牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

断食のいのりの幸い2

2010-08-15 13:23:05 | Weblog
朝ごとに「今日もまた天国の一日です」と告白し、夜には、「ありがとうございます。今日もまた天国の一日でした。感謝します」と告白しながら、安眠で熟睡できる毎日を過ごしています。神様の贅沢な恵みにつつまれて、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝しています。

 私たちは、食べ物や飲み水、休みの日や家族の団欒、心跳るような楽しい礼拝、クリスチャン兄弟姉妹との交歓、仕事場での生きがい、経済的な供給と需要など、豊かな恵みに囲まれて生きています。神のお与えになる全ての祝福をしっかり受け止めて、受けるだけでなく与える幸いを実行できる恵みにも感謝したいものです。

 断食の時は、それらの恵みを受けるだけでなく、全身全霊を込めてただ神のみ顔だけを求め、神を待ち望んで祈りに集中するときです。

 食物を断つときには飲水さえも取らないで、いま与えられている恵みを振り捨て、さらに偉大なものを待ち望みます。より重要な働きのために、今していることをさえストップして神を待ち望むのです。

 断食は食物を絶つことですから、前回述べたように朝食も一つの断食です。夕方5時に食べると翌朝7時まで12時間断食です。ですから朝食を連続に抜いて断食するときもあります。普通は一日3食を食べないとか、3日間さらには7日間と長期間の断食があります。そして神様をのみ求めるのです。

 また、単に食物を絶つだけでなく、水をも絶つ断食の例が聖書には記されています。「行って、シュシャンにいるユダヤ人をみな集め、私のために断食をしてください。三日三晩、食べたり飲んだりしないように。私も、私の侍女たちも、同じように断食をしましょう。たとい法令にそむいても私は王のところへまいります。私は、死ななければならないのでしたら、死にます」(エステル4:16)

 さらに、「モーセは民に言った。『三日目のために用意をしなさい。女に近づいてはならない』」(出エジプト記19:15)とありますが、夫婦の交わりも断ち、神様だけを求めることも大切です。

 もう一つ大切なことがあります。それは聖書以外の書物や、新聞、雑誌、テレビやDVD、インターネットやそれらのものからも離れることです。

 ある教会へ4日間ご奉仕に出かけた時、祈りの部屋で過ごしました。食事はいただいたのですが、精神的には全く断食と同じでした。書籍の類は一冊もなく、新聞もテレビもパソコンもありません。ただ聖書と祈りだけの生活でした。

 終わってその夜は別の教会へ行き、路傍伝道の見学をしていたら、上品なご婦人が近づいてきて、翌朝その自宅へ招かれ、家族全員が福音を信じました。

 もっぱら祈りとみことばの奉仕に励むとき、聖霊はより自由に救いの働きをなさってくださいます。

 食物を絶つことだけに捕らわれず、精神的なものを絶つ断食も心がけるなら、考えられない祝福にあずかることができます。ダイエット流行りの現代、食物を減らしてでもスリムを願うなら、クリスチャンたちはもっと断食の祈りを考えても良いのではとも思います。

 「わたしの好む断食は、これではないか。悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、しいたげられた者たちを自由の身とし、すべてのくびきを砕くことではないか」(イザヤ58:6)

断食の祈りの幸い

2010-08-14 07:05:36 | Weblog
クリスチャン生活は、神の贅沢な恵みの連続です。イエス・キリストの十字架と復活を信じ、恵みによって救われた時から今にいたるまで、信仰もまた恵みにより与えられ、誇るものは何ひとつない救いを感謝します。

 幸いなことに、イエス様の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受け続ける信仰を与えられているのです。

 祈ることも、祈りに答えがあることも、聖霊に満たされることもすべてが恵みであり、ただありがとうございます、と心から感謝しつつ今日もまた天国の一日です!

 わずか30秒の祈りが世界を変えると題して書き続けています。では祈りは30秒だけで良いのですか?と問われることがあります。そういう意味ではなく、どんな短い祈りや叫びであっても、愛なる神様に祈りが届くという意味です。主の祈りの精神をしっかりと受け止めて、全能の神に祈り求めたいものです。

 イエス様とペテロとヨハネ、ヤコブが共に山に登り、イエス様の御姿が変わるというすばらしい変貌山の経験をした後、彼らが山を下りて来ると、そこには山を下りて来るイエス様たちを待ち構えていた、悪霊につかれた病める息子を持つ父親がいました。イエス様は不信仰を叱責し、その子を直してくださいました。

 その後で、息子を直せなかった弟子たちはそっとイエスのもとに来て、「なぜ、私たちには悪霊を追い出せなかったのですか」と聞きました。

 イエス様は、「あなたがたの信仰が薄いからです。まことに、あなたがたに告げます。もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に、『ここからあそこに移れ。』と言えば移るのです。どんなことでも、あなたがたにできないことはありません」(マタイ17:20)と答えられました。

 同時に、「ただし、この種のものは、祈りと断食によらなければ出て行きません」(マタイ17:21)と言われました。

 祈りは必ず聞かれますが、断食が必要なこともあるという健全な教えです。聖書にはモーセの40日40夜、ダニエルの21日間、ダビデの7日間、エステルの3日間、新約時代もイエス様の40日を筆頭に、パウロやバルナバなど神の聖徒たちが断食と祈りをしたことで、偉大な出来事が成されたと記録されています。

 2千年のキリスト教会の歴史にも多くの断食の祝福が記録され、励まされ勇気と力が与えられてきました。

 断食をしなければならないという、律法的に強制する断食は偽善になります。聖霊の恵みに導かれ食物を断ち、この世の一切のものから遠ざかり、全身全霊を込めて神と対峙し、御顔を仰ぎつつ求めることはすばらしいことです。

 できれば断食するときは、世の雑事も離れて神の前にだけ静まる時を持つことです。聖書の言葉だけをいただき、聖霊に満たされながら内なる願いを求めるとき、いかなる不可能も可能になる確信を与えられ、「できるものなら、と言うのか。信じる者には、どんなことでもできるのです。」(マルコ9:23)のみことばが文字どおり実現する恵みを体験するのです。

 「朝食=Breakfast」はある意味では、毎日断食していることになります。長期断食ができないと悩むより、夕食後朝の起床時間まで、聖書と祈りで静まるときを持ち、できれば翌日一日中食を断ち、祈りに集中すればいかがでしょうか。

 祈りの課題にもよりますが、次は3日間とチャレンジしてみることです。

 ただし1週間以上の長期断食は、正しい断食の知識のある方に指導して導かれることが、霊的にも健康的にも大切です。断食祈祷院などもありますから、長期断食の場合は心して実行してくださるようにお願いします。祝福を祈ります。

思いをはるかに越えて答えられる祈りの幸い

2010-08-13 07:37:37 | Weblog
 ある時、歯科医国家試験を受けたばかりの方から相談がありました。イエス・キリストのお名前によって合格を祈り、「アーメン」のあとに「ありがとうございます。合格しました。感謝します」と言うようアドバイスしました。

 数日後、「そう祈っても不合格だったらどうするのですか」と質問され、「その時はその時です」と答えました。すると、「そうですね。合格発表まで心配するよりも、その時はその時ですね」と素直に受け止めてくれました。幸い国家試験に合格し、今ではトルコで歯科医として活躍しています。

 「その時はその時です」とは少し乱暴な答えに思えますが、聖書には、「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン」(エペソ3:20、21)とあります。願うところ、思うところのすべてをこえて祈りは聞かれると約束されています。

 堺エリムキリスト教会は、好意により新築マンション内に綺麗な教会堂(35坪、10階建ての屋上と壁面には発光ダイオートの十字架、完全冷暖房やPAシステムも完備)を、3年間無償で提供されています。

 しかし契約満期のために今月で返却せねばならず、契約上家賃を払って借りることは不可能でした。2月21日に最終の感謝礼拝を案内し、次回からの礼拝は堺市民会館会議室を予定していました。

 その前日、マンションオーナーとの面談があり、心からの祈りと感謝とともにお交わりの時が与えられました。そのときオーナーから、私の願いや思いをはるかにこえた言葉をいただきました。

 なんと、堺エリムの無償契約を1年延長し、その後も借りる教会がない場合は無償自動延長するという驚きを通り越した言葉でした。その場で「ありがとうございます。お借りさせていただきます。感謝します」とお礼を申し上げました。

 3年契約が自動延長するようにとは微塵も考えず、祈りもしていませんでした。ところが愛なる神は、私が願いもしなかったにも関わらず、思いをはるかにこえたすばらしい祝福を備えてくださいました。オーナーとともに固い握手を交わし、事業のさらなる繁栄と健康と祝福を心から祈りました。

 「今日もまた天国の一日です。今日もまた贅沢な恵みの一日です」と、朝ごと夕ごとに告白しています。そして常に祈りの心を持ち続けています。切羽詰まって七転八倒し、祈りすらできないようなときでも、聖霊の大きな助けと解決が神の栄光のために備えられていることを体験しています。

 「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(コリント人への第二の手紙6:2)

 「私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けたのである」(ヨハネの福音書1:16)

祈り続ける恵み

2010-08-12 08:32:35 | Weblog
このコラムを読まれた方から質問がありました。「それでは長い祈りはいけないのですか?」



 結論は、祈り続けることが大切ということです。聖書を読んでいると長い祈りの例がたくさんあります。サムエルの母ハンナは、子どもがないために心は痛み、主に祈って激しく泣き、長い祈りでくちびるが動くだけで、その姿はまるで酔っているようでした。



 祭司のエリは、「いつまで酔っているのか。酔いをさましなさい」と注意しましたが、彼女は、「いいえ、祭司さま。私は心に悩みのある女でございます。ぶどう酒も、お酒も飲んではおりません。私は主の前に、私の心を注ぎ出していたのです。このはしためを、よこしまな女と思わないでください。私はつのる憂いといらだちのため、今まで祈っていたのです」と答えました。彼女はその待望の祈りの中で、明確な答えをいただき、喜びに顔を輝かせ祈りの座から立ち上がりました。



 ハンナの祈りは長年の待望であり、同時に時間をかけた祈りだったのです。伝道者の書に、「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。・・・神のなさることは、すべて時にかなって美しい」(3:1、11)とあるとおりに、神の深いご摂理があることを、私たちは知っています。



 神がまさに良しとしてくださり、みむねの定まったときに答えが与えられることを、聖書の教えからもよく理解し、心配しないで祈り通す幸いを経験したいものです。



 ある著名な経営者が、毎日800項目を上げて祈り、1項目2秒で祈っていると聞き、ご本人に直接お聞きしたら、にっこり笑って1000項目に増えましたとのこと。朝目覚めたら静かに主の前に静まり、約1時間以上かけて祈り続けるそうです。その結果、1000項目もあるので、1つのことにわずか1~2秒の時間だそうですが、大きな祈りのヒントになりました。



 イエス様は、「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。



 あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。



 また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。



 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです」(マタイ6:5~8)と教えました。



 つまり同じことを繰り返したりしなくて良いのです。綺麗な語彙をもったいぶって盛りたくさんにしなくても、神の子どもとして素直に祈れたら最高です。



 同時に、最高の神の子どもですから、「しかし、高貴な人は高貴なことを計画し、高貴なことを、いつもする」(イザヤ32:8)と聖書にあるように、高尚な願いができるように聖霊に信頼し、我欲だけに捕えられず、高貴な祈りをも心がけたいものです。



 フランシスコの祈りを模範に高貴な祈りを捧げるよう励みたいと願っています。



平和の祈り



主よ、わたしを平和の道具とさせてください。
わたしにもたらさせてください・・・
憎しみのあるところに愛を、 罪のあるところに赦しを、
争いのあるところに一致を、誤りのあるところに真理を、
疑いのあるところに信仰を、 絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、 悲しみのあるところには喜びを。
ああ、主よ、わたしに求めさせてください・・・
慰められるよりも慰めることを、 理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。
人は自分を捨ててこそ、それを受け、自分を忘れてこそ、自分を見いだし、
赦してこそ、赦され、 死んでこそ、永遠の命に復活するからです。

明確に祈れる幸いを

2010-08-11 08:32:02 | Weblog
イエス様がエリコの町へ行かれたとき、道端に座って物乞いをしていたバルテマイという目の見えない男が叫びました。彼を黙らせようと大勢でたしなめましたが、彼はますます「イエス様。わたしをあわれんでください」と叫び続けます。



 イエス様はその声を聞くと立ち止まりました。それは、今の時代も変わりません。イエス・キリストは昨日も今日もいつまでも同じお方です。永遠に変わることなく生きている救い主です。



 祈りは叫びです。求めることは他の人から見たらおかしく思われることもあるかも知れません。しかし、主の名を呼び求める者は救われるのです。



 イエス様は立ち止まり、「あの人を呼んで来なさい」とバルテマイの叫び求める声に答えました。



 彼は上着を脱ぎ捨ててすぐに立ち上がり、イエス様のところに来ました。目は見えなくても、彼の顔が喜びに輝いている姿を想像できます。「わたしに何をしてほしいのか」と言うイエス様の問いに、響くようにバルテマイは、「先生。目が見えるようになることです」と答えます。



 イエス様は、「さあ、行きなさい。あなたの信仰があなたを救ったのです」と言われました。その瞬間、彼は見えるようになり、イエス様のいかれる所に従いました。



 朝ごとの祈りの時や日々の瞑想の時に、「わたしに何をしてほしいのか」との声を聞く思いを与えられます。様々なことを祈り求めているけれども、いつの間にか言葉を並べているだけで祈りの時間を叫び続けている姿に気付かされます。



 「主よ。お金が必要です」「主よ。病んでいる兄弟を回復してください」「開拓伝道中の牧師の働きを祝福してください」「臨終を迎えている姉妹に平安と天国の輝きをお示しください」。その日の必要のために、主の助けと解決を明確に求める幸いを経験する祈りの時です。



 だれにでも惜しげなく、とがめることもなくお与えになる神に純粋に願うなら、必ず与えられます。少しも疑わずに、バルテマイのように信じて願うだけでいいのです。



 もうすぐ孫が5歳の誕生日を迎えます。「じいちゃん。誕生日のプレゼントを買ってくれる? お花屋さんのセットだけど」と幼い願いです。



 願った孫もですが、そのように言われた祖父の顔は喜びで輝き、孫を抱き上げて祝福を祈ります。まことの愛なる神は、イエス・キリストのお名前による祈りを必ず聞かれます。明確に信じて具体的に祈る恵みを体験してみませんか。



 信じますと明確に祈りで告白するとき、祈りは必ず実現します。心の信仰と口に出す言葉が常に一致する祈りでありたいものです。



 ラーメンが食べたいと朝から思っていても、食堂へ行ったときウドンと言ったならウドンが出されます。どうしてウドンですか、ラーメンをと朝から思っていたのにと、いくら頑張っても言った通りになっただけです。



 祈りの答えは、願いを明確に心で信じることと、告白の言葉を一致させることです。心の中の願いを明確にすると、思うだけよりも百倍も千倍も大きな祝福を体験できます。バルテマイの祈りを模範にしましょう。

台風四号北上中

2010-08-10 07:02:38 | Weblog
 台風4号(ディアンムー)は、現在、原付自転車と同じくらいの速さで北上しているそうです。今後は九州の西の海上を進み、11日(水)には韓国へ上陸する見込みとのこと。

 湿った風の影響で、宮崎や高知など西日本の太平洋側ほど大雨の可能性があるとのことですが、宮崎に行く13日~15日は良い気候になると感謝しつつの朝です。

 台風は、進路が少し変わるだけで影響が大きく変わってくるので、今日は朝から福山市へ向かい、明日は中津市へ行くので、台風の中をドライブになりそうです。生駒も雨が降り出しました。

 16日まで特別集会や聖会&礼拝奉仕の旅です。今年は九州へ5月、7月と今週を含めて3回の巡回伝道でした。5月は新幹線で筑後市まで。7月と今週はハイブリットカーで遠距離ドライブです。

 今日は岡山市や福山市、明日から中津市や大分市、そしてメインの宮崎市での聖会、15日は宮崎福音教会礼拝説教。夜は別府市での訪問などです。卒業生や求道者なども多くあり、出かけついでに多くの出会いを楽しみつつのドライブです。

 帰宅は16日の真夜中になりそうですが。来週は19日(木)よりアフリカ宣教で21年目のケニアです。25日(木)には帰国しますが、体調も守られ元気で宣教の旅を続けています。

 ブログは、わずか30秒の祈りが世界を変える!と題して、明日から毎日更新します。パソコンを持参しての旅を願いながら、操作手順ももう少し練習しなければと、相変わらずです。せめて写真をできればと思っていますが・・・・。

ペテロの第一の手紙

2:20 罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。

2:21 あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。

2:22 キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。

2:23 ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。

2:24 そして自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。

2:25 あなたがたは、羊のようにさまよっていましたが、今は、自分のたましいの牧者であり監督者である方のもとに帰ったのです。

長崎への原爆投下記念式典で鐘の音とともに一分間の黙祷

2010-08-09 17:17:38 | Weblog
長崎は9日、65回目の原爆の日を迎え,爆心地に近い平和公園(長崎市松山町)で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が営まれました。

 外出運転中でしたが、車の中で午前11時2分、鳴り渡る鐘の音とともに一分間の黙祷黙でした。
 
 被爆者や遺族、菅直人首相らも出席、田上富久長崎市長は平和宣言で、潘基文国連事務総長が提案する「核兵器禁止条約」への支持を表明し、「核なき世界」の実現を国際社会に訴えていました。

 
 原爆を投下した米国は、今年初めて広島の式典には出席し、長崎への出席は要請を受けながら見送ったとニュースは報じていました。参加国は過去最高の32カ国となったそうですが、核保有国が自ら核兵器禁止条約に率先して賛成し、特にアメリカは唯一の原爆投下を実行した国として核廃絶をすることを決断すべきですね。

 日本は唯一の被ばく国。原爆症認定集団訴訟は、国が全員救済することで解決に至りましたが、今なお被爆の影響は続いています。

 2007年、長崎県選出の 久間章生議員は防衛大臣でしたが、日本への原爆投下を「しょうがない」と発言。本音だったそうです。また、原爆投下という事態を招くことになった日本の侵略戦争を起こした政治指導者たちの責任を曖昧にし、いつの間にか日本は戦争美化の声とともに、殺人謳歌の国になりそうです。唯一の被爆国として、世界をリードできる平和憲法の国でありたいと祈ります。

エレミヤ書
 31:10 諸国の民よ。主のことばを聞け。遠くの島々に告げ知らせて言え。「イスラエルを散らした者がこれを集め、牧者が群れを飼うように、これを守る。」と。

31:11 主はヤコブを贖い、ヤコブより強い者の手から、これを買い戻されたからだ。

31:12 彼らは来て、シオンの丘で喜び歌い、穀物と新しいぶどう酒とオリーブ油と、羊の子、牛の子とに対する主の恵みに喜び輝く。彼らのたましいは潤った園のようになり、もう再び、しぼむことはない。

31:13 そのとき、若い女は踊って楽しみ、若い男も年寄りも共に楽しむ。「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。

31:14 また祭司のたましいを髄で飽かせ、わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。――主の御告げ。――」

31:15 主はこう仰せられる。「聞け。ラマで聞こえる。苦しみの嘆きと泣き声が。ラケルがその子らのために泣いている。慰められることを拒んで。子らがいなくなったので、その子らのために泣いている。」

31:16 主はこう仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。――主の御告げ。――彼らは敵の国から帰って来る。

31:17 あなたの将来には望みがある。――主の御告げ。――あなたの子らは自分の国に帰って来る。



すべてが可能な輝きの世界へ

2010-08-09 08:33:47 | Weblog
約束の地

私はもう、遠い空を見つめ 人の助けを求めることはない
神の宝は地上にこそあり、ここに神の国はある
私はもう、知らざる霧の中を進み 約束の地を探したりはしない
時は神の足下に横たわり 私は神の手の中にあるからだ

純金よりもすばらしい富がここにはある ただ私が望みさえすればよい
知られざる英知と語られざる力が 呼び出されるのを待っている
天国の門は我が眼前にあり その鍵は我が手にある
私はもう、遠い空を見つめることはない なぜならここが、約束の地であるからだ
                            (アルバ・ロマネス)

 今週、新しい教会案内が完成する。

 2000年間、世界中で人生を照らし続けた言葉がここに!
 教会のある生活  聖書の示す希望  そしてダイナミックな力が・・・・

 ”朝ごとの明るい口ぐせ「今日もまた、天国の一日です!」

 そして寝る前の感謝の一言「きょうもまた、天国の一日でした!」

 このシンプルな習慣があなたの人生に、すばらしい奇跡を起こします(牧師 榮義之)”

 教会には素晴らしく輝いた笑顔の女性たちがたくさんいます。その中の化粧品を扱っている方から、洗顔の秘訣を聞きました。ゴシゴシこするように手早く済ませるのではなく、ゆっくり丁寧に洗うという単純な洗顔です。

 男性ですから朝起きるとすぐ冷たい水でがさっと洗っていました。昨年から少しゆっくり洗うようにしていますが、まだ丁寧さが足りないとお叱りを受けています。

 肌をきれいにしようと思うなら、優しくやわらかく丁寧に顔を洗えば良いのだそうです。そのように話す素顔は、ほんとうに美しく輝いている!使っている洗顔石鹸だけではない、おだやかにゆっくりの気持ちが顔をも美しくつやつやにしているようです。

 女性は肌が美しくなると、心にもゆとりが生まれ、人生が大きく変わる方もあるようです。それは化粧法や整形美ではなく、内面の美しさが輝き出るからだと思います。

 クリスチャン女性の美しさは、心が変えられな内面の美が輝きでているからなんですね。

 ああなればいいなあ、こうなればいいなあと外に刺激を受け続けても、ダイエット商品や化粧品の宣伝にお踊らされるだけです。

 化粧に使う時間や化粧品やダイエット食品に使うお金を、心をきれいにするためにその幾分かを回すだけで、内面の美びが輝くだけっでな顔も肌もきれいになることが可能なのです。

 最高の喜びは、十字架に命を捨て三日目に復活されたイエス・キリストを、アーメン。信じますと心にお迎えすることです。そのとき、天国の平安と喜びは心に訪れ、「今日もまた天国の一日です!」の生活がスタートします。

 この肉体の命が終わる時まで天国の平安と喜び、幸せな祝福が与えられ、それを楽しみつつ永遠の天国を迎えることができるのです。

 
 毎日毎日が、豊かなゆとりの一日、そして眠る前にも感謝に一言、「今日もまた天国の一日でした!」で熟睡です。たとえそのまま目が覚めなっ方としても、そのときは永遠の天国に移されている幸せな人生です。祝福を祈ります。

ヨハネの黙示録

7:9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。

7:10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」

7:11 御使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、

7:12 言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。」

7:13 長老のひとりが私に話しかけて、「白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。」と言った。

7:14 そこで、私は、「主よ。あなたこそ、ご存じです。」と言った。すると、彼は私にこう言った。「彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。

7:15 だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。

7:16 彼らはもはや、飢えることもなく、渇くこともなく、太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはありません。

7:17 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、彼らの牧者となり、いのちの水の泉に導いてくださるからです。また、神は彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださるのです。」

長崎の鐘

2010-08-08 20:40:39 | Weblog
核兵器根絶を祈り願いながら・・・・

長崎の鐘

 こよなく晴れた 青空を    悲しと思う せつなさよ
 うねりの波の 人の世に   はかなく生きる 野の花よ
 なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

            召されて妻は 天国へ    別れてひとり 旅立ちぬ
            かたみに残る ロザリオの  鎖に白き わが涙
            なぐさめ はげまし 長崎の ああ 長崎の鐘が鳴る

      こころの罪を うちあけて   更け行く夜の 月すみぬ
      貧しき家の 柱にも      気高く白き マリア様
      なぐさめ はげまし 長崎の  ああ 長崎の鐘が鳴る 

テサロニケ人への第一の手紙

5:3 人々が「平和だ。安全だ。」と言っているそのようなときに、突如として滅びが彼らに襲いかかります。ちょうど妊婦に産みの苦しみが臨むようなもので、それをのがれることは決してできません。

5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗やみの中にはいないのですから、その日が、盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。

5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもだからです。私たちは、夜や暗やみの者ではありません。

5:6 ですから、ほかの人々のように眠っていないで、目をさまして、慎み深くしていましょう。

5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うからです。

5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛を胸当てとして着け、救いの望みをかぶととしてかぶって、慎み深くしていましょう。

5:9 神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。

5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。

子どもキャンプを楽しむ

2010-08-08 06:14:24 | Weblog
 昨日から今日の礼拝まで、一泊で子どもキャンプです。朝の礼拝に始まり夜の花火大会まで、子どもたちが思い切り祈り歌い遊びます。

 夕食はママたちが精いっぱい腕をふるい、おいしいカレーライスにから揚げ、サラダも色とりどり、差し入れの大きなスイカやブドウ、手作りの砂糖を入れないチョコレートケーキ、かき氷やアイスクリームまで・・・・。

 ゲームに興じる子どもたちの中に入るが動きについていけない。2日間炎天下の中、草刈りや木を切ったり作業をしたので、身体中の節々が痛みを覚え悲鳴を上げている。手をつかまれ引っ張り出されてもすぐギブアップだ。

 午後8時になると、聖書学院の庭は最高の打ち上げ花火見学の場になる。生駒市の打ち上げ花火がに子どもたちの歓声が響く。30分間間断なく上がり、感動のフィナーレ!

 それから子どもたちは、用意された花火を手に美しく輝かせながら楽しむ。今日もまた天国の一日でした!おやすみなさいと、宿舎に引き揚げ就寝。

 朝の目覚めも早く子どもたちの声が聞こえる。朝食後から礼拝後の楽しい持ち寄り昼食会の食事作りが始まる。午前10時から礼拝なのでそれまで、台所が賑やかなこと・・・・。

 今週は、岡山や広島の教会を訪ねながら16日まで、中津市、大分市、宮崎市まで出かける奉仕の旅です。アフリカ宣教(19~25日)のウオーミングアップのつもりで元気に礼拝の備えている朝です。

イザヤ書
新共同訳;48:17 イスラエルの聖なる神/あなたを贖う主はこう言われる。わたしは主、あなたの神/わたしはあなたを教えて力をもたせ/あなたを導いて道を行かせる。

48:18 わたしの戒めに耳を傾けるなら/あなたの平和は大河のように/恵みは海の波のようになる。

48:19 あなたの子孫は砂のように/あなたから出る子らは砂の粒のように増え/その名はわたしの前から/断たれることも、滅ぼされることもない。

48:20 バビロンを出よ、カルデアを逃げ去るがよい。喜びの声をもって告げ知らせ/地の果てまで響かせ、届かせよ。主は僕ヤコブを贖われた、と言え。

48:21 主が彼らを導いて乾いた地を行かせるときも/彼らは渇くことがない。主は彼らのために岩から水を流れ出させる。岩は裂け、水がほとばしる。

48:22 神に逆らう者に平和はない、と主は言われる。

新改訳
48:17 あなたを贖う主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。「わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。

48:18 あなたがわたしの命令に耳を傾けさえすれば、あなたのしあわせは川のように、あなたの正義は海の波のようになるであろうに。

48:19 あなたの子孫は砂のように、あなたの身から出る者は、真砂のようになるであろうに。その名はわたしの前から断たれることも、滅ぼされることもないであろうに。」

48:20 バビロンから出よ。カルデヤからのがれよ。喜びの歌声をあげて、これを告げ知らせよ。地の果てにまで響き渡らせよ。「主が、そのしもべヤコブを贖われた。」と言え。

48:21 主がかわいた地を通らせたときも、彼らは渇かなかった。主は彼らのために岩から水を流れ出させ、岩を裂いて水をほとばしり出させた。

48:22 「悪者どもには平安がない。」と主は仰せられる。