しかも他の人をなごま
せる一面も持っていた。社会に出るとやはり違うんだなと、その時
は思った。この試験の後、この6人と仲良くなり、一緒に駅まで話
しながら歩いていった。ディベートは人間関係をよくする上でもも
っと取り入れていくべきだと思う。

 ★ これは自分の意見を言うのですから、定められた立場につい
て議論を展開する本来のディベートではないと思います。しかし、
こういう選抜方法はかなり広く取り入れられてきているようです。
面白い試みだと思います。

──私も以前、ディベートの経験をしたことがあります。高校生の
時、クラスのHRの時間に行いました。今日のVTRのように素晴
らしいものではなく、とにかくディベートを体験してみようという
主旨で行われました。議題も分かりやすいものにして、「肉と魚は
どちらがよいか」というものでした。クラスを2つに分けて、肉派
と魚派に分かれて意見を言い、反論も沢山出ました。その時は結構
盛り上がりましたが、内容を今日のVTRと比べると、考えが浅か
ったなあとしみじみ思います。

      先生と生徒は議論する関係か

──私は小学生の時からバレーボールをやっていて、鬼のような監
督のもとで練習をしてきた。そのせいか、高校にあがるくらいまで
、「先生には逆らってはいけないもの」、「先生の言うことはすべ
て正しい」という意識が私の中に組み込まれてきた。しかし、高校
の時のバレー部の顧問の指導方法に疑問を抱くようになり、その意
識は次第に薄れていった。

 今思うと、小学校や中学校の時に先生から言われていたこともど
こかおかしい事は沢山あって、矛盾している点は多かった。何故あ
の頃の私は、そんな先生たちに疑問を抱かなかったのだろうかと、
不思議に思う。それは、「先生の言うことは正しい」という考えか
ら、「自分の思っている考えはすべて言わなければ」という考え方
に変わっていったからではないだろうか。

 しかし、先生と生徒は議論しなくてもよいと思う。その先生が生
徒の考えを受け止められるだけ広い心を持っていればよいと思う。
一方通行の接し方ではだめだけれど、先生が生徒の思っていること
を聞くことができれば、生徒は先生に対して不信感を抱くこともな
いし、好い関係を築いていけると思う。

──私も一時期、勉強はとても意味のないものに思えて仕方ないと
きがあった。テレビで、遺跡から木に書かれた毛筆の書などが出て
は、「また歴史をくつがえす発見です」と報じられるのを聞くと、
「テストに出たあの問題は今では間違いなんだ」と、自分が知識を
吸収していくその過程まで否定されたような気分であった。

 でもある時期から、それはこの時代に生きている以上仕方のない
ことだと思うようになった。学問は、過去の人達がそうしてきたよ
うに、次の世代またその次の世代へと引き継がれて発展していく生
き物のようなものだ、と考えるようになった。変わらないものはな
いのだから、それを無駄なものだというように悲観的に考えるので
はなく、「まだ私の知らないことが沢山あるんだ」と前向きに考え
ていけば、自分も豊かになっていくと思うようになった。

 ★ 「先生の教える事は原理的に8割間違いである」という言い
方はわざとショックを与えるような言い方をしたのです。もう少し
科学的な言い方で詳しく説明しましょう。

 (1) 人間の認識は完全ではありえません。ということは、現時点
での知識や理解も多かれ少なかれ不完全でり、いつかは乗り越えら
れるということです。

 (2) では、今の知識や理解を越える知識や理解が明らかになった
とき、これまでの知識や理解はどうなるのでしょうか。これが問題
です。

 (3) 単なる間違いとしてただ否定されるのか、それとも新しい知
識や理解の中に変形されて含まれるのか。答えは後者です。

 (4) 従って、学問外の金とか権力によって押しつけられたエセ知
識やニセ理解ではなく、純粋に科学的に考えて「現在はこう理解す
るしかない」として証明された理論は無駄になるということはあり
ません。

 (5) ですから、人間は、この人が言うように、その時点でベスト
を尽くすしかないし、それで好いのです。ただ、歴史の一時点での
理解を絶対的な真理と思い込んだり、教師という立場を悪用して、
そのような言い方をしてはならないというだけです。

──ある授業でコミュニケーションについての授業があった。その
中で、他人の価値観と自分の価値観の違いについて「分かり合うこ
とは、同じ価値観を持つことではない。相手と自分の違いを認めて
いくことだ」という考えを聞いて、日ごろ自分の持っていた疑問が
解けた気がした。議論やカンファレンスも、相手と自分の価値観の
違いを認めその中で最良の結論を出すことではないか、と思う。

 ★ 人間同士の違いは価値観の違いだけでなく、利害の対立や感
情的なもつれもあると思います。すべての違いやあつれきを「コミ
ュニケーション」とか話し合いで解決できると考えるのは、理論的
に間違っていると思います。

 しかし、世間ですぐに「見解の相違」とか「価値観が違う」と言
って話し合いによる解決を避けてしまうのも間違っていると思いま
す。それらの内の多くの問題が、話し合いの精神と技術の向上で解
決できるはずだ、と考えるのは正しいし、私たちはそれに向けて努
力をするべきだと思います。

 これらの問題について詳しく考えてみたいのでしたら、『生活の
なかの哲学』所収の「かわいい子には旅をさせ」、及び『哲学夜話
』所収の「人間の相互理解」を読んでみると役に立つでしょう。い
ずれも私の本ですが図書室にあります。

        サラリーマン川柳

──サラリーマンの人たちはいろいろなことを考えているんだなと
思った。ふだんの出来事をいかに面白く伝えるか、それを考えてい
るだけでも毎日が面白そうな気がする。

──日本の文化には短歌や俳句というのがあってすごいと思う。俳
句は五七五の17文字の中に自分の伝えたい言葉をすべて詰め込むこ
とになる。長い言葉でダラダラと伝えるより、短くすっきりと伝え
られてよいと思う。

 私は小学校6年生の時、毎週、季語が与えられて俳句を3つ作っ
ていくという宿題をやっていたことを思い出した。先生が生徒の作
ってきた俳句の中から良い作品を何点か選んで、学級通信に載せて
いた。自分の作った俳句が載った時は本当に嬉しかった。

──「『妻』という字が『毒』に見えたら倦怠期」という川柳が面
白くて頭に残った。結婚する前まではすごく愛し合っていても、結
婚して年数がたつとその気持ちもなくなっていくのかなと思うと、
悲しい。結婚してもいつまでも愛し合っている夫婦でありたい。で
もやっぱり男の人って妻を女と見れなくなってくるのかな?なんて
淋しい気がする。

 ★ こういう時にこそ、男性にばかり責任を押しつけないで、女
性の側の反省も考えられるようになるのがディベートの精神ではな
いでしょうか。

        その他

──アンケートの結果をみて、みんなの意見が分かってよかった。
アンケートは、答える方は簡単だけど、作ったり集計する人は本当
に大変だと思う。きれいにまとまって、見やすかった。

 ★ 自分たちでアンケートを企画・実行した感想はぜひ聞きたい
です。どういう基準で1~5の判断をしたか、その他どんな点が難
しかったかなど。

──この哲学の授業でも、「天タマ」に載る皆の意見も最初のころ
に比べると物事を深く考え、文章にすることがうまくなってきてい
ると感じる。少しずつ知識や考える力がついてきたのだと思う。

 私は無意識の内に眠っていることが多く、哲学の授業は、考えれ
ば考えただけ自分の力になっていくものなので、この忙しい時期に
組んであるカリキュラムを残念に思う。今日、「天タマ」があと少
しと聞いてがっかりした。哲学の授業がなくなり、「天タマ」を読
むことがなくなるのが少しさみしい感じがする。

 ★ 6日3年生と一緒にVTRを見てお茶を飲む会を持ちました
。来年もできるかな。

──あと2週間でいよいよ冬休みです。看護過程も大詰めとなり、
睡眠不足の日が続きます。今までこんなに忙しい学校生活を送った
ことはありません。でも、今は忙しいけれどとても充実していると
思います。あと少しなので全力で頑張りたいです。

 ★ 青春を謳歌するとは勉強をすることだと思います。皆さんの
姿は美しいです。

──最近、窓の外の景色が日に日に変化していきます。土日明けに
学校に来ると、緑色だった葉っぱが見事に紅葉していて驚かされま
す。今はだいぶ葉が落ちて木が寂しくなってしまいました。でも地
面を見ると一面に色鮮やかな葉っぱが広がっていて、とてもきれい
です。四季ってすばらしいと実感しました。

 ★ しかし、昨今の気候は明らかに以前とは変わってきているし
、それは人間の活動が地球の気候を変えるほど大きなものになった
結果だと思うと、何か大変な事が起きているような気がします。ロ
マンチックな気分を壊すような話でごめんなさい。